北陸放送 特番『震度7 能登半島地震』~今 そして、これから~」【石川・能登半島地震】

あまりにも突然の 出来事そしてあまりにも長い1 ヶ月1日も吐く少しでも 早く体が出てくればなという風に思って ます ねもっと少なくなる人口今までも少なかっ たけどこれからもっと少なく なる最大震度7を観測した自身から明日で 1 ヶ月電車しかなかったんで学校にやっと 行ける家では3色食べられないこともあっ たのでこうやって食べれて嬉しい です学校の再開や被災者の日避難また ボランティアの受け入れなど復旧復興に 向けた取り組みが少しずつ動き出一方 で水きちっと止めたら凍ってしまって少し ずつ水かけ て今もなお支援を待つ人たちが多くいると いう 現実まもうちょっと自力では再建できない ような言葉をうような本当本当にその地震 前の環境っていうのを取り戻したい です 私たちが今そしてこれからできることと はこんばんは こんばんは令和6年の半島自身の発生から 明日で1ヶ月 です今日はあった特番として震度7の半島 今そしてこれからをお送りし ますまずはらから です今画面に移っているのは今日正午頃の 馬島市川町です川町では今月1日のの半島 地震で火災が発生し和島朝一通りを含む およそ5万8 100m300胸ほどが消失しました上空 からの映像では煙は確認できませんが地震 発生直後と変わらない痛ましい光景が今も 見て ます今回の地震は観光地の賑いを一瞬にし て奪い取りました後ほど和まの現状も 詳しくお伝えしますではゲストのご紹介 です日本の防災研究に50年以上取り組ま れています減災復興支援機構の理事長木村 卓郎さんです木村さんよろしくお願いし ますよろしくお願いしますお願いします 木村さんは今月12日から3日間被害が 特に大きかった和島市や鈴市を中心に殺さ れました 当時の被災地の印象というのはいかがでし たかはいあの地震災害といろんなこと 起きるんですけどもとりわけ今回の災害で はですね津波から駅場化から斜面崩壊河空 それから水道という風にもうあらゆること が起きたとでしかもその量がですねまた すごいというのが非常に大きな特徴では

ないかなと思いますえ今回の野半島地震の 被災についてこれまで各地で起きた大規模 地震と比べての特徴どう見ていますかえ とりわけですねあの大きな問題になってる のはやっぱり水道だと思いますねはいえ もう1ヶ月経ってもですねまだ水が出ない とでまだこれから1ヶ月もかかるという ようなことでえ過去大きなですね震災え 熊本自身でもですねえ水が大体復旧するの に1週間ですねそれからえ東日本あるいは 阪神でもですね1ヶ月したらもうほぼ水は ですね出ておりましたのでそれに比べると ですね今回も2ヶ月以上も水が出ないって のはこれもうはっきり言って異常自体だと 思いますええでやっぱり水が出ないがため にですねやっぱり復旧復興も遅れてるこの 水対策えまだまだこれからえどんどんやら ねばいかんという風に思いますはいはい 木村さんはこれまで数多くの被災地で生活 再建の支援に関わってこられましたえ番組 では木村さんに私たちが今そしてこれから 備えるべきことについて聞いていきたいと 思い ますそれではまずは今日のニュースから 振り返っていきますの半島地震の発生から バで1ヶ月です真島市では被災者にとって 生活再建の第1歩となる仮設住宅が完成し まし た完成したのは和島市の霧子会館多目的 広場で建設を進めていた46個のうち18 個 ですは2DKが14個4DKが4個で原速 2年間済むことができ指では今後年代や 家族構成を考慮しながら入居者の選定を 進めます一方この場所は市のハザード マップで津波の浸水区とされていて住民 からは不安の声も聞かれますはねどうして も怖いですよねまだあと1回くらいは なんか大きいの来そうみたいな話らしいし うんそれより優先するものあるとにかく 落ち着きたいと いう真島市では仮設住宅の入居申請が昨日 までに4140件に登っていますが着工数 は548個にとまっていて地元に残りたい という被災者のニーズに答えられるかが 課題となってい ます東海し川から出た瓦礫が重機で1つ1 つ取り除かれていきます 一方一刻も早い断水解消を目指し水道工事 の妨げとなっている東海化の撤去作業が 今日から始まりましたまましによりますと 水道工事を担当する市の上下水道局の依頼 を受け所有者の許可が取れたところから 作業を行っているということ ですつつはねあというけどもま色んな

