『1.1能登半島地震報告』震災から1ヵ月 最大震度7の激震 街を襲った津波と火災 あの日なにが起き、なぜ被害拡大したのかー突きつけられた課題とは【HAB北陸朝日放送】(2024年2月1日)

2024年1月1日元日の波乱は一瞬で 奪われまし たの半と襲った最大震度7の 激震傷ついた町に追い打ちをかけたのは 津波そして炎でし た激震は240人の未来を 断ち切り家族を引き裂きまし た運命を変えたあの日何が起きたのかなぜ 被害は拡大したのかそして突きつけられた 様々な 課題野半島地震から1ヶ月の報告ですこの 後地震の映像が流れ ます 危ないよ住んでるおっ ちゃん赤い炎と煙が立ち上ってい [音楽] ます何なんですか これ 今子供たちを乗たバスが白山神へ向けて 出発しまし [音楽] た野半島地震の発生から今日で1ヶ月です え県内ではの地方を中心に今も断水が続き え多くの人が避難生活を強いられています えまずは現在の被害状況です今日午後2時 現在県がまとめた被害状況 です亡くなった人は災害関連士を含めて 240人和島市と鈴では犠牲者が100人 を超えましたまた未だ安否の分からない人 が15人いらっしゃいます内訳はで11鈴 で4人和島市で11人です住宅の被害は 44万円旨に達しおよそ1万3400人が 今も避難生活を強いられています断水も 続いています復旧作業が進んでいますが 七尾市で1万4000個和島市で1万個 など喉の8つの下町でおよそ4万個が断水 しています はいえ今お伝えしましたように被害の状況 というのは日々数字として報告されますえ 特に犠牲者240人という数字の裏には 地震で未来を奪われた1人1人の無念が ありえそして残された家族友人の深い 悲しみがあり ます [音楽] 弟がトをかっててそれで歯が終わっ た大丈夫だめたてでちょっと警察のさんの 弟の死亡の確認をしてき て母をうようになくなっていた 弟命をついだ母もその後息を引き取りまし た外たけし さん地震にあった和島市堀町の実家を訪れ ていまし た母のせつ子さんと弟のたしさんがこの 場所で

被災たさんは家の下敷きになり死亡しまし た そ ま子さんは地震発生から72時間後の1月 4日午後4時頃救出されまし た救出直後は意識があり家族の問いかけに も応じていましたが容大が 急変長時間体を圧迫されたためクラッシュ 群を引き起こし2日後のがなくなりまし た会話にはなってないんだけどもあの母の 声を聞けたっていうのはあのありがたかっ たですね はいそうですね病院でちゃんと声聞いて 温かい手触ってはい それはありがたかったですはいね何も聞け ずに一言も 話せさずこういなくなるってやっぱ寂しい ですから ね2人の裁断は金沢市にある外さんの自宅 に用意しまし た母と 弟記憶の中の姿を思い出すことが増えまし た母は一言で言うともま 真面目であとはと本当人をすごく大切に するま誰に関してもまえっとあの親切に 接するそんな人でした ね弟はま飲む時にお酒の話とかあのお つまみの話とかあこれが美味しいとかそう いう会話はよくしましたけどそれ以外 あんまりお互あの本当にあの無口で 大人しいタイプだったのであんまりこう 会話をするタイプではなかったです が太した瞬間に後悔が襲い ますもっと 早く助け出せてあげなくてごめんなさいっ ていうのはありますねで ただ心のとか奥底にはずっとそれはあるん ですけどもぱ今それ考えるとやっぱ あの悲しくなるん でできるだけんと ちょっと振り返るのは ちょっともう少し時間が経って整理ができ てくかな と地震から1 ヶ月外さんにとっての節目は遠いままです ちょっと助け呼んでくるし待っとれっ て避難所行ったんだけどちょっと誰も来れ ないでおりさ途中で中さん中さんがいたの 中さんにも言ったんだけど今ちょっと無理 で119番は あのあの時間かかりますよって言わ れ鈴放流町迂回の向かひさん津波で 亡くなりまし た地震の時自宅にいた向か さん息子が1月2日に様子を見に行くと

