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47 Comments
名称の読み違いがあったので動画を修正後再掲載しました
🙏
ありがとうございます!
再アップですか?小室哲哉のアイドル提供曲は宮沢りえさんのドリームラッシュが好きです。宇多田ヒカルはGetWildが大好きと言っていますね。
修正ありがとうございます!
てかこのシリーズ最近頑張り過ぎじゃないですか〜
ちょっとは休んでねー
シンセ系の音楽に全く興味ないと思ってたから小室の話題で驚き。
そしてCAROLを選んでたことが嬉しい。
あれは本当に名盤。
小室哲哉が「ブーム」で終わってしまった原因の一つに、「小室ファミリー」を形成してしまったことじゃないかなぁ。アーティストよりも小室というブランドの方が前に出てしまったら、複数のアーティストがすべて同じ「小室」として見られるこちになってしまう。
シンガーソングライターと言う名称もあるよね。
エーベックスと小室の時代がありましたね 安室ちゃん含め 阪神大震災の頃
小室哲哉はエピックソニー時代が良かった
岡田有希子は歌上手かった
小室氏は「宇多田ヒカルの登場で自分の音楽は古くなった」と言っていたけど、それから25年。今にしてみればどちらもある。歴史の風雪を超えてきたなぁ。
小室さん量産されすぎて、当時好きじゃ無かったけど、TRF最近良いと思うようになりました、ボーイミーツガールとか
織田哲郎は編曲もやるけどZARDに関しては作曲専従、明石昌夫はZARDに関しては編曲専従。
ちょっと表現の仕方に語弊があるかも。
細かいですが岡田有希子さんの漢字が間違ってます(修正希望ではありません)
小室髭濃いな
さすがにTK最大の黒歴史である吉本興業時代は触れなかったか
正確には明石正夫は編曲家ですね
音楽活動をする人をアーティストと呼ぶ現象は昭和50年代後期〜60年代にかけて起こってますね。
それはアイドルデビューした人が歌唱力と楽曲を評価されてアーティストと呼ばれるようになったのがきっかけで、その人達の代表が岩崎宏美や中森明菜ですね。
あと本田美奈子もアイドルデビューして2年目くらいにアーティスト宣言なるものをします。
しかし岩崎宏美も中森明菜も自分の立場は歌手であるとは思っていても、アーティストだとは思ってもなかったと思います。
アイドルそのものをアーティストに昇華させた松田聖子みたいな人もいます。
小室ブームが終わった本当の原因は宇多田さんではなくて、単純に99年に小室さんが曲を書けなくなったことだと思います
理由は全くの謎です
「ブーム」で終わらなかったからこそ、今も現在進行形で活躍してる小林武史についても解説してほしい
小室哲哉の影に隠れがちだけど、彼以上に邦楽に影響を与えてる気がする
ZARDの場合、売れた曲は坂井泉水×織田哲郎コンビが多いけど個人的には坂井泉水×栗林誠一郎コンビの方が好きな曲は多いな
SeasonとかDon't you seeとかpromised youとか名曲が多い
1:23バカ不自然でおもろい
宇多田ヒカルが一番好きな邦楽曲がGet Wildである、という逸話も挙げておきたい
小室哲哉、マイケルジャクソンがアプローチしてくるぐらい売れてたのはすごいよね。
小室世代です。とにかく耳に残るいい曲だからどうしても繰り返し聴きたくてみんなが小遣い握り締めて買ってたという現象だったなぁ。小室が作ったから買ってたとか応援してたみたいな空気は全然無かったように思う。
それが97、98年くらいから「あれ?なんか今度の曲良くないな」ってのが増えてきてね。別に他のアーティストに押し出されたわけでもなくシンプルに自滅していった。
当時あれだけ若者が心躍らせて聴いた小室の楽曲だけど、ほとんど後世には聴き継がれなかったように思う。なぜだろう。
ミュージシャンが自分のことアーティストって言っちゃうのは違和感あるけどな・・。
