能登半島地震発生時に舳倉島にいた人は… (2024年5月1日)
坂口強さん元日に島に残っていた1人 です倉島の島民はほとんどが年末の両を 終えた後本土へ戻り正月を祝います今年 残っていたのは坂口さん含め3人初詣を 終えて島の自宅に戻った時震度5弱の揺れ が襲いました 大した揺れじゃないんけど揺れが長かって ああうちはなるほどほんでテレビちょうど つけとっ たら大津波警報ですっていうもんでほん なら高台に逃げようとて逃げてん けどこれは逃げる直前坂口さんの妻が影し た写真ですすでに岸沿いがにれ ますたどり着いたのは島の避難所になって いる市立和島病院のグジ 診療所ここにおられたんですねそうですね ええ当時はどうやったですか入何もなかっ たよ電気ないもんで寒かってんて本当に このままよねこれどの部屋見てもエアコン とかであっためるもんでダ とれ島全体が停電していたため家から ストーブなどを持ってきたほ車中泊をして 寒さをしいでいたそう です荷物を取りに家に帰ると冷蔵庫や棚が 津波でひっくり返されていました連絡が 届くはどういう風に届いたんですか先あ あれはですね電力でいつも月に1回衛星 電話かけるもんはいで2日目の日やったに あそういや衛星電話あるから連絡取れるか な思って見に行ったらたまたまあの水に つからんとあったもんでそれで連絡したん です よ北陸電力の倉島発電所に設置されていた 衛星 電話奇跡的に津波の被害がなくこれを使い 連絡を取ることができました ただ救出されたのは地震から2週間経った 1月14 日自衛隊のヘリで本土に戻ることができ まし た避難所はもうちょっといいのにして くれればいいなと思う電気しか使えんよう な段取れるやつないしあちっちゃいこう 発電機あってん けどあの燃料は1日も持たないねもし動い てもしてたまたまそれ 過酷な避難生活を経験した坂口さん避難所 に衛生電話などがなかったことから今後の 整備を訴え ます衛星電話は固定式のいいやつして くれればいいと思う役所とかに ネットワーク組んでもらって役所に電話 かけたらどこの地区のどっから電話来 たっていうが分かってくれれば連絡早いが ね 撮影を終え港に向かう途中ある女性に 出会いまし た島の民宿月のおで天でもある木村関子 さん津波でいくつかの建物が流され大間も 波に使ったそう です死は倉島を見捨てたのではないかと痛 な声をあげていました和島市はまだ倉島は 理財照明も見に誰も来てないじゃない ちょっと寂しいと思いませ んねま和島がね今みんな大変なのでうちら も和島の方に家もあるのでまね無理は言え なかったんですけどやっぱりある程度 落ち着いてきたらちょっとやっぱりねもう 4ヶ月ぐらい経つので状況もね1回ね見に 来てやっぱりね協力してもらわないと何に もできないと思います
坂口剛(さかぐちつよし)さん。元日に島に残っていた一人です。舳倉島の島民は、ほとんどが年末の漁を終えた後、輪島へ戻り正月を祝います。今年残っていたのは、坂口さん含め3人。初詣を終えて島の自宅に戻った時、震度5弱の揺れが襲いました。
坂口さん:
「大した揺れじゃないけど、揺れが長かった。テレビちょうど付けてたら「大津波警報です」って言うもんで、ほんなら高台に逃げようと逃げたんだけど」
逃げる直前、坂口さんの妻が撮影した写真。すでに海岸沿いが津波に飲まれています。
たどり着いたのは、島の避難所になっている市立輪島病院の舳倉島診療所。
Q 当時はどうだったんですか?
坂口さん:
「何もなかったよ。電気がないもんで寒かったんや。どの部屋見てもエアコンとかで暖めるもんで、暖取れんげんて…」
島全体が停電していたため、家からストーブなどを持ってきた他、車中泊をして寒さをしのいでいたそうです。
荷物を取りに家に帰ると、冷蔵庫や棚が津波でひっくり返されていました。
Q(外部からの)連絡はどのように届いたんですか?
「北陸電力で月に一回、衛星電話を掛けるもんで、(1月)2日の日だったか、衛星電話あるから連絡とれるかなと思って見に行ったら、たまたま水に浸からずにあったもので、それで連絡したんですよ」
北陸電力の舳倉島発電所に設置されていた衛星電話。奇跡的に津波の被害がなく、これを使い連絡を取ることができました。
ただ、救出されたのは、地震から2週間たった1月14日。自衛隊のヘリで自宅に戻ることができました。
坂口さん:
「避難所はもっといいのにしてくれたらいいなと思う。電気しか使えないような暖取れるやつしかないし、発電機はあってんけど燃料は一日も持たんがいね。で、たまたまそれが動かんかってんてね…」
過酷な避難生活を経験した坂口さん。避難所に衛星電話などが無かった事から今後の整備を訴えます。
「衛星電話は固定式のいいものにしてくれればいいと思う。それで、役所にネットワーク組んでもらって、役所に電話かけたらどこの地区から電話来たっていうのが分かってくれれば対応が早いがいね」
撮影を終え、港に向かう途中、ある女性に出会いました。
島の民宿「つき」の女将で、海女でもある木村世紀子さん。津波でいくつかの建物が流され、大広間も波に浸かったそうです。市は舳倉島を見捨てたのではないかと悲痛な声をあげていました。
木村さん:
「輪島市はまだ舳倉島の罹災証明に誰も見に来ていないじゃない?ちょっと寂しいと思いません?ね。輪島が今、みんな大変なのでうちらも輪島の方にも家もあるので無理は言えないんですけど、やっぱりある程度落ち着いてきたら、もう4カ月ぐらい経つので、やっぱり島の状況も一回見に来て」
4 Comments
舳倉島🇯🇵🗾がんばれ❗️
自民党を勝たせてきた有権者と北國新聞の所為だな
島で2週間孤立の3人、大変やったやろな…
岸田さん、能登半島地震という先送りできない課題を無視して海外外遊ですか