濡れた状態で倒れていまし たその時は意識がありましたが寒い寒いと 言っていたそう です3日に死亡が確認されまし たま6時頃までは息息をしてたん ですで早く誰か来ないかなと思ってたんで まで8時頃また見に行ったらもう冷たく なっ て毎日筆を持ちで初に向かう元気な姿が迎 さんそのものだったと僕は思うんです けど石てこれね金沢市の初動家安倍法主さ やとかね年に45回向かさんの自宅に 出向き初動を教えてきまし た安倍さんの力強い筆塚に向かさんが 惚れ込み教えを来いまし た向さん今日は字がいいね調子がいいねと か中心ちょっと揃ってないしここ直したら いいんじゃないかとかそんな話をして ずっといたわけでで初動のお稽古が終わっ たら近くのお寿司屋さんやえラーミ屋さん 行こうって言ってえそんな講師ともに 仲良くする時間を過ごしてきまし た年齢の差を超えて通じ合っていた2人 初動以外にも多くの時間を過ごしてきまし た安倍さんのの元には多い時には週に1回 向かさんから作品が届きまし た決まって現行用紙びっしりの近況報告が 添えられていまし たもうこうやって分駐ができないってこと でしょ ねうん当たり前にもらってた手紙や作品が もう続か来なくなるわけ っていうことが遅れながら気づいたって ことだよね うん12月に向かさんから届いた最後の 作品そこには のそしてすずという2文字がありまし たもしこんなことがになるって分かって たら ずっと一緒にいてあげたと思い ます家族のこれからが学事を飾ることは もうありませ んもうとにかく家族を助けに来て欲しいっ ていうのでなんか助けてくださいって なんか叫んでたような気します ねあとはなんか100と番とかしてま 100とばかかんなかったすけどま100 ジでなか助けてくださいっ て大啓介さんあの日すし新町にある妻はか さんの実家に帰省していまし た警察官の大さんは最初の揺れの後周りの 様子を確認するため1人で外に出まし た直後の大きな地震で家はに押し流され まし たはかさん長女の優香さん長男の大介さん

次男の蒼介君を失いまし [音楽] た大人になっ たらどんな仕事についてたのかなと かみんな大人にだったら妻 と2人で何してるのかなとと かなんかそういうのが全て叶えられなく なっ てとても悲しい です金沢市の 自宅はるかさんはアクセサリーが遺品に なりまし たゆかさんは髪飾り す君は ま私たちが話を聞いたこの日大輔さんの ものはまだ見つかっていませんでし た遺品が手元に戻っても5人で過ごす時間 は戻りませ んこの先の人生を考え続けてい ます自分ももしね一緒に巻き込まれてたら 辛い辛くなかったのかなってやっぱり 考えることもあるですけど本当に最後まで しっかりこの子たち妻と子供たちのことを 自分がうん思い続けていかなくちゃいけ ないなっていう風なところは今思うように してます はいはいま今回の地震ではあ多くの方が ですね突然愛する人との別れを余儀なくさ れたとでしかも頑というそのま一番団欒と いうかえ楽しむべき日だったんでま おそらくその午後4時10分というのは 一体何だったのかと思ってらっしゃるかも しれませんで菅さんは今日もですねえ VTRでお話もいただきましたがオマさん を取材されたんですねはいあの今日地震 から1ヶ月が経って改めてお話を伺ってき ました馬さんはですねあの時間が経てば 経つほど悲しみやこう辛さがこうどんどん 増してくるでなんか急に戻ってきてくれる ような気がするという風にお話しされてい ましたまたですね今回の自信を通して今 まで当たり前だと思っていたことが 当たり前ではないということに気づいて皆 さんには今の日常であったりこうそばに いる大切な人を本当に大事にして欲しいと いう風にお話をされていたのがとても印象 的でしたはいま地震から1ヶ月過ぎまして これからはですねあの仮設住宅の入居です とかえ学校がいつからスタートするとかま そういった復旧ですとか復興というにま 報道も含めてえ話は変わってくるかもしれ ないんですけれどもま私たちはこれからも 可能な限り犠牲者が生きた証を記録に残し ましてえ未来に残していきたいと考えて おり