思い出あり ますこの家で長男夫婦と妻の4人で暮らし ていたク照さん70年以上住み続けた自宅 が開しましたが死の依頼を受けて撤去を 決めまし たはせならないということですもそういう ことも考えてなるべくいでも早くもらしし てほしいなと思悔しいけどねえの皆さんの ご理解というのはこれが1番あの不可欠か と思いますので今節丁寧にですね行って いきたいと 思瓦礫は道にはみ出さないように空 スペースなどを活用して置いていきますが 東海の危険がある場合や置き場所がない 場合は新町の仮置場に運ばれるということ です 一方4000胸以上の住宅が被害を受けた 鹿町では仮設住宅としても利用できる トレーラーハウスの設置が進んでい ます駐車場にずらっと並んでいるのは10 代のトレーラーハウス鹿町からの要請を 受け長野県の企業が仮設住宅として提供し たもの ですお風呂やトイレそしてキッチンがされ てゆったりとしたスペースが確保されてい ますトレーラーハウスは1LD系タイプで キッチンは3コンロそしてアイバ付きのお 風呂も備えられてい ます震度7を観測した 鹿町4500胸以上が被害を受け今も 1000人近くが避難所での生活を続ける 中仮設住宅の確保が課題 です 普通がなかなかあの被災するとなから戻っ てこないっていうねま色々心の中に穴がい たりとか周りいろんな形でいろんな本当に あのことが残っていてま本当にそういう中 でとにかくあの1日も早く普通になって ほしいなという ですトレーラーハウスは今後水道や電気を 通す作業などを行い来月下旬から入居 できる予定だということです の半島地震で県内では4万を超える住宅に 被害が出ました被害のあった住宅では地震 保険の支払いのために被害の調査が進め られてい ます土台部分に入った 日々沈んだ 床地震による県内の住宅被害はこれまでに 4万旨以上確認されていて被災者の生活 再建が急がれます パン田と申します本日はよろしくお願いし ます はい七尾に住む松原浩さん63歳地震で 住んでいた地区53年の家の土台部分に

亀裂が入り契約していた損害保険会社に 保険金の申請をしましたあのこれからです ねあの建物のあのご存が確認をさせて いただければと思いますのでよろしくお 願いいたします はいがのあった住宅に出き外壁の傷や盤の 化具合柱の傾きなどを調べ ます調査には1件あたり2時間程度かかり 被害を受けた住宅全てを査定するのに時間 を用し ますあの今回え確認しました結果あの全損 というはいことになりますので今回地震 保険をですねえこれ875ではい この金額をですねはいおさせていことに なりましたのではい はい一般的に被害は前村大半村小半村一部 村の4つに分かれていて松原さんの家は 土台部分に多くの亀裂が確認されたため前 判定となりまし た井会の保険では一部以上の認での 100%が保証され ます16年前に半登地震って大きい地震 ありましたよねあの時に入ったんですよ これからの生活の足しとかと金沢市内だと 一部村が多かったんですけどもま今日拝見 させていただいた7をの方まで来ると やっぱり小半村大半村っていうのが多く 見受けられ ます損害保険会社によりますと震保険の 家の図面の壊れたものは捨てずに保管 もしくは写真を取って証拠を残すと査の 対象になるということ ですあの壊れたものを写真撮っていたくっ ていうのは1番やっぱりあの形として残る ものなのでま高等でお話伺うよりかは写真 と高等でお話伺うってのが一番いいかと 思い ます続いて鉄道に関して ですで前で運休が続く鉄道は来月15日に 一部区間で運転を再開すると発表しまし た七尾駅と穴水駅を結ぶの鉄道は地震で 線路に土車が流れ込むなどおよそ50か所 に被害が見つかり前線で運休が続いてい ますこのうち七尾駅と中島駅の間について 鉄道は来月15日に運転を発表しまし た残る野中島駅と穴水駅の間についても4 月中の運転再開を目指して復旧工事を進め ますまたJR7尾線も来月15日から七尾 駅と和倉温泉駅の間で運転を再開し ますまた速度を落として運転していた四駅 と白井駅の間についても線路の状態に問題 がないことが確認できたため来月3日の 始発列車から通常の時刻で運転し運休が 続いていた特急のか日も金沢駅と七尾駅の 間で運転を再開し

ますの半島自身の最新の被害情報 ですこれまでに亡くなった人の数は238 人ですこのうち15人は地震の後容気や 怪我などが悪化してなくなる災害関連士 ですまた安否不明者は鈴市と和島市で19 人 です続いて避難状況です一時避難所に避難 している人は 857人となってい ますまた旅館やホテルなどの2次避難所に は 4792人2次避難所への受け入れが 決まるまで滞在する1.5次避難所には 294人が避難してい ます断水の情報です現在もおよそ 4万8千円と発表してい ますまずはここまで入っている地震関係の ニュースをお伝えしまし たではここで避難所にもなっている鈴の 商品小学校のグラウンドから中継です石橋 さん今日日中10度を超える時間帯もあっ たここ涼しですが日が落ちてからぐっと 冷え込み厳しくなってきましたこちらご覧 ください商小学校のグラウンドですここで 今急ピッチで作業が進められているのが 仮設住宅の建設です2月の6日までに40 個建設予定だということです中にはトイレ 浴槽キッチンこれが備わっているという ことですまた暗くて少し分かりにくいかも しれません寄っていただくと外には室機が 見えます中にはエアコンも完備されると いうこと ですそして今日午前中私は市内でタクシ 運転を務める塚菊さんという方に話を聞き ました塚さん自身も地震で住宅が大きな 被害を受けていらっしゃいます1月と前回 の特番の時にも浜さん話を聞きましたその 時と比べて生活状況全く変わっていないと いうことでし た現在も鈴市内に住む友人の自宅で生活を しているということ です住む家さえ決まれば前をくこでんだ けれもという話をしていました前回お会い した時と比べて私は浜さんの表情など含め て少し元気がないのかなという印象も持ち まし たそして私が前回この商町鈴市に来たのが 1月10日ですその時と比べてこの所員町 ですけれども町の景色だけを切り取ると 正直こう家とかもですね全くつかずの状態 ですしほとんど変わっていないというのが 現状となっていますそしてもう1つ私が 今回強く感じているのが被災者の皆さん 本当に精神的に疲れこれが溜まっていると いうことです取材をしていてもやはりもう