修正動画ありがとうございます。
'70年代はポプコン出身等作詞作曲する歌手をフォーク・ニューミュージックと呼んだり、'70年代後半~'80年代はシンガーソングライターとも呼んでいた気がします。サザンやもんた&ブラザーズ、ゴダイゴのようなバンドはバンドと呼んでいたのか?!は定かではないです🤔'80年代はアーティストともチラホラ聞いた気がします。Beingが出た'90年代初頭からアーティストが浸透確立してきたのでしょうか?! '80年代後半Stock Aitken Waterman のユーロビートが流行り、'90年代初頭に小室哲哉プロデュースのTRFがヒットし小室ファミリーが次々に席巻していった気がします。
応援ソングには岡村孝子「夢をあきらめないで」なんかもありますが、ZARD「負けないで」を初めて聴いた時は、イントロがDaryl Hall & John Oates 「Dreamtime」かと思いましたw
TMNETWORK期の小室さんほんと好き。アルバム「HUMANSYSTEM」「CAROL」はほんと良いですよ。
最近シティーハンターやトリビュートアルバムでまたTMが注目され始めてるのはほんと嬉しいです。
90年代前半はビーイング系で、90年代中頃が小室プロデユース、90年後半がつんくプロデユースで移り変わりありましたね。90年代CD売れていたのは大量生産大量消費の時代でネットもなくチャートの数字くらいしか指標ないので売り上げ枚数を気にした結果かなと。小室哲哉氏はその時代に合わせた若干希釈したような大量生産型の楽曲を送り出してたわけだけど、失敗は自分の力過信しすぎたことと、借金重ねてもまたあの時代のようにドカンと売れて返せるだろうと思ったことかもしれません。
宇多田ヒカルが出てきた時は衝撃だった記憶。小室哲哉は99年頃からヒット曲のイメージが無いなぁ。聴いてはいたけど、パッとしないR&B風の曲とトランス方面に走った印象。
90年代はビーイング音楽出版の長戸大幸氏の存在も大きいですね。
かつては三原じゅん子の歌手デビュー曲「セクシーナイト」なんかも書いてますけど。
小室氏は85年から女性アイドルのアルバム曲・シングル曲で良曲をかいてるけど当時は作曲のみだったのに、90年代から欲を出したのか全てやるようになってから自身を消耗してったように感じる。
アイドルでも80年代後半以降斉藤由貴、小泉今日子、森高千里などが全てではないが「作詞」するようになってますね。
作詞だけやるのは80年代のアイドルロック歌手から顕著だった。それこそ小室も曲書いてた渡辺美里とか。作詞能力高かったのにアーティストなんて名乗らなんかった森高千里は偉い。今じゃアイドルや芸人もCD出せばアーティスト名乗ってるし
サムネで宇多田ヒカルが一瞬 口から血が出てるのかと思った
何処か他のこの手の動画でもコメントした事がありますが、「小室哲哉はロック・ミュージシャン」と個人的には思っています。
TMNを終了させたのは素晴らしいプロデュース、以降プロデューサーに専念する事は間違っていると当時から感じていました。
この方はホームとなるバンド(グループ)が必要で、その上で他へ楽曲提供やプロデュースを行うという形が才能が活きると思っていました。
表現が悪いですが、プロデュース業により楽曲の質がどんどん下がっていったのは間違いない。宇多田ヒカルさんの登場により、流行りを作っていた人が一瞬で流行りを追いかける側になってしまいましたね…。
当時の人気プロデューサーとして小林武史もいるけど、小室哲哉よりあまり語られない存在ですね。
平成はサザン、ミスチル、マイラバ、レミオロメン、令和になってもbacknumber、uruなど本当に時代を超えて手腕を発揮していて本当に凄い人なんだけどね。
いつも動画ありがとうございます。
少し関係無いですが、
ビートルズにモロ影響あるじゃん!