ますこの後は被災地の今を中継でお伝えし ますえ1月1日元日にの半島自身が発生し てから今日で1ヶ月ですえそしてまもなく あと3分ほどでえ最大振動7を観測した 地獄え午後4時10分になり ます特に被害の大きかった和島市と鈴市の 今の様子を中継で伝えてもらいます和島市 には木所アナウンサーが鈴には下田 アナウンサーがい ます地震直後の火災により大半の建物が 消失した和島市の観光名所和島朝市の近く から中継でお伝えしますえかつては地震前 はですねこの辺りはたくさんの観光客で 賑いえそして店のおばちゃんの異性のいい 元気な声が響いていたのですが今はその おかはほとんどありませんそしてえ今日は 気温はだんだんと下がってきましたえ現在 和島市の気温は1°です厳しい寒さとなっ ていますえ比較的温かい時間帯であった 午前中には地元の方が続々と訪れこちらに 花をたけて両手を合わせるそんな姿も見 られましたただ今はそういった方ほとんど いませんえただこの厳しい寒さの中今も風 が強く吹いてる中ですね家族との思い出を 探そうとえ男性が捜索活動を続けています このすぐ近くにあるビルが壊しえそちらに 下敷きになってしまい妻と娘を 木さんですえ神奈川県に一時的に避難をし ていましたが先月28日からこちらに来て 捜索を続けていますえ今日の午前中特に 見つけたいと話していた妻の携帯電話が 見つかりまし た良かったってただちょっと電源入れてね 内容見るにはまだちょっと無理かな とあの小さい頃の写真とかもみんな入っ てる はい連日捜索を続けていてですね疲労も 見えていたんですがあの今回ずっと探して いた携帯電話が見つかった時久しぶりに 少し喜んだ表情をしたということですえ そして火災が発生してから1ヶ月が経過し ますがこの和島の朝市ほとんど1ヶ月前と 変わらない風景が広がっていますえそして ですねあのこちらでの火災による死者を 含めると和島市では103人の尊い命が 犠牲となっています火災が発生した直後数 日間はですねえこの辺り熱気や煙に包まれ ていたそうなのですが今はしさがえ包まれ ているということですえそしてえ地震から 1ヶ月え仮設住宅の建設が進むなどえ こちらでも復旧復興が進められていますが 安否不明者は現在の時点で11人確認され ていますそれではまもなく野半島自身が 発生した午後4時10分を迎え ます

はいじゃあす行きます よ 鈴です先ほど午後4時10分え市役所から 泉市長のアナウンスで亡くなった方の冥福 にを祈る黙祷が捧げられています朝から 小雨が降っていてえ日中は雪に変わりまし たそれがこの時間になって日はさしてきて いますしかし冷え込みは強まってきている そんな印象ですそんな中でもこちらの鈴市 ではえ電気え道路そしてえ水道など色々な インフラの復旧作業が続けられていました 去年5月5日に起きた地震から 立ち上がろうとしていた矢先の1月1日 午後4時10分鈴では震度6強を記録し ましたえ101人の方が亡くなり4人の 安否がっていませんこちらは市役所から ほど近い商店街ですえこのように崩れた 建物がそのまま残されていましてえ道路を 半分塞いでいますそしてその先見ていき ます とこちらの建物もシャッターが崩れてい まして危険度調査の結果赤い髪が貼られて いるその危険判定が降りていますそして その先には 電気点さらにその先には1階が歪んで しまっていて2階部分が競り出してしまっ ている焦点も見られ ますえ地震から1ヶ月が経ちました朝から 鈴市内を見て回りましたが街中には崩れた ままになっている建物が非常に多く残され ていますえ住民の方に話を聞きますと今後 の生活への不安そして長引く避難生活での 健康面の不安さらにはこの地震の影響で 人口が減ってしまってえこの涼しという街 が縮小してしまうのではないかそういった ことへの不安まそういうものが大きくなっ ていった1ヶ月だったという話が印象的 でしたえそんな中でも瓦礫が少しずつ撤去 されていきまして以前は崩れた建物そして 倒れた電柱で通ることができなかった道も こうして車が通ることができるようになり 少しずつ日常を取り戻してきた1か月でも ありますえ先ほど捧げられた黙祷には住民 の不安がどこまで解消されていくのか次の 1ヶ月2ヶ月への期待も褒められています はいはいえ亡くなった皆さんのご明服をお 祈りいたし ます今お伝えした和島市や鈴市など奥の都 地ではちょうど1ヶ月前のこの時間震度7 の激震と津波に見舞われました あの日何が起きていたのか映像で検証し ます夜中中そのガスボンベが爆発する音が すごくてずっと続いてましたずっとドカン ドカンつもうこれもしかして大事になるん じゃないかと大下になってしまうんじゃ

ないかって いうえさて今回の地震で特に犠牲者が 多かったのが和島市ですえ被害が拡大した 背景には津波と火災がありました 発生直後の映像から何が起きていたのかを 検証しまし た真島まし市快速漁港ですこちらでは地盤 が流記してしまい海底が見える状態になっ ていますそしてその影響で船が座しして いるのが確認できます船が全くこれ入れる 状態でないもん岩ばになって思っとるから うんもう終わったな と正直てこれ港の機能は全く ない景色は一変しまし たわずか数十秒の間に起こった地盤の 竜その高さは最大で4mを超え漁業で栄え た町に大きな爪跡を残しまし たガ板の衝突によって地面が押し上げ られるいわゆる逆断層型と呼ばれる今回の の 地震2007年のノ半島地震や2023年 5月の新道6教の地震と同じメカニズム ですが東北大学の東田慎二教授によると その規模は予想を大きく上回るものだった と言いますノ半島自体がこう流してできた え半島だというのはもうあのこれは一般に 科学者の間では分かっていたことですただ これほど大きく流記するとはまあなかなか 誰も予測してなかったとも思います特に 4mというのはなかなかあの世界でもそれ ほどたくさん報告があるものじゃないです ねこの規模の地震になるとやはり3000 年とか4000年に1回ではないかと思い ます類を見ない規模となった今回の 地震東日本大震災以来となる大津波警報も 発令され す飯田港と能町白丸では4m以上の津波が 街を飲み込みまし た特徴的だったのは到達までの速さ です船のエンジンかかったままだったので それを切りに船行ったらもうあの防波堤の 2300m向こうまで波が来てたんででま もう早く行こうって言ってああうんそう いう状況で逃げまし た地震が来てから10分も経たない間に 津波は来まし たなぜこんなにも早く津波が到達したの か東北大学の今村文彦教授によると日本海 特有の地形が影響を与えていると言い ます 東日本大震災では日本開校まかなり合いで 発生した巨大地震によるつみなんですが 今回は沿岸部の活断層です陸に近いのでえ 発生した津波がですねえ本当にえわずか1 分弱でですね沿岸部に行きました到達時間

が非常に早いというのは特徴になり ます津波の場合はわずか50cmでもえ 大人でも立っていられないですえ大体1m を超えるとえ津波警報レベルになりまして え陸上に掃除しますとえ建などの被害も 生じてしまい ます津波警報が出たのは地震発生から2分 後しかし実際にはその前に津波が到達して いまし た危うく流されそうになった住民 も地震を 上がらになっ た総理大関センターみどしみ上がっ た津波が押し寄せたのは車に乗ったわずか 5秒後運転手の突の判断で間一発間に合い まし [音楽] た 同じく大津波警報が出ていた和島市の朝市 通りでは地震の直後に大規模な火災が発生 しましたえ和島川町です大規模な火災が 発生していますえ風に煽られ炎が高く 舞い上がってい ますで鼻てくださいはいください はい北陸朝日放送和島市局の小田原浩 カメラマンまとりあえず色葉です地震が 起きたおよそ1時間後に火災を目撃しまし たここでついて消防単位の何名 いらっしゃったんです僕がその時見たのは 2名です1番手前に1名奥の方に1名でも その10件くらい燃え下っている量に対し て2名でしかもすごく水量が薄かったん ですよねこれで消えるんかっていう夜中中 そのガスボンベが爆発する音がすごくて ずっと続いてましたずっとドカンドカンつ もう断続的にこれもしかして大になるん じゃないかと大下になってしまうんじゃ ないかっていう風には思いました ね火はまたたに燃え広がり5万2メおよそ 300胸が消失しまし たなぜ火は燃え広がったのでしょう か あの緑色の屋根見えますよねあのあそこが 朝の通りなんですあでここは朝市から1分 入った通りなんです けどあの最初の火災でまさかあそこまで 行くとは思わなかったんです よ今回のに歳直後から消化にあたった地元 消防団長の川端 たさ当初火災は小規模なものだったと言い ます 向こうに電子あの電柱が立ってますよね はいあの電柱の辺りが私が見た時には赤く 辺の手が上がってたその時の火災っていう のはまだ小規模なものだったんですかそう