疲れてきたわという声を漏らす方もいます 心のケア精神的なケア今後強く求められて きそうです現場からは以上 です明日で震災から1ヶ月となります やはり被災者の皆さんの疲れもピークに 達しているでしょうからねはいえここで 今日のニュースについて少し木村さんに 解説いただきたいと思いますまずあの和島 市で仮設住宅が完成しました被災者にとっ ては大きな第1歩じゃないですかそうです ねでこのおまようやくですね仮説ができて 入居というまそういう時間って言い ましょうかね段階になってきたと思うん ですがあの仮説に入るのにですねじゃあ みんな入れるのかということが1つあり ますで要するに被害程度によって入れる人 入れない人という風にあってでそれをです ねえっと決めてるのが理財証明ですねで 理財証明も今あの受付が始まってるよう ですけども理財証明にですね被害区分がえ 6つありますでこのどこに入るかによって その被災された方のですね今後受けられる 公的な支援これがあの変わってきますです ので理財証明は非常に重要なんですけども この理財証明をですね役所が出す前段の 作業として被害認定調査被害調査ですね これがありますですのでそこの職員の人が 来てここのうちはえ反回ですよ一部損です よとかって色々やりますそこはですね結局 その人の今後受けられる支援内容そこで 全部決まってきますんですけどもえ自分が 見てですねいやうちはもっと壊れてるん じゃないかとかいう風に判定結果ともし 違うという風になった場合にはあの役所に 行ってもう1回見てほしいよというような ことは言えます2次審査ですねえこれを 是非やっていただいて納得いくようにです ね被害認定をしていただくのがいいかと 思いますなるほど見直しも検討できると いうことですから改めてその理財証明の 大切さっていうのは大事にしていたい大に してほしいです はいさて被災地では今もなお8600人 近くの住民が避難所での生活を余儀なくさ れています甚大な被害が出た穴水町で話を 聞くと奥のと特有の問題も浮き彫りとなっ ていまし た地震から3週間ほど経った今月20 日日で9ヶ月です25 [音楽] 日月避難所では後9ヶ月の赤ちゃんを抱く 母親が育児中ならではの悩みを口にしまし た赤ちゃんのおむつとかしてる時に仁袋が 毎日いるのでそれに対してあの物資して ほしいとかあと小指の先っぽがやっぱ何

ヶ月ごとに変わっていくのでそれも欲しい なさらに断水が続く中女性ならではの問題 も整理用品のパンツ方が欲しいやっぱり 洗濯もできん状態なのでお滅も使えないの で普通のパンあのつけるナプキンは届く けど今洗濯で状態や から避難所が抱える問題は他にも奥と特有 の事情が関係してい ますあれ動が 出られないからここぐっと回ってあ ちょっと体を動かして ねこちらの避難所では今月20日時点で 117人の住民が避難していてその ほとんどが65歳以上の高齢 者トイレなどへの付き添いが必要な高齢者 も10人ほど生活していて私が取材を 続ける中でも救急車で運ばれる姿も見られ ました 元々どこのうちもこうやって真屋なんかい ても外にいる人が多くてね遠いとこに人 帰って行ったしね正月ちょうどみんな来て たけどね春先ね戻ったら畑やりたいねって いうねちったら畑すね ボケボランティアの男性も若者の少なさを 感じていまし た特にこういう時にねパワ必要なは若者だ と思うんでまた今後同じような状況になっ た時にはより深刻になるのでやっぱり危機 感は感じますよ ね一方で避難所に行かない選択をする人も い ますす商品町去年5月の地震に続いて今回 も多くの住宅が倒壊するなど被害はさらに 深刻差を増しまし た 坂口政治さん84歳1920年創業の戦闘 を営んでいましたが去年5月の地震の後 建物を取り壊すと決めた矢先今回の地震で 開しまし た81歳の妻は足が悪く次に津波が来たら 逃げられないと言って金沢市の子供の元へ 避難坂口さんは全開した自宅の前で車中泊 を続けてい ます毛布4枚も て3枚来て後の1枚頭かぶたこれちょうど いいですトイレへ行く時これ開ける酒この 時エンジンかけてはいあのちょっとだけ 10分ほど回し て買いためてあった食材や避難所の支援 物資で生活を続ける坂口さんですが それでも自宅や地元が好きと話し二避難は 考えられないと言い ます心細いてくないていえば嘘になります けどま年寄酒ね今までなん回もそんな経験 してきとしたから大丈夫

