阪神時代に11年間プレーした甲子園。試合終了まで見届けることはできず、3点をリードされていた7回あたりで甲子園を去り、午後1時前に京セラドーム大阪入り。取材を受けている伊藤の横を通り過ぎる際に「散った」と残念そうにつぶやいた。
新庄監督は西日本短大付時代、甲子園出場を果たせなかった。1989年夏の福岡大会で先輩の石貫宏臣投手(元広島、ロッテ投手)を擁して甲子園出場して以来の決勝進出。相手は福岡大大濠で、4―6と惜敗した。「1番・中堅手」の新庄は5打数4安打(左前安打、左翼越え本塁打、中越え三塁打、中堅フェンス直撃の二塁打)とサイクル安打を記録したが、逆転には至らなかった。
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