今回は毛利輝元・秀元が大軍を率いて出征することになった文禄・慶長の役ー朝鮮出兵について、独立大名として軍勢を率い碧蹄館の戦いで活躍した小早川隆景の動向や、両役を経て達成された毛利軍の軍制改革といった話題とも絡めながら、毛利軍が果たした役割を解説していきます。

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【ゆっくり解説】毛利輝元編その11ー領国改革で権力の絶対化を目指す輝元

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【ゆっくり解説】毛利輝元編その10ー秀吉への従属と両川体制の解体が始まった九州出兵

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29 Comments

  1. 毛利さんこき使われてますな。毛利の勢力を落とすのにはうってつけだけど家康の方は・・・

  2. まぁ恵瓊は安芸武田氏の出なので説法だけのお坊さんではなかったんでしょうね。北条玄庵や太原雪斎並にチート僧侶だったら関ヶ原で間違うこともなかったでしょうけど。

  3. 領国開拓で家康を疲弊させて、毛利は経済的に疲弊させようとしてたのかもしれないけど
    この時、家康は着実に力を付けていた、これが秀吉最大の失敗かもしれない
    秀忠あたりを指名して1万位の兵を出させて失敗させれば領国削減とか出来たかもしれないのに
    まあ、それを命令できるだけの力の差はなかったのだろうけど

  4. 知らないことばかりで 役に立ちました でもやはり 加藤清正と小西行長の活躍を取り上げた方が面白いな

  5. 朝鮮出兵の話はイデオロギーに邪魔されてちゃんと語る人がいないんで大変ありがたい

  6. 組とか組頭とか構成員とかいう単語がばんばん出てきて、
    任侠映画の解説かと思えなくもないような、そうでもないような……w
    (構成員は当時の単語じゃないでしょうけど)

    もしかしてこの時の単語が数百年後のヤのつく自由業の方々に受け継がれた、
    とかが多少なりともあったりするんですかね。ほら広島だし……w

  7. 三成って島津家だけじゃなくて毛利家にもお節介を焼いてたんか……。(22:38
    ってか、以前の島津家編では三成って島津家に内政干渉し過ぎてたけど毛利家も三成との関係に苦労してたんかな?

  8. 輝元にとっては文禄慶長の役は勝ったら勝ったで戦勝で得た外地へ国替えされる恐れがあり、こんな土地は欲しくないと書状で愚痴り、病気になるの分かる気がします。それでも秀元に上手く立ち回らせたり、毛利家中の集権化は着実にしてるところはただ者ではないですね。
    慶長の役では諸将に関ケ原の伏線になるようなことがありますが、輝元・秀就宗家にとっては秀元の活躍と名声がかえって家光家綱時代まであるいは秀元系が宗家を継ぐまで宗家(長州)と毛利甲斐守家(長府)の悶着の種になりますね。

  9. 大身の大名で有るほど、朝鮮出兵は面倒臭いですね
    下手したら、国替えで、日本から追放まである
    家康さんのスルースキルが輝く🌟

  10. 朝鮮征伐で活躍した武将はNHK大河の主役になれない。なぜならNHKの鮮人幹部が認めないから。

  11. 朝鮮での輝元の病気って最前線に配置されないための仮病のような気がする
    輝元の待機してた場所は日本軍を俯瞰するのにバランスがいいところだし

  12. 朝鮮出兵で吉川広家と安国寺恵瓊が揉めたのは、実話なんでしょうか。後、国衆の統率はできたかもしれないですが、一門衆の軋轢がこの頃から始まったと思っているのですが、どうなんでしょう

  13. 良くネットでは朝鮮出兵は「日本軍は朝鮮や中国相手に勝っていて、負けたから豊臣政権が滅亡した一因になったという通説は嘘」と言われていますが

    島津の時や今回の毛利の出兵もそうですが、さほどやる気がないのに秀吉の命令で朝鮮に行かされる外様&秀吉軍事派
    現場の状況も知らないのに秀吉の命令を伝える秀吉内政派

    信憑性はともかく中国や朝鮮軍の必死の抵抗を受けるなかで、
    秀吉内政派は、支出ばかり増える戦争の中止や軍事派の力を増やさないために、負けているという嘘の情報を秀吉に流したりと
    と確実に内輪で軋轢が生じそうな状況なんですよね

