セナ&伝説の日本人も在籍?ロータス3選【ゆっくり解説】【総集編】

最初はこちらだぜ霊夢が持つアイルトン
セナのイメージは何だ赤と白のマシンで
絶対的に強かった音速の気候士だわいい
答えだじゃあその前のセナについては知っ
ているかその前あまり知らないわじゃあ
今回はロータス時代のセナについて紹介し
ていく
ぜロータスかけるアイルトンセナ
アイルトンセナは1960年生まれの
ブラジル人だぜ父親は自主で工場経営者で
もあるし参加で裕福だったぞおぼっちゃま
だったのね4歳の誕生日に背が初めて手に
したレーシングカートは父親の自作で1
馬力のしばかエンジンを搭載していたぞ
ミニカーじゃなかったのねさすがおぼっ
ちゃまだわ霊夢は背なが嫌いなのかそんな
ことないわよ背なが13歳の時初めて
カート競技会に参加するぜトップから
スタートして年上のレーサーたちを圧倒し
たんだすでに早いわね1977年に南
アメリカカート選手権を制すると1978
年から82年にかけて世界カート選手権に
参戦するぜ1979年と80年には
シリーズランキングで2となったぞ順調な
キャリアだは1981年に都営し
フォーミュラ41600に参戦ここでも
才能を発揮して優勝を果たすが資金不足に
悩むぜあれパパはお金持ちじゃなかった
かしら霊夢言葉にトがあるんだぜ確かに
実家は裕福だったが父は炎上を拒否したぜ
ケチね違うぜ父親は息子に事業を継がせ
たいと思っていたんだぜぜよくある話ね
セナは自らスポンサーを集め翌年に
フォーミュラ420002ステップアップ
1983年にはF3に参戦イギリスF3と
マカオグランプリを制してF1へステップ
アップだぜついにF1にたどり着いたわ
才能を高く買ったフランクウィリアムズが
セナにFW08Cをドライブさせると軽く
流したラップが当時のコースレコードと
なったぜセナの才能を恐るべしだわ当然他
のF1チームが背を獲得しようと動くぜ
どこのチームに行くのか楽しみねブラバム
が有力視されていたぜだがナンバーワン
ドライバーのブラジル人であるネルソン
ピケが嫌がったことでブラバム入りが実現
しなかったとも言われているぜえなんでな
のよ同じブラジル人でもピケは
リオデジャネイロセナはサンパウロ出身だ
ぜ2つの年は対抗意識が強くカリオカと
パウリスタは仲が悪いらしいんだぜ
ローカルな理由だったわね結局1984年
デレックワーウィックの遺跡でシートが
開いた中堅のトールマンからF1デビュー
だぜ知らないチームだわデビューは有力
チームじゃなかったのね前線でニュー
マシンTG184を手にすると第6戦
モナコグランプリでセナ才能を発揮させる
ぜどうなったの大雨でハーフレースとなっ
たレースを予選13位から追い上げて2で
フィニッしたぜ地震とトールマンにF1初
の表彰台をもたらすと同時に地震初の
ファステストラップも記録したんだすごい
わねそうだぜしかも雨の中トップのアラン
プロストを追い詰める走りはせなのなおF
1に届かせたんだぜルーキーとは思えない
わねデビューシーズン背決して早くはない
マシンで表彰第3回市街一コースで速さを
見せドライバーズランキングはロータスの
ナイジェルマンセルと同じ位で終えたんだ
ぜさすがセナだわ翌85年セナは名門
ロータス籍するぜステップアップも最速ね
この年ロータスが用意したマシンは97T
チーフデザイナーはジェラールブカ
ルージュだ実はロータスは1982年に
チーム総子者でありマシン開発者でもある
降臨チャップマンが救世してるぜもしかし
て早いけど危ないマシン作る人間違っては
ないがまあいいぜリーダーを失い瞑想して
いたチームにブカルージュが83年
シーズン中に移籍してきたんだそして94
T95Tと熟成を重ねチームも回復の兆し
を見せていたんだじゃあ万おじして登場し
たのが97Tなのねいいぞ霊夢その通りだ
ぜ97Tはアルミハニカムをサンドイッチ
した新設計のカーボンモノコックの写真だ
ぜよくわからないけど早そうねエアロ
ダイナミクスを殺ししカーボンディスク
ブレーキを採用大幅なポテンシャルアップ
が測られたんだぜ背乗れば鬼に金棒だわ
エンジンはギャレット製ツインターボを
装備した1.5LルノーEF15V6最大
出力は780馬力以上だぜ4歳の頃の1
馬力カートが懐かしいわね今はF1の
トップレベルのエンジンの話だぜそうだっ
たわね背は開幕戦ブラジルグランプリ電気
系トラブルで表彰台を逃したが第2戦
ポルトグランプリで見せてくれるぜあら何
を見せてくれるのかしら予選で速さを
見せつけ初ポールポジションを獲得したぜ
いきなりやるわねしかもマクラーレンの
アランプロストに0.413秒
チームメイトであるエリオデアンジェリス
には1.12秒もの差をつけたんだぜ
ぶっちぎりね背は初PP5もし何の問題も
なければ初めてグランプリに勝てることを
願っているとコメントしたぜ頼もしいわね
迎えた決勝日コンディションは大雨になっ
たぜ大雨セナ大丈夫かしら霊夢忘れてい
ないか1年前ルーキーのセナは雨のモナコ
でプロストを追い回したぜあそうだったわ
じゃあセは雨が得意なのねそうだぜまだ
デビュー2年目だがウェット
コンディションでのせの速さは知れ渡って
いたんだぜスタートが楽しみだわせは勢い
よくスタートするとぐぐ皇族を引き離して
いくぜすごいわせは1周で2.7秒の
ギャップを獲得しかも背97Tでウェット
を走るのは初めてなだぜもはや天才ね
テレビ解説をしていた元F1王者の
ジェームズハントは彼には驚くべき才能が
あるとコメントしてるぜその通りね
ナイジェルマンセルケケロズベルグなど
次々とスピンアランプロストはストレート
で足を取られてスピンするぜストレートで
ひどいコンディションだわそうだぜ背で
さえレースの中止を訴えたぜそれほど
ひどかったのねせはレース後に厳しく
難しいレースだった全てのコーナー全ての
ラップでねとコメントししたぞさらに最も
危険なことはコンディションが常に変化
することだったマシンをまっすぐ走らせる
ことすら時々難しかったレースは中断さ
れるべきだったと言っているぜ雨が得意な
背がそう感じるんだからよっぽどだわで
