【総集編】一体どこへ…?”神隠し”のごとく、突如消失した登山者たちの行方について一挙解説!(野沢温泉・鳥海山・上高地・悪沢岳・中央アルプス)【ゆっくり解説】
なあなあ霊夢今日はどんな話をしてくれる んだあら魔理沙今日は今までにお話しした 遭難事故から神隠しというテーマで5つを ピックアップして紹介させてもらうわ 神隠しそれって人が突然姿を消すって意味 だっっけえそうよ今回紹介する事故では 登山中に姿を消して帰ってこなかった人も いれば無事帰ってきた人やなくなって帰っ てきた人など様々なのちなみに無事帰って きたパターンは少なくて帰ってこなかった もしくは見つかったがなくなっていたと いう遭難事故が多いわまあ山の中で事故に 会えば無事に帰ってこれれないケースの方 が多くなるよなどういう経緯で登山者たち が姿を消すような事態に巻き込まれたかを 解説しているからしっかり聞いてもらって 自信が同じ目に合うことがないよう気を つけて欲しいわ了解だ今回も勉強させて もらうことにするぜそれじゃあ早速話して いくわ ね [音楽] はいマウンテントレールインの沢温泉の 事務局ですあ私65kmソの部に参加して いる降臨というものですがどうやらコース アウトしてしまい道に迷ってしまった みたいでえ大変だ捜索に行きますので絶対 にその場を離れないで くださいなあなあ霊夢今日はどんな話をし てくれるんだあら魔理沙今日は2019年 に野沢温泉周辺で発生した遭難事故の話を するわよ温泉で遭難どういうことだそれは この後説明するからちょっと待ってほしい わまずは野沢温泉の話をさせてちょうだい ああ分かったぜ野沢温泉は長野県北西部に ある野沢温泉村の温泉地よどうやら日本で 村名に温泉がついているのは野沢温泉村 だけみたい野沢温泉には13の外湯があり 掃除などの維持管理の全てが周辺の住民に よっって作られた湯仲間という団体によっ て行われているそうよ村名に温泉がついて いるくらいだからきっと古くからその湯 仲間によって管理されてきたんだろうな湯 制度は江戸時代から存在していたらしい から魔理沙の言う通りねそして長野県の 強度職として有名な野沢な付けを知って いる人は多いと思うのだけど野沢な発生の 血は野沢温泉村らしいの江戸時代中期に 大阪京都から持ち込まれた天王寺小野沢 温泉村で栽培したところ村のな環境のため か株が変異し別の野菜が誕生したそうよ 当初地元では株なと呼ばれていたその野菜 はいしかスキーヤーや当時客たちから野沢 と呼ばれるようになっていったそうよへえ 野沢のことは知ってたけどそういう経緯で 名前がついたことは知らなかったなそれで 先ほどの温泉で遭難という魔理沙の疑問に 答えると遭難事故の沢温泉周辺で行われた トレールラン大会での出来事だったのああ そういうことだたのかトレイルランの事故 っていうと以前話してくれた白さんの事故 もそうだったよなえまあの事故は大会中に 起きたものではなかったけどねさてじゃあ その大会でどんな遭難事故が起きたのか 話していきましょうかああよろしく頼む 2019年7月14日野沢温泉村周辺で マウンテントレールイン野沢温泉という トレイルランの大会が開催されたのこの 大会はそれなりに歴史があるようで私が 調べただと2010年には存在していた ようねそして埼玉県在住の60代男性で あるコリンはこの大会に参加大会について 説明するとコースは14km 37km65kmの3種類が用意されてい てそれぞれ制限時間は5時間9時間半17 時間37kmと65kmのコースには チェックポイントが複数箇所受けられてい てその喚問ごとにも制限時刻があるの指定 事故告までにチェックポイント通過でき なければ足切りされてしまうということだ なでも足切りするにしても チェックポイントにたどり着いていない 選手の人数はどうやって確認するんだ チェックポイントには大会スタッフがいる ためそこで人数確認を行っているみたい 加えてこういう大会には制限時間に合わせ て最後尾を走るスイーパーという役割の スタッフがいるのでチェックポイントに 到達せずにどこかへ行ってしまう人が出 ないようにしているみたいよなるほどな それならちゃんとチェックできそうだな そして降臨が参加していたのは65km ソノ65kmコースは獲得標高が 4100mもありかなり過酷なようなのな ので降臨のトレール欄経験については情報 がなかったのだけどさすがに初心者って ことはないと思うわその過酷な条件の コースに60代で経験の少ない人が参加 するとは考えづらいもんな加えて大会参加 の資格は大会当日25歳以上の男女で コースをことなく制限時間内に完走できる ことというものだったようだからやはり 経験者だったと思えるわねもしも降臨が 初心者だったらさすがに無謀としか言え ないな大会当日の7月14日この日は朝 から幸の悪天校だったみたいだけど大会は 予定通り開催され65kmソノは午前7時 にスタート降臨はトレール欄を開始したの だ けどあれここどこだ彼はコースアウト迷っ てしまったようなの14時から15時頃 どうしようもなくなった彼は大会の絶景に 記載されていた事務局の番号へ 電話はいマウンテントレールインの沢温泉 の事務局ですあ私65kmソの部に参加し ている降臨というものですがどうやら コースアウトしてしまい道に迷ってしまっ たみたいでえ大変だ捜索に行きますので 絶対にその場を離れないでください事務局 は捜索本部を設け警察や消防野沢温泉村の 捜索対策協議会など計60人で捜索を開始 したのヘリコプターも出動する大創作と なったようね随分多くの人が捜索活動を 行ってくれたんだな人の命がかかってる わけだから捜索はなるべく大人数の方が 良いでしょうしこれは私の推測だけど大会 名にしっかり野沢温泉と入っていてもし 大会で遭難者が出て見つからないとなると 野沢温泉の評判にも影響が出そうだから 温泉の人たちも総力を上げて捜索してたの かもねふむまどんな理由だったとしても 捜索してくれる人の数は多い方がいいし 助かるな捜索活動開始にあたりまずは降臨 のおよその遭難地点を調べるため スイーパーや降臨の近くを走行していた ランナーなどから聞き取りを行っていると 12km地点の赤付近で最後の目撃情報が あったのさらに15km地点にある チェックポイントではの通過が確認されて いなかったことから12から15kmの間 でコースから外れたと推定その周辺を重点 的に捜索することになったみたい聞き取り から遭難場所を調べるのは良いことだと 思うけど降臨本人にどこにいるのか電話で 聞くのが1番早いんじゃないかトレール ランしてるくらいだからGPSで1を記録 するスマホアプリとか使ってるだろうし すぐ場所の確認が取れそうだけどそう思う わよねでも過去のニュース記事を見返して みると降臨と大会事務局の最初の電話の時 には現在地の確認が取れなかったみたいな のよえどうして理由は不明だけど考え られるものとしては1降臨に現在地を聞い たが降臨自身が把握できていなかった2 事務局側が聞き忘れた3事務局は現在地を 聞こうとしたが降臨が何かしらの理由で 電話をすぐ切ってしまった私が思いつくの はこれくらいかしらね1の現在地が分から なかったというのはGPSで1が確認 できるアプリなどを使用していなかったと いうことだなそうねそして降臨が事務局に 電話をしたのが14から15時だと言われ ているのだけど彼がスタートしたのは午前 7時そしてコースから外れたのは12から 15km地点だからかなりペースが遅かっ たとしても10から11時にはその地点に 到達しコースから外れていたのでわと推測 できるわよねとすると降臨がコースアウト してから事務局に電話するまでに数時間も 時間が空いていたことになるなそうなのよ 降臨がどの時点で自信がコースアウトした と認識したのかは不明だけどいつになって も15km地点のチェックポイントが出て こなければさすがに気づくでしょうそして コース上には一定感覚で目印があるので 1415時までコースアウトに気づか なかったというのはいくらなんでもありえ ないつまりコースアウトしていこうかなり の時間どうにかコースに戻ろうと動き回っ たと考えられるわそれだけ移動しちゃうと もうどこにいるのか分からないだろうな 一応コンパスと地図が大会の必須傾向品と されていたそうなんだけどこうなって しまっては有効に使うのは難しそうよね2 の事務局が聞き忘れたというのは可能性と しては低そうだな可能性の1つとして上げ ては見たけれどこれはないと思うわ迷った と言われたら当然周辺情報を聞き出そうと するだろうしね3の電話をすぐ切って しまったっていうのはどういう状況だ携帯 電話のバッテリーを温存したくて慌てて 切ってしまったとかちょっとパニック状態 になっていて切ってしまったとかかしらね ここまで行くと推測というか私の妄想の息 になってしまっているかもしれないけれど ねでも電話が切れてしまったならまた 掛け直して確認すればいいだけじゃないか そうよねところがね最初の電話からどれ くらい時間が経った後のことかは不明だ けど事務局が再度降臨との電話を試みる とああれ繋がらないぞ最初の電話以降降臨 と通話することはできなかったそうよああ 最初の通話で情報を得れなかったのが 悔やまれるな繋がらなかった原因は何 だろう携帯電話のバッテリー切れ時間制限 が17時間もある長時間の大会だから モバイルバッテリーくらいは携帯している 気がするけどね荷物軽量化のために モバイルバッテリーを持っていなかったと いうこともなくはないかもしれないけど うむとすると歩き回っているうちに圏外の 場所に入り込んでしまったとかかな最後に 目撃されたのが赤崎付近ということが判明 してからは周辺を重点的に捜索していたの だけどこの日は朝から降雨で悪天校だった ため日没と同時に捜索活動は終了翌日早朝 から捜索を再開することになったのよ いくら夏といえども雨が降っていると停滞 温症になるリスクがあるなそれに関しては 65kmの部では防水防風ウアなどを必見 品としていたようなので1日くらいは 大丈夫かもしれないわねおやそうだったの かあは滑落などで怪我をしていなければ いいが な翌日15日早朝から捜索を行ったものの 降臨を発見することはできなかったの そしてその後も数日間捜索活動は継続され たのだけど結局降臨を見つけることはでき ず捜索開始から4日間経過した7月18日 降臨のご家族の同意を得て捜索活動は 打ち切りとなったそうよその後は10末 まで地元スタッフによる捜索活動を実施 捜索をしたオやさおなどのGPS情報を 記録しながら行方不明になったと思われる 場所は全て捜索したものの行方不明者を 発見することはできず捜索は完全終了と