です長引く避難生活で命を落とす人もい ます町の倉やよいさん98歳長男のすお さんと2人で被災し地震当日は初めて車の 中で一夜を過ごしました社長泊ではもう 経験がなかったんでしょうね戸惑ってまし たね多分本人 もその番は寝れてないと思うんですよ ね翌日から避難所に入りましたが慣れない 環境で体調は悪化していきまし 全然言葉を発せなくなっていましたです 慣れないの と われもあったんでしょう ね親族がいる小松市への引っ越しが決まっ ていた今月11日弥さんは朝食のお粥を喉 に詰まらせ亡くなりました災害関連士と 認定されましたこれさ投げればもうパの 面倒見ればもう100歳 は確実に受けていたんじゃないかな と改めて避難の状況を見ていきますまず 一次避難所となっている場所には現在 857人がいますそして石川総合スポーツ センターなどの1.5時避難所には294 人 そしてホテルや旅館などの二次避難所には 4792人がい ます一方で避難所に行かずに自宅にとまっ たり車中泊を続ける方もいます県の情報 登録窓口に登録した人のうち自宅にとまる 方は てい ますただ登録をしていない人も多くいると 見られ実態の把握が追いついていません私 も取材をしていると避難所ではなかなかお 風呂に入れなかったりまた断水が続き選択 ができず下着だったり肌着などを何日も 同じものを使っていたり女性にとっては 整理などの問題もあります衛生面で非常に 心配だと感じたんですが先生体の悪でし たりとか災害関連士どう防いでいけばいい のでしょうかはいあの今回の震災でえ災害 関連士っていうのが非常に当初からですね え非常に要注意ですよという話が随分出て おりますでえっと2016年熊本地震の時 に災害関連士がかなりあってでそれでえ 今回あの県の方も心配して散々こう関連士 の問題を上げてるんだと思うんですけども 今まででの災害管理士の特徴を見るとです ねえ大体高齢の方で病を悪化してえ なくなるというケースが非常に多いです はいですからうん震災当日はですねま元気 だったけどもその後要は避難生活ですね こういう方形でえどんどんどんどん体調が 悪くなってなくなるという方が非常に多い というのが関連士の特徴ですで高齢の方

あるいは自宅で生活をしててもですね関連 士になる可能性もありのでえ高齢の方病の ある方十分気をつけていただきたいなと いう風に思いますはい周りの方と声を かけ合いてしっかりと対策していかなけれ ばなりませんそして避難所など被災地では 子供の食事の量が足りないなど職の問題も 多くありますよねそうですねあの現地で 色々聞いてみるとやっぱり食事がですね あまり改善されていないという状況でなん とかもうここ1ヶ月来てるわけですけども はいえまだこの状態がですね1ヶ月も続く となると本当にちょっとこれは非常に危機 的な状態ではないかと思いますで1つの 方法としてえ2004年にですね中越の 地震があった時にえ食事をですねえ被災地 の人たちに作ってもらうお弁当を作って もらってでそのお金をその作ってくれた人 たちにお渡しするというやり方を取った例 があるんですねえ弁当プロジェクトって 言ってたんですけどもこういう考え方を うまく今回も使ってえ例えばノトのノト 半島の近くのえ水が出るようなえ食材 あるいは人があるようなところであるいは え被災して仕事がないような人に入って いただいてお弁当を作ってえ学校とか なんかに届けるというのも1つですしえ数 がそれでは足りないというんであればえ 金沢の方で作ってえ半島の方へ届けると いうのも1つでそれによって失業あるいは あのお金ですねえこれがなくなるというの を防げるという1つのこうメリットがあり ますのでそういう被災地及び周辺でそう いう経済循環で健康回復というですね2つ を狙ってなんか新しいプロジェクトをです ね是非県が中心になって実施して いただければなという風に思いますあとは 先生なるべくこういった話はしたくないん ですけど仮に震災後に家族申請金が なくなってしまった場合遺族はどういった 対応を取ったらいいんでしょうかねはい あの関連士というのですねこれも認定なん ですね認定された時はえお金が出ます調金 というもので今あのちょっと見ていただい ておりますけどもこういう形でお金が出る のでえ是非ですね申請をしてよくわから ないなという時は役所に問い合わせをして ですね手続きをしてえお金が出るようにし ていただければという風に思います過去の 大きな地震でもそうですけど2ヶ月経って 災害関連士と認定されたってこともあるん ですもんねありますですからまだまだ幼 注意なのでその辺はえ練習はですね決して え終わってはいないのでえ健康には十分 注意していただいて万が一なくなった場合

