東日本大震災の復興のため全国から駆けつけた災害支援バスの物語【ゆっくり解説】

ようこそゆっくり鉄道博物館へ2011年 3月11日の東日本大震災発生後に全国 から支援のために駆けつけたバスの話を するぜあの忘れられない大災害の話なのね 地震の発生後地元のバス事業者は被災地で の輸送に尽力したし全国のバス事業者も 支援のために立ち上がったんだなお今回の 主題はあくまで被災値の支援ではあるけど 自信や津波の被害に言及したりせざるを得 ないので視聴の際にはご注意くださいそれ では早速 てこ2011年3月11日14時46分に 東北地方太平洋置地震が発生した観測市場 最大のマグニチュード9.0の地震は太平 洋沿岸の各地に巨大な津波を到来させた 揺れと津波によって岩手宮城福島の東北 地方産権を中心に人台という表現でもまだ 足りないくらいの大きな被害が出たんだよ ねこれが東日本大震災だなこの震災では バス事業者の以外も深刻だった例えば宮城 県気仙沼市にある宮子バスの気仙沼営業所 では車屋と停車中のバスが全て津波で流さ れてしまったんだ宮子バスグループが失っ た車両は31台にもなったぞ津波の容赦の なさって本当に恐ろしいわ営業所の周りで 自慢鎮火が起きたこともあって津波の水は 半年間も引かず近寄ることすらできなかっ たぜ半年も水が引かないなんて想像を 絶するわただし私の調べた限りでは運行中 だった路線の乗客がなくなるという事態 だけは避けられたようなんだそれは本当に 不幸中の幸いだわ営業所に津波が迫る中で 多くのバスを高台へ逃がすことに成功した 事業者もあったバスを運転して避難した 運転士たちの中には結果的に自分の車は 津波で失ってしまったという人も大勢いた だけど運転士たちは業務命令とかではなく 自発的にバスを運転して避難したそうなん だなんというプロ意識頭が上がらないわ そうだなもちろん彼らの行動は立派なもの だだけど彼らの上長に当たる人は震災後に もしも次の震災があるとしたらバスよりも 会社の財産よりも1番に自分の命を守って ほしいとも語っているんだ確かにそうだよ ね全ては命があってこそだねバス事業者の 被害の話に戻るけど特に三陸地方に路線を 持つバス事業者は津波への対応を マニュアルに記していたところも多く従業 員の津波に対する意識も高かったこのこと が津波被害の規模の割にはバス事業者の 被害が小さかった要因だと考えられる普段 からの備えが本当に大事なのねなんとか 無事な車両と運転手を確保できたバス事業 者は発災直後からバスの運行を続けた 何しろ鉄道はほとんどの路線が被災して

しまったし津波によって各地で合計およそ 40万台もの自用者が流出していた40万 台避難所には家も車も失い木のみのままの 人が溢れていただから避難所から医療施設 や商業施設や入力施設へ向かうバス路線が 多く解説されたボランティア戦や復旧現場 へ関係者を運ぶ貸し切り車両も頻繁に運行 されたんだとにかくバスでなければ人の 移動もできない状態だものねそれに鉄道も 被災していたから代行バスを運行する必要 もあったバスの需要が震災前をはかに 上回ることになったんだ需要が増えたって 言っても津波で失われちゃったバスもある んでしょ需要に答えきれないんじゃないの もちろんだ岩手県と宮城県では乗り合い バス59台と貸し切りバス134台が被災 していたしさっきの沼のように地域のバス 営業所が壊滅した例もある地元のバス事業 者だけで到底どうにかできる状況では なかったんだ助けが必要だねそこで全国の バス事業者から支援が寄せられた岡山県の 両日バスでは地震発生後すぐに東北地方へ 譲渡できる車両のピックアップを始めた そして無償譲渡されたバスは岩手県大津町 で活躍した大津町では町内の貸し切りバス 14台のうち13台が使用不能になってい たから本当に助かったことだろう大町って 町長が津波で亡くなったところだよね本当 に甚大な被害だったんだね日本バス協会の 呼びかけもあって小田急バス京王電鉄バス 横浜市交通局名鉄バス名古屋市交通局近鉄 バスJR四国バスといった全国の事業者の バスが東北地方を走ったり現地のバス事業 者に譲渡されたりしたんだ日本中のバスが 東北地方へ集まったの ね路線バスだけでなく高速バスも被災地の 復旧復興のために力を発揮したぞでも地震 の後は高速道路だって壊滅状態だったん じゃないのもちろん東北地方各地の高速 道路が通行止めになってしまったでも 大きな打撃を受けた箇所の1つである常磐 自動車道のミトインター中インター感で さえも3月17日に復旧作業を開始して 23日の夜には通行再開の見通しがついた このことは海外のメディアからも驚きを 持って報じられたんだたったの6日間で 本当に脅威的な速さね東北新幹線は長期間 の運休をよぎなくされていたし東北地方の 空の玄関口である仙台空港も津波で浸水し てしまっていただから被災地と遠方の各地 を結ぶ交通手段はもはや高速道路しか なかったんだよ高速道路が被災地の生命線 だったから復旧に全力が注がれたのね さらに高速バスが緊急車両に指定された ことにより復旧したばかりの高速道路を

