【漫画】2011年3月11日、津波に飲まれた男の記録…「いつまでも、絶対に忘れてはいけない」

エトラちゃんは見 た2011年3月11日その日俺は仙台 進行近くの道路をトラックで走っていた俺 の名は黒木港近くの自動車部品倉庫 スタッフ県ドライバーとして働く社会人 だったこれは俺の人生で最も衝撃的な壮絶 な過去の体験団で ある眠コンビニよってコーヒーでも買うか あ雪降ってきたな俺はこれまでの人生平平 ボボンに過ごしてきた普通の家庭に生まれ て育ち勉強はそこそこゲームが好きで友人 らとよく家でゲーム対戦をし高校では好き な子に振られやけで勉強しまくったおかげ で大学に合格そして就職し大学時代に 知り合った妻と結婚4年前に子供を授かり 家族3人で暮らしていたこれと言って すごい過去もないどこにでもいる人間だ よしさっさと倉庫に帰るかしかし俺のよう な人間がたくさんいてみんながそれぞれの 人生を懸命に歩んでいるからこそ社会は 回っているそんな平凡で名もなき俺たちが まさかあんな彩花に見舞われるなんて誰が 予想しただろう かよしあと5分くらいで到着だな今日は 思ったより早く帰れるかもそうだ朝バター 買ってきてって言われたっけ忘れないよう にしない と ああれ地震 う自信ようわハンドル持ってか れるお終わったかああびっっくりした今の めちゃくちゃでかい揺れだったなうちは まあ大丈夫かしっかり者の奥さんのおかげ で家の地震対策はばっちりだし今日はりも 早めに迎えに行くって言ってたし問題は うちの倉庫だなあれもこれも全部落っこち てるかもうえやっぱ残業確定だな早く倉庫 に戻ろう俺は大した危感も持たず妻への 連絡は倉庫についてからと考えていた そんなだからカラジオを聞いて現状確認を しようともしなかったのだこれから何が 待ち受けているのか全く考えず に うわあ自信のせいかなめっちゃ渋滞してる んんどうしたんだあの人たちおいあんたお 何ですかあんたニュース聞いたか今大変な ことになってるぞえ何がですか津波だよ 津波海見てみろ え見ると海には黒い砂埃のようなものが 上がっていたそして俺はここでようやく気 がついた過去に聞いたことがない不気味な ガチャガチャという音が鳴り響いているに あれが津波正直俺はまだそんなに焦ってい なかったまさかあの津波がここまで来ると は思っていなかったからいやしかしどう

するかなここでトラック置いて行っていい のか後で会社に何か言われるの面倒だなで もこれだけ渋滞してちゃ先にも進めないし いや万が一を考えたらやっぱりトラックを 置いていく方 [音楽] がやばい本当に水が来た考えてる場合じゃ ない早く逃げないと俺はようやくトラック を置いて内陸方面走った しかし嘘だろうもうこんなに水がほんの 一瞬でさっきまで俺がいた道路は濁流に 飲まれていったああの車まだ人 が嫌だ死にたくないこんなこんなところで 死ぬのかなんでなんでこんなことにもう死 は目前だった俺のトラックも津波を教えて くれたドライバーのトラックも何もかもダ に飲まれガチャガチャと車や建物同士が ぶつかる破壊が響いていたカユ母さん 父さん だめだ もう俺は流に飲み込まれたがらく冬だと いうのに不思議とは感じなかった時々体に 当たる瓦礫変だか枝だかがただただ不快 だったちくしユリが悲しむだろうなでも しっかり者のカリンがいるんだきっと 大丈夫 ああで もまた2人の頭を撫でたかった [音楽] な生き てこれは良さそうだ 乗ろうちょうどよく俺が見つけたのは船舶 運搬用のコンテナだった鉄性でも空気が 入っていたんだろう俺が上に登っても コンテナは沈まなかった嘘みたいだ俺生き てる 寒い自分が生きていることにしたか それまで全く感じなかった猛烈な寒さに 見舞われたそれでも俺はもう死ぬとは思わ なかった生きて帰るんだ絶対に生きて帰る カリンとユリのとに帰るん だそしていつしか地獄のような洪水は 穏やかになり辺りにたくさんの瓦礫や泥を 置いて水は引いていった助かっ た俺 はか ただ2011年3月11日東日本大震災 それが平凡な俺が体験した壮絶な災害で あっ た行ってきま行ってらっしゃい現在娘は 高校生となり俺は今も同じ会社で働いて いる今日であの震災からあれからもう13 年も経つのねああ俺の予想通り妻と子供は 無事だった家も多少の損害はあったものの 港からだいぶ距離があったことそして妻の