レースはどうなったのかしらあ忘れていた
ぜ大切なところを忘れるんじゃないわよ
失礼したぜせはF1300016戦目で初
優勝したぜしかも2位に約1分の差をつけ
3位以下は周回遅れにしたぜ何よ圧倒的に
早いじゃない中止しろというくらいの
レースだったんでしょその通りだぜ
恐ろしい才能だわせは何度コースを
はみ出したか分からないでもマシンを
コースに戻すことができたんだと言ってる
ぜコースにとまれたのは単なる運だったと
も言ってるぞ謙遜なのか天才すぎて凡人に
は理解できないのかよくわからないわね初
優勝について尋ねられたせは僕は4歳の時
からずっとモーターレースに努力を費やし
てきたそれが僕に何かいいを与えてくれた
ということだと思うとコメントしているぞ
確かに神がかった走りだったわねセナの
ベストレースとして1993年の雨の
ヨーロッパグランプリが取り上げられる
ことが多いがセナ自身はトラクション
コントロールなどハイテク装備のマシンに
乗った93年のヨーロッパグランプリでは
自分は何もしなかったようなものだと言っ
ているぜ天才の背だって大雨の中暮らしし
ないように必死にマシンを操っていたのね
そうだぜF1を夢見てずっと必死に走って
きたセナの努力がこの初優勝には詰まって
たんだぜ感動的だわ1986年セナは
引き続きロータスで走るんだぜチームが
用意したのは98Tだ名前は去年のマシン
の進化系みたいねそうだなしかしこの年
からレギュレーションが変更されターボ
エンジンの最大搭載燃料が220Lから
195Lになるぞこの影響でレース中の
エンジン燃費計算がよりシビアになるんだ
レギュレーションの変更は大きいわねそう
だぜ98Tは前年の97tよりも低いもの
コックが特徴だぜ最高峰のルノEF15B
は無制限のブースト圧で1000馬力を
超える出力を発揮したと言われているぞ
1000馬力モンスターマシンね無制限
ブーストはエンジンに過酷で数周しか持た
ないぞそれじゃレースには使えないわその
通りだだから主に予選だけに無制限
ブーストは使われたのさマシンも去ること
ながらこの年はドライバーについて人悶着
あったんだぜドライバーセナでしょ
もちろんせはこの年もロータスだぜだが
ベテランのアンジェラスがブラバム移籍し
てシートが1つ開いたんだセナのチーム
メイトってわけねそうだぜチームは
デレックフィッシャー
イギリス人のワーウィックを自分より優遇
することを恐れたぜちょっと待ってワー
ウィックって最近どっかで聞いたような気
がするんだけどもしかしてスチュワードと
しての最低に一貫性がないって騒がれてる
ことかそれよ角田君ばっかり狙い打ちして
ペナルティを貸してるでしょ角田が
狙い打ちかどうかは別にしてその
ワーウィックだぞ昔はワーウィックもF1
ドライバーだったんだぜあのおじさんF1
ドライバーだったのね話を戻すぞ背は
代わりに東京のマウリシオグージェルミン
と契約するようチームに圧力かけるんだ
えげつないことするわねしかし長年の
スポンサーであるJPSがイギリス人
ドライバーを望んだぜ結局F1ルーキーで
あるジョニーダンフリーズが抜擢されたの
さう曲説ねワーウィックはどうなったの
ワーウィックはロータスのシートを目前で
失いF1浪人で開幕を迎えるぜその間世界
スポーツプロトタイプカー選手権のシルク
カットジャガーからオファーを受け参戦し
てるぞ浪人したせいでひねくれちゃったの
かしらね霊夢とりあえず今年の
ワーウィック最低の剣は脇へ置いておくん
だぜ分かってるわよF1浪人で開幕したが
5月に状況が変わるぜポールリカールの
テストに参加していたブラバムの
アンジェリスが自己してしまうんだえ去年
までセナのチームメイトだった人よねそう
だぜ第6戦カナダグランプリから
ワーウィックが大役としてブラバムからF
1に参戦するのさF1には戻れたけどなん
だか複雑ねワーウィックは低重心を意識し
た過激なBT55に苦戦したんだそうなの
ねセナ98Tはどうだったのこの年も
トップドライバーたちと激しいバトルを
繰り広げたぜ聞きたいわスペイン
グランプリ相手はナイジェルマンセルだぜ
マンセルはこの年ウィリアムズホンダで2
シーズン目チーム名エのネルソンピケと
マクラーレンのアランプロストと共に
チャンピオンシップを争ったぜ相手に不足
はないわね予選は背PP2川ピケマンセル
プロストケケロズベルグと続くぜ名前聞い
ただけで決勝が恐ろしくなるわね豪華だろ
なんで魔理沙がドヤ顔をしてるのよでも
豪華なラインナップだわスタートをうまく
まとめたセナレースを支配し39周目まで
1位をキープするぜいいわせなそのまま
頑張ってほしいわ40周目本田エンジンに
物を言わせてマンセルが2に上がってくる
ぜ来たわねマンセル背が周回遅れに
手間取っている隙にマンセルがセナをパス
していくぜやられたわセナも諦めないぜ
じりじりとタイムを刻み59周目に
マンセルをオーバーテイクだマンセルは
残り九州でタイヤ交換コースに戻るとセナ
との差は20秒だぜやったわ勝負ありよ
マンセルはフレッシュタイヤとホンダ
パワーを武器に1周に月2から4秒も早い
タイムでせを追撃するぜそんなの反則だわ
霊夢分かってると思うが反則じゃないぜ
分かってるわよそんなことせはせは
ほとんどグリップのないタイヤで何度も
コースアウトしそうになりながらなんとか
マシンをコントロールするぜ頑張ってあと
ちょっとよファイナルラップ2人の差は
1.5秒爪よるマンセルをせは巧みな
ライン取りで防ぐぜハラハラするわそして
最終ヘアピンの立ち上がりマンセルはせに
並びかけそのままゴールするぜどっち
どっちなのマンセルは自分がが勝ったと
思ったぜ嘘だわコントロールラインを背な
わずか0.014秒早く通過していたぜや
やったわなんか喜びより疲労が激しいわ
まだまだだぜ霊夢セナはハンガリー
グランプリでも激しいバトルをするぞ耐え
られるかしら旧社会主義国で初のF1開催
週末には約20万人の観客が詰めかけたぜ
時代を感じるわねハンガリーグランプリの
舞台であるハンガロリンクはガードレール
のないモナコと称される曲がりくねった