なったみたい3ヶ月以上捜索を行っても何 も発見されなかったんだなその後降臨が どうなったのか調べてみたのだけど特に 関係するニュース記事は見つけられなかっ たから今も行方不明のままみたいねまるで 神隠しだな一体どこ行ってしまったん だろう遭難事故から5ヶ月後大会の事故 調査委員会は最終報告書を公表その報告書 では主に次回開催以降の安全対策について 記載されていたのまず2019年の大会で はコース上の目印や案内表示について コース案内サイ各文器地点矢印で表示 コーステープ不明量で必要な箇所となって おりコース案内版コーステープなど1km 以上走っても確認できない場合はコース 案内版またはコーステープまで戻りコース の確認をしてくださいというようなもの だったそうよコースが合っているか間違っ ているかは1km走らないと分からないっ てことか少し大変だなそして自己報告書の 中にはマーク間の距離を短くするなどの 工夫を計画しますと書かれていて2022 年に開催された同大会の情報を見てみると 紅白テープを100から300m間隔で 設置コース案内版コーステープなどが 500m以上走っても確認できない場合は コース案内版またはコーステープまで戻り コースの確認をしてくださいという風に なっていたので報告書の通り改善されて いるようねかなり目印の感覚が狭まって いるなこれなら迷う確率がかなり下がり そうだ次にスイーパーやチェックポイント のスタッフの意識や人員の問題について 今回の遭難事故降臨が事務局に電話をした のは午後2時3時頃だったわけだけど最初 のチェックポイントである15km地点の 制限時刻は11時つまりスイーパーは11 時から少し時間が経過した頃には15km 地点に到着していたはずでその時点で スイーパーとチェックポイントのスタッフ は通過人数と参加者数があっていないこと を認識できたはずしかし降臨から電話が 来るまでの数時間彼がコースから外れて いることを認知していなかったもしくは 知っていたのに何もしていなかったこれは かなり問題よねこれじゃあ何のために チェックポイントを設けているのか分から ないよな自己報告書によるとその改善策と してあげられていたものはパーの意識向上 と協議委員長による事前のレクチャーなど を実施します給水所やエイドステーション ポイントチェック箇所における人員配置に ついても長時間に及ぶレースのため配置 箇所や人数などを再度検討します核エド ステーションや給水所本部計測係りは トランシーバーによる連絡をしていますが 各所における報告事項を取りまとめ情報 共有できるようにしますとのことよそして 最後に自己発生防止のたの必須傾向品に ついて65km種目においては夜間走行寒 さ対策雨対策などを考慮してライト予備 バッテリー防水防風ウェアなどを筆傾向品 としていますがGPS機能のある時計や 電話と呼びバッテリーを出場種目限らず 必須傾向品として明記します参加するには 必ずGPS機能付きの装備を準備しなけれ ばならないことにしたみたいね加えて 2022年の同体会の詳細を見てみたら ココヘリの加入も必須となっていたらしい わココヘりってんだココヘリは会員性捜索 ヘリサービスのことよ入会すると発信機を 貸してもらえて何かあった時はその発信機 の位置を受信機で特定してくれるみたい 全国の警察消防航空隊が発信機の電波を キャッチする専用受信機を導入していたり この大会のようにココヘリを義務化して いる大会では運営チームがココヘリ受信機 を導入しているため遭難発生時も迅速な 捜索が可能なのだそうよへえそんな サービスがあるんだなココヘリの導入で かなり安全になっている気はするな色々 安全対策を見直したみたいだし今後は事故 が起きないで続いていくといい なそして降臨の遭難から2年後の2021 年マウンテントレイルインの沢温泉 2021で再び遭難者が発生してしまった のえ色々対策したけどダメだったか 2021年の大会に参加していたかぐや 小杉神社で給水してからコースに戻と 固まって走っていてランナーたちはばらけ て単独で走ることにマークのついている気 を目印に進んでいったそうなんだけどヤが 多くなってきてどんどん厳しいコースに なり不安になったみたい自信がなかった ため大会に参加している友人たちに現在地 の位置情報と周辺の目印の写真を送信する とどうやらコースアウトしているという ことが判明かぐは友人からその場を動くな とアドバイスを受けたためその場で待機 することにしたそうよ友人はいいをしたな 下手に動かなくて正解だ一方大会に参加し すでにリタイアしていたかぐの友人が大会 本部に連絡大会本部は遭難現場の近くにい たスイーパーの連に連絡をし連ともう1人 のスイーパーはここ減り受信機を持って 捜索を開始同時にココヘリのドローン チームも捜索を始めたそうよそしてレガ かぐの友人からもらった情報を元に遭難 地点と思われる場所の付近を捜索している と ここヘリ受信機が反応近くにいることは 分かったのでレンとも1人のスイーパーで かぐの名前を呼びホイッスルを吹きながら 当たりを探している と助けてヤの中から女性の声が近づいて みるとそこにはかぐがいたのよ怪我はあり ませんか大丈夫ですかぐは無事救助された んだなかぐがいたのはヤの中の急斜面で 自力では上がってこられない状態だった そうよもし発見できなかったら身動きが 取れず最悪の事態になっていたかもしれ ないわね霊夢から2021年にも遭難が 起きたと聞いた時はどうなることかと思っ たけど無事で良かったぜかぐが情報を友人 に伝えることができたということが発見 できた要因として大きいとは思うけどここ ヘリの鉱石も大きいよな行方不明のままの 降臨は不便だけどかぐは無事に見つかって 本当に良かった な 今回のお話では2019年に降臨が遭難し 行方不明2021年にはかぐが遭難し無事 救助されましたトレールランは通常の登山 より進むペースが早いため目印や案内表示 を見落としやすいですさらに大会では時間 制限もあるため焦りなども道迷いを 引き起こす要因なのかもしれませんね 2019年の大会で行方不明となって しまった降臨は不便ですが彼のおかげで 大会の安全対策が見直されてかは無事入出 されたと言ってもいいでしょういつかの沢 温泉の山中のどこかに眠る降臨が発見され てあなたのおかげで1人の命が助かったよ と伝えてあげられるといいです [音楽] ねはあはあまだ先は長いのにかなり時間を 使ってしまったこれ以上進んだら日帰り できなくなるかいやすでに厳しいか 仕方ない今日は満す小屋で過ごして明日 下山しようとりあえずかぐやに電話1本 入れとかない とうわ うわあなあなあ霊夢今日はどんな話をして くれるんだあら魔理沙今日は2022年に 超会さで発生した遭難事故の話をするわよ 町会さは山形県と秋田県にまたがっていて 標高は2236Mまた日本百名山と花の百 名山日本百系に選定されていることに加え て 山頂に雪が積もった姿が富士山にそっくり なためでは富士とも呼ばれている魅力 たっぷりの山ねほう綺麗な山だないつか 登ってみたいもんだ会さんの魅力は他にも あって影会と呼ばれるものを生み出すこと で有名なの魔理沙影長介がどんなものか 予想できる影会うんその名前からすると影 でできた町会さんみたいな感じなのかなお いい戦行ってるわね影会とは朝日に照らさ れた教会さんの影が日本会場に映し出さ れる現象のことよ早朝の4時から5時頃に 教会さにいないと見ることはできずその 時間帯にいても必ず見ることができると いうわけでもなくまた町会さのシルエット がはっきりと映し出される日は特に珍しく 限られていることから期間と呼ばれている みたいなの朝日に照らされて現れるという 性質上見られたとしても1回20から30 分程度みたいね早朝にいないといけないと いうことは山小屋に全しないと厳しそうだ だ影長介を生で見てみたいけどかなり運が 絡みそうだし難しそうだなさてちょっと話 は変わるけど本題に入る前に事前知識とし て会さんの登山コースについて説明させて もらうわねまず町会さ山頂へ向かうための 登山口はコのもあるのコの随分とたくさん あるんだな町会さんは山形県と秋田県に またがっているということは最初に伝えた と思うけど秋田県側に4つ山形県側2ごつ あるそうよさすがに全部紹介していたら 時間がかかりすぎるからざっくり説明する けれど今回の事故は山形県側で起きたもの だからそちらのコースについては少し 細かく話すわね了解だぜまずは秋田県側の 4コース北口コース矢島口コース桃焼け口 コースサ倉口コースがあって距離は10 から15kmタイムは7から9時間となっ ているわふむ1番タイムが長いコースでも 朝早く出発すれば日帰りできそうだな次に 山形県側の5コースはふ口コース長坂口 コース満す口コース2の滝口コース湯野 大口コースよ秋田川と比べて距離が長い コースが多く何度が高いみたい最短ルート の湯野大口コースでも距離は12km タイムは8時間半なの最短でも8時間半 かかるのかほぼ秋田川のコースの最長時間 と一緒じゃないかその次にコースタイムが 長いのが口コース距離は14.6kmで タイムは9時間半まだギリギリ日帰り可能 かなコースタイム通りに行かないと厳しく なりそうだが残りの3コースは2の滝口 満す口長坂口の順に距離とタイムが伸びて いき2の滝口コースは距離21kmタイム 13時間マスケ口コースは距離27km タイム15時間半長坂口コースは距離 28kmタイム16時間こんな感じみたい ねの滝コース以降は日帰りは無理そうだな ハーフマラソンの距離超えてるとかかなり きつそうだぞ教会さんコースがここのつも あることは珍しいけど秋田川から登るか 山形側から登るかでかなり難度が変わると いうのも珍しい気がするなそうよねそれに これだけコースがあると何回言っても 楽しむことができそうな良い山だと思うわ さていつもながら事前知識の説明が長く なってしまったけどそろそろ本題に入り ましょうかああよろしく頼むぞ町会さで 起きた遭難事故はどんなものだったんだ 2022年4月長会さ登山を計画していた 60代男性の提督彼は登山歴50年の大 ベテラン彼は主に山形県で登山活動をして いて特に町会さに関しては直近1年で20 から30回登っていたみたい20から30 回すごいなそれだけ超会さんが好きだった んだなただしその全ての参考で山頂を 目指したというわけではなく満す小山行っ てゆっっくりしたり長介雇を目的地にし たりと様々な楽しみ方をしていたみたいね そんな楽しみ方ができるくらいだきっと会 さは彼の庭みたいなもんだったんだろうな 山頂を目的地にすることは少なかった彼だ けど2022年の2月には湯の大口コース で単独で盗聴を達成しているので実力は 確かでしょうね2月というと幻期だよな その時期にソロ盗聴とはすごいな彼は4月 後に会さへ登っておりその時の目的地は 生姜だけだったのだけど悪天候により撤退 そしてそのリベンジとして4月9日に再び 教会さを登ることにしたようなの4月9日 の登山計画ははっきりと記録が残っている わけではないのだけど色々な情報の 組み合わせと私の推測で説明していくわね まず車で肘曲がり神社まで向かい付近に 駐車するそこからマス口へ向かい入山その 後登山道を進んでいき図地点を経由し岩へ そして生姜だけに到着ピストンで下山はせ ず引き続き登っていき浜長介古分岐へ浜 海子分岐に着いたら海子方面へ向かい次の 分岐まで進むそこから満す小屋に向けて 下山 開始そのまま車を止めた肘曲がり神社まで 下山おそらくこのような登山計画だったと 思うわふむ今のルートの距離とこすタイム はどれくらいなんだ距離は約17kmで タイムは9時間半ほどねおお山頂まで行く わけじゃないのにそれでも結構な時間が かかるんだなただし4月の教会さは まだまだ残席機で4月上旬であればかなり 雪が残ってるみたいだからもっと時間が かかる可能性もあるわねまあ提督は会さん には慣れているしそこら辺は大丈夫そうな 気もするけどなそして9日の早朝のこと かぐや行ってくるぞあらこんな早くから 出かけるのまた町会さんああ今回も日帰り で行ってくる夕方までには戻る予定だから 提督は奥さんのかぐに町会さんへ行くと 伝え早朝に出発していった のでもこの日の夜になっても提督が帰って くることはなかったのよおいおい随分と急 展開だな提督は登山歴も長く町会さんを庭 のように登っていたベテランのはず一体何 が起きたん だここからは別の人の視点で話を見ていく わよ提督が町会さへ向かった翌日の4月 10日高橋は日帰りで町会さん登山を終え 自宅でくつろいでいたのすると高橋の元に 1本の電話が入ったそう よはい高橋ですもしもし降臨だけどお降臨 どうしたんだなあ提督の件聞いたかえ提督 がどうかしたのかあいつ昨日町会さんに 行ったっきり帰ってきてないらしいんだ奥 さんには日りって伝えていたにも関わらず 電話は高橋の山仲間からでその内容は提督 が町会さんから帰ってきていないという ものだったのそそんな馬鹿な提督は最近 単独で超会さ登場した実力者だぞ提督が超 会さになれた登山者であることから好天寺 の道迷いはありえないと考えた高橋とする と急に体調が悪くなり動けなくなったか 突風で滑落して動けないかのどちらかだ だろそして9日の天候が強風で説明も アイスバーン上になっていたことから滑落 したのだろうと判断したそうよどのルート を登っていったか情報はあるのかどうやら 肘曲がり神社から登って生姜だけ美浜満す 小屋を経由して下山する予定だったみたい だぞちょうど今日俺が歩いたルートに近い な明日いつものメンバーで提督を探しに 行くつもりなんだけど俺も行く一緒に行か せてくれ高橋は捜索に参加させてくれと 即答翌日4月11日に高橋含む登山仲間4 人で会山へ向かうことになったの捜索活動 参加に即するなんて高橋と督はどういう 関係だったんだ2人は30数年来の山仲間 だったそうよなるほどその仲間が山から 帰ってこないとなれば当然捜索活動には 参加するだろうなこの日提督のルートの 近くを歩いたわけだから高橋の参加は かなり捜索の助けにもなるでしょうから ね翌日4月11日朝8時に提督の妻である かぐは警察へ通報警察は地元山岳会の協力 を得て捜索隊を編成提督の捜索活動が行わ れることになったの一方捜索隊とは別に白 前官に集合した高橋たち4人メンバーは 隊長の連高橋降臨そして提督の1番弟子 だった記名丸督の性格上おそらく予定通り のルートを進んでいるはずだえた4人は マス口から入山し足跡などの痕跡を探し ながらまずは図地点へ向かうことにしたの 4人が図地点を超え生がだけへ向かって いる と人の声が聞こえるぞ沢の反対岸にある マンス小屋からの下山道に登山者がいた そうよそこで高橋たちはその登山者たちと 大声でやり取りし情報収集その結果提督は マスケ小屋と小屋から見える範囲には下っ てきてないという情報を得ることができた のふむその情報が確かなら捜索範囲が かなり狭まるな高橋たちが生姜だけに向け て引き続き登っていくと今度は斜面に低督 のものと思われるアゼの歩行による足跡を 発見またそこから上は松隊が続き脱落する 可能性が低いことから提督は生姜だけ山頂 までは登ったと断定つまり捜索範囲を生姜 だけ長場からマスケ小屋の髪型までに 絞り込むことができたのよ相当範囲が絞れ たなあとは人海戦術で捜索すれば発見 できるかそして高橋たちが捜索範囲の情報 を警察に伝えるとヘリがその範囲を低空 飛行で集中的に捜索してくれたそうよ私の 勝手な偏見でこういう情報を警察に伝えて も相手にされないイメージがあったんだ けど伝えた範囲を捜索してくれるなんて 協力的だな教会山については高橋たちの方 が詳しかったでしょうし提督の行動 パターンを一番理解できてるのも彼らだっ たでしょうからその彼らが言うなら間違い ないと思いヘリで積極的に捜索してくれた のかもねその後高橋たちは日帰り装備だっ たことに加え10日に降臨が上部から今の ルートを見渡した時にはなれの後はなく 捜索範囲は減りから丸見えのため地標で 探す意味がなかったことから4人は下山し 帰宅することにしかし最終的にこの日の 捜索で提督が発見されることはなかったの よえ見つからなかったのか高橋たちの通り ならの捜索で見つかるはずだけどなんで だろう捜索を終了しそれぞれの車で帰宅 途中だった4人するとリーダーの連の元に 警察から電話がかかってきた のはい連んです連んさん9日の提督さんの 登山ログを入試しました是非皆さんにも見 ていただきたい提督は登山時に登山アプリ のヤマップを使用していて位置情報を記録 していたのだけどそのことを知っていた 弟子のきめ丸が警察に開示依頼をしていた そうなの登山ログはかなり有力な手がかり になるぞさて提督は一体どこにいるんだ 警察署へ向かった高橋連きめ丸の3人提督 のログの最終地点を確認するとログの最終 地点は生姜だけ付近だなこの場所でヘリ から見つけられなかったとなるとクレバス に落ちたんでしょうねどうやら提督は クレバスに転落してしまったようなの霊夢 クレバスってなんだクレバスとは氷河や 設計などに形成された深い割れ目のことを 言うのクレバスの地表面が雪に覆い隠され て見えなくなっている碑文クレバスは発見 が困難なため事故が起きやすいと言われて いるわなるほどで提督はクレバスに落ちて しまったとベテランの提督が落ちたとなる とそのクレバスは分クレバスだったのかな それについては実際どうだったのか不明な のだけど提督の登山ログを見た高橋は滑落 時の状況について次のようにに考えた みたい4月9日肘曲がり神社から登ってい た提督この日は改正だったものの風は非常 に強かったみたい提督の登山ログを見ると 肘曲がり神社から生姜だけに到達するまで に7時間もかかっていたそうよ7時間か 標準コースタイムはどれくらいなんだ通常 であれば5時間半程度みたいとすると1 時間半の遅れかまだ皇帝の半分も進んで ないことを考えると結構厳しい なははあまだ先は長いのにかなり時間を 使ってしまったこれ以上進んだら日帰り できなくなるかいやすでに厳しいかこの まま進んでも時間的に日帰りはできない ため登ってきた道を引き返すかマスケ小屋 まで進んで止まるかのどちらかになるわけ だけど高橋は督だったらマス小屋に宿泊 する選択をするだろうと考えたみたい仕方 今日は助小屋で過ごして明日下山しよう とりあえずかぐに電話1本入れとかないと そして提督がかぐに電話するためにスマホ を取り出し両手で操作ピッケルから手を 離した 瞬間うわ うわ突風が遅い低は滑落アイスバン場の 説明を滑り落ちクレバスへ転落動けない 状況になり電話で連絡をすることもでき なかったこれが高橋の推測みたいよ なるほどな低とほど冬の町会さんに慣れて いたベテランともなるとそれぐらいのこと がないとクレバスに転落なんてしそうに ないもんな残念だけど状況的にすでに なくなっているだろうなあとは遺体を収容 できるかどうかだ がヤマップのログで居場所が判明した提督 その場所には確かにクレバスがあったのだ けれどヘリの救助隊員も高できずとても人 が入れるような場所ではなかったそうよ 警察はどうすることもできなかったよで しばらく捜索に進展はなかったみたいなの もうこうなると雪解を待つしかないだろう な高橋たちはその後も町会さんへ足を運び 複数回捜索を行ったのだけどやはり クレバスには危険のため近づくことができ なかったのそして提督の遭難から1ヶ月 以上が経過した5月19日長会さで捜索 活動をしていた提督の友人が生姜だけ付近 のクレバスの中に人の足が見えているのを 発見し警察に通報翌日20日警察は住人 体制で現場へ向かい正午過ぎに ヘリコプターで遺体を収容したのDNA 検査の結果その遺体は提督だと確認された そうよ提督発見されたんだな1ヶ月以上 埋もれたままなのは辛かっただろうな もちろんクレバスに落ちてすぐになくなっ てるんだから辛いとかいう感情も何もない ということは分かってるけどそうだとして も長いこと発見されず辛かったんだろうな と思ってしまうんだよな語彙力がなくて うまく表現できないけどなくなってしまっ たのは残念だけどちゃんと遺体が見つかっ て送ってあげることができるのはせめても 救いよねご家族にとっても登山仲間にとっ てももちろん提督にとっても ね今回の事故では提督がクレバスに転落し なくなってしまいました話の中でお伝えし た提督がどのようにクレバスへ転落したか はあくまでも高橋の推測のため真相は 分かりませんがベテラン登山者で冬の会さ に何度も登っていた提督がクレバスに落ち たとなるとそれ相応のことが起きたの でしょうね提督はヤマップを使用していた ため遭難場所の特定がスムーズにできまし た結局遺体を発見できたのは事故から1 ヶ月以上後でしたがログがあることで提督 のご家族は心の準備をすることができたの ではと思います登山の記録アプリには自分 が記録を楽しんだり地図代わりに使うと いう役割がありますが遭難した時の 手がかりとしても大きな役割を果たします まだ使ったことのない登山者の方は是非 一度使われてみてはいかがでしょうか そして提督のご明服をお祈りして今回のお 話を終わりにしたいと思い [音楽] ます電話だ誰からだろう降臨からおい降臨 こんな近くにいるのに電話なんてどういう 冗談 だあれおい連ん降臨がいないぞあれ本当だ さっきまでいたはずなのにとりあえず電話 出る かもしもし降臨お前どこにた助けてくれ なだれに巻き込まれ たなあなあ霊夢今日はどんな話をして くれるんだあら魔理沙今日は2023年に 上高地で発生した遭難事故の話をするわよ 上知は長野県松本都市にある継承地であり 穂高連邦や槍が系の玄関口でもあること から多くの登山者に知られている場所ね また特別名称特別天然記念物に指定されて いる場所でその美しさから観光地でもある ためと残者でなくても知っているスポット でしょうね神コチいいよな私も何度か言っ たことがあるけど天気がいい時のあずさ川 とかっぱ橋そしてそのバックにあるホタ 連邦の眺めは最高だよなそうよね神コチと いう名前を覚えていなくてももこの風景は テレビや雑誌で見覚えがあるという人も いるんじゃないかしらこれまでに神光知 から行けるやがやホたか連邦での遭難事故 はいくつか解説してくれたけど確か上高地 で起きたものはなかったよなえそうねだ から上高地の名前は出てきてもどういう 場所かは詳しく話したことがなかったから この機会に説明させてもらうわねまず神 コチの標高は約1500mここに来るだけ で定山の3兆くらいの標高があるわね そして上地へ向かう道路はカトンネル移行 前から寄生されておりバスもしくは タクシーでしか行くことができないの環境 保全のためだよなあとあそこは道も狭いし 規制がなければ大渋滞しそうな気もする からあってしるべきだな次に上光知という 名称についてなのだけど本来は別の漢字 表記だったそうなのへえそうなのか神コチ という表記があの場所の雰囲気にぴったり だからそんなこと考えたこともなかった けどどんな表記なんだは今回上高地につい て調べていて初めて知ったのだけど本来は 上高地という表記だったそうよ他にも神の 降りる地と書いて上光知と表記されること もあるみたい上光知も上光知も神という字 が含まれてるから神聖な場所ってことなん だろうけど上高地を神聖垂らしものは何な んだ長野県には穂高神社という神社があり 本宮はあみの穂高にあるのだけど奥宮は 上高地の明人池入口にあるのそして穂高 神社の祭人である穂高の美別名うしひかな 咲の命が穂高だけに降臨し奥宮で祀られて いるそうよなるほど神様が降臨した場所だ から神高知と書くのかでも神高知はよく わからないな高知って何なんだ本来はその 漢字で核内回答もしくは回答など他にも いろんな読みがある言葉らしいんだけど 呪目などで囲まれた屋敷地区画された高知 村の区画を小分けにした小集落というよう な意味があるそうよだか神知で神がいる 場所みたいな意味になるのかもねまあ神 光知という名称が本当に核内という言葉の 意味を踏まえてつけられた名称なのかは 分からないけどね個人的には神コチより神 光知という表記の方がしっくりくるけどな まあでも読み書きの簡単さを考えれば神 コチが1番な気はするわねだからこそ神 コチという表記が一般的になったんだと 思うわさて前置きはこれくらいにして そろそろ今回の事故の話をしていくことに するわねねああよろしく頼むそれで神コチ で起きた遭難事故はどんなものだったんだ 2023年2月上コチの中戦場沢でアイス クライミングをする計画をしていた連降臨 含む5人連は岐阜県在住の40代男性他の メンバーの情報は不明だけどおそらく近隣 拳に住んでいる山仲間だったのでしょうね 霊夢アイスクライミングってどんなものか 説明してもらっていいかなんとなくは想像 できるんだけどさアイスタイミングとは その名の通り氷壁や凍った滝などを道具を 使いながら登るアクティビティよ靴に 取り付けるアイゼとアイスアックスと呼ば れるピッケルを氷に突き刺しながら上へ 登っていくのへえ楽しそうだけどアイス アックスを何回も突き刺しながら登って いくのはかなり体力使いそうだな次に5人 の神コチでの計画を私の推測も含めて説明 していくわねまず陶器若トンネル以降では 全ての車両が通行止めとなっており歩き 以外で立ちことができないのそのため登山 初日は上地へ至るカトンネルへ早朝に到着 し歩いて入するちなみに5人がカトンネル までやってきた手段についてなんだけど連 たちの住んでいた岐阜県側からカトンネル へ向かう場合平バスターミナルからバスで 向かう必要があって1番早いバスでもカ トンネル入口の到着するのは午前9時5人 はもっと早い時刻から上地へ向かう計画 だったため朝6時から有料で利用できる 坂巻の駐車場に自用者を停車もしくは坂巻 温泉に前泊してカトンネルへ向かったんだ と思うわふむなるほどねまレガ岐阜県に 住んでたことを考えると車で坂巻温泉の 駐車場へ行くのにそんなに時間はかから なかっただろうから前泊はしなかったん じゃないかと思うな私もそう思うわそれに 後で話に出てくるけど登山初日は土曜日 だったのもし全するなら金曜日に坂巻温泉 へ到着しなければならず仕事などの休みを 取らなきゃいけないしねということで全は せず駐車場からカトンネルへ向かう計画 だったという前提で話を進めさせてもらう わね初日坂巻温泉の駐車場からカトンネル の入口へ歩いて向かうその後カトンネルを 歩いて通過し上光 へそして目的地である中線城沢へ たどり着いたらアイスクライミングを開始 する中線城沢にはアイスクライミング スポットが複数あり1日で全て登ることは 難しいらしいので途中で切り上げて降りて くるそして安全な場所でやえ初日の活動は これで終了2日目再び中線城沢へ向かい アイスクライミングを行うその後カ トンネル入り口まで歩いて戻り下山する このような計画だったんだと思うわ幻機な のに野営で1泊するのかそれを考えると5 人の山に関する経験は豊富だったんだろう なさて次は5人の身に何が起きたのかを 話していくことにするわね幻期にアイス クライミング目的でミザとなると遭難する 理由は色々考えられるが果たして5人のみ に何が起きるの か初日2月18日土曜日早朝に坂巻温泉の 駐車場までやってきた連たちはカトンネル へ向かって歩き始めたのそして午前7時頃 にカトンネルから入山上地へ入り目的地の 中戦場座は向かっていったみたいちなみに 朝の時点では曇りだったみたい曇りかそれ なら今のところ問題はなさそうだな積雪 状況はどうだったんだ2月の上高地となる とかなりツモってそうなイメージがある けど前日の17日が好転で晴れていたこと もあり登山道はスノー州がなくても歩ける くらいだったそうよただし連たちが向かう 中戦場沢はメインの登山道から外れた ところなのでそこにはそれなりに積雪が あったでしょうねふむとりあえず中沢へ 到着するまでは問題なさそうな感じだな 目的地の中戦場沢にたどり着いた5人は アイスクライミングを開始途中から雪も 降ってきたようなんだけどこの時点では 小雪で気にするほどではなかったようね 中線城沢にはZ一角銃と呼ばれるルートが あり他にもいくつかルートがあるらしく 中線城沢の1番高いところにある高の爪の 標高は約1900mほど初日はここまでは 登らずに翌日に持ち越すことになったよう ねZは見たまんまだけど一角10とか高の 爪とかよくそんな面白い名前思いついた もんだなこんな独特な命名した人がどんな 人なのか気になるわよね初日のアイス クライミングを切り上げた5人は安全の ために約1500m地点まで下山そこで 野営することにしたみたいね翌日も登る なら中戦場沢で野営した方が楽そうだけど 雪崩れを警戒して低いところへ移動したの かなおそらくそうね沢でなれが起きると雪 が両方向から一気に押し寄せてくるし逃げ もないでしょうから約1500m地点で 野営していた連たち5人時刻が17時頃に なる とこの音はもしかして雨降ってるのか 先ほどまで雪だったものが雨に変わり始め たそうよありゃ2月で山の上なのに雨に なることなんてあるんだその後深夜になっ ても雨は山ず降り続けていたためこの様子 じゃ明日のアイスクライミングはやめた方 がいいかもなそうだな明日の朝になったら 下山しようか19日の深夜3時頃5人は アイスクライミングすることを諦め朝に なったら下山することにしたそうよ雨の中 じゃ表情はツルツル滑りそうだし雪崩れの 危険性も高まりそうだもんな良い判断だと 思うぞさてあは翌朝下山するだけ現在地 からカトンネルまでそんなに距離もないし 普通なら問題ないはずだけどどうなるの か翌日19日の朝下山を開始することにし た5に 下山は先発3人と後発2人の2半に別れて 行うことになったみたいカトンネルへ 向かう道路の側面上部にはなだれ発生区が 複数あったらしくその情報をメンバーで 共有し再確認しなれビーコンが発信状態で あることを確認してから下山を開始先発反 の連と降臨そしてもう1人が出発したのは 午前8時頃だったそうよこの時の天候は 昨晩からの雨は病んでおらず男性の風が 吹いている状態だったみたいね朝なっても 雨は止まなかったんだなこれは下山する ことにして正解だったなそして3人が下山 開始してからしばらくする と電話だ誰からだろう降臨からおい臨 こんな近くにいるのに電話なんてどういう 冗談 だあれ おいがいないぞあれ本当ださきまでいた はずなのにとりあえず電話出る かもしもし降臨お前どこにた助けてくれ なだれに巻き込まれたレともう1人は降臨 がなだれに巻き込まれていたことに しばらく気づいておらず彼からの電話で それを認識したそうなのえ3人一緒にいた はずなのに気づかなかったなんてどういう 状況だったんだろうこの時は雨で全員 レインウェアを着てフドをかぶっていた だろうからなだれの音が聞こえず気づか なかったかもねそれに降臨も雪崩れに 巻き込まれた瞬間は声を発することもでき なかったんでしょうもしくは靴紐を 結び直すなどの何かしらの理由で降臨が 遅れていて連たち2人と降臨の位置が離れ ていたとかかもな降臨から電話で助けを 求められた2人は急いで歩いてきた道を 引き返していくと雪崩れのデブりに埋没し ている降臨を発見降臨が雪に埋もれていた のは大正池と急斜面に挟まれた狭い道彼は 雨で重くなった雪にに流され道路端にある ワイヤー型ガードレールに押し付けられる ような形で部分埋没していたのでも不幸中 の幸いで上半身の埋没は免れたようねなん でなれに巻き込まれたのに電話できたのか 疑問だっったけど上半身が埋もれてなかっ たなら納得だなとはいえ重い雪で下半身が ガードレールに押し付けられているのは 危険な状態だろう早く掘り出してあげない とこの時降臨の下半身は雪の重みであらぬ 方向へ押し曲げられており上半身が不安定 なだったので1人が降臨の上半身を支え もう1人がしるで雪を掘り始めたのそうし ているとそこに登山者が通りかかったため その人たちに警察への通報を依頼そして 午前8時30分頃その登山者たちにより 