地震対策のおかげで我が家は東海説に住ん でいたのだしかし俺の勤めていた倉庫と俺 に津波が来ると教えてくれた人の会社は 丸々海に飲まれてしまっていたあの人どう にか助かってくれてたらいいんだがあなた の命の恩人だものねもしかしたらやっと 落ち着いて情報が更新されてるんじゃない かしらもう一度調べてみたらうんそうだな 確かエトラ解散運輸 あ久しぶりに検索したその会社の情報は なんと新しく更新されていたそこには PDFで被災についての損害をまとめた 文書があったそして見つけたこの一文当社 の仙台視点スタッフ及びドライバーは全員 避難し支者はいませんでした生きてた生き てたんだあの よかったよかっ た10数年の時を得て俺の命の恩人は無事 であることが分かり心からアンドした町は 復興が進みかつての賑いを取り戻しつつ あるしかし被害にあって生き残った俺たち は決してあの時のことを忘れないだろう町 が一度壊滅したことを大には語られない たくさんの人々が犠牲になったことをだ からどうか心に 犠牲になった1人1人に人生があったこと を名前があり家族があり仕事がありただ 一生懸命に生きていたことを俺は決して 忘れない忘れてはいけない被災者の1人と してそれを胸に刻んで生きて いくご視聴いただきありがとうございまし たそして 津波もだなんてそんなのは分かりきって いることでしょうでもだからこそこうして 過去に起きた被害を忘れてはいけない多く の人々が犠牲になった事実がある以上自分 は大丈夫だなんて思わないでできる対策は していかないとですね皆さんはどう感じ ましたかコメント欄に帰っていただけると 嬉しいですまた少しでも怖いなと思った方 チャンネル登録と高評価をお願いいたし ます

今回のお話は!【俺はクロキ、自動車部品倉庫のスタッフ兼ドライバーをしている。…今回の話は、13年前の今日…2011年3月11日の時のことだ。俺はその日、いつも通り部品をトラックに乗せて港近くを走っていた。そして、14時46分…それは、起こった。】

ご自身の体験談はこちら↓
https://forms.gle/k74rdXSAv2wS3qBc7

シナリオライター募集中↓
https://forms.gle/S7YZUud1dXfgTeLx7

チャンネル登録もよろしくお願いします→https://www.youtube.com/channel/UC4T-dSpkAT8xGprFjXpBeMw?sub_confirmation=1

高評価やコメントをいただけると嬉しいです。
毎日更新です。よろしくお願いします。

エトラちゃんが生配信…!?興味のある方はこちら!
https://www.youtube.com/channel/UCLnKUWEIEVESNY-537GRU3g

「エトラちゃんは見た!」LINEスタンプが発売されました!
https://line.me/S/sticker/12116759

エトラちゃんは見た!がtiktokデビューしました!
https://vt.tiktok.com/ZSQBYdV8/

エトラちゃん公式アカウントです!
フォローしてもらえると嬉しいです…
Twitter:

お手伝いいただいた声優さん。
声優:大村咲樹
Twitter
(https://twitter.com/Jibafunew15 )
youtube
(https://www.youtube.com/channel/UCtYmmCPCIGHvNodzVNyv_dA/featured)

使用素材:

https://soundeffect-lab.info/
http://amachamusic.chagasi.com
https://www.youtube.com/audiolibrary/
https://vsq.co.jp/special/se_various/
https://taira-komori.jpn.org/freesound.html
https://sounddictionary.info/
効果音:ポケットサウンド – @pocketse

#漫画 #漫画動画 #衝撃体験

26 Comments

  1. 今日という日は絶対に忘れてはいけないですね。

    そして、東北だけでなく、熊本、北海道、能登半島などでも震度7の大地震が起こっているということもあるので、本当に油断はできないと思います。

  2. あっという間に3.11が起きて13年経って13歳の時の私のあの日の1日の記憶が少しずつ蘇っている。親戚の中に3.11が誕生日の人がいてその人の家族の気持ちを想像して胸が締めつれられるけど、生きている事が一番安心する。
    改めて、被災された方々のご冥福をお祈りします。

  3. 大地震から13年経ちました。 僕らはしばらく節電する羽目になったんです。 日本中がメチャクチャですし。

  4. リメンバー3.11。
    13年も経つと、たとえば今の大学1年生は当時は幼稚園or保育園、物心ついているかどうかも危うい年代です。この動画のユリさんも「現在高校生」ですからそんな年代ですね。
    だからこそ自分の経験、とにかく自分がこの目で見たことを「語り継ぐ」ことが重要になってくると思います。

  5. もう13年……長い様で短く感じてしまう……一瞬の出来事……….忘れてはならないもう1つの大震災……
    どうか早く癒える事とご冥福をお祈りします……

  6. こうゆう時ってさ 人間は自力で「 助けて 」って言えるし逃げれるけど
    わんちゃん、猫ちゃん、爬虫類達は自力で逃げることも「 助けて 」 「 怖い 」も言えないんだって
    思ったら喉が痛くなった
    どうか小さき家族にも避難場所を作って欲しい