レイアウトのコースだぜそれなら背向きだ
わその通りセナはトップを走っていたぜ
今回セナとバトルを繰り広げるのは2の
ネルソンピケだまたウィリアムズ本だね
唯一の追い抜きポイントであるストレート
エンドで因側を守るせに対してピケは
アウトから1コーナーへ侵入するという
大胆なオーバーテイクを仕掛けるぜまた
エンジンパワーにものを言わせてるわピケ
はブレーキングでリアが流れるぜスピード
出しすぎなのよそのままスピンするわよ
ピケはすかさずカウンターステアを当てる
とマシンを立て直しスライドしながら
コーナリングするぜえそんなのありなの
ありだぜピケはそのまま優勝背2でレース
を終えたんだぜ背ぶち抜かれたわショック
だわこの追い抜きは背真光勝負で破れた数
少ないシーンとして伝説だぜ1987年
シーズンセナのマシンはロータス99Tだ
ぜあれ黄色いわその通り永年ロータスの
スポンサーだったJPSが撤退したぜ特徴
的な黒いマシンは98tまでだったんだ
黒いマシンシックで好きだったのにQQT
もかっこいいんだぜしかもこのマシンは
すごいハイテクが乗ってるぞハテって
何かしらQQTにはアクティブ
サスペンションが搭載されていたんだ
アクティブサスペンションってロータスの
アクティブサスはサスアームキブ付近に
設置されたセンサーからL速度と空気密度
の情報前後ホイール直近に設置された
センサーからL加速度と衝撃力各部に設置
された20種以上のセンサーからの情報を
元にロールバーの下のブラックボックス内
のコンピュが圧式アクチュエーターを制御
するシステムだぜ難しすぎるわ落ち着くん
だぜ霊夢分かるように説明しなさいよわ
分かったんだぜつまりセンサーから得た
路面などの情報を元にコンピューターが
サスを動かすんだぜ何よ簡単に言えるじゃ
ないの最初からそう言いなさいよそうする
と何がいいのよ通常のサスペンションは
路面状況をタイヤから受けて
サスペンションがそれを吸収して姿勢を
保つんだぜアクティブサスは路面に合わせ
てサスがあらかじめ
から常に理想的な社交や空力性能を得
られるんだぜ何よ完璧じゃないそんなの
ついてたら間違いなく優勝よそうそうなる
はずだったんだぜえはずそうならなかった
の1987年当時のコンピューター技術が
見成熟だったぜ走行中に油圧がゼになり
マシンがコントロール不能に陥ったり制御
用コンピューターが暴走しさすが全く
ストロークしなくなるなど数多くの
トラブルが発生したぞそんなシステム使え
ないわタイヤの負担軽減を目的として開発
されたアクティブサスだが予選ではタイヤ
が十分発熱せずグリップが不足する結果と
なり背であっても予選順位が伸び悩むこと
となったんだポンコツだわコンピューター
の反応速度が十分に得られずワンテンポ
遅れてサスペンションが動く状態だったぜ
マシンにPCを接続して挿す設定を調節
できるシステムだがチーム側にはその膨大
なデータから最適な設定を見つけ出す
ノウハウも不足していたんだポンコ以下だ
わもはやお荷物になってるじゃないのそれ
でも平均速度が遅い市街一コースでは
アクティブサスペンションの反応速度の
問題が少なかったモナコグランプリと
アメリカグランプリデトロイト市街一
コースで背に連勝を飾ったぜなんだか素直
に喜べないわね背はまだいい方だぜチーム
メイトの中島悟は散々だったんだちょっと
待ちなさいセナのチームメイト日本人なの
そうだぜこの年からF1デビューした中島
悟がチームメイトだぞ聞いてないわよそう
いうことは最初になさいで中島がどうした
のこの年がF1デビューとなった中島は
慣れないコースと共にアクティブサスに
手こずったそうでしょうねしかも中島の
マシンにはロータスと他との契約で
シーズンを通じて車載カメラが搭載された
ぞ今ならみんなついてるわ当時はまだ車載
カメラに関するレギュレーションが未整備
で中島車のみがカメラ関連の装備で数km
車重が重くなったぜ不幸兵だはさらに頭上
のロールバー横にカメラ一式が設置された
そのためリアウィングへの空気の流れが
乱されダウンフォースへ悪影響を及ぼした
んだ中島にとっては大きなハでねこの年
からロータスはウィリアムズと同じホンダ
エンジンを搭載していたがちょちょっと
待ちなさいってばホンダエンジンに変わっ
てたのそれも聞いてないわよ今言ったぞ
ホンダエンジンを手に入れればもう危に
ぶっちぎれれれないで済むわウィリアムズ
と同じエンジンだが特に高速サーキットで
はウィリアムズに大きく離されたんだぜ
ロータスもエンジンカウルの形状を変更し
たりターボの吸気位置を変更したり手を
尽くしたがなかなかうまくいかなかったん
だ踏んだり蹴ったりだわねそんな厳しい
シーズンだったがアメリカグランプリで
セナとアクティブサスペンションが頑張る
ぜアクティブサスペンションは頑張らなく
ていいから普通に動いて欲しいわね決勝
レースマンセルが1位を独走するぜ背ない
かは大きく遅れを取ってしまうぞレース
中盤マンセルがタイヤ交換のためにピット
インするとホイールナットの取り付けに
手間取るぜいいわ背が逆転できるわ
マンセルがコース復帰するとセナと
プロストにつぐ3位だぜやったわセナは首
に立つとタイヤ交換のためにピットイン
するライバルたちを尻目に走り続けるぜ
すごいわねでもセナもピットインしないと
セナの99Tにはアクティブ
サスペンションがついてるぜあ確かタイヤ
に優しいシステムだったわねちゃんと機能
すればだけど厳しいんだぜアクティブ
サスペンションもちゃんと機能するんだせ
はタイヤ交換することなくトップのまま
レースを終えたんだぜちゃんとシステムが
動けばポンコじゃないことが証明されたわ
ねコンピューターが飛躍的に進化した
1992年にはウィリアムズがアクティブ
サスペンションを搭載したFW14Bで
シーズンを接見したんだがその話はまた
今度だぜ嫌にもったいブルわねまあいいわ
この年のイギリスグランプリも印象的な
レースだったぜどんなレースだったの
スタートでウィリアムズホンダの2台が
ぶっちぎるとセナとプロストガーを
追いかけるぜレース中盤までに