はこういう超制度というものがあるという ところを是非覚えといていただければと いう風に思いますなるほどこういった制度 はもちろんですけど災害関連士ですから これから救える命であることは間違いない じゃないですかまずそこが第一ですよね そうはいあの遠くにですね親戚とかなんか 避難してても決して気を抜かないで気を つけていただければと思い ますさてこの後は震災と津波で家の9割が 壊するなど壊滅的な被害を受けた鈴につい てです鈴の泉市長は今日JNNの単独 インタビューに応じ鈴の今そして復興に 向けた思いを語りまし たえ最初本当にあの歳直後はですねこの世 のこととは思えないようなこう1月1日 から時が止まったようなところもありまし たけれどもえ今まで通れなかった道がです ね通れるようになってきたっていうこと あと停電もですねえかなりこう解消されて きていますよねえ少しこう動きが出てきた かなというところです ねまずはですね大事なのはやっぱり断水の 解消ですよね水を通すだけではダメなん ですよね水は来たけど流しちゃいけないと 要は下水度の問題になってくるんですよえ 配管に損傷がないかということを確認し ながらですねえいきますので重だった ところはやっぱり2月末ぐらいに解消 できるの かえまずはこう片付かないとですね次の ステップに行けないでその上でえ新たに 新築をするのかどうするのかえ今八ヶ崎で 1か所2月1日から震災瓦礫を受け入れし ますけれどもできればあもう2月中ま できるだけ早い時期にえもう1か所2箇所 ぐらいですねえ解説をし たい少しずつえ道路もですねえこう通れる ようになってきたえご自分のお家に車を 横付けできるようになってきたえそういっ た少しこの1週間で状況変わってきました 鈴の社会福祉協議会の方もえ今週末え2月 3日にはですねえボランティアの受け入れ を始めたいとあ考えておいでますのでえ 進めていただけると思っていますでただ やっぱりできればですねまあの専門的な ボランティアと言いますかえそういった 方々にお越しいただければなおいいのかな とま本当にですね様々なえ建物えま住宅え 壊れましたえけれどもよく考えてみると ですね世界農業遺産の保全活用であったり そしてまたsdgsの取り組みこれまで3 回開催をしてきました奥国際芸術祭えこう した取り組みはですね取り組みなんですよ だから壊れてないんですねこの大震災を期

にですね新たな地域えそしてまた新たな 成りをですね作り出していくえこれがです ね大事だと思ってい ます泉市長はボランティアの受け入れに ついて来月3日に開始したいと話してい ました木村さん今はなかなかいけない状態 ではありますけどこういったボランティア にはどういった支援が期待されますかあの 先ほどVTRの中にもちょっと出てました けどまずはですねあの家の片付けこれ 大きいかなと思いますええで今家の中が ですねもう家具とかなが散弾してて やっぱり自分のその家の中をそういう風に 見るとですねこれはもうダメかなという風 にですねえ非常にちょっとマイナスに考え てしまうと思うんですねはいでとりわけ あのえ注意していただきたいのはえ今度 コヒ解体と言って家の解体をですねあの 役所がやりますよっていうえ今までの災害 でもですねそれに飛びついてすぐ壊して しまう人ってのは結構多いんですよで後で あ失敗したなとうん修繕すれば良かったな という人が結構多いので慌ててそこに 飛びつかないでボランティアさんに頼んで まずは家の片付けをですねしっかりして いただくってのがまず第一歩かなという風 に思いますなるほどボランティアと聞くと 物を運んだり力の支援っていうのは もちろんなんですけど経験豊富な ボランティアは知識だったり知恵の援助も できますもんねそうえあの専門的な人は ですね今被災地はこんな状況だよっていう いろんな情報を外に発信する役もになって くれるんでえぜひボランティアさんの拠点 みたいなものを作ってえそこへ来て いろんな活動していただくのがいいかなと いう風に思いますはいそして喉のこれから ですがすには土山祭りでしたりとか喉全体 で見ても本当にあの華やかで大きな祭りが たくさんあるんですよねこの祭りを再び 復活させることというのが復旧復興に つがっていくんでしょうかあの今までの 被災地もですねやっぱりこういう過去あっ た災害前のこういうイベントですねはい これをやっぱりなんとか再建したい復活さ せたいということでやっぱりそれをそれで 心を1つにして頑張ってきた被災地が いっぱいありますですのでまここもですね あの今までえやってきたようなあの聞くと え切り子祭りというですね大変賑やかなお 祭りもあるようなのでえ切り子祭りをです ね復活させようというようなその スローガンをですねえ作ってみんなで やっぱりえ心1つにしてえ復興に向けて 取り組んでいただくいうことが非常にいい