ですねまだなんとか車水さえ来ればなる なっていうこっちもねあの空地なんですだ からなんとかなるなとは思ったんですけど はいすぐに消し止めようと消防が集まり ポンプをに向ましたが車が前に飛び出て 全然動かない開けれないガラスが1枚割れ てると思うんですけどあそこまで行って そこから中に入りまし た歪んだ車庫からおよそ20分かけて ポンプ車を出した川端さん急いで現場に 向かいますがすでに火は燃え広がり始めて いたと言います全然ね あの消化線というものは使用できません でした地震で和島全部断水してますけど 多分その大きな本家が破損さしたという ことだと思い ますであの水を確保しようと火災現場横に ある川へポンプ車のホースを下ろしますが 届いたんです放水しようと思ったら川の水 が引いちゃってで水が供給できなかったん ですよ 水さえあればなんとか あこんな大きなことにはならなかったのか なとやっぱそれは何ですかそのね地震の怖 さですよ ね立ちはかったのが地盤の竜でし た持ち上げられた地面は津波の到達を遮っ てはくれたものの河川の推移を下げ消化 活動を妨げる結果となり 現地調査を行った東京大学の井裕教授は合 的な要因が重なって火災が拡大したと見て い ます1つは冬の地震であることですねあの 東日本大震災は3月でしたし熊本地震も4 月でした冬は暖房器具下器具を使っている あの世帯も多いと考えられますので冬の 地震だったので出荷率が高かったのでは ないかということが考えられますまたこう 地域食性という意味では1000年以上 続く朝一であったため古い家も多かったと いうことが報告されておりますなのでこの 木造密集市街地であったという特性が炎症 危険性が高かったということにつながった のではないかという風に考えていますこれ なかなか難しいところなんですけども当日 ですね和島のこの川町周辺は大津波警報に より多くの方々が避難していましたこの ような大津波警報で避難してしまったこと これがですね初期消化あるいはは炎症防止 活動救助活動などの阻害要因になった可能 性もまあのあるのではないかと考えてい ますのところもありますその上で広い教授 は今後の復興のあり方も問われていると 指摘し ます津波も来るし密集市街地もあるし建物

トもあるあるようなマルチハザードリスク のあるエリアって多分災害対応が特に困難 であるってことは我々は認識すべきだと 思います津波ディクある密集害して国に たくさんありますこういうところでどう いう災害対策をすればいいかというのは あの対応行動ってやっぱり実際難しいよ ねってことをきちんと踏まえてですねあの 今後土作りを再検討する必要があるのでは ないかという風に考えてい ますはいま石川県内では今も1万4000 人もの方が避難生活を送っていましてえ 当面ま喫緊の課題というのはその人たちが どうやってえ安全に暮らせるかということ になってきますその先にはですね復興と いうことで言うと町をどのような形で再生 するのかということになりますでえ広教授 が指摘しましたようにえマルチハザード リスク様々なリスクを抱えた地域でどう いう街づくりを進めるかという議論も今後 は並行して進める必要があると思います そこでこの後は地震が突きつけた課題を 考え ます耐震補強されずに多数残っていたこと が原因です ねえの半島自身では今日現在240人の方 が犠牲となりましたえ県の発表によります とその主因のほとんどが家国の東海による ものだということですまた各地で道路が 寸断されたため原発事故が発生した場合の 避難計画にも課題が浮上しましたこの後 地震の映像が流れます の半島自身の被害で都出しているのが住宅 被害 です全回反回一部破損を合わせた被害件数 はおよそ4万6万胸に登り ますそして県が公表した犠牲者の死亡原因 もほとんどが家東海となってい ます本来命を守るための家が命を奪う狂気 になっていたの です建築耐震工学や防災計画に詳しい 名古屋大学の福信名誉教授にその要因を 聞きまし た古いえ木造家がえ耐震補強されずに多数 残っていたってことが原因ですね全国的に はあの体進化率っていうのはえ87% ぐらいなんですえ奥のの鈴と和島は50% 前後なんですそれから昨年の5月5日の 地震の揺れでえ被災した方々もまだえ修理 が終わってない方々もいらっしゃったよう なんですでこれだけ群発地震続いてるので 家そのものが傷んでる可能性もあります ね奥の住宅の耐震性の低 さ東北大学の災害科学国際研究所が行った 現地調査によると確認した被災家国およそ