ウィリアムズの2台セナの順番でホダが
123を独占するぜやるわね本田あと1台
の本田はセナのチームメイト中島悟だぜあ
忘れてたわ中島悟のことを忘れるんじゃ
ないぜ中島は6意で頑張って走ってるぜ
なかなか頑張ってるわね霊夢は中島には
冷たいんだぜそんなことないわよでも6位
からトップ3に追いつくのは難しいわ
ところがレース終盤4位と5のマシンが
トラブルであついでリタイヤするぜ奇跡ね
その通りだこれで中島は4位なり本田は
上位1から4位を独占するぜすごいわ最終
的にウィリアムズは3位のせを周回遅れ4
位の中島は2周遅れにしたんだぜ圧倒的な
速さねセナとは1年しかチームメイトじゃ
なかったが中島はセナについて興味深い
ことを語っているぜチームメイトから見た
せはどういう風に映っていたのかしらセの
すごさについて中島はとにかく運転が
うまいと言ってるぞF1ドライバーなんだ
から当然だわもちろんそうだが中島だって
F1ドライバーだぜ運転にはもちろん自信
と実績があったぞそれはそうねそんな中島
でも背ハンドルを切るのもブレーキや
アクセルをコントロールするのも全部が
うまい全ての操作を正確かつ短時間に
こなすことができると感じさせたんだぜせ
なはめちゃくちゃ運転うまかったのね
そんな背はチームメイトだった中島に色々
アドバイスしてくれたんだぜアドバイス
例えばあのコーナーのバンプは危ないから
避けた方がいいとか自分の経験を元に
コースの危険なところを指摘してくれたん
だ何よせはめちゃくちゃ優しいじゃない
当時はマニュアルでギアチェンジしてた
からモナコなどシフトチェンジの回数が
多いコースでは手の川が向けてしまうぜ
そうだったのねだから背は中島に
テーピングの仕方も教えたんだぜ中島は背
ながこれやったら絶対にいいよと僕の手に
薬を塗ってテープを巻いてくれましたと
言ってるぜせなって親切なのねなんか
プロストとピリピリしてるイメージしか
なかったわ中島はプロストとチャンピオン
を争っていた時のような発待ったセナの姿
は見たことがありませんと言ってるぞなん
でなのかしら同じチームメイトなのにね
中島はそういうことをしてくれるのは僕が
敵じゃないからですと語ってるぜいきなり
厳しい現実ねF1デビューしていきなり
あの背がチームメイトだものねそうだぜ
中島はなんでせより遅いんだと言われ
きつかったと言ってるぞそりゃきついわで
も同時にチームメイトが波のドライバー
だったらもっときつかったとも言ってるん
だどういうことかしら中と組んだ翌年背
マクラーレン英跡プロストと激しく争うぜ
そしてプロストを打ち破って地震初の
チャンピオンに輝いたんださすがせなねで
ももしプロストが何度も優勝する脇でせな
がいつも5位とか6位とかだったら
ショックを受けたと中島は言ってるんだせ
より遅かった自分はって考えるんだな
じゃあ背がマクラーレンでプロストと互角
に戦いチャンピオンになった時は中島も
嬉しかったわねそうだぜデビューシーズン
を共に戦い1度も勝てなかった男は
やっぱり特別な存在だったと証明されたと
中島は心から喜んだんだぜ厳しい世界だ
けど感動するわねF1にデビューしてすぐ
にそのまばゆいばかりの才能を輝かせ
アイルトンセナの名を世界に知らしめた
ロータス時代のマシンと共に振り返ったぜ
背が一生懸命に走っているというのが印象
的だったわその通りだぜこの時代のせは
絶対優位なマシンで圧倒的に早いという
よりもドライビングテクニックで上位にい
様子が印象的だったぜ続いてはこの動画だ
ぜ霊夢JPSって知っているか唐突ね
もちろん知らないわよ開き直ってるな
JPSはロータスチームを支えた
スポンサーの名前なんだぜそうなのじゃあ
今回はJPSロータスについて紹介して
いく
ぜJPSの歴史とF1参入19世紀半ば
イギリスのジョンプレイヤーは
ノッティンガムにタバコ会社を設立するぜ
なんだかF1と全く関係ないとところから
始まるわね慌てるな霊夢ちゃんとF1と
結びつくから安心するんだぜ分かったわ
その後会社は成長して息子たちが後を
つぐんだ社名もジョンプレイヤー&サンズ
になるぞあだからJPSね落ち着いて最後
まで効くんだぜJPSは社名の略じゃない
ぜあらそうなの紛らわしいわね1901年
インペリアルタバコグループに買収された
が自社ブランドジョンプレイヤー
スペシャルを含むいくつかのブランドは
ロゴとともに残されたんだぜえじゃあ会社
の名前じゃなくてタバコの銘柄のことだっ
たのその通りだぜ日本で言うところの峰と
かがそのまま残されたってことね霊夢例え
が渋すぎるぜ若い視聴者は何のことだか
余計に分からなくなるぜそうかしらまいい
ぜそんな中1960年代後半から70年代
にF1は大きな変化を経験していたんだ
大きな変化って何かしらその1つは広告
活動の解禁だ広告活動の解禁って何なの
それまでのF1マシンはチームや国の
イメージカラーで塗装されていたんだ
しかし広告活動が解禁されたことによって
技術や資金を提供するスポンサーの
ステッカーやイメージカラーでラッピング
されるようになったのさなんだ今では
当たり前よねそうだなだがロータスは
いち早くこのシステムを活用したチーム
だったと言われているぜ確信的なチーム
だったのねそうだぜマシンは走る広告等と
言われたんだかっこいい呼び方ねJPSは
1972年からロータスのスポンサーと
なり中断はあったものの1986年まで
サポートしたんだやっとJPSとF1が
繋がったわね漆黒のボディに今式のピン
ストライプがあわれたマシンは印象深く
ロータスの代表的なカラーリングとなった
のさそうだったの
ねロータス72DそんなJPSのカラーを
まったロータスのマシンにはいわゆる名車
と呼ばれるマシンがたくさんあるんだぜ
やっとF1のチャンネルらしくなってきた
わねどんなマシンがあったのかしらお元気
が出てきたなよくわからないタバコの銘柄
を言い出した時はどうしようかと思ったぜ
どういうことかしらいやなんでもないぜ
ロータス72Dはロータスの創設者降臨
チャップマンが送り出した傑作だぜどんな
マシンだったの72Dは1970年に