みたいな曲、アーティスト沢山紹介して欲しいです。
例
パフィーのこれが私の生きる道
イエモンラブラブショーのラスト
みたいな感じで、みのさんチョイスで、教えて下さい。
宇多田ヒカルさんがデビューした時は高校生のロック小僧だったから全然興味無かったけど最近になってサブスクで宇多田さんのファースト聴いてたら衝撃的やった。
原稿用紙の話、とても分かりやすかったです。歌詞とメロディの関係、その日本語と英語の違いを視覚的に説明、目から鱗でした。
当時、小室哲哉を嫌う音楽ファンがちょいちょい居たなぁと思うのですが、
改めてそれが何故だったのかってのを客観的に考えてみようと思いました。
まず、ミュージシャンが作曲をする理由というか欲求って大きく分けて二通り有るように思って、
自己表現の手段として作曲をする人と、自分の好きを共有したいが為に作曲する人の2パターン有ると思うんですよ。
(完全にどっちかに割り切れるって物でも無く比率の問題なんだろうけど)
そしてそもそもは自己表現の為に作曲する人は表立って活動する人が多くて、好きを共有したいタイプは裏方が多かったんだと思います。
でも小室哲哉は好きを共有したいタイプなのにブランディングの為に自ら一番前に立つ様に振る舞った。
(実際、ミュージシャンとしての収入が少ない頃は音楽誌のディスクレビューとかも書いてたりした)
特に自己表現したい物があるわけでもない、他人に曲を提供してる作曲家風情がなんでそんな目立とうとするんだ、
鼻につくなあ、という感じが嫌われる大きな要因の一つだったのでは無いかなぁなんて思ったりもします。
90年代はそういう活動をする人が日本では少なかったのもあって悪目立ちした形ですが、
今ではDJ型の作曲家とかも増えたので、当時は嫌ってたけど今はそんなでも無いって人も出てきてるのかなとか。
アラサーになってからH jungle withTが異様に染みるようになってきた。やっぱりあの人は凄いよ結局。
この人は音楽のルーツが分からない?
みのさんのチャンネルで小室哲哉やTMの話題が出るとは思いませんでした。この勢い(?)で80年代~90年代半ばのEPICソニー系アーティストを独自の視点で特集してほしいです。レコードからCDへの移行期で、タイアップが盛んになった時期でもありました。
avexの松浦社長と喧嘩別れした時、
華原朋美に駄作を回し始めた時、
GLAY、ラルクの真似しだした時、
終わったなと思った。
宇多田ヒカルの音楽的バックボーンについて
Automaticを全曲通しで聴く前にデビュー前に宇多田が親と一緒にカーペンターズの「遥かなる影」をレコーディングしているというのを聞いていました
Automaticを初めて全曲通して聴いた時、AメロBメロでカーペンターズの「スーパースター」のコード進行を頂戴していることに気付きました
その後サビは大橋純子の「シルエットロマンス」のコード進行を頂戴していることにも気付きました
R&Bは当時の洋楽のトレンドから若い宇多田が身に着けることはそれほど難しくなかったとして、宇多田自身の本来の音楽的バックボーンの核になっているのはカーペンターズとかキャロルキングとか、(彼女の父親あたりが聴いていたと思しき)70年代前半のシンガーソングライター全盛期の時代の頃あたりだろうと思っていました
(トレンドとは全く無縁の(アルバムではなく曲の)「First Love」を聴いて確信しました)
ただ、当時身近な音楽好きや会社の同僚にそれを言ったら「分かっていない」とひどく笑われました(正に「変なおじさん」扱い)
ヒットから数年経ってから、覚えたてのフリーソフトを使ってこの3曲(ただしシルエットロマンスはキーの関係上作曲者の来生たかおのバージョン)をマッシュアップ風に混ぜたものを彼らに聞かせたら随分と驚いていましたが
どこか一昔前の歌謡曲みたいな雰囲気も残しつつ当時のトレンドを上手く取り込んだからこそ、あれだけ色々な世代を巻き込んで商業的に成功したのだろうと思っています
みのさんご指摘の「桑田モデル」と根底では通じるものかなと
みのさんには機会あれば「ミュージシャンが歌ったり作っている音楽」と「ミュージシャンが影響を受けた音楽」とのズレとかについて語ってもらえると嬉しいです
宇多田ヒカルは今なお最新が最高を更新し続けている
とんでもないよ
UTADAが失敗して残念だな・・とは思っていたがリアーナやガガが出て来て彼女の音楽レベルじゃ勝負にならんと悟ったw
国内の売上枚数で判断しちゃダメだね 今のXGみたいにセールスに単純に置き換わらないリアクションがあったりするので