通行できるようになったおかげで3月16 日には早くもJRバス東北の仙台と東京を 結ぶ高速バスが運行を再開したんだ おそらく震災後発の仙台発東京行きの公共 交通期間だね当時の高速道路にはまだ段差 も残っているというような状況だったけど 高速バスは被災地から避難する人を運び そして多くのボランティアや復旧復興事業 の関係者を東北へ運んだ高速バスについて も震災前よりも大幅に需要が増えてやはり 応援が必要になったんだそれはそうだよね そこで一例としては京王バスが運行する 新宿渋谷仙台線の続行便つまり増車する分 を富士急行グループのバスが担当すると かして輸送力の確保が行われたんだ富士 急行って本来山梨県が基盤の会社だよね それから東北地方内で完結する高速バス 路線も重要で震災翌日の3月12日には 早くも仙台と古川を結ぶ路線など仙台を 発着する多数の高速バスの便の運行が再開 されているんだよく震災翌日に走れたわね 3月181日には江南バスなどの事業者が 仙台広崎線の運行を再開しているこの震災 では出張などで東北地方に来ていて地震に 遭遇してしまったという人たちもいたのだ けど高速バスで広崎に向かい青森空港から の飛行機で自宅の方へ戻れたというケース もあったんだ高速バスが運行を再開した ことに助けられた人がたくさんいたんだね それから高速道路はまさに生命線だったと さっき霊夢が言ってくれたけど高速道路が 直接人命を救ったケースもあたんだ直接 仙台市で宮城交通が運行していたバスが 地震発生後直に安全な場所まで避難する ことになったこの地域では南北に走る仙台 東部道路の森口で津波がほぼ止まったから 道路の西側に避難することでバスは南を 逃れたんだ高速道路が防波堤になったのね 高台を通っている三陸循環自動車道の付近 の住民が道路へ上がったことで津波から 逃れられたというケースもあったそれに 高速道路の津波による被害は一般国道と 比べればはかに警備で救急患者の搬送や 救援物資の輸送に重要な役割を果たしたん だ高速道路がなかったらよりたくさんの 人命が失われていたかもしれないわねまあ 防波堤や避難先というのは高速道路の本来 の役割ではないと思うけれどいざという時 の命の道にもなるとして国交省とかは高速 道路整備の必要性を強調しているぞ高速 道路の整備にはただ早く移動できるように なる以上の効果もあるのねさて全国各地の バス事業者が被災地の支援に当たっていた のだけどバスを提供した事業者の中には 大阪市交通局もあったんだあれ大阪市交通