400旨のほとんどが1981年より前の 古い耐震基準が適用されていた木造住宅 でし た現行の大心基準とは震度6強以上の地震 でも壊しない性能です 一方1981年より前の旧耐震基準で想定 されている地震は震度 5どれほど耐震性が違うのか比較してみる とで耐震化が進まない理由について住宅の 耐震化に詳しい名古屋工業大学の糸田秀樹 教授 は古い住宅が耐震化される1番大きな要因 はですね建替えなんです土地の所有者が 変わって建て替えるとかあるいはあのお子 さんとかお孫さんがその家に戻ってきて ですねまた継続して使うとそうなると大 規模なリフォームもしなきゃっていうこと でそんな病因があの古い住宅が強くなる 大きな理由なんですよね高齢化が進んだ 過疎地となるとそういうチャンスはえ大都 会よりも圧倒的に少なくなりますのでま それがあの耐震化が進まなかった最大の 理由だと思い ます糸田教授によると石川県は耐震回収に 対し全国的に見ても手厚い150万円の 補助金を出していますが工事には 30000万円以上かかる場合もあり なかなか進まないのが現状 ですしかし同じように過疎高齢化が進む中 急速に体進化率を上げている自治体もあり ます東長の規模でまこれだけの件数を行っ てる自体はあまりないと思いますので 90%以上は確実にあるのかな と高知県の青南部に位置する 黒潮町南海トラフ地震では [音楽] プラスしてまで配信回収を行えないって いうような声も大きく多く聞こ聞かれた ところです講師を及びして設計士であっ たり法務店向けに低コスト候補の普及 っっていうところに力を入れまし た耐震回収は一度壁や屋根を取るのが一般 的ですが低コスト候補では既存の壁に筋を 入れることで震性を補することができ住み ながら進めることも可能 です黒庁では定期的に講習会を開催し低 コスト広報で施工できる業者の育成に 取り組みまし たその結果この10年でのべ1000個 以上の耐震回収を 実施昨年度実施した工事のうちおよそ 60%が補助学内で回収することができて います でま神水区域に位置してるのでどうせ流さ れる事するまでもないっていうような声も

浮かれてはいたんですけれどもまとはいえ ですねその津波から逃げるためにはまず家 の耐震性確保してないとま道路にも出れ ないよと耐震だけというよりはですねま 避難場所まで逃げる一連の流れの1番最初 のプロセスとしてま腸を上げて啓発してき た経過ががございます旧大震の住宅全てを 耐震回収するっていうのを最終地点の目標 にはして ますこちら鹿町の中心部に向かう道路なの ですがご覧の通り片側1車線が崩落してい て通行できなくなってい ます家の東海に加え今回の地震で目立った のが道路の寸断でし た各地で道路が竜没さに地震発生直後 大津波警報が発表されたため主要道路の ほとんどが通行止めになりまし たそこでクローズアップされたのが原発 防災計画 です北陸電力の歯科原発で毎日放射の漏れ 事故が起きた場合まず原発から半径5km 圏内の住民が30km圏外へ避難します 鹿町では住民が大型バスで白山士などへ 移動することになってい ますそして半径5kmから30km圏内の 住民は屋内に退避し放射線料が上がった 場合には30km圏外へ避難する計画 ですしかし今回の自心で避難ルートに指定 されている国道剣道11路線のうち七路線 が通行止めにさらに30km圏内の七尾市 や穴水町和島市では多数のカオが倒壊し 屋内退避もできない状況でし た今まではえっと建物は壊れない道路は 使えるということを前提に対策を打ってい たでもえっと東北のえ地震と比べてはるか に強い揺れだった多くの建物は潰れる そしてえっと土砂崩れも起きるし道路が流 陥没したりしてでえ交感は使えないうん まししてや大型バスなんて通れるわけ ない原発を抱える鹿町では1月1日に最大 震度7を 観測事故には至りませんでしたが地元地区 の はやっぱり恐ろしいでしょう今 まではの避難訓練でこうしとったけど受信 が起きて道が寸断されて避難するいたら どこも行かれんわけでしょ対策ってあんた 私らどんなことできるわね教えて ほしいもしも稼働してなんか事故あってっ て言う たらま情報もろうより仕方ない ね多くのその前提が今回崩れてしまった わけなんですけれども原子力災害対策指針 の抜本的な見直しが必要ではないでしょう か非常にそういう木造加国が多いような