デビューしたロータス72の熟成版で72
年のコンストラクターズチャンピオンと
ドライバーズチャンピオンの2巻に貢献し
たんだぜそして初代JPSカラーのマシン
だバリバリの最強マシンじゃないのそうだ
ぜ72はそれまで車体全部あった
ラジエーターを車体側面へ移しボディを楔
型にする確信的なデザインだったんだぜ
これも今では普通よねその通りだぜマシン
はさらに様々な回収が加えられ72Dは
特にリアサスやリアウィングが大きく変化
したんだ熟成しまくっているわね72年
シーズン72Dと共に活躍したのが
エマーソンフィッティパルディだぜ誰
かしらOKだ大丈夫だぜ私は落ち着いてる
わよ挙動がおかしいのは魔理沙の方だわそ
そんなことはないぜ落ち着いてフッキ
パルディについて説明するぜしっかり頼む
わよフキパルディは1970年シーズン
途中ロータスのドライバーとしてF1
デビューするぜイタリアグランプリで
ファーストドライバーのよ編リントが自己
するとそれに動揺したセカンドドライバー
のジョンマイルズは引退を表明するんだ他
のドライバーがみんないなくなっちゃった
わそうだぜフッキパルディはわずか3戦の
失踪でロータスのファーストドライバーに
なってしまったのさえ大変だわだが次戦
アメリカグランプリでフッキパルディは
見事に優勝して息承したチームを活きづけ
たのさやったわすごいわねそうだぜッピ
パルディは熟成の進んだ72Dと共にその
ポテンシャルを発揮するぜどうなるのッピ
パルディは12戦中後戦で優勝し当時の最
年勝記録ではワルドチャンピオンになった
んだすごすぎるわその通りだぜ母国
ブラジルでは記念切手が作られるほどの
熱狂ぶりだったんだうん容易に熱狂ぶりが
想像できるわまさに英ねヒッピパルディと
JPSカラーのロータス72Dはまさに
ゴールデンコンビだったの
さロータス77ロータス77は前年失敗に
終わった76と老朽化した72シリーズに
よる低迷を打破するために開発されたぜ
1976年ブラジルグランプリから投入さ
れたんだどんなマシンだったのかしらなろ
なアルミモノコックトレッドとホイール
ベースをサーキットごとに調整可能な
アジャスタブルベンチインボードブレーキ
など独特のメカニズムを採用したマシン
だったぜもしかして詰め込みすぎて失敗
するパターンかしら鋭いな霊夢あら適当に
言ったんだけどメンテナンスを用意にし
セッティングの幅を広げるというアイデア
は良かったぜだがセッティングの幅が無限
に広がってしまい適切なセッティングを見
出すのに苦労することになったんだ何それ
柵に溺れたのねそうだぜさらに合成不足の
マシンはドライバーたちに不評だったぜ
ロニーピーターソンはマシンにアをつかし
開幕戦のみを走りチームを離脱したぜ最悪
ねよっぽどダメなマシンだったのねマリオ
アンドレッティも操縦性が曖昧で手応えが
ないと国表だったんだチームがマシンに
改良を加えると徐々に戦闘力を発揮するぜ
よかったわね皮肉なことに当初77の
コンセプトだったサスペンスやブレーキ
ユニットを変更して速さを取り戻したんだ
ぜなんだか虚しい改良ねアンドレッティが
開発のために熱心に働いた結果シーズン
後半から成績は向上し何度か表彰台も
ゲットするぜやっとねそして最終戦の日本
グランプリアンドレッティはレインタイヤ
で最後まで粘りロータスにとって実に2年
ぶりとなる優勝をもたらしたんだぜ一生
できてよかったじゃ
ないロータス79ロータス79は1978
年シーズンに投入されたマシンだコード
ネームはジョンプレイヤースペシャル
マーク4だぜロータスの低迷期を経ても緩
がなかったJPSとのタッグにより
生み出されたブラックビューティと呼ば
れるマシンだぜもう名前聞いただけで早
そうだわ今でも市場最も美しいF1マシン
と言われるぜベタ褒めされてるマシンね
さっきの77とは偉い違いだわ79は
グラウンドエフェクトマシンとして開発さ
れた78の問題点を改良して熟成させた
いわば完成系のマシンだぜなるほどねだ
からベタ褒めされているのね7級はサイド
ポンツーン下のベンチュリートンネルに
スムースな気流を流すことに注意が払われ
ていたぜベンチュリートンネル霊夢にも
分かるように説明するとそこを空気が
流れると速が増し負圧が生じるトンネルの
ことだぜなるほど全然わからないわF1
マシンの床下を空気がスムーズに流れる
ようにしてマシン下の気圧が下がると
マシンは地面に押し付けられるんだだっ
たら早く走れるじゃないそのとだぜ分かっ
てくれて嬉しいぜそれで79はその空気の
流れをよりスムースにするために細いも
コックを採用しサスペンションや燃料
タンクの場所に改良を加えて開発されたん
だだから早かったのねちょっと待て霊夢
1度も7級が活躍したとは言っていないぜ
えあんなにベタ褒めだったのにまさか戦績
は芳ばしくなかったの第6戦ベルギー
グランプリに79が投入されると
アンドレッティは78に乗るロニー
ピーターソンを従えワツフィニッシュする
ぜ2台の7級が投入されたスペイングラン
プリでも見事ワン2だぜ何よやっぱり
早かったんじゃないのまだまだだぜその後
もフランスドイツオランダで
アンドレッティが優勝ピーターソンも
オーストリアで優勝を飾るぜドライバーズ
ランキングでワツを独占
コンストラクターズでもフェラーリに28
点の大差をつけ見事チャンピオンに輝いた
んだぜ私をからかったことを忘れるぐらい
最強だったのね確かにブラックビュー
ティって言われるわけだわ
ロータス91ロータス91は1982年
シーズンのために開発され第2戦ブラジル
グランプリでデビューしたぜ基本的な
デザインは前年度の87を投しているぜ
ロータスにとっては最後のグラウンド
エフェクトマシンだえ早く走れるシステム
なのにやめちゃったのレギュレーションが
変更されたから仕方がないんだぜ前年度の
87はレギュレーションに阻まれ日目を見
なかった88というマシンの名残りを多く
残していたぜ何それ面白そうな話ね88は
ツインシシーという奇抜なアイデアを実現
したマシンだったのさツインシャシーって
名前がもう奇抜だわだがレギュレーション