のかなという風に思います先ほど映像にも ありましたけど飯田町には土山祭りがあり ますよねノ各地で本当に歴史のある祭りが たくさんありますけどそういったノの皆 さんは1年を祭り基準に生きていると言っ ても過言ではないでしょうからシンボルと して復活するのが復旧復興に繋がってき そうですよねですねですからえそれをです ねなんとか今年もやるんだぐらいの思いで ですねえ皆さんであの頑張っていただけれ ばというう思いますはい はいさて奥のを中心に甚大な被害を もたらした今回のノ半島地震穴水町にある MROの市局のカメラマンも自身が被災 する中で取材を続けています和島市役所前 の小カメラマンです保 さんはいMROの都市局の小僧淳です自宅 がある穴水町に住みながらこの1ヶ月間 地震の取材を通じて感じたのは失われた喉 の日常の尊さと機上に振舞と勤める奥の人 たちのぎざでし たすごい です元日の地震これまでに経験したことの ない大きな揺れでした家族の無事を確認し た後自宅のある穴水町から私が向かったの は和島市到着したのは深夜2時過ぎでした 和島市が炎に包まれてい ます土砂崩れで来れなかったんで早く伝え なきゃっていうのは思ってました無が夢中 すね本当 に言葉は悪いかもしれないですけどま空襲 の後みたいな感じでした本当に取らなく ちゃっていう思いもあるし悲しかったし 覚えてるようでなんか覚えてないような 感じもします し火災を撮影してから4週間に朝市を訪れ まし たあれから時が止まったまま です神屋さんがあってそこに名物猫がいた んですよたっていうでそれはコロナの時で 少しでもこうお客さん来てくれるように なったなと思って撮ったんですけどま結構 評判良くて正直あの無事なのかなって いう賑わっている時も感とした時も撮影に 訪れた 朝一お世話になった人たちの安否を未だ 確認できずにいます電話番号してても なかなか かけにくいというか怖くてかけられない みたいなところはあります ね私がこれまで取ってきたノの美しい 景色人の営みや春華秋冬の風物 師当たり前だと思っていた日常が一しまし [音楽] たこの地震で私は大切な人を1人失してい

ました県外から和島に規制していた私のい の息子小学5年生の男の子 です川の東海に巻き込まれて元日に息を 引き取りまし たもう小さい頃から僕の家にも来てくれて こたつで眠ってるみたいな感じでいまし た5日目ぐらいに家に戻ったらていうか僕 の実家に行ったんですけど年賀状が届いて て6年生になりますっ て親戚でこうなんでとご家族をなくされた 方 は本当に辛いだろうなって取材続けてて あのま頑張ってるとかすごい素敵な話も いっぱいあるんですけれども忘れられたら いかんなと思っ てまだまだね大変な人がいっぱいいるん ですその人のことをこうやっぱり伝えて いきたいなっていうそういう思いなって [拍手] ます今年初そして地震発売後初の水揚げが 行われてい ます私の仕事始めとなるはずだったブリの 水揚げ予定よりも7遅れだった量は大量 でし たま網はイドララダさんが良かったけど なんとか起きで魚取らしてもろてまこれ からやば頑張っていくしかないと思います よ日常を取り戻したい何かしなくちゃ取材 を重ねる日々の中でそんな思いに囚われ ますの町では家族と避難しながら黙々と 受験勉強する高校生に出会いまし た 奥戸にある11の坂全てが災する中こちら ではお酒の元となるみを運び出すため白山 市の坂手を差し伸べまし ためちゃくちゃありがたいていう気持ちと あの忙しい時期なのに申し訳ないていう 気持ちとあります1日にも早く皆さんのご 支援いただいたもみお酒にしてお届け できればなと思って ますも詳しい姿に力をもらいまし たボボの家 ですえおおつい た電気水道が止まっていた穴水町の自宅3 週間ぶりに戻ると電気が通っていまし たもう最初はもう全部倒れてたんで奥さん とか友達とかと一緒になんとかこれでも 少し綺麗になった方です今あの僕実家の方 に避難してます はい妻は自動用施設で働きながら寝泊まり し3人の娘のうち一緒に住んでいた中学1 年生の産女は唐沢の大学に通う児童の元へ な家族全員バラバラに暮らしてい ますなかなかけすれ違い中ま元々 穴水商店街を撮影するのは自信が起きた

元日以来 です子供の頃から慣れしたしんだ風景は すっかり変わってしまいまし たみさんもう水来たんですか水来ましたよ あそうなんですね僕桜町まだ全然なんです けど街の写真官の西尾さん建物の被害は 小さかったのですが成人式が中止となり 仕事に影響が出ていると言い ます人がい て成り立つ商売だし何間人が残るかわかん ないでしょいやでも西尾さんがもうここ 残ってやってくってはすごい僕はもう元気 もら まし [拍手] ノトの祭りといえば七尾の白 祭そして夏の切り子 [音楽] 祭り大丈夫すね折れたりはしてないです もん ね地元の祭りで担ぐ切り子 幸い目立った損傷もなく無事でし た良かったす今日は 片付け僕まだ全然青年打の団長大君奥さん と子供たちは金沢に避難しています去年 やっと1回久しぶりにできたと思ったら また今年こんな感じなんでま物があっても 人間がらんことにはどうにもならんから そん時になってみんとんとも感じか な町を離れて戻ってこないという人もい ますそれでも私はカメラマンとしてのを 見つめ続けたいと思ってい ますそのレラの判断っていうか選択は全然 間違いじゃないと思ってますしま寂しい ですけどねでもみんな好きで喉離れるわけ じゃないからまだまだひどい風だと思うん ですですけど今度復興してったりとか綺麗 なノの姿をそういう人らのために見せて あげたいなとは思い [音楽] ます小さん自身も非常に苦しい中での取材 だったと思いますけどこの1ヶ月で被災地 の皆さんの言動だったり何か変化っていう のはどう感じました かそうですねあの2日前に和島一の方に 電話しました 地震と火災で家とお店を失ったんですけど も今避難所生活を送ってましたが頑張り ましょうまたお会いしましょうねと おっしゃってましたあの不安を考え不を いきながらもですね諦めず前を向く今 そんな姿や声が増えてるような気がし ますさんさんは本当にが大好きというの がつも話してても伝わるんですけどもこれ からもノを撮影し続けたい見続けたいと