局って民営化されたんじゃなかったっけ 2018年4月1日に民営化されているよ 地下鉄ニュートラムは大阪メトロに 引き継がれてバス事業は大阪シィバスに 引き継がれたんだ2011年の時点では まだ大阪市Aバスだったのね大阪市交通局 が東北地方へ送り込んだ2台の市営バスの 車両は大きな話題を読んだんだぜ 仙台市からの支援要請が大阪市交通局に 届いたのは震災当日の18時だった交通局 の職員は直に大阪市の支援物資を2台の バスに積み込み運転手を手配した支援物資 は毛布1800枚カパ1万食乗り込んだの は運転士6名と管理職1名仙台市営地下鉄 の被害状況を確認するために派遣された 土木部門の管理職1名の合計8名だったん だ大量の毛布とカパ3月の北地方ではすぐ にでも必要になりそうだねところが準備が 整った時点では仙台へ出発しよにも観光長 への証人が取れなかったしかも悪いことに 震災の翌日は土曜日だったんだそういえば 東日本大震災が起きたのは金曜日だったわ ね役所の常識で言えば証人が取れるのは3 月14日の月曜日ということになって しまうしかし東北地方の被災状況が深刻な のは遠方の大阪からでも容易に想像できた んだ証人なんかよりもいち早く出発して 東北にたどり着くことの方が大事じゃない のそういうわけで3月12日土曜日の11 時半頃2台の市営バスは観光調の証人の ないままに東北に向けて出発した交通局の 担当者は帰ってきたら一緒に怒られましょ かの一言で運転士を送り出したんだ偏見か もしれないけれどものすごく大阪の人 らしいと思えるわ路線バスの車両は運転席 以外の座席にシートベルトがないといった 理由で高速道路を走行することはできない だから16時間もの時間をかけて一般道を 走って翌13日の午前4時に仙台へ到着し たんだ本当に長い道のりに感じられたん だろうな2台のバスが運んだカパと毛布は 避難所に配送されてカパは早速その日の 朝食として提供されたんだ商人なんか待た ずに大阪から飛び出したことの意味は あまりに大きかったわね2台のバスはその 後も被災地にとまって使用された後に岩手 県構しへ無症状とされたんだそれにしても 大阪を出る時に一緒に怒られましょかと 言っていたけど関係した人たちは大丈夫 だったのかな関係者たちのその後について 確かな情報は得られなかったから推測に なるけれどおそらく大丈夫だったんじゃ ないかな事態が事態だもんね当時の大阪 市長だった平松邦吉は3月11日のうちに 関係する職員を全て集めてやれることを

全部やれと命じたそのようなことを 2020年に語っているんだ少なくとも 大阪市の内部で問題になったということは ありえないと思うし市長に言われたように 行動した職たちが処分されたなんてことは まず考えられないだろう交通局の職員は まさに市長の言う通りやれることをしたん だものねそれに観光長の証人を得てい なかった件だって証人よりも被災者たちの 支援を優先したという判断をまさか問題視 したりしないだろうそうだよね身を尽くし のマークが目立つ大阪市のバスが雪のう 東北地方を走る写真は被災地のみならず 全国的な感動を呼んだんだぜあんな遠く からよくぞってきっと現地の人たちは思っ たことよねこれまで発明した大阪市交通局 や両備バス以外にも東京都交通局からの およそ60代をはめとして東北地方のバス 事業者に合計150代のバスが無償提供さ れたそのほとんどは現地のバス事業者の 塗装に塗り変えられて活躍しただけど中に は譲渡元の塗装のままで走り続けるバスも あるん だ宮城県を走る宮子バスの路線バスの車両 は基本的に白地に赤帯の塗装なんだけど 石野巻市では1台だけクリーム色の帯に オレンジ色の車両が走っているこれは譲渡 元である兵庫県の新規バスの塗装で譲渡後 も新規バス時代の塗装のまま使われている んだ兵庫県ってまた関西のバス事業者だね 新規バスは兵庫県姫路市に本社を置き姫路 や神戸明石とかでバスを運行している会社 だ関西特に兵庫県と地震の関係は1995 年の阪神大震災を抜きに語ることはでき ないよな阪神大震災の時は兵庫県に対して 全国から支援が寄せられただ新規バスが 被災地を支援したのはその時の恩返しと いう意味もあるのかもしれないわね東北 地方で復興事業に従事するボランティアの 中にも阪神大震災を経験した関西出身者が 大勢いた彼らの中には新規バスから譲渡さ れた車両返しの巻で走っているのを見て 新規バスおるやんと叫ぶ人もいたそうだ 復興のために頑張っているボランティア たちへのエールにもなったのねバスが譲渡 された時のエピソードも紹介しよう 東日本大震災から1年が経った頃バスは 2003年式の日のレインボー1台を都行 バスの親会社である宮城交通へ譲渡する ことにした車両の輸送については専門の 運送業者に運んでもらうつもりだったそう なんだま普通はそう考えるよねだけどそれ を聞いた新規バスのある社員は会社に直訴 したんだ我々バスの乗務員としては我々で 持っていきたい思いを伝えたい何それ目頭