違反とされ87は88のツインシシ気候を
取り除いたマシンだったのさというわけで
この91にも88の名残りがたくさん見
られるんだぜそれで活躍したのかしら
デビュー戦のブラジルグランプリで
ナイジェルマンセルが5位フィニッシュの
後繰り上がりで3位を獲得したぜ幸先いい
わねでも結局シーズンを通してパッとした
た戦績は残せなかったぜ第13戦
オーストリアグランプリで
エリオデアンジェリスが0.05秒差で
追いすがるケケロズベルグを抑え優勝した
ぜ第13戦でやっと勝てたのねしかもこれ
はロータスにとって4年ぶりの勝利である
とともにシーズン後に救世する
チャップマンの最後の勝利となったん
だロータス98TJPSカラー最後の
マシンとなったのがロータス98Tだぜ
1986年シーズンチームのエース
ドライバーとなったアイルトンセナととも
に速さを発揮したマシンだぜセナが乗って
たのねそうだぜセナは98Tで全166戦
中に勝子ポールポジション8回と速さを
見せたんだ予選でめちゃくちゃ早かったの
ねセナは予選のタイムアタック専用車両と
して9カーと呼ばれるマシンを用意してた
んだぜ予選専用車両があったのまさに
スペシャルなマシンねグラウンド
エフェクト時代の低く直線的なマシン
デザインではなくかなり丸みを帯びた
デザインになっているぜ予選で速さを見せ
たが決勝での信頼出たチームに劣り背
ランキング4位にとまったんだぜ予選が
早かったのに残念だわそしてこの98Tを
最後にJPSカラーのマシンはF1から姿
を消したのさシックでかっこいい
カラーリングだったのに残念ねでもJPS
カラーのロータスは日本人ドライバーと
繋がりがあったんだぜえそうなの一体誰と
繋がりがあったのよ落ち着け霊夢それは
中島悟だぜあ鈴鹿サーキットレーシング
スクールの校長先生だ覚え方が独特だが
まあいいぜちなみに今の校長は佐藤琢磨だ
ぞ話がそれたから元に戻すぜ1982年
全日本F2選手権を戦っていた中島は
JPSカラーのマシンでシリーズ
チャンピオンを獲得したんだぜすごいわ
JPSトロフィーと呼ばれたJPSが冠
スポンサーのレースに勝利した中島は
1983年にJPSロータス91をテスト
ドライブする機会を得たぜえ中島悟が
テストしてたのそうだぜしかも中島は
1987年からフルタイムF1ドライバー
としてロータスでデビューするんだぜ素敵
ねじゃあ中島はJPSカラーのマシンで
かっこよく走ったのね残念だったな霊夢
中島の登場で忘れてしまったようだが
JPSカラーのマシンはロータス98Tで
終わったんだぜだから中島がF1デビュー
した時には存在しなかったのさあそうだっ
たわ中島がロータスでデビューした時には
キャメルカラーだったのさマッキ色ね
しかもラダだわキャメルもF1を代表する
スポンサーだがキャメルの話はまた今度
な蘇ったマシンカラーあれJPSカラーの
F1マシンはもうないんじゃないのそうだ
ぜだからタイプ622はF1マシンじゃ
ないぜ英国のコーチビルダーである
ラドフォードがロータスタイプ62に
オマージュを捧げる2シータークーペだ
なんだ一般車なのねだがただの一般車じゃ
ないぜ限定62台しかもジョンプレイヤー
スペシャル使用はわずか12台しか生産さ
れないぜ12台だけジョンプレイヤー
スペシャル使用は最高出力608PSを
発揮するぜスタイリングも大型のフロント
スプリッターエアインテイクリア
ディフューザーにより空力性能の向上を
測っているぜスーパーカーってやつね
ラドフォードの共同死者で開発テスト
ドライバーも務めたジェンソンバトンは元
F1チャンピオンだぜジェンソンバトンは
JPSカラーがF1のヒーローである
エマーソンフィッティパルディア
アイルトンセナがレースで使用し私が
ドライバーになりたいと思うきっかけと
なったとコメントしているぜ憧れの
カラーリングだったのね加えるものはカサ
だけというロータス総子者降臨
チャップマンの哲学に基づき長形量の
アルミ製シシにカーボンファイバー製
ボディとインテリアで乾燥重量は
1000km以下を実現したぜすごいわね
3.5LV型6気筒スーパーチャージャー
ユニットをミッシップに搭載して6速
マニュアルトランスミッションでリアを
駆動するぜモンスターマシンねJPS
カラーがを加えているぜシックな気品
溢れるカラーリングとは裏腹に
チャップリンのアイディアとともに確信的
な技術を搭載したマシンでF1で輝いた
JPSロータスのマシンたちに注目したぜ
どのマシンも特徴的なカラーリングで素敵
だったわ漆黒にゴールドのピンラインの
カラーリングはファンの心に焼きついたん
だぜその通りねたった12代だけどそんな
ヒストリーを持つカラーリングが現代に
復活するのはワクワクするぜ続いてはこの
動画だぜ霊夢はF1日本グランプリが鈴鹿
開催になるきっかけを作ったマシンを知っ
ているかそんなマシンがあるのね気になる
わしかしそんな奇跡のマシンにはとんでも
ない波乱板上のストーリーがあるんだぜ
じゃあ今回はロータスQQTについて徹底
解説していく
ぜ最強の組み合わせのはずだったロータス
qqtはチームロータスが1987年にF
1投入したマシンだロータスは楔型マシン
形状やグラウンドエフェクトカーなどF1
に革命をもたらしてしたんだ常に変革して
きたチームなのねそうだぜ60から70年
代でコンストラクターズタイトル7回
ドライバーズタイトル6回を獲得した名門
なんだ走行時のみに車高が低くなり
グラウンドエフェクト効果が生まれる
ツインシシーを搭載した88を開発したぜ
発想や開発力がえぐいわねだが
レギュレーション違反となりお蔵入りした
それはショックだわだが前をむくんだ
マシンの姿勢変化に応じてコンピュータ
制御と油圧でサスペンションが調整させる
脅威の技術アクティブサスペンションを
開発したんだ1980年代でそれを作れ
るって今考えると恐ろしすぎるわツイン
シャーシの大体として考えていたみたいだ
ぜ諦めない姿勢は見習わなきゃだわ霊夢
いいことを言うじゃないかそんなチームが
ロータスQQTを作ったんだぜワクワク
しかないじゃないのそれにこのマシンは