いう話もありましたこれから取材を通して どんなことを伝えていきたいです かそうですねあの風景は変わってしまった んですけれどもあの助け合いながらのに 暮らす人の優しさは変わっていませんあの その中でこれから生活に不安を抱く人たち の問題や課題そして復興に向けて頑張る人 たちののその姿を私は大好きな喉から伝え 続けていきたいなと思ってい ます小僧さんはいつも本当にノのために 頑張る方ですのでお体にはくれぐれも気を つけて くださいありがとうござい ます小僧カメラマンでし たここからは孤立集落に焦点を当てていき ます 今回の地震では道路が寸断されるなど集落 が孤立状態に陥りましたその1つわ市の 中心部から海岸線を車で20分ほど走った ところにあるなじみ地区では全ての住民を 対象に集団避難が行われました選択を迫ら れた住民たちの1ヶ月 です次々と ヘリに乗り込む住民 た和島市沿岸部に位置する馴染み 地区11の町が集まる集落に地震の前は 700人ありが暮らしていまし たあの帰れるようにします帰ってもまた 自信があるかもしれないて恐怖とか現場見 ながら復興の日々自分の目でずっと見れた が全ての住民を対象にした県内初の集団 避難が行われた 馴染み住み慣れた町をなぜ離れざるを得 なかったのかその背景に迫り ます ああ元日の午後4時10 分揺れの直後停電や断水に加え通信も遮断 外部との連絡が一切えまし た船町では土砂崩れや火災が発生し2人が 犠牲 に寸断されてて消防者が来ないとか結局 地元で対応援ない状況だったのが非常に きつかっ たなじみ地区は最大で24あった孤立集落 の1つになり ます小学校や公民館に避難した住民に支援 物資が届いたのは4日 頃この頃ようやく海沿いのご一部のエリア でスマートフォンの電波が繋がり始めまし た1月5日ですねあやっとやっとうん消防 団員の小西正隆 さん馴染み中学校の同級生から安否を 気遣うメッセージが300通近く届いてい まし たとりあえず生き

とるそう返すのがやっとでし た馴染みは壊滅的 です今日昼に給水者が来た人力でしか届け られない集落にどう運ぶかが 課題ネット通知てここに誰が いるこの孤立主役がまだ来ていないその 情報をもとにえ自衛隊の皆さんを戦闘 に救助に入って ます次々と明らかになる孤立集落の 存在8から9日目じ道区は県議会議員の 吉田さんの姿がありまし たその県議も際おそらくされとると思う もんで私のから代わりに来ましたって言っ たらねお前なんかの言うことなんか聞ける から せ妻は馴染み 出身自力で現地から避難した立ちにあって 孤立集落へ向かうことを決めまし た県がへの不要不及の往来を控えるよう 呼びかける中でし た6日まで歯も磨いてないあの顔も洗って ない手も洗ってないま水がなかったからだ からとりあえずハブラシとはやが欲しい うんあれ以上やっぱりこちらに待って るってことはできないん だろう避難所で間の当たりにしたのは衛星 環境の悪 さ300人から350人ぐらいま2箇所に 分けて入っとるんですけどもそのどこでも に触ととかいろんなところ毎日みんなで もう徹底的に掃除すてるんですもうそを ついたもんでハイターが 欲しい吉田さんは地域コミュニティごと まとまった避難先を用意するよう現地から 県に働きかけ ますこの要望はちょうどその頃二次避難を 呼びかけていた県側の思とも一致しまし たその夜吉田さんは住民の説得に当たり ますペット犬とか猫とか持っているんです けどもそれも一緒に避難できるのかって ポンと来たんです私の判断でいやペットも 一緒にあの避難できますよって言って しまったんですよ ね明日朝までに荷物をまとめて地元を離れ て ほしい急な妖精に住民たち は馴染み全体を運ぶぞいう流れになって ちょっと点直下すぎて一晩みんな寝れ んかったですねいろんな思いがあってでも 次の日になったらもうやっぱり行くって いうみんなで行こうっていう風になりまし た午前9時過ぎですなじみ公民館にヘリの 第1便が到着しまし たそしてから11日 目慣れた染みを離れ