が熱くなるわ思いが通じて新規バスの社員 2名の手によってバスは自装して石の巻へ 向かうことになった運転した社員のうちの 1人は阪神大震災で従をなくしていてその 時のことが蘇ったと話しているよ自分も 震災で辛い経験をしていたからいてもたっ てもいられなかったのかしらねこのバスも やっぱり路線バスの車両なんだから一般道 を走っていったんだよねそういうことに なるな宮城県へ向かうバスの車内には子供 が書いた東北への激励の絵が貼られていた またバスの前面にも応援メッセージの 寄せ書きがされた幕が掲げられたんだ 寄せ書きの中にはやはり阪神大心歳の時の 恩返しだという胸のものもあった辛い経験 をした人たちだからこそ遅れる思いがある んだね新規バスを代表してこのバスを持っ ていくんだという一種の重圧を感じたと もう1人の運転士は語っているよもはや ただの1台の車両じゃなくて新規バスや 地元の人たちの思いが詰まったバスだった のね現地にたどり着いたその運転士は津波 の被害を受けた地域の何もなさおの当たり にして改めてショックを受けたそうだ阪神 大震災も大きな災害だったけど津波はい ないもんね無事に宮城交通へ譲渡された バスは子会社の都行バスがさっきも言った 通り新規バス時代の塗装のまま運行して いる車体後部にはこのバスは新規バスから 宮子バスへ送られた支援バスですという ステッカーが貼られていて譲渡時に掲げら れていた寄せ書きの幕も車内に掲示されて いるんだ譲渡した時のままの姿で走って いるのねこの姿は新規バスの被災地への 思いと宮子バスから新規バスへの感謝の 思いを今に伝えていると言えるよな末長 走ってほしいわ ね東日本大震災の後もバス事業者が被災し てバスが不足した際には他の地域の事業者 が支援するという流れが続いている例えば 2019年10月には台風19号による 豪雨で福島交通の郡山営業所が水没して 多数のバスが失われてしまうということが あったあの台風も凄まじかったよね長野県 では北陸新幹線の車両基地が水没しちゃっ たしこの時は東京と交通がわずか数日で 福島交通へバスを提供してその後無症状と された迅速に提供できた背景には東日本大 震災の時の経験があったそうだぞ震災の 教訓を生かしたんだね2021年2月13 日には福島県宮城県で震度6教を記録する 地震が発生した東北新幹線が一部区間で 10日間ほど運休となったため羽田空港 から仙台花巻福島空港へ臨時の航空便が 設定されたんだいずれも普段は羽田からの