    正直京都とも大阪とも離れた中国や朝鮮の領土が欲しかった大名は恐らくいないでしょうし
    勝ち負けはともかく朝鮮出兵が秀吉政権に大きな影を落としたのは間違いないのでしょうね

  14. お疲れ様です。
     輝元はじめ毛利家は結構活躍していて、国人らもそれぞれ働いており、秀吉から直々に感状を貰うこともあって、毛利家の底力を両度の戦いで秀吉も朝鮮側も改めて思い知ったと思います。
     また、隆景と宗茂がともに戦っており、これもまた時運なのかなと感じました。
     叔父たちも活躍していて、元政は上月城の戦いでも将として軍を率いていましたし、元康も元秋死去後出雲統治を任されるほどの人物だったので、元就の息子たちはしっかりと色々な面で活躍していることを、やはり再確認することが必要です。
     海外での役を終えた輝元、隆景・元清がいなくなった後、どうなるかが心配です。

  15. 陸の上では正面から戦えば常勝無敗無敵の日本の戦国オールスターズ、実は海戦でも史実を検証する限り悪く言ってイーブン、実際は日本との海上輸送を確保してるんだから海上でも優勢な日本。そんな唐入りは兵士の数から言っても中堅の侍大将クラスの数や質からいっても毛利勢が豊臣の奉行衆並みかそれ以上の縁の下の力持ちとして支えてた戦だったりする。
    それにしても同時代の世界中の合戦をみても最大級の地上戦や日明で敵味方巻き込む謀略が渦巻き、豊臣黄金時代の絢爛豪華な日本を凌駕する当時世界最大の国家である明との戦いが日本でも中国でもハリウッドでもドラマ化されないのは人類の損失。

  16. 唐入りは小早川隆景の寿命にも少なからず影響してるし、いやほんと老いた秀吉には困り者でしたね💧 元清の寿命にも影響してそうだし… 九州征伐といい秀秋の養子問題といい、秀吉に関わるとろくな事がない💧

  17. 中年になった輝元が頑張って小早川のおじいさんが戦国期最強武将レースでデビューをはたす毛利家大活躍の唐入りだが日本では評価は今ひとつだったのかも。
    なかなか白黒はっきりしない状況で秀吉が総大将で指揮を執ると言い出したのをいさめた家康が「殿下の代わりに総指揮をとって明の軍勢など蹴散らして見せましょう」といったとか。
    唐入り当時は毛利、島津、宇喜多なんかは眼中になく、秀吉も家康も自分たちこそ生き残りの武将では双璧だと認めていたという話。
    しかし秀吉はともかく、長期の遠征した戦や長距離の海上輸送での兵站の経験のない家康が徳川家臣団を引き連れて攻め込んでも毛利ほど上手に海外での戦ができたのかはかなり怪しい。
    歴史のIFで秀吉の寿命がもう一年あれば徳川家vs明の決戦もあったのに、秀吉のあのタイミングでの謎の死が惜しまれる。

  18. お年寄りだった小早川隆景と宇喜多忠家。この二人互いに戦って隆景が討ち取られそうになったことがあったはず。宇喜多忠家ってこの時は戦いに行ったというよりお家騒動を心配して必要もないのに秀家についていっただけなのに活躍しちゃうところがおもしろい。

  19. 古は知らんけど、今は第13旅団として生き長らえている。毛利軍に栄光あれ!

  20. 碧蹄館の戦いの戦いは色んな所で紹介されていますが、何度見ても戦国日本のオールスター感が溢れてていいですね。無論、渡海した大名は皆、大変な苦労をされたと思いますが、せっかくのロマン溢れる戦いが、歴史愛好家の中だけにとどまって、一般人にはほとんど知られていないのは残念至極。

  21. やっとまともに軍事遠征の指揮をとるのかと思ったら即座に病気ってさぁw 朝鮮出兵で毛利が何をしていたのか全く知らなかったので勉強になった

  22. 増税、移民で日本破壊し馬鹿息子の躾もできず地元から退陣デモされる無能眼鏡と、信長の猛攻から自国を守りきり秀吉から天下の政治をできるのが直江と小早川のみと讃えられ、毛利本家を守る為に息子を犠牲して秀秋を小早川を養子とした小早川隆景と無能眼鏡を引き合いにならない