  7. 当時被災地在住の小学6年生でした。あの揺れ、そして高台からみた津波。そして高台へと続く階段からあともう少しのところでニット帽かぶったおじいさんが津波に飲み込まれる瞬間。未だに忘れられません。大切な人を何人も失ったあの東日本大震災。小6だった私も結婚して一児の母です。自分の子供にもしっかりこの記憶を継いでいってもらおうと思っています。そんな中で毎日見るエトラちゃんは見たで取り上げてもらってありがたい限りです。

  8. この震災があってから今年に入るまでの間、「阪神・淡路大震災を経験した後、(その地を離れて東日本に移り住み)東日本大震災も経験した人がいる」という話題・ニュースなどがありました。
    現時点では、九州や能登半島の大震災も併せ、様々な話題も飛び交っています。その場に、悪意などを含めた虚飾が入り込まないようにしたいものです。
    あと、個人的には直近の事柄として「ドッグスレッド(dogs red)」第2巻がどうしても頭の中をちらついてしまいます。
    大震災の影響から生き延びた方々には、これからも強く生きて欲しいと思います。

  9. 13年も経つのか…そりゃ私も歳とる訳だ😢
    高校で部活やってたときだったな…
    生きてるだけで幸せなんだって思った地震だった

  10. 初めて、コメします。…自分はこの時被害は受けていません。それでも、この動画に感謝します。
    ありがとうございます

  11. 遅くなりましたが、今年も東日本大震災を取り上げた話を投稿してくださりありがとうございます
    そして、大震災の犠牲者の方々にはご冥福をお祈りします、せめて天国で幸せに過ごせていますように…

  12. あの日、津波に飲まれた町で必死に救助活動を行っていた自衛隊の皆さん
    彼らも被災者であり、家族の安否が気になる中で、誰かの家族を救い続けていた
    そんな彼らに心からの感謝を送りたい

  13. 私の実家・従姉妹・親戚の家・親戚の職場が被災しました。
    亡くなった人は居なかったですが、生活の糧は完膚なきまでに破壊されました。

    今年は能登半島の地震もあり、他人事じゃないです。
    東北は、東京五輪に工業力と物資を持っていかれて、復興に支障が出ました。
    能登半島は、その轍を踏まないようにしてほしいものです

  14. あれから13年か
    今は社会人として働いているけどあの時を昨日のことのように鮮明に覚えています
    今年は1月にも能登半島で大地震がありその後も関東でもかなりの地震がきてまた同じ震災があると考えると本当に怖いです
    これからまだまだ震災があると考えると備えておかないとってなります。

  15. 毎年毎年、東日本大震災のことについて書いて頂き誠に光栄です。私は、体験をしたことがないから分からないけど、こういうお話を聞いたり見たりして、どんなに恐ろしいものなのかを勉強できるのでありがた過ぎます🙇‍♂️まだ、幸せになれた人もまだ人生を歩めた人もいたはず、東日本大震災が来るまでは、大丈夫だった。みんな幸せに過ごせていた、そんな人の幸せを奪う、震災についてこれから人生を歩んでいく人に、伝えられたらいいと思いました!あれから、13年がたった今でも、いつ地震が来るか分からないから備えておくべきですね。

  16. 13年前まさにこの動画と同じで運転中に被災し津波に流されました。
    海は右後ろの方向似合ったのに波がきたのは左の方向でした。
    一瞬で波にのまれましたが波が見えてのまれる一瞬の隙をみてドアを開け外に出て車にしがみついてました。
    そのまま流され幸い流れてきた家のベランダにはいることができましたが、波が引いても直ぐに津波が来るの繰り返しでした。
    そして父と兄を亡くしました。
    津波にのまれた恐怖、家族の死、原発での避難先での辛さ。
    忘れてはいけないのはわかりますが私は一刻も早く忘れたいです。

  17. おれたち生きてる人間は、生きたくても生きられなかった人の分まで生きる義務があるんだよな 
    人生を過ごせるってのは当たり前じゃないってのを忘れんようにせんとな

  18. 改めて、東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

    私は当時も今も北海道ですが、車で移動していた時にかつて経験した事の無い揺れを感じ、帰宅した後にとんでもない被害をニュースで知りました。

    テレビで見た忌まわしい映像ですら記憶にこびり付いているのですから、実際に被害に遭われた方々の恐怖たるや想像するに余り有るものと思わざるを得ません。

    定期的に、断水に備えての水を替えています。東日本大震災や胆振東部地震のような地震が起きない事を祈りつつ、古い水を入浴の足しにしています。

  19. 恋人が石巻付近出身で津波も間近で見たそうですが、
    幸い家族全員無事だったそうです
    この動画を見て改めて
    地震、津波の恐ろしさを知り
    またその経験をした恋人に
    生きていてくれて、出会ってくれて
    ありがとうと思いました。 
    後で伝えたいと思います。

  20. 震災経験者だけど、かなり怖かったのは覚えてる😢
    宮城県とかの怖さとは、違うわなぁ