警察に救助の要請がされたそうよその後 後発班の2人も事故現場に到着し降臨は雪 から掘り出され救助隊が到着するまで仲間 たちで降臨の当をしていたそうよおどうに か掘り出すことができたんだな命に危険が ありそうな状態ではなさそうだしひとまず 安心かなその後事故現場に急所隊が到着 降臨は松本市内の病院へ搬送されたの降臨 は右足のスの骨を折る重賞だったものの命 に別状はなかったそうよ足の骨が折れてい たのかガードレールに押し付けられていた そうだしそれで折れてしまったんだろうな 雪崩れの規模について話すと幅30mで 厚みは平均1m標16120mを起点とし て降臨の板約1500m地点まで流れ落ち てきたのさっきも話に出てきたけど今回の 事故現場はなだれの危険があったため斜面 上には防護ネットが貼られていたようなん だけどなだれの勢いの前にはそれは意味を 意味をなさなかったみたいね幅30mか 降臨がなだれに気づいたかは分からない けどもし気づいていたとしてもそれだけ幅 があったら避けられなかっただろうな ところで今回の雪崩れは人類的なものじゃ なくて前発生だったのかなやっぱり事故 前日の夕方から降り続いた雨が原因なのか 雪崩れの種類は表層雪崩れだったのだけど 事故当日は朝から比較的気温が高く雨も 降り続いていたことから雪崩れが発生した と考えられているわ気象庁のデータによる とこの日の上高地の香水量は統計を取り 始めた1980年以降で2月の観測市場 最大1の 991msある観測期間中で最大そりゃ なだれも起きるわなもし彼らがアイス クライミングを続けていてなだれに 巻き込まれたなら下山するべきだったと 言えるけど今回の場合は危険だと判断して 下山してる途中で巻き込まれたから運が なかったとしか言えないなでも骨折という 重症を追ってしまったけれど命に別状が なかったのは不幸中の幸いだったなそうよ ねそれに埋もれたのが下半身だけだったの も良かったわよね上半身まで埋もれてい たら連たちに連絡できず通りかかった登山 者にも築いてもらえなかった可能性だった あるしもしそうなっていたら下手したら なくなっていたかもしれないわよね雪の 積もった山で雨が降るという状況に 出くわすことはあまりないかもしれない けど今回の事故でその状況の危険さを知る ことができたな同じような状況に陥って しまったら雪崩れには気をつつけることに しよう今回の事故では降臨が雪崩れに 巻き込まれすの骨を骨折するという重症を 追うことになました彼らは下山開始前に 雪崩れが発生しやすい場所であることを 確認情報共有し雪崩れビーコンを準備して いたのは良いことだと思いますしかし今回 の事故を見ると危険があると事前に分かっ ていたとしても近くで雪崩れが起きて しまえば逃れることは難しいということが 分かりますね雪崩れに巻き込まれた時に 生存率を上げるには鼻や口に雪が入らない ように両手で顔を多い呼吸できるように口 の前に空間を確保するできるだけ積雪の 表面にとまるように雪の中を泳ぐように もがき続けるなどが有効とされています また雪崩れ用エアバッグというものがあり 雪崩れに巻き込まれた際にこれを展開する ことで体積を増やし埋もれづらくすると いうものもありますただしこれはかなり 効果なので簡単に購入できるものではない かもしれませんね今話したなれに巻き込ま れた際の対策いつか必要になる時が来るか もしれませんし心の片隅にでも置いておい てもらえればと思いますもちろんこのよう な知識を使わなければいけ状況にならない ことが一番いいことだとは思います [音楽] がきゃあパチュリーどうし たあれいい ないなあなあ霊夢今日はどんな話をして くれるんだあら魔理沙今日は2023年に 悪だけで発生した遭難事故の話をするわよ まず始めに悪沢だけという名前の山は群馬 県に1つ静岡県に1つの合計2つあるのだ けど今回の話で登場する悪沢だけは全て 校舎だということを伝えておくわね悪沢 だけは静岡県にあり南アルプスの中央部に そびえ立つ標高3141Mの山よ標高 3141Mかかなり高いな日本の山の中だ と何番目くらいに高いんだ悪はの高さは 国内で6番目この標高の高さから名前を 知っている人も多いんじゃないかしらへえ ま私は知らなかったんだけどな標高5位 くらいまでは覚えてる人も多そうだけど6 位となると覚えてるかギリギリのラインな 気もするなまた悪沢だけは日本百名山に 選定されている山でもあり東だけ荒川東 だけという別名を持っているのふむ荒川東 だけっていうくらいだから荒川の東にある 山なのかな沢だけとその西側にある前だけ 中だけの散々を合わせて荒川だけもしくは 荒川散々と呼ぶのだけどその散々の中で 最も東にあることから東だけという別名が あるんでしょうねお全く私の読みとりだっ たな単純なもんだそれにしても悪沢だけっ てかなり特徴的な名前だよな山の名前に開 くっていう感じが入ってるなんて漢字だけ 見るとあまり良い印象は持てないけどどう いう経緯で悪さはだけという名前になった んだ それじゃちょっと長くなるけど悪さだけの 由来について説明させてもらうわね 1906年8月から9月にかけて小のお松 という登山家が長期の参考を実施そして 参考の途中で市場始めて国士だけから金風 さんへ向かう奥秩父3階の狩猟線縦走を [音楽] 達成その後府の早川へ おり 下そして峠を超えて大井川へ降り大井川 上流にある西を登っていた時のこと案内の 漁師と共に西の佐を登っていた音松渡の 向こう側つまり西の右岸方面に一際は 大きないきを発見その山のことが気になっ た音松は案内の漁師に聞いたそうよあの山 は何という名前の山なんだすると漁師は この山から西に流れ込む経由はとても邪悪 なものですから悪さと呼んでいるんですな のでこの山は悪沢だけというんですよこの ようなことを言ったそうよ一体何が ジャークだったんだろうな鉄砲水でも 起きる場所だったのかなそうかもしれない わねあとは山から続く谷がとても急である ため悪沢と呼ばれていたとも言われている みたいジャークなんて言われるくらいだ からきっと多くの漁師たちが命を落とした 場所なんだろうなところがその話を聞いた 音松によると漁師は口から出任せを言う ような話ぶりだったらしく当時の本を調べ てみてもその地域の山川地域の名前は書か れていなかった上知っている人もおらず 悪沢だけという名前はその漁師からしか 聞くことができなかったそうよえそうなの かじゃあその漁師が適当なことを言った だけの可能性もあるのかその後長期の参考 を終えた音松はこの参考についての気候を 執筆そしてその気候の中には今説明した 漁師の話も書かれていてそこから登山者の 間に悪さはだけという名が広まっていった そうよ名前の出所は1人の漁師だったけど それが本に記され登山者に広まっていき 最終的に広く呼ばれる名称となったわけか 興味深い話だなちなみに余談だけど音松が 悪沢だけを見つけてから3年経った 1909年日本山岳会のメンバーが悪沢 だけを盗聴し初盗聴かと思われたのだけど 彼らが山頂についてみるとそこには祠が 祀られておりすでに人が登っていた形跡が あったそうよ初盗聴だと思ったらすでに誰 かがが登っていたと登山しあるあるだな さて面白い歴史だったから話してみたんだ けどちょっと時間をかけすぎてしまったわ ねそろそろ本題の事故の話をしていくこと にするわよああよろしく頼むぞそれで悪さ だけで起きたそうなん事故はどんなもの だったんだ2023年のゴールデン ウィーク荒川三山の縦走を計画していた レントパチュリー夫妻2人は静岡県に住ん でいて年齢は50代だったみたいね登山歴 は不明だけどこれから説明する登山計画を 立てていたことを考えるとおそらく ベテランだったんでしょうねふむという ことはあか散々のルートは何度がそれなり に高いということだな一体どういう登山 計画だったんだ例のごと情報が不足して いるので私の推測も含めながら解説して いくわねまず最初に事前知識として話して おきたいのはあか散々への縦走をするなら ば基本は2泊3日以上の日程になるという ことというのもあは散々重層の主要入山 場所である旗から悪沢だけにたどり着くに は片道約30kmほどありその道乗りを 往復するには何日か止まらないと不可能だ からねつまり往復60kmも歩かなきゃ いけないってことかさっきレムが連たちを おそらくベテランだったと言ってた理由は これかま実は60kmのうち40kmは 歩く必要がなく実際に登山するのは 20kmのみなのだけどこれについては後 で説明するわねただ20kmという距離も 決して短くないからさすがに50代の初心 者がこのルートには来ないでしょうそれに ゴールデンウィークだと標高の高い地点で はまだ山折があって危険を伴うからね加え てこの3域にはたくさんの山小屋があるん だけどほとんどが7月から営業開始長くて も10月上旬までの営業となっており ゴールデンウィーク中の小屋は無人唯一 ゴールデンウィーク中から営業しているの は比較的スタート地点の旗の近くにある 沢島ロッのみなので沢島ロッジより先では テト泊もしくは当期限定で解放されている スペースに宿泊しなければならなくなるの よねふむ山折がある時点で一気に難度が 上がるしテト食料など多くの装備を持って 縦走しなければならないわけだ確かにこれ はそれなりの登山経験がないと無理そうだ さてそれじゃレントパチュリーの登山計画 を見ていくわねまずスタート地点の旗まで 車で 向かいそしてここから2人の初日の宿泊地 である沢島へ 向かう旗から沢島までの道のりは標高差が 100mほどしかないのだけど距離は約 18kmもあるので徒歩の場合だと約5 時間程度かかるみたいねうわ初日から 20km近く歩くのかいきなりハードだな でも2人はこの沢島までの道のりを歩か なかった可能性が高いのよねどういうこと だ実はこの3域にある山小屋に宿泊予約を した一限定で旗から沢島までマイクロバス で送迎してもらえるみたいなのバスであれ ばたったの1時間で旗から沢島へ到着する そうよああさっき言ってた60kmのうち 40kmは歩く必要がないっていうのは これのことかそれだったらこのルートを 行く人はみんなどこかしらの山小屋に宿泊 するよなわざわざ歩こうと思う人は少ない だろうレントパチュリーが触ら島でテント 白の計画だった可能性ももちろんあるのだ けどおそらく送迎バスのサービスを受ける ために5月に唯一営業している山小屋で ある沢島ロッジで宿泊する計画だったんだ と思うわなので2人は旗から沢島までバス で向かい沢島六に宿泊する計画だったと いう前提で話を進めていくわね登山2日目 沢島ロッジを出発し千枚小屋へ向かう2日 