便が飛んでいない空港だねそして高速バス も例えば東京と仙台を結ぶ路線が1便に月 4台で運行されたりしたんだ東日本大震災 の時も高速バスが活躍したんだったわね しかし高速バスの増発や増車を行うにも 車両の数には限りがあるそこで様々なバス 事業者が増発に協力したんだ他者による 迅速な応援が実現した背景には当時は コロナの緊急事態宣言化にあって運休して いる高速バス路線が多く各社のバスの運用 に余裕があったということがある緊急事態 宣言なんかもはや懐かしいわねそれに加え て東日本大震災の翌年の2012年に 貸し切りバス委託型管理の獣委託という 制度が始まったことも大きいんだなんだ そりゃあるバス路線の輸送力が不足する際 なんかに輸送力増強のために他者へ運行の 一部を委託する管理の住宅の1つの形だ 2012年からは乗り合いバス事業者の 路線の運行を乗り合いバス事業車だけじゃ なくて貸し切りバス事業者に委託すること もできるようになったんだ応援に入って くれるバス事業者をより柔軟に確保できる ようになったんだね実は貸し切りバス事業 者への委託制度が検討されていた最中に 東日本大震災が発生したんだそこで制定前 のこの制度が特例として適用されて被災地 への高速バスの運行を助けることになった ぜ高速バスの活躍の背景にそんなことが あったのねこの制度が活用されるのは災害 発生時に限らない規制ラッシュのような 繁忙機にも高速バス路線の便の1号車は 本来運行しているバス事業車が運行して これに続行する2号車は貸し切りバス事業 車がツアー用のバスを使って運行すると いった形で活用されているんだよ普段から 役に立っている制度なのね東日本大震災 からの復興のために全国から駆けつけた バスについて解説したけどどう思ったかな 大阪市や新規バスを始めとしたバス事業者 の温かい支援に回復したわ今回はバスの話 だったけど全国から支援が寄せられたのは 鉄道も同じだ多大な被害を受けた jr東日本やJR貨物へJR東海や jr西日本が飲料水や経由を提供したり そのグループ会社が遠路ハバル東北にやっ てきてjr東日本の路線の復旧工事に従事 したりしたjr西日本もやはりこの支援 活動に関して阪神大震災の時の恩に報いる と言っているよ京急や西鉄といった施設も 東北新幹線の復旧工事の現場に工事用の 車両を貸し出したんだついででしょするの はもったいないエピソードだわこのように このチャンネルでは鉄道やその他の交通に 関する話題を解説形式で分かりやすく

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鉄道による被災地支援の解説動画↓

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権利表記
画像
https://docs.google.com/document/d/1Z_SDCaGBxgUwg48s6WCYPzBSWnM-7C-FyR3DgcAaZ9A/edit

参考文献
https://docs.google.com/document/d/1zBfXlFexv0PiNTxUiQH7ct1evfslIddb-XeeMXZPYjg/edit

BGM
 OP 『Dramatic train』 TAM Music Factory
 劇中 曲名『Train』 作曲 Ryu Ito            https://ryu110.com/train/#google_vignette
鉄道唱歌-First Train Arrange-【DL】
    高宮いぬかみ -旧 高宮魔女-

#鉄道 #ゆっくり解説 #バス

46 Comments

  1. 当時の民主党政権を叩く自民党奴隷が多いケド
    こういう話聞くと、民間、自衛隊、道路公団は
    みんなの為に即決即断で動いていたんだよな
    自民党議員が足引っ張ったのは絶対忘れない
    今回の能登震災もそうだけど、米軍への救助要請は難しい

  2. 阪神の震災経験者です。
    バス会社の方はもちろん、道路、航空、鉄道の関係者、法律を含め、国や自治体も一体となって動いていたことが良くわかるエピソードでした。

    あの辛い経験の時に寄り添ってくれるだけで凄く心強いことを知っています。
    阪神の震災を教訓に後の大災害へ生かされていることに良かったという思いと、恩返しをしたい、という強い思いが思い起こされて思わず涙しました。