ところで あの屋内退避ができないような状況という のがあの発生したというのは事実でござい ますのであのその点の知見をあのきち整理 した上であのもしあの災害対策指針見直す あの必要があのありましたらあのそこは きちっとあの見直していきたいという風に 思っており ます野半島地震から1ヶ月震度7の激震は 多くの課題を突きつけてい ますえ日本は地震大国ですいつどこで 大きな地震が起きてもおかしくありません でそんな時どうやって身を守るのか大切な のがまずは家ということになりますええ 今回キーワードが1つあります耐震基準が 1981年より前なのか後なのかえまずは そちらから調べてみてはいかがでしょうか この後は被災地の最新情報をお伝えし ますえの半島地震から1ヶ月今日の動き です最大震動7を観測したの半島地震から 1か月馳は今日が受け付けている危金を 活用し鈴や和島市など6つの市や町の住民 全員に一律5万円を支給することを明らか にしまし た必ずノを 守り故郷の輝きを取り戻す決意でありまし て想像的復興に取り組んでまいり ますとます今日行われた記者会で馳はの 特 情報共が十分ではなかったとお詫びした上 でインフラの復旧と応急仮説住宅の建設に 全力を上げる方針を示しました 状況被災者がですね前を向いて生活と なりわいを再建していくために も件として地元の意見をしっかり拝聴し ながら復興に向けたジンを確にしていく 必要があり ますまた馳は先月4日から県が受け付けて いる議金について現時点で170億近くに 登ることを明らかにしました県ではこの議 金を活用して現在も断水が続く鈴や和島市 など6つの市や町の住民全員に一5万円を 支給することを決定 し今後住宅の全回や反回などの被害に応じ た金額を対象者に支給することにしてい ます 情報えさて今回の地震の被害でえ大きな 問題となっているのが断水ですえ特に七尾 市がなかなか復旧できないのには地理的な 理由がありまし たえ七尾渡町の住宅では蛇口をひねっても 水は出ませんえトイレの前には山の水を 貯めたバケツが準備されていて断水は1 ヶ月続いてい ますいや想像以上に厳しい

ですこんなにね水がないと不便なもの かっていうことは実感しました し県の水道用水を利用している自治体の うち七尾は主水地からは最も離れた場所に あり ます検と補は地から近い場所から行われた ため七尾の供給点に送水されたのは先月 29日と大幅に送れましたえさらにその先 にあるそれぞれの家庭に送る管の点検を するためえ水道の復旧は最も遅い地区では 4月以降になる見通しですえここまで被害 が大きくなったのは県の地震被害想定が 1997年以降見直さなかたことや水道 料金の高等を懸念して進化工事が遅れてい たことが要因としてあげられますえ被災地 では生活する上で欠かせない水道の1日も 早い復旧が求められてい ますえさての半島地震で今皆さんの困って いること伝えたいことえ是非届けて くださいえ投稿はのアプリからよろしくお 願いしますこのは行動特別番組をお送りし まし た

2024年1月1日午後4時10分。お正月を襲った能登半島地震は最大震度7を観測し、石川県、富山県、新潟県など各地に大きな被害を引き起こしました。
今日、2月1日で震災から1ヵ月となります。現在の被災地の様子や被災者の想い、今後の復旧・復興への課題とはー。
HAB北陸朝日放送の報道特別番組をお送りします。
※地震・津波の映像が含まれます

【被害状況マップ】はこちら▼(随時更新)
https://news.tv-asahi.co.jp/special/noto_jishin/
視聴者から寄せられた災害発生の瞬間やANNが撮影した被害状況等を地図上に表示しています

※こちらは北陸朝日放送で2月1日(木)午後3時48分から放送されたものです

#能登半島地震 #令和6年能登半島地震 #地震 #津波 #火災 #避難 #被災 #石川
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6 Comments

  1. Antigamente a jente cagava no mato ou no pátio e limpava com folhas com mato e os cachorros comiao a jente tava cagando e os cachorros comendo e as galinhas enfim não tinha água encanada era de posso e banho era só no sábado por quê não sei hoje o povo reclama de tudo luz era lampião e um prato com um barbante ou um pedaço de trapo num pires com banha essa era luz fogão era de barro fogão alenha o mundo 🌎 não tinha este lixao quê tem hoje as pessoas era mais saudáveis e feliz tramguilas aterra esta sufocada de tantas tecnologias adoecendo o mundo 🌎 em.jeral olha tá nas esqrituras quê o mundo 🌎 todo vai ser sacudido e coisas terríveis vai ainda acontecer triste mas é coisas do qriador de tudo temos que ficar mos esperto no dia adia da vida😮😢

  2. ご冥福をお祈りします。しかし私たち誰もが明日同じ状況になるかもしれない。本当に他人事ではない。

    なるべく腰より高い位置に物を置かない。背の高い家具は避ける。備蓄する。などできることをしていきたい。