【311の現在】「震災遺構」保存への葛藤 南三陸町の旧防災対策庁舎(2024年3月11日)
宮城県の南三陸町では津波の悲惨さを
伝える審査以降の保存を巡り今も葛藤が
続いています中継
です海岸からおよそ
600m大津波に襲われ43人が犠牲に
なった南三陸町の旧防災対策庁舎です津波
は3階建てのこの調車の屋上を超えました
鉄骨が大きく歪みの凄まじさが伝わってき
ます今日は遺族らがこの場所を訪れ花を
たけて手を合わせていまし
たま亡くなった方々の
え痛むことはまこれからも続けてお伝えて
いくことが大事なのかな
と津波の悲惨さを伝えるこの者はを存解体
かで町民の意見が分かれ県が2031年
まで所有することで結論を先送りしてい
まし
たところが今月1日自らもこの庁舎で被災
した佐藤町長が多くの人が訪れるこの庁舎
は未来の命を守る役割を担っているとして
審査以降として残す考えを表明しまし
た一方で今でも庁舎を見たくない解体して
欲しいという町民の声もあり
ます震災の教訓をどう伝えていくべきか
被災地では今も模索が続いてい
ますの地震で大きな被害を受けた坂倉に
支援の手を差し伸べたの
はおはようござい
ます13年前同じ経験をした宮城の坂村
です宮城県も震災で怪を受けどうやって
こう立ち直ってきたかっていうところも
あの何か少しでもお役に立てればなと思っ
ていただき
ます東日本大震災から13年のと
つがる3月11日月曜午後1時50分
宮城県の南三陸町では津波の悲惨さを伝える「震災遺構」の保存を巡り今も葛藤が続いています。
(阿部美里アナウンサー報告)
海岸からおよそ600メートル。大津波に襲われ43人が犠牲になった南三陸町の旧防災対策庁舎です。
津波は3階建てのこの庁舎の屋上を越えました。鉄骨が大きくゆがみ、そのすさまじさが伝わってきます。
11日は遺族らがこの場所を訪れ、花を手向けて手を合わせていました。
東京から訪れた人
「亡くなった方を悼むことはこれからも続け、(教訓を)伝えていくことが大事」
津波の悲惨さを伝えるこの庁舎は、震災後、保存か解体かで町民の意見が分かれ、県が2031年まで所有することで、結論を先送りしていました。
ところが今月1日、自らもこの庁舎で被災した佐藤町長が「多くの人が訪れるこの庁舎は未来の命を守る役割を担っている」として震災遺構として残す考えを表明しました。
一方で、今でも「庁舎を見たくない。解体してほしい」という町民の声もあります。
震災の教訓をどう伝えていくべきか、被災地では、今も模索が続いています。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
8 Comments
瓦礫は撤去されても何も無いグラウンドが広々と広がってますね東北
1人の意見で公園が廃止になるご時世なんだから解体して欲しいという町民の声があるなら解体した方が良いな
石造りならともかく金属じゃ風情がねぇのよ
Misaki Hayashi in miyagi ken
僕はその町の人ではないのでノーコメントです。
のこしたほうがいいかもね
この高さは言葉づたいじゃ伝わらない
10年ほど前に、南三陸町役場に派遣されている職員の陣中見舞いに行きました。
旧庁舎を見てきましたが周りの様子は大きく変わりましたね。
札幌からの仕事で4tユニック車で関東に行く途中で見にに行きました。(2024年3月10日)
犠牲者のいる旧防災対策庁舎を見て、近くから見る気がおきず橋の近くから見ていました。
庁舎より高い河川の堤防を眺めていたら、震災遺構として残してもいいのでは?と思うのと、写真パネルの展示と桜などの木を植えて
たりなどを計画して、取り壊したらいいのでは?と思ってしまった。
伝承館だけでもいいのでは?と思ってしまったから。ただ見れてよかったと思う自分がいたので申し訳ない気分です。