目は千枚小屋の当期開放スペースもしくは テントで宿泊そして登山3加荒川は散々を 目指す画だったのは間違いないのだけど その後の下山ルートの計画については情報 がなかったのそして下山ルートは バリエーションが多すぎて正直推測するの も難しいのよねなのでこういうルートだっ た可能性があるというだけにとめさせて もらうわねまずは線小屋を出発し荒川散々 である悪さだけ中だけ前だけを 巡るその後前だけから下するルートとして は3パターンが考えられて目は登ってきた 道を折り返すピストンルートこの場合もう 1度1000枚小屋で止まって翌日に沢島 ロッジへ下山することになるわね2つ目は 赤石だけ赤石小屋を経由して触ら島ロッジ へ下るルートこちらも下山中にどこかで一 泊し翌日に沢島ロッジへ到着することに なるでしょうねそして3つ目赤石だけへ 向かい大沢だけうさぎだけひりだけひり だけ小屋を経由して沢島ロッジへ戻るこの 下山ルートの場合先の2つのルートより 距離があるため下山時に最低2パはする 必要がありそうよふむで結局その3 パターンの場合総距離とコースタイムは それぞれどれくらいになるんだ旗から沢島 ロッジへのバス移動の距離と時間を除くと 1つ目のピストンルートの場合距離は約 27kmコースタイムは約18時間2つ目 の赤石小屋を経由するルートの場合距離は 約26kmコースタイムは約19時間1つ 目のひりだけを経由するルートの場合距離 は約40kmコースタイムは約28時間に なるわね1つ目と2つ目は距離も時間も似 てるな一方で3つ目は飛び抜けて長いま どのルートだったとしても山折機の標高 3000m超えの山で数日かけて重層と なるとかなり難度は高そうだなさて ちょっとルート解説に時間をかけすぎて しまったかもしれないわねそれじゃここ からは登山中の2人の身に何が起こったの か話していくことにするわ ねゴールデンウィーク中の4月30日登山 を開始したレントパチュリーへ車までやっ てきた2人は送迎のバスに乗り島ロッジへ 初日はここで1泊初日はほぼバスで移動 するだけだから特にトラブルは起こりよう がないな翌日登山2日目の5月1日沢島 ロッジを出発千枚小屋まで距離約9km コースタイム約7時間の道のりを登って いくこの時期は標高2400mあたりから 山折が現れ始めるらしいので標高約 2600mにある線前小屋にたどり着く頃 には登山道は雪で覆われてたでしょうね そして特に問題なく000枚小屋に たどり着きここで一泊したの山折が現れ 始めたけどこの紐も特に問題なしだったの か翌日登山3加目いよいよ種目的の荒川 散々に聴する日2人は午前7時頃2000 枚小屋を出発し荒川散を目指して登って いっったのよ城を進み標高280mの 000枚だけ標高3032Mの丸山を経て 標高3141Mで荒川は散々最高峰の悪さ はだけに盗聴したのよお無事最高峰に盗聴 できたんだな残るは中だけと前だけだ そして連を戦闘にして2人が悪沢だけを 降り中だけを目指している と きゃあ時刻は午前9時25分頃レの後方 からパチュリーの叫び声が聞こえたの彼が 急いで振り返ってみるとパチュリーどうし たあれいいない先ほどまですぐ後ろにいた はずのパチュリーの姿が見えなくなってい たのよ城を歩いていて叫び声が聞こえ姿も 見えなくなったということはもしかして まさか活パチュリーは標高3000m以上 の公所から滑落してしまったのよやっぱり 滑落か連はすぐに球場要請するため100 登板通報した のはい100登板緊急電話です事件ですか 事故ですか事故です悪さはだけ登山中に 後ろで妻の叫び声が聞こえ振り返ったら妻 の姿が見えなくなっていました妻は滑落し たようです救助お願いします南アルプスど 真ん中なのによく電話が通じたな荒川さ山 の両線場での電波受信状況について調べて みたら携帯大手4者のうちども英雄は受信 できるみたいねそうなんだ連の携帯会社が 通話できるところで良かったな救助要請し たは良いものの3000m以上の公所から の滑落果たしてパチュリーは無事なの だろう か連からの通報を受けた静岡県はすぐに ヘリコプターでの捜索活動を開始そして 通報からおよそ50分後の午前10時15 分頃現場近くで倒れているパチュリーを 発見さらに45分後の午前11時頃彼女は 病院へ搬送されたのだけどその時点で意識 不明の渋滞だったそうなの渋滞か パチュリーは一体どれくらいの高さから 滑落していたんだ正確な滑落地点は不明だ けど悪だけ付近から500mも滑落してい たそうよ500mそれだけ活し発見時に なくなっていなかったことは奇跡的だな 滑落現場についてだけどどうやら雪が凍結 していてアイスバーン状態だったみたいな の彼女はそのアイスバーンで足を滑らせ 滑落してしまったようねアイスバーンが 見えていなかったのかそれとも見えていた けど思うように愛善が刺さらず落ちて しまったのかそれで最終的にパチュリーは どうなってしまったんだ彼女は一名を 取り止めたのか彼女がどうなったかについ ては確かな情報が得られなかったの おそらくこうだろうという情報はあった けど人の精子についてだから適当なことは 言えないわよねただ情報が見つからないと いうことはまだ療養中という可能性もある しそうであって欲しいと思っているわそう だな彼女が意識を取り戻すもしくはすでに 覚醒資料用虫であることを願うのみ だ今回の事故ではパチュリーが足を滑らせ 滑落し意識不明の渋滞となってしまいまし たレントパチュリーについての情報が 少なくと残歴や装備についは不明でしたが 節のある3000m級の山に泊まりで重層 に来ていたことを考えると愛善を所持して いない無理なタイムスケジュールだったと いうような無謀な登山だったとは思えませ ん例え万全な状態であっても登山する以上 今回のように不運な事故にあってしまう ことはありえます特に雪のある山では重大 な結果になる可能性が高いのかもしれませ んとは言っても私を含め山月の人は危険が あると理解していても登山をするでしょう からこういうふな事故はなくなって欲しい と思いますがなかなか難しいでしょうね 事故に遭われた彼女が無事であることを 願い今日の話を終わりにしようと思い [音楽] ますえそんな馬鹿な小屋がなくなっ てるなあなあ霊夢今日はどんな話をして くれるんだあら魔理沙今日は1969年に 中央で発生した遭難事故の話をするわよ おや今回の事故は随分と昔のものなんだな 被害が大きかった割に今となってはあまり 知られていないようで地元でも知らない方 が多いそうなん事故みたいこの悲しい事故 を風化させてはいけないと思い解説を しようと思った次第よ例え悲惨な事故で あっても50年以上の歳月が経過している とどうしても知っている人は減ってしまう だろうなところで中央アルプスで発生した 遭難事故と言ってたけど中央アルスって かなり範囲が広い気がするんだが正確には 中央アルプス重層を目指した登山 パーティーが西川という川の付近で遭難し た事故なのだけど中央アルプスという名前 の方が場所をイメージしてもらいやすいと 思ったからこの名前にしてみたわふむそう いうことかまず始めに知っているとは思う けど復讐がてら中央アルクスについて説明 するわね中央アルクスは長野県にあり基礎 側と天竜側に挟まれている山脈で正式名称 は基礎山脈北アルプス飛山脈南アルプス 赤石山脈と並んで日本アルプスと呼ばれて いる山脈でもあるわねまた中央アルプスの 最高法は基礎駒がだけで標高は2956M 日本百名山新日本100名山花の100 名山に選定されており登山者には基礎コマ の相性で知られている山よ基礎駒がたけ それだけ色々なものに選ばれていて標高も 3000m近くあるとなるといい山なん だろうないつか登ってみたいぞさて先ほど 今回の事故は登山パーティーが西川という 川の付近で遭難したと伝えたけどかつて その西川沿いにあった松川入という集落に ついての話をさせてもらおうと思うわふむ わざわざその集落の話をするということは 何か事故に関係があるのかなちょっと関係 ある部分はあるけどそれが何なのかは今の 時点では秘密よま聞けば分かるかもしれ ないしとりあえず話をさせてもらうわね 松川入りに住者が現れたのは明治2年 1897年のことそれから住み始める人が 徐々に増えていき昭和20年1945年頃 には33個まで増えたそうよ33個って ことは100人くらいは住んでたのかな今 より不便な時代にこんな山の中でそれだけ の人が生活していたなんてすごいなしかし 松川入の人口は次第に流出していくことに なるのおや何かあったのか松川入りの主な 産業は生誕だったのだけど次第に木端の 原材料となる気が減っていきまた木端の 需要も減っていったことから苦境に立たさ れリンゴ栽培や水田開発など新たな産業に カロを見出そうとしたものの軌道に乗る ことはなく集落を出ていく世帯が増えて いったようね松川入りにいたのでは整形を 立てられなくなってしまったんだなそして それ以外にもう1つ人口流出の原因となる ものがあったのそれは松川入りで頻繁に 起きる水害だったの水害でも明治2年から ばく住んでいたんだよなとすると水害が 起こるのを知った上で住み続けていたん じゃないのかどうやら集落ができてから 戦争直後までは人家が被害に合うような 水害は起きてなかったようなのただ西川は 大雨の際には恐怖を感じるほどの合音を 上げながら流れるので暴れ川として認識は されていたようねなるほど集落ができた 当初から暴れ川の潜在的なリスクはあった けど運よく人が被害に遭うことはなかった んだなそのようねしかしながら戦後 立て続けに人や家が被害に遭う水害が発生 そして昭和40年1965年の集中豪雨に よる理彩を景気に集団移転の話が 持ち上がり最終的に昭和41年1966年 2561人が近隣の言い出に集団移転した ことから配送となってしまったそうよ あくまでも私の推測だけど戦後から 立て続けに水害が起こるようになったのは 長期に渡り生誕などに使用する原木の伐採 が続き山の地表の補水力が下がったことが 関係してるのかもしれないわね産業が なくなり水害もあるとなるといずれ廃村に なるのは必然だったのかもしれないけれど 慣れし死んだ場所を離れなければいけない のは寂しかっただろうなでこの松川入りの 話が今回の事故にちょっと関係あると言っ ていたけどもしかして多分何が関係あるの か予想できてるとは思うけど後で種明かし するわねさて前置きはこれぐらいにして そろそろ事故の話をしてくわねああ よろしく頼むぞ西川で起きた遭難事故は どんなものだったんだ1969年兵庫県 神戸市にあった御影工業高等学校の山岳部 は夏休み中の8月上旬に中央アルクスの 縦走を計画登山パーティーのメンバーは三 