日本人にとっては馴染みがあるんだなぜな
のこの年中島悟が日本人初のF1
ドライバーとなりロータスからデビューし
たからだぜ雨の中島で伝説のそうだぜ日本
が誇るレジェンドだ中島のチームメイトは
アイルトンセナだった今思うと胸あねまだ
驚くのは早いぜマシンにはホンダV6
ターボエンジンが搭載されていたんだこの
エンジンは前年86年のチャンピオン
エンジンだすごいわこのマシン相当期待
できるわそう思うだろえロータス99Tは
ロータスが80年代のF1で培ってきた
技術の決勝だった全然不安を感じる要素が
ないじゃない俺だって最初はそう思ったん
だQQTのモノコックは前年86年の9T
を引き継いでお姿一体整形を採用した前年
の進化型だからいいじゃないのだが87年
にはすでに目方一体整形のモノコックが
有効していて今のF1で主流となっている
んだえそれじゃトレンドを外したのいや
当時目設計の自由度がまだ高くなかった
ためロータスはあえてお姿を選んだ
ちゃんとと考えていたのねもちろんだ
さらに蔵入りしていたアクティブ
サスペンションが再び日の目を浴びるんだ
そうだったのね83年のアクティブ
サスペンション開発に携わっていた
ピーターライトが中心となり進めていたぜ
これはマシン搭載の当感から速度加速度
空気密度各部設置された20種以上の
センサーからのデータを元にしてロール
バーの下に収められたブラックボックスに
含まれるコンピューターが油圧式
アクチュエーターを制御するものだった
めちゃハテじゃないのそそうだぜリアル
タイムでマシンを理想的な姿勢にして
くれるものだったそれなら楽勝ねそうあっ
て欲しかった
え思惑が工作して生まれた予想外の産物実
はこの組み合わせは様々な思惑が工作して
生まれた結果だったどういうことなの86
年ウィリアムズホンダが
コンストラクターズタイトルを獲得した
ことである人物がホンダエンジンに目を
つけたんだ誰なのアイルトンセナだった
セナはこの時ロータスで2年目のシを迎え
ていたさすがセナねそうだなでもなぜセナ
はホダエンジンがいいと思ったのある
レースでセナがウィリアムズのマシンに
抜かれた時エンジンのポテンシャルが気に
なったんだそれがきっかけでチームに本田
エンジンを搭載するように信言していた
そればかりか直接本田川とコンタクトを
取っていたんだぜすごい行動力ねそれほど
衝撃だったのねそうだぜだがホダ川は第1
期時代に定型を吐きされたことが大引き
エンジン供給に何色を示していたんだ
ピンチじゃないのそこで救世主が現れたん
だ誰なのアランプロストだったプロストも
ホンダエンジンのポテンシャルに着目して
いたんだ抜け目がないわねそう言ったら
セナもだろセナは特別よプロストも所属し
ていたマクラーレンにホンダエンジン搭載
を働きかけたんだチーム代表ロンデニスと
一緒にホンダに定型を持ちかけたぜセナと
プロストの動きが一緒でビビるわ後に因縁
の相手となるが不思議な縁があるんだろう
なさらににホンダエンジンを望んでいた
セナのためにマクラーレンのシートを開け
ておいたんだデニスも抜け目がないわね
これが実現したら87年にマクラーレン
ホンダでセナとプロストのコンビが誕生し
たはずだったそれだけじゃない
ウィリアムズホンダではピケとマンセルの
組み合わせだ今思うと強すぎて引くわねで
もそうなっていないよねそれがポイントだ
ぜ実際本田関係者でもこの夫人を指示する
ものも多く87年からのマクラーレンとの
定型は進むかに思われただが一方である
人物が別のシナリオを考えていた今日は
キーパーソンが多いわね誰だったの第2期
ホンダF1総監督の桜井吉とだぜ日本にF
1を根付かせるためには日本人ドライバー
の存在日本でのF1開催レース中継が必要
だと考えたこの時本田は中島悟をサポート
して中島はウィリアムズのテスト
ドライバーを務めていたんだそういえば
本田は中島をウィリアムズのレギュラー
ドライバーにしようと働きかけたぜ
エンジンをしているからそれぐらい言って
もいいわそうだぜだがウィリアムズはこの
提案を拒否したんだえそのため桜は中島を
F1に参戦させる方法を試案した結果
ロータスに行きついたロータス代表
ピーター号が準備したJPSロータス
ホンダの計画案をホンダ車内で提案した
スポンサーのJPSが財政面を保証セナを
ドライバーとして起用するものだった
マシンの色かっこいいわねああ生かしてる
ぜさらにテクニカルディレクターを
ジェラールブルージュにする条件だった
それでどうなったのホダ側はこの提案を
承諾して87年からロータス2エンジン
供給を決めたんだ良かったじゃないだが
約束がすぐ破られたんだそんな86年末で
JPSがスポンサーを降りることになった
んだ計画案にもろ書いてあったじゃないの
だが棒は食い下がるJPSの代わりに
キャメルと交渉してスポンサーとして
迎え入れることに成功したんだすごいわね
JPSはスポンサー額も少なくなっていた
こともありキャメルとスポンサー契約をし
た時点でJPSと契約を解除した財政面で
の影響を解消したんだだがいきなりの契約
違反に本田川もロータスとの契約解除の
可能性も生まれていたんだ過去に1度定型
を破棄されていたもんねその通りだ今日は
冴えているな失礼だわこの時中島が
ロータスからデビューする筋書きで鈴鹿で
の日本グランプリ開催フジテレビのF1
中継開始の動きが進んでいた後には引け
ない感じねそのためタストの契約破棄が
できずマクラーレンへの乗り換えもでき
なかったんだ皮肉にもこの出来事があって
ホンダエンジン中島セナの組み合わせが
誕生したんだ意外とこういうことで伝説が
生まれるのね俺も霊夢の言う通りだと思う
な仮にホンダが契約吐きしてマクラーレン
に乗り換えていたらぞっとするんだぜ日本
人F1ドライバーも日本グランプリ開催も
中継放送も存在しなかったかもしれないん
だた確かに日本でF1が定着したのはある
意味跡とも言えるん
だ人生を彷彿とさせるほ2結末こうして
ロータス99Tには中島とセナのコンビで
ドライブすることになった期待しかないわ
だが99Tにいきなり懸念点が生まれる