    後世へ受け継がれるための貴重な動画の作成ありがとうございました。

  3. 大災害発生時に”決まり・規則・ルール”等にこだわってたらなんにも出来ないですもんね

  4. 大阪市交通局、ルールを無視して支援するの粋すぎる

  5. 民主党政権時は柔軟に対応できていい時代だったと思う。
    東北震災が自民党、安倍政権で起きていたら福島の地に人が立つことができなくなったのだろう。

  6. 世の中捨てたもんやないですね。ええ話過ぎて涙腺崩壊しましたわ。大阪市交通局の皆さん、皆漢過ぎてカッコイイです。同じ大阪人として誇りに思います。

  7. 当時は宮城で仕事していた者です。感謝しかないです。ありがとうございます。

  8. 大阪市民です。大阪市交通局といえば、戦時中にアメリカの空襲から市民を避難させるために、上の許可なく現場判断で地下鉄の施設を解放させたことありましたね、

  9. 東日本大震災の時、福島原発周辺の方々の避難所への、避難に、みちのりグリープの茨城交通が、菅政権の大畠大臣の指示で、高速バス、観光バス90台で、駆け付けて、避難の手助けのしています!又、令和元年の台風19号で、福島交通郡山営業所の水没被害では、旧日立電鉄交通サービスの高速バス、161号が、無償譲渡で、駆け付けています!

  10. 自分の実家は内地だったので特に被害は無かった(物が倒れたとか落ちて来たとかそういうのはあったが)けど、気仙沼の知り合いが家を失い或る程度の期間実家に泊め風呂を含め衣食住のお世話をしたと母が語ってたなあ… 家自体には大きな実害は無かったがまだ寒い3月に停電が何日も続いたのが相当しんどかったとか…

  11. 神姫バス譲渡車は、令和6年の今も現役で市内を走り回ってます(^^)
    某バス旅でも登場したよね~

  12. 現大阪シティバスの車両が仙台に送り込まれたのを新聞などで見たことがあります。

  13. 各地のバス事業者が、被災地に向けて車両や人員を手配した。
    そしてそのバスの燃料となる石油を、JR貨物は運んだ。
    どちらが欠けても、この支援は成り立たなかった。

  14. 恩返しというより、明日は我が身。
    むしろ明日かもしれないと思って備えていたら、離れたところで発生した。

    阪神間生息者の自分にとって3・11はそんな感じでした。
    両備バスも神姫バスも大阪市交通局も、そんな感じだったんでしょうね。

  15. 今回の動画はとても心に残る良い動画だと思いました。みんながあの震災で自分たちにできることを精一杯やってきたと言うことが今回改めて知ることが出来ました。

  16. 気仙沼から失礼します。
    震災直後、北陸鉄道カラーのバスが、金沢ナンバーのまま地元の御崎線に使われていたことを思い出しました。
    気仙沼でも昨年まで都バスカラーの車両が活躍していて、ナンバーを失った今でも、営業所の片隅でゆっくり休んでいますよ。

  17. 大阪の人達は某吉ノ本みたいに阿呆な事はやっても
    人道から反する事はしないんですよね(^^)

  18. 色んな面で支援活用されたんですよね。この時実は支援の自衛隊車両など救援車両は開通前の新東名静岡区間を走行していたりします。僕は地元大阪なんで色んな話聞きます。僕の父方の祖父の話ですが阪神淡路大震災の際もあったみたいです祖父は大阪府警の警察官でした当時は住之江の大阪水上警察勤務みたいですが地震発生時は泊まりで勤務中みたいでしたが発災直後から神戸で大地震発生とわかったのですぐに被災地に派遣する警察官と地元に残る警察官振り分け出発する体制なり指示前から動いたみたいです阪神淡路大震災は火曜日だったので朝9時すぐには当時の中川和雄知事より派遣命令出たみたいですがすぐ出発できる状態だったみたいですし

  19. 被災地にあったバスの無線を津波で寸断された通信の代わりに使われたり、盛岡で都営バスカラーの車両見たり、新幹線が復旧するまでJRバスの夜行が複数台のエアロキングを含めた8台で盛岡に来てたり等々、東日本大震災時のバスの活躍はすごかった。

  20. せっかくいい動画やのに写真が関係無さすぎる バスの写真とかなかったん…

  21. 大阪市への国土交通省の許可は事情が事情だけに結果的に事後承認という形に落ち着いたようです。

  22. 石巻市民です。神姫バスさんからのバスは、13年経った今でもあの塗装のまま現役で走っています。今週の日曜日に乗車する機会があり、今でも龍野市の某しょうゆメーカーさんの広告が残ってます。車内の子供たちの励ましの絵や市民の皆さんのメッセージ、見る度に震災当時を忘れないようにしようと思います。能登北陸の皆さん、諦めないで下さいね!