学部部長の高橋を含む部員5人と教員の連 と降臨の2人の合計7人この重層について は年度初めに部の会議で行うことを決定し ており6月から具体的な内容を決め始めた そうよということは重層実施の8月まで2 ヶ月あったししっかり時間をかけて計画を 寝ることができたということだな早速だ けど7人の登山計画がどのようなものだっ たかを見ていくわね登山の日程は交通期間 の移動のみの日も含めると6日間で8月3 日から8日にかけて行われる計画だったの まず初日御影高校の物質に 集合最寄駅の住吉駅まで徒歩で向い電車を 使って大阪駅まで 向かうそして大阪駅から今回の登山ルート の最寄り駅である飯田駅 へその後明金公園キャンプ場まで向かい そこで宿泊追立目はこれで活動終了2日目 宿泊地を出発し松川に沿って進み一の背へ 続いて西川に沿って進み松川入り集落後八 の屋を経由し て 中電避難小屋で一泊するちなみに中電避難 小屋の詳細な場所については情報がなかっ たため地図に書いている位置は推測した ものだということを伝えておくわね3日目 この日から両線の重層を開始まずはアン ページ山山頂へ向かい両線場へ出たら南駒 がだけ内木だけを通過 し基礎の三相へ3日目はここで宿泊4か目 索を出発熊沢だけ剣だけ基駒がだけまで 進むそしてここからは下山を開始水場のア 8号目までおりテントパそして5か目8号 目を出発し赤林山を通過そして駒の湯へ 到着したらこの日の活動は終了翌日最終日 の6日目駒の湯から基礎福島駅へ向かい 電車に乗って大阪へ帰り前行艇が 終了このような登山計画だったようね 1日目と6日目はほぼ電車に乗ってるだけ だけど2日目から5日目までの4日間は 登山しっぱなしかかなりの距離を歩くこと になりそうだな2日目から5日目までの4 日間の距離つまり明金公園キャンプ場から 駒の湯までの距離は約46kmほどのよう ね食料やテントなどたくさんの装備を持っ て46km歩き続けるのかなかなか大変 そうだなメンバーの実力的には問題ないの かなどうやら教員の連過去にこのルートを 落方向から歩いたことがあったらしくその 経験から途中岩場を登るような難所もなく 無理はないと自身のモテるコースだった そうよとすると部員5人がこの長距離重層 に挑むこと自体は特に問題なさそうだな さて登山計画について説明し終えたところ で次は登山中の7人の身に何が起きたのか を説明していくことにするわ ね登山初日の8月3日午前7時半に御影 高校に集合した教員の臨と部員5人降臨に より5人の荷物の点検が行われた後最寄駅 の住吉駅まで徒歩で向かい電車を使って 大阪駅まで向かうそして大阪駅で教員の連 が合流し飯田駅まで電車で移動飯田駅に 着いたのは夜で当初の予定であれば妙金 公園キャンプ場に宿泊予定だったのだけど 天候のことを考慮して飯田駅の自転車木場 で一迫することにしたそうよ天候を考慮 どういうことだ実は8月1日と2日の天気 予報で2日から4日は天候が崩れ強い にわか雨が降りそうだと言われていたの 教員たちはこれらの予報を見て問題ないと 判断したから飯までやってきたわけだけど それでも天候が大幅に崩れる可能性も考え て念のため飯田駅に止まることにしたよう ねそういうことか自転車置場に止まるって なかなかできない体験だろうなちなみに7 人が飯田駅に着いた時の様子を駅員が見て いたようなんだけど7人は生前と並んで おりこれほど唐突の取れたパーティーは見 たことがないと思うほどだったそうよへえ その様子だとこのメンバーでの参考は何回 も行われていたんだろうなさて問題は翌日 の天候だなあまり天候が崩れるようなら 重層を諦めなければならないかもしれない けど翌日登山2日目の8月4日朝は雨が 降っておらずこの時点では登山を続行でき そうな天候だったみたいねお良かったじゃ ないか 飯田駅から出発することにした7人はバス に乗り一橋で下車したのそしてその後7人 は西川に沿って登っていったのだ けどおや雨が降ってきたなみんなかっぱを 切ろよ途中で雨が降り始めたみたいねでも こめだったことから引き続き登って行き 午前11時半頃には一橋上流の森林 組み合い事務所を通過していたそうよ雨は 降ってきたけど登山を中止するほどでは なかったんだなこの日の目的地の中電避難 子屋でそこまで距離はないはず順調に 進めれば暗くなる前に到着できるはずだ がさてここからは森林組み合い員だった きめ丸の視点で話を見ていくわね森林 組み合いの管理する蜂のすや付近で雨の中 作用をしていたきめ丸する とうわこりひどい雨だな今日の作業はもう やめにしよう 先ほどまでこめだった雨がかなりの大雨に なったため作業を切り上げて帰ることにし たそうよそして16時頃に蜂の守屋に止め ておいた車まで戻ってみる と中に誰かいるのか蜂のす屋の中から人の 話し声が聞こえてきたそうなのおやきめ丸 以外の組合員がいるのかなきめ丸が小屋の 中に入ってみる とそこには御影高校の7人がいたの 連と降臨は何やら話し込んでおり3学部の 部員5人のうち3人は食事の準備1人は天 傷の作成もう1人は携帯ラジオを聞いてい たそうよあれ7人はこの日もっと先にアル 中殿避難小屋で宿泊予定だったのにこんな ところで何してるんだきめ丸が小屋に入っ てきたことに気づいた連は今夜はここに 泊まらせてもらえませんかこう頼み込んだ そうよ冒頭の松川入りの話で西川は暴れ川 として認識されていたと伝えたけれど蜂の す屋以降の登山道はしばらくにした川沿い にあって大雨ともなれば水害が起きる可能 性が高いので蜂の屋に逃げ込んだようね ああここで最初の方に話してくれた松川 入りでの水害の話が関係してくるのか そしてレに頼み込まれたきめ丸は小屋を 使用することを了承したそうよまこの状況 でだめですとは言えないよなでも蜂の屋 だってそれなりに川のそばにある小屋なん だろそんなところに止まることにして 大丈夫なのかな八の屋は西川の河川中央部 から8m離れていて15mの高台にあった ため現地の人には安全な場所だという共通 認識があったみたいねそれに状況的に7人 には8の屋に止まる以外の選択肢はなかっ たでしょうしね時刻が16時では下山する のも危険だしかと言ってきめ丸の車に乗せ てもらおうにも7人もいたら無理だしな 確かに手の打ちようがない翌朝にになって 雨が止んでいれば登山再開できるかなそれ とも諦めて引き返すことになるのだろう か翌日8月後かきめ丸の元にある知らせが 届いたのそれは蜂の屋から約3km火組合 の事務所から100m上流にある小屋がい かの未名に発生した鉄砲水により破壊され 小屋の中にいた人はどうにか組合事務所へ 避難したというものだったの8の屋から 3km火の小屋が破壊されとなると上流に ある蜂のす屋は大丈夫なのかこの知らせを 受けたきめ丸は蜂のす屋の7人のことが気 になり朝に小屋を見に行こうとしたような んだ けどななんだこれは川は増水し激流だった ため8のす屋を見に行くことはできなかっ たそうよそして翌日6日再び蜂のす屋を 目指したきめ丸はどうにか小屋の対岸まで たどり着くことができたみたい彼はそこで 衝撃的な光景をまの当たりにすることにに なる のえそんな馬鹿な小屋がなくなってる2 日前まではあったはずの蜂のすが後方も なく消えていたのよ小屋のあった場所の 付近には巨岩がたくさん転がっており小屋 が鉄砲水により破壊されたのは明らかだっ たようねでも蜂の相屋は15mの高台に あったんだよなそれだけ高い場所にあった のに鉄砲水に襲われてしまうなんてことが あるのかそれがありたようなのよ8月後日 の午前4時頃西川の下流にある松川第3 発電所では一時的に川の水が減少した後 一瞬で水が急激に上昇最大幅40m長さ 70m深さ6mの調整池が約3分で満水に なったそうよしかもこの調整値は通常時の 河川の水面より5mほど高いところにあっ たそうだからどれだけ急激に増水したか 分かるわよねさらにこの日能量は173. 5mmだったらしく午前2時から4時に かけては89mと集中して雨が降ったよう なのこのことから蜂の屋が鉄砲水に襲われ たのはその時間帯だったと推測されている わその時間帯だとおそらく就寝していた だろうな寝みを襲われたんじゃどうしよう もなかっただろうなきめ丸は対岸の小屋が あった場所へ向けて30分ほど大声で 呼びかけ続けたのだけど誰からも返事が 帰ってくることはなかったのそれから ひとまず組合で対応を協議しようと 引き返したみたいねその後きめ丸たち森林 組合は15時30分頃に警察に8のす屋の ことを届けで遭難対策本部が設置されすぐ に捜索活動が開始されたのだけど雷雨や 増水のためきめ丸と同様に現場へ たどり着くことはできなかったそうよ天候 が良くなって川の水が引かないことには 捜索活動はこんなんだろうなそれから17 時頃長野県警から御影高校エザコースト メンバーの確認の電話が入ったことで校長 が事態を把握職員の緊急招集や遭難した 職員と生徒の不及を招集し現地の情報を 伝えるなど対応に追われたようねさらに 教員の降臨の暴行である大阪広大ワン ゲルブOB会が遭難の知らせを受け捜索隊 を派遣してくれることになったそうよ そして翌日7日の朝より警察や消防市職員 に森林組み合い御影高校や大阪公代のOB 地域の方などの協力のも捜索が進められた の合計で221名もの人が捜索を行って くれたそうよ221名すごい人数だ たくさんの人が協力してくれて心強いな この日は川の雑炊が引き現場に入れるよう になったため現場付近から松川第3発電所 まで捜索したのだけど1人も発見でき なかったようねうーむみんな一体どこへ 行ってしまったんだ翌日8日自衛隊も出動 することになり97人が捜索活動にに 加わり捜索範囲を拡大すると午前10時頃 小田駅付近の河で亡くなっている高橋が 発見されたの遺体で発見されたのかという ことは残りの6人ももう生きてはいないん だろうな高橋を発見したのは御影高校の 捜索をしていた人ではなく1ヶ月半前に トラックごと天竜側に転落した息子を45 日間探し続けていた男性だったの水面に 浮かぶ人を発見し息子かと思い引き上げて みたところだっったそうよ高橋が発見され て良かったでも息子を探していたその男性 にとっては複雑な心境だっただろうな翌日 9日高橋が天竜側まで流されていたこと から狩側を重点的に捜索することにそして 8月10日八の屋から約10km火の第3 発電所付近の松川は右眼で捜索隊が連の 遺体を発見この後高橋と連は家族や職員 付き添いのも地元神戸帰ったのそして神戸 では職員や聖トラが出迎え自宅まで送った そうよまさか無言の帰宅になるとは友人や 家族それに本人たちも美人も思ってい なかっただろうなそれでまだ発見されてい ない5人はどうなったんだその後も創作 