【東日本大震災】「津波の恐ろしさを伝え続ける」父を亡くした男性の13年
[音楽] 東日本大震災から13 年まあの日金曜日だったんですけれども ニュースエブリーが始まる直前であの放送 で流すVTRの下見をしている時にま強烈 な揺れに襲われまし てこの辺り1つの待がありましたが完全に なくなりました建物の3階4階を見てみ ますとここまで水が浸透してそこの窓を 突き破ったということが分かり ます8歳直後宮城県で取材を続けた藤井 キャスター多くの命が奪われた光景を 当たりにしまし [音楽] た最初に到着したのが南三陸町でしたね 現状どうなってるのかということで 南三陸町のもう津波に襲われたところを あの安全管理をしながら中に入ってたん ですけどもその時に初めてお会いしたのは 西城さん です町役の職員だった西条明さん当時59 歳あのうの中で親父なくなったんですよ今 これからちょっと見を持っていくですと です津波で命を落とした父を安に運ぼうと している時でし たはいこっち受け取りますはいはいはい はいえどうも ざさんとはこの時 以来震災から1 ヶ月10年と言葉を交わし続けていい [音楽] ます今もさごしてますお久しぶりですお 久しぶり です72歳になった城 さんのがったこの越こ台暮してあたり13 年になりますねあの震災からそうですね ええこの13年どんな日々でした かそうですねま私の方ははいまその震災 復興の仕事とかまそういうのをあのずっと こう続けてきましたしはいまその上ではま あの あのま新内では色々こう大変なこともあり ましたけどもはいまあの自分が あの健康に恵まれてまあ13年間こう 過ごせてきたのではいまあなんとかやって るっていうそうですかあの当時は南三陸町 でお仕事されていたと思いますが今また別 のところでやってらっしゃるんですかはい はいそうですね今はあの福島県の方にはい 行ってまして え今は福島県に通い防災のため河川回収 工事をしてい ますあの日東北各地を襲った [音楽] 海南三陸町には10mを超える津波が
押し寄せ町を飲み込みました そうお考えでしょうか何もかもが変わった 3月11 日あの毎年3月11日がやってきます けれどもはいその3月11日をどんな思い で毎年迎えてらっしゃるんですかそうです ね あのま私の同僚もたくさんなくなりました しそれからと親戚もなくなりましたしね そしてま親父もま亡くなったわけですけど やはりまねこまひたすら祈るっていうそう いう3月11時です はいあの日の経験を当事者だけで終わらせ ないために西条さんが伝えたい ことそして震災旅行を残すとかそして映像 でまきちっとその 津波のその恐ろしさを伝えるうんですから こういうものをやはりそのずっとやはり 続けていくっていうかうんまそこが大事な んだろうなって絶対 津波をこう知らない人たってあのそういう ものを見て本当に自分がその怖いという風 に思うのかどうかそういうものがあるん だっていうことをやはりどう本当にん体の 中に個人の中にその叩き込ませていく かってのがその防災の教訓を残す上であの 私は一番大事なんだろうなという風に思い ますよ ね伝え 続ける 当時を経験していない子供たちが通う小 学校がある 高台2011年の東日本大震災の時に津波 が来なかったエリアに住んでる方 は次ここにいれば安心だと思ってしまうか もしれないですよねでもそれより高台に 逃げるんだっていうことを思ってもらい 続けるように 私たちも伝え続けないといけないなと思い ます ね本当に1人でも多くの方が被害に遭わ ないよう にね全員の命が守れるよう に
13年前、東日本大震災の取材で藤井貴彦キャスターが宮城・南三陸町で出会ったのは、津波によって父親が命を落とした西城さんという男性でした。西城さんが今回、力強く語ったのは「津波の恐ろしさを伝え続けること」でした。
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https://news.ntv.co.jp/category/society/e6ebfdf9913446e4abd5c7310e64bb4f
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東日本大震災から13年。
藤井貴彦キャスター
「あの日、金曜日だったんですけど、『news every.』が始まる直前で、放送で流すVTRの下見をしている時に強烈な揺れに襲われまして」
藤井キャスター(2011年3月)
「(上空から被災地を見て)この辺りひとつの町がありましたが、完全になくなりました。建物の3階、4階を見てみますと、ここまで水が浸透して、そこの窓を突き破ったということがわかります」
発災直後、藤井キャスターは宮城県で取材を続けました。多くの人の命が奪われた光景を目の当たりにしました。
藤井キャスター
「最初に到着したのが南三陸町でした。現状がどうなっているのかと、南三陸町の津波に襲われたところを安全管理をしながら中に入っていったんですけど、その時に初めてお会いしたのが西城さんです」
町役場の職員だった西城彰さん(当時59)。
西城彰さん(2011年3月)
「家の中で親父が亡くなった。今これから遺体を持って行く」
津波で命を落とした父を安置所に運ぼうとしている時でした。
西城さんとはこの時以来、震災から1か月、5年、10年と言葉を交わし続けています。
今年も…
藤井キャスター
「西城さん、ご無沙汰しています」
西城さん(72)
「お久しぶりです」
72歳になった西城さん。当時の家があった場所から引っ越し、近くの高台で暮らしています。
藤井キャスター
「13年になりますね。この13年、どんな日々でしたか」
西城さん
「私は震災復興の仕事とか、そういうものをずっと続けてきました。震災では大変なこともいろいろありましたけど、自分が健康に恵まれて13年過ごせてきたので、なんとかやっている」
藤井キャスター
「当時は南三陸町で仕事をしていましたが、今は別のところで働いていらっしゃる」
西城さん
「今は福島県に行っていまして」
今は福島県に通い、防災のため、河川改修工事をしています。
あの日、東北各地を襲った海。南三陸町には10メートルを超える津波が押し寄せ、街をのみ込みました。
何もかもが変わった3月11日。
藤井キャスター
「毎年3月11日がやってきますけど、どんな思いで毎年迎えていますか」
西城さん
「私の同僚もたくさん亡くなりました。親戚も亡くなりました。親父も亡くなったわけですけど、やはり冥福をひたすら祈る、そういう3月11日です」
あの日の経験を当事者だけで終わらせないために西城さんが伝えたいことがありました。
西城さん
「震災遺構を残すとか、映像で津波の恐ろしさを伝える。ずっと続けていく、そこが大事だろうなと。津波を知らない人たちは、それを見て怖いと思うかどうか。そういうものがあると、どうやって体の中に、個人の中にたたき込ませていくか。防災の教訓を残す上で私は一番大事」
伝え続ける…。当時を経験していない子どもたちが通う小学校がある高台に行きました。
藤井キャスター
「2011年の東日本大震災で津波が来なかったエリアの人は、ここにいれば安心と思うかもしれない。高台に逃げると思ってもらい続けるように、私たちも伝え続けないといけない。ひとりでも多くの人が被害に遭わないように、全員の命が守れるように」
(2024年3月11日放送「news every.」より)
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2 Comments
埼玉栄高校の 金井裕世 に絶対見せるべき動画。
藤井キャスター、貴重な体験をされましたね。キャスター引退する時が来ると思いますが、語り部として再スタートをして欲しいです。