  23. 冒頭ど頭が地元のバスでわろたw

    いや、被災地のお役に立てた様で何よりです

  24. 車…という車が
    綺麗に流された( ・᷄-・᷅ ).。oO

    再開出来る程遠い
    なんも出来ない……
    助けられないんだ…
    あっても……
    海水に水没したから
    エンジンが使えない

    流石……
    おーさかじん😁😁
    やりはる‎( ㆆ ㆆ)و✧

  25. あの大震災の一年後に被災地気仙沼市を訪問後、気仙沼駅から志津川駅経由柳津駅までJR気仙沼線代替の宮交バスに乗ったけど。
    その時発行されたバスの整理券に「明石市交通局」の名前が入っていた車両だったのも、やはり災害支援の一環だったのかな?

  26. 平成30年7月豪雨で呉線が被災した際、同様の措置が取られましたね。活かされた教訓もあったということです。

  27. 仙台に9年居住し、20年東北の営業担当をしていたものです。
    丁度2011年に東京から大阪への人事異動があり、被災地には仙台市内に一回しか行けず後ろ髪を引かれました。その後、何回か東北に足を運びましたが変わり果てた場所を見ると涙が出ます。また、被災はしたけど頑張っている方々を見ると勇気がが出ます。第二のふるさと東北との縁は無くなりません。皆さん頑張ってください。当時の宮城交通の社長様お疲れ様でした。

  28. 今回の動画はめっちゃ感動しました。
    みんながお互いに助け合う、日本人の素晴らしい面々です。

    阪神大震災の時に東北の人々に助けられたので、バス会社の人たちや地域住民で恩返しした実話が特に心に残りました。

    鉄道の話ではないのですが、2年前に清水区でまちが水没した時に、全国から沢山の救護の車が来てくれた光景を思い出しました。
    当時は約500世帯前後の家が被害を受けていました。
    東海道本線や静岡鉄道が走行している辺りも打撃を受けていました。
    それは、2022年9月の台風の時に起きた水害です。その時に、清水区から距離が離れた大井川鐵道や国道も大きな被害があったくらいの台風でした。

    清水区への県外からの救護の人々の存在により、随分と心が温められました\(^-^)/

    今は北陸地方で壊滅的な被害が生じています。
    能登半島などの北陸地方で今頃どうなっているか気になっていますf(^_^;
    2年前に清水区に救護に駆けつけてくれた人々の中には、神戸や東北の人々だけでなく北陸地方の人々も少なからずいました。
    北陸の人々も静岡県に駆けつけてくれたので、復興を願わずにはいられないです。

  29. 震災発生からまだそれほど期間が経っていない4月初頭に高速バスで岩手までボランティアに行きました。東北道は復旧して日が浅いため、バスが段差を通過すると椅子からジャンプするほどの衝撃的な振動でシートベルト装着が必須でした。こんなキツイ状況でも時間通りの運行でした。

    その後1か月おきに東京からボランティアに行きましたが、行くたびに舗装が改善していくのを感じ、道路インフラ関係の方の底力と努力に感銘を受けました。高速道路は命のインフラというの本当にその通りだと思います。

    被災地では瓦礫を脇目に路線バスが子供たちを学校に運び、ヤマト運輸が通常配達しているのに驚きました。

    道路は命をつなぐインフラ、このことを思い出させてくれた投稿に感謝です。

  30. 2013年、初めての一人旅で神戸空港から仙台空港に降り立った時、飛行機からターミナルまでのバスが当時の大阪市バスだったな。

  31. 大企業は性能もしっかりとしたのを出せたんだけど福祉関連の輸送の会社は出せる車がない中での協力だったので海外に中古で売る予定の物を出したんだ。あまり性能の良くない物を出したので社員には出さないほうがいいのではとの意見もあった会社もあるんだけど被曝の問題も有ったから誰が持っていくんだってのがあったんだよね。運転手が300人ほど居たんだけど誰も手を上げなかったので運行管理者が持って行ったみたい。