なんでなの開幕前テストで背空力性能に
疑問を呈したチャンピオンは愚か勝つこと
も難しいだろうとえ前年からの設計を
引き継いだがそれがあ隣なりグリップ不足
ドライバビリティの低下につがったんだ
それだけじゃないぜまだあるのアクティブ
サスペンションだ武器だったはずじゃ
なかったの一旦お蔵入りしてから成熟され
たと思われたが複雑な制御にコンピュータ
処理が追いつかなかった結果ワン店舗遅れ
ての動作などにつながり時には限界を超え
てフリーズしたり制御不能な状態にもなっ
た今の時代なら行けたかもしれないけど
当時ではアイデアが斬新すぎたのねそうだ
なそれでもセナアクティブサスペンション
の使用を希望したどうしてなのマシンの
空力性能が過ぎたためだそんなに空力が足
を引っ張ったのね結局シーズンを通して
搭載されたぜだが利点もあった決勝レース
中のタイヤ負担を減らす効果があったんだ
それなら良かったわただ予選ではタイヤに
熱が入りにくく苦戦する場面もあったセナ
は通算65回のPPを獲得するがこの87
年は1度しか獲得できなかったほどだそう
言われると厳しさが伝わってくるわ平均
速度が遅い市街コースではアクティブ
サスペンションの悪影響が少なかったため
モナコグランプリデトロイトグランプリ
などの市街一コースで背に連勝したがこの
シーズン勝利はそれだけにとまったそれで
も勝つなんてさすがせなね一方同じホンダ
エンジン搭載のウィリアムズはPP12回
急勝を獲得したことを考えるとマシンの
戦闘力不足は明白だった空力性能が乏しく
アクティブサスの不安定もありこの年
デビューの中島にとっては厳しい環境だっ
たそうよね特にドライバーはマシンの姿勢
変化を感じ微妙なアクセルワークや
ステアリングを操るんだアクティブサスが
姿勢を正そうとするため中島にとっては
マシンの限界を探りにくくさせたんだ
デビューしたばかりでマシン特性をつめて
いないものねそうだなセナは前年もマシン
をドライブしていたから慣れていたしなふ
にも大型の車載カメラがマシンに取り付け
られたんだ元々アクティブサスで重量増加
の影響があり空力も厳しくさらにカメラは
この両方に影響を及ぼすことになった
いくらなんでもきつすぎるわ少なくとも
これがハデとなったんだその上セナとの
待遇さもあったこの状態で結果を出せと
いうのがひどすぎだわそれでも中島は表彰
台こそなかったものの4度の入賞を果たし
たんだすごすぎるわ本当にその通りだ
マシンを改善しなきゃだわだがお金が
なかったんだえそのためドライバーの要望
もあったがマシンを大きくアップデート
できなかったそのことがある人物の心を
揺さぶった誰をせだったチームに不審感を
抱いたせはシーズン中盤頃から
マクラーレンと遺跡交渉を行った第10戦
オーストラリアグランプリ終了後に翌88
年からマクラーレン加入が決まったんだ
動きが早いわねF1は生馬の目を抜く必要
があるからなそしてホンダも87年で
ウィリアムズと定型を終了しセの跡を応用
にマクラーレンにエンジン供給を決めたん
だ皮肉にも伝説のマクラーレン本田誕生に
つがるんだ伝説って本当に皮肉なものね
そうだなせな離脱後中島のチームメイトは
王者ネルソンピケになったまたも強力な
相手ね翌88年のロータス100Tも
パフォーマンスが伸びなやんだ加えてピケ
との高額な契約金の影響もあってマシン
開発が思うように進まなかったんだまたお
金の問題なのいい加減にして欲しいわそう
いうなF1はお金がかかるから仕方がない
一面だぜさらに翌89年はホンダエンジン
を失いロータスは低迷することになるんだ
そうなの全盛期の輝きを失い1994年に
F1撤退したんだぜロータスQQTは
チームの撤退の一方で中島のF1デビュー
と伝説のマクラーレン本田を生み出すこと
になるんだそのため換気と悲劇を共存して
いるマシンと言えるんだそう言われると
いろんな意味ですごいマシだわそれゆえに
今も語られているんだろうな日本人F1
ドライバーとして道を切り開いた中島さん
のとしを紡いで日本人初優勝を見てみたい
んだぜ角田と岩君というめちゃくちゃ期待
できるドライバーがいるしねそうだぜ他に
も印象に残る伝説のF1マシンがあれば
コメント欄で私たちに教えて欲しいんだぜ
よろしくお願いするわそれでは本日も最後
までご視聴ありがとうございましたごた

#F1 #F1総集編 #角田裕毅 #中嶋悟

【チャプター】
00:00 F1伝説のセナの技術がエグすぎる?ロータス時代のセナ
22:01 禁断のタバコマシン?JPSロータス5選
35:55 セナ中嶋が絶望した操縦不能マシン。名門を崩壊させた駄作

【動画で引用している画像について】
当チャンネルでは、動画の内容に関連する画像を補足的に使用しております。
各画像の引用元は、下記に記載の通りです。
https://sites.google.com/view/f1yukkuri/4%E6%9C%88%E7%B7%8F%E9%9B%86%E7%B7%A8

動画制作においては、画像の引用ルールを順守し、著作権を侵害しないように努めております。万が一問題がございましたら、大変お手数ですが記載のメールアドレスまでご連絡いただけますと幸いです。

▼背景素材
Ahmad Gulabi様

7 Comments

  1. コーリン・チャップマンは色んな意味で先駆者でしたね。スポンサーカラーを真っ先に取り入れたり、ベンチュリ―効果をマシンに取り入れてウイングカーを最初に作り出し、更にその発展形のツインシャーシを生み出しましたね。但しツインシャーシは禁止になりましたけど。

  2. あれ?
    セナの赤白の前のマシンって黄色じゃないの?
    Candyトールマンは、後のベネトン。ベネトンは後のルノー。じゃ無かったかな。

  3. フェラーリは、F1はタバコは吸わないって言ってたよね、エンッォかな?

  4. セナ・プロF1ブームの頃、セナがJPSカラーのロータスに乗っていた過去を書籍で知り興奮したのを覚えてる。
    いや〜エマーソンと同じカラーのロータスに乗るセナ、カッコ良過ぎ❕❕❕