活動は続けられたのだけど5人が見つから ず8月14日には警察や自衛隊などの公的 期間による捜索活動が打ち切り御影高校や 大阪広大ワンゲルブOB会は8月30日 までという機嫌を決めギリギリまで捜索し 御影校降参額部の医品と思われるものは 数十点見つけることができたそうなんだ けどやはり5人を発見することはできない まま期限を迎え捜索活動は終了となって しまったの捜索活動に携わった人たちは 警察や自衛隊などの公的機関及び学校関係 者森林組合などでその総数は1865人に も及んだそうよ1865人すごくたくさん の人たちが協力してくれたんだだなでも それだけの人数で探しても発見されなかっ たんだなそれから同年八のすの跡地には 森林組み合いにより養刀が立てられ慰霊祭 が取り行ったのさらに翌年の1970年 御影高校は8の屋から400m下流に慰霊 費を設置その慰霊費には神戸私立御影紅葉 高校産学部遭難の地と刻まれ裏面には7人 の名前と秘の由来が書かれているそうよ きっとわけも分からないうちに亡くなって しまった7人 そしてそのうちの5人は遺体すら見つから ず家へ帰ることもできなかったそれでも せめて魂だけはこの慰霊費のも安らかに 眠っていてくれると良いなさて事故の主な 話はこれで終わりなのだけど7人の慰霊費 に関する話はまだ続くわよ慰霊費に関する 話何があったん だろう事故が起きた1969年から時は 流れ30年後の1999年のこと60代 男性のの提督は病後の体力回復のため 山歩きをしていたそうよする とおやあれは林道脇に少しだけ頭を出して いる慰霊費を発見この時慰霊費は雑草やざ そして土に覆われほとんど見えない状態に なっていたそうなの事故から30年もの 月日が立ち忘れ去られてしまったのかな 悲しいなその見るに忍びない姿の慰霊費を 発見した提督はこ状態では災害に巻き込ま れた先生や生徒があまりにもかわいそうだ 遺族がこれを見たらどんな思いをする だろうこのように思ったそうよ低と優しい 人だったんだなでも全く説明されてない けど彼は一体何者なんだ実は提督は事故 当時消防団分隊長として捜索に当たってい た人物だったのそのため捜索に携わった 自分だからこそこの遭難自己風化させない ために何かできるはずだこのように考え 慰霊費周辺の維持管理を始めることにした そうよなるほどねでも荒れ果てた慰霊費 周辺の整備をするのは相当大変だろうな 提督は消防分団OBの仲間に声をかけ共に 整備を開始連日慰霊費まで通い草刈りや土 を積むなどの整備を続けたそうよそして この活動の結果慰霊費は設置当初のような 綺麗な姿を取り戻したのおやり遂げたのか 本当に素晴らしい行いだなだが問題はこの 先何十年とどうやって綺麗な状態を維持し ていくかだなそうよねでも安心して ちょうだいこの後幸運なことが起きるの 提督たちが慰霊費の維持管理を始めた翌年 の2000年になると彼らの活動が遺族や 御高校関係者の耳に入り地元の老に感謝 するとともに犠牲者の冥福を祈るしの部会 を取り行うことになったそうよそして慰霊 費の維持管理のボランティアの輪も広がっ ていったみたいおそれは良かった消防分断 OBだけでは大変だろうたくさんの人が 協力してくれるならありがたい話だしぶ会 を取り行う前準備として慰霊費付近には チコン7点勝が設置され7人がいつでも 座れるようにという思いを込め杉とひのき の丸田で椅子を7個作ったのまた周辺に花 を植え一部の花を御影の文字に並べて植え たそうよそして2000年8月後か遭難 慰霊費の前で忍ぶ会が行われたの遺族や 学校出しの関係者ら100人が参列しチコ 7点勝が犠牲者7人と同じ7回打ちならさ れ黙祷を捧げたのよ最初は消防団OBだけ の活動だったけどここまで輪が広がるとは なすごいことだその後2012年提督が 80代になり車の運転が困難になったため 慰霊費まで行くことができなくなって しまったもののボランティアにより維持 管理は続けられていたそうよそして2年後 の2014年督はなくなってしまったそう なのそうか残念だな提督は慰霊ヒジ管理の 厚労者だな彼が始めなければこの時も慰霊 費は土や草に埋もれたままだったかもしれ ないし提督がなくなってからも維持管理は 続けられ最近の話だと自己発生から50年 を迎えた2019年の8月後日に慰霊費の 前で追悼式が行われたそうよ一時は存在を 忘れ去られていたかもしれないけれど追悼 式が行われるくらいだから今ではいろんな 人に知られるよになったのかなでも今日の 冒頭で言った通り被害が大きかった割に今 となっては地元でも知らない方が多いと いうようなコメントをネット上に見かけた ので知名度で言うと低いかもしれないわね 事故の資料もあまり残っていないようだし そっかでも少なくとも私はこの事故のこと を今後忘れないだろうなあまりにも衝撃的 な内容だったし今日の話を聞いて少しでも この事故のことを知ってくれる人が増えれ ば亡くなった7人そしてご遺族への慰めに なるかもと思っているわまあ単なる事故 満足なのかもしれないけれど ね今回の事故では御影工業高等学校の山岳 部5人と院卒の教員2人が小子と鉄砲水に 流され2人が遺体として発見され5人は 行方不明のまま捜索活動は終了となりまし た5人の遺体は現在になっても見つかって いないようです7人は天候を考慮し飯田駅 に止まったり予定を変更し蜂の屋へ退避 するなど危険を避けるをしていました しかし不幸にも大先の蜂のすごと鉄砲水に 流されるという予想外の事態が起きて しまいました八の屋の火龍の小屋にいた 現地の人ですら避難しておらずこの規模の 鉄砲水が起きると予想ができなかったわけ ですから兵庫県から来た7人には15mの 高台にある小屋が鉄砲水に飲まれるなど 予測不可能だったのでしょうそもそも8の す屋以外に逃げ場もなくどうしようもない 状態でした事故のあった日に登山をして しまった時点で7人は積んでしまっていた のかもしれませんね本当に不運だったと しか言いよがありません現在では当時より 天気予報が正確な上電波さえ届けばいつで も確認することができます天候の急変も あるので天気予報さえ見ていれば大丈夫と は言えませんが7人のように積んだ状態に なる確率は下げられるはずです改めて言 ことではないかもしれませんが登山する際 は事前の天候チェックそして登山中も適宜 予報を見たり空をなど注意するよう心がけ て欲しいです最後にあなたはこの事故に ついて何か思うことはありますか是非 コメント欄で考えご意見を教えて いただけると参考になりますご視聴 ありがとうございまし [音楽] た
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使用音源
・MusMus
https://musmus.main.jp/info.html
上記以外の使用素材等はチャンネル概要に記載しております
00:00 OP
00:57 野沢温泉
18:38 鳥海山
36:08 上高地
52:29 悪沢岳
1:08:04 中央アルプス
#ゆっくり #遭難 #登山
18 Comments
野沢温泉は多いですよね
山林でも女性の遺体が見つかったというニュースが流れていた覚えがあります
最近も24年2月2日、野沢温泉スキー場の最上部に位置する毛無山で17時ごろ、道に迷った大阪府の男性(60代)が救助要請し、同日22時半すぎに救助。
さらに同日バックカントリースキーやスノーボードをしていた同県内の親子(男女、50代・20代)とオーストラリア国籍の男性(50代)の3人が道に迷い、16時ごろ、電話で警察に救助を要請。
警察は雪洞を掘って寒さを防ぐよう指示し、警察や地元の遭難対策協議会が3日(土)朝から捜索したところ、翌3日8時すぎに3人を発見。3人にケガはなく徒歩で下山。
なんと1日で4人も遭難していたそうです。
過去遭難のお話を新しく掘り下げてくれて、その後も知れるし見応えあります
地域の知識も知れるし
面白い
学べる遭難チャンネルに面白いとゆーのもなんですけど💦
警戒しつつも襲いかかる自然災害…御影工業高校の慰霊碑の如く、この意識を風化させてはならないと思います。未然に事故を防ぐ技術や装備、予測し警戒する行動をもってしても巻き込まれる場合があります。不運と思うより他にありません。が、「その時どうする?」という対処法により助かる事がありますので、知識の片隅に置いておく事も必要と思いました。
週末ににこういう総集編のUPはゆっくりと見られるのでうれしいです。
なろう系の経験者には必須アンケ(QUIZデス)で筆記確認とか全身タイツで誤魔化されてはならないイベント運営。
参加者が全員善人とは限らない件(行方不明は時間稼ぎでクレ~ムネタを探して見つからなかった雲隠れ説)
御影高校の遭難事故は本当に悲しい事故で涙が出ます。新田次郎が小説で取り上げてほしかったけど資料がなかったのでしょうか。忘れ去られようとしていたのに提督が慰霊碑を見つけ、五十年後に慰霊祭ができて本当によかったです。
見知った山ほどちょっと道を外れて眺めを楽しんだりしたくなるんですよね
このチャンネルで登山に興味が湧いて体を引き締めている最中です。
私には長時間はダメだった。2話めでアウト。脳が弱いのでごっちゃになって苦痛で止めました。
せっかくの編集動画ですが、ゴメンナサイ。
宇宙人に誘拐されたで話は終わりです。
遭難時に命がけで遺族の家族捜索に当たらせてその後の供養塔の世話までさせるのか?遺族ってそんな偉いのか?ふざけんなよ
てめえらで管理しろや、それが出来ないならお前らで撤去しろ!
ボランティアの捜索隊をなんだと思ってるんだ?いい加減にししろ!
悪沢岳はπ岳か。e岳もあるのかな?
こーりんは事故死を装った失踪じゃないのか?
今時GPS必須にすべきなのは当然ですね
帰責事由が無くても事故に巻き込まれるのだから本当に極限なスポーツだ。
最後、いままで生き残る側だったレンが亡くなったのが動画的に一番衝撃的だった。
突然の出来事に対して、対処できることはなかなか難しいと思いますが、
このような事があったという事で、少なからず心構えの一つとなり、今後の大切な知識として残していきたいです。
何時、どのような状況になるかもわからないのも、登山の一つの面なので、今後へとつなげていきたいと思います。
頭だけで 入手した情報の、くどくどしい棒読みは、おやめください・・・
地図で見ると御影工業高校遭難の慰霊碑が表示されていた
にしても、土地勘がないから地図を辿ってみたけど…小和田駅付近の天竜川ってどんだけ流されてしまっていたんだ…
私も山歩きする一人ですが、その状況では何が正解だったんでしょうね。感慨深いものがありますね。
一つ言える事は、些細な事でも集中し切らなければと言う事ですね。