ます避難先となった金沢市ぬ町の体育館に はペットを飼育するスペースも設けられ まし たしたね1番寝られた ね主人もお墓入れてきたし子供も2人死ん だお墓入れてきたそうしらやっぱり帰って 朝ねおはようお みい帰りたいね うん一方で集団避難せず馴染みにとまる ことを決めた人 も向こう行ってまバラバラになるここへ 帰ってくる人何人おるかな 寂し公務店を営む山崎正彦 さん断水が続く地域に残った人々の間を本 していました雨水を貯めて風呂洗い物に 使えるよう供給用のポンプを設置してい ます雨に落ちてきたやつをここ伝って タンク中入れてます勝手に考えてやってる だけで強化所にもないし使命感ていうかね ここで育てられてま恩返しや ねこの街俺が守るとこの分断どやってた生 に も議員の大宮さんも住み慣れた土地に残る 決断をしました向こで仕事に見つけて子供 のためにもという方向に向かれたらわまし は怖いなというだから1日も早く復興せと の前提が人間いなくなりますんで ね多くの住民は2度と馴染みに戻ってこ ないので はそんな不安を振り払うかのようにとし ロールしてり ますとにかく1日も早く皆さんがここへ 帰ってくれるよう にそれだけです ね自信で多くのものが失われた中無事だっ たもの もでおよそ450年の間受け継がれる県の 無文化財ご神女 大子叩くのが許されるのは名町に住む男州 だけ毎年1月2日は地元の神社で打止め式 が行われ新年の始まりを祝ってきましたが 今年太鼓の音が響くことはありませんでし た私さ対抗大丈夫でしたかはい大丈夫でし たあそうですかありがとうございますかお 預りしてますのでえはい保存会の代表土谷 幸さんおい自身の面や衣装を預けに来まし た地震の南を逃れた太古屋面は白山市の 麻野大子学期店に運ばれ保管されています 私自身メンバーにまだ1回も顔を見たこと ないメンバーがたくさんいるんでまこれ からですね大勢のお客さんの前で披露し たいと思います3月16日の北陸新幹線鶴 が開業での披露を目指して来月から練習を 再開する予定 ですここからは取材した中村記者と進めて

いきますはいえあの県は孤立集落について 実質的に解消したとすでに発表しています けれども孤立集落と定められている3つの 地区が未だにありましてそのうち1つが この馴染みになりますであの全住民が対象 で避難したことでまそのような中で一方で まあの人けのない状態が今1ヶ月経って 続いているんですけれどもまこの点につい て今後見通しを先生に伺えればなと思い ますはいあのまはっきり言えるのは過去の 事例から言ってもですね時間が経つほど 戻る人は少なくなるというのはもう一般的 な傾向ですでえいろんな災害の事例をです ねねあのちょっと平均的な数字でお話する とですねやっぱり2年3年という風に時間 が経ってしまうと3割ぐらいの人はもう 戻らないというのは結構データとしては ありますで理由はっていうとやっぱり1つ はですね被災した時はまだ元気だったんだ けどもえ避難先でどんどんどんどん やっぱり体の調子が悪くなってると年を 重ねるにつれてえ体力が落ちてとかいうの がありましてでえ帰っても医療施設がない からとかですねそういう理由でも諦めて しまう恒例の方も結構多いですそれからえ お子さんがいるうちではやっぱりお子さん があのなんて言いましょうかねえ小学校 だったのが中学校行ってお友達もできてと かいうのでもう帰りたくないという声も 結構あってでやっぱり親も一緒にという ことで戻らないっていうケースが結構ある んでえもう時間との勝負だと思いますね はっきり言ってあの大3割え3人1人戻ら ないと非常に厳しい状況だと思うんです けれどもま帰りたいという人もいますあの どうやったら多くの人が帰れる環境が できるのでしょうか1つはですねあの なんて言いでしょうかねえ集落に帰る目標 スケジュールをですねしっかり立ててあげ るっていうのが1つだと思いますね やっぱりあの人間っていうのはま当たり前 ですけど誰でもそうだと思いますがえあと 半年頑張れば帰れるよとかっていう目標 設定がないとこれは気持ちとしては相当 萎えてしまうのでやっぱり早く目標を 定めるというのが1つで具体の例で過去の 例で言えばえ新潟の山越なんかもやっぱり 戻ったんですけど人は減りましたけど今は 元気に皆さんあの楽しくやろうというんで やってます はいこういった今映像に出ていますけど 新潟の山越村の事例など聞くと先生決して ネガティブな話だけではない印象けますね そうですねあの非常にこうま変な話です けど災害によって致命度が上がって外との

交流が盛になってというようなことでえ それがあの地元の経済の活性化にもつがっ てるという例がまこのケースだと思うん ですけどもあのマイナスにだけ考えるん じゃなくてプラス思考で色々考えていくと いろんなことができるんではないかという 風に思いますうんここ最近で全国の皆さん からののへの関心っていうのはおそらく 高まっているでしょうから何か集落の歴史 を絶やさないための工夫に期待したいです よねそうそういうことですねはいえここ まで中村記者と共に進めていきまし たさて続いては地域に寝付く産業の再生も 大きな課題の1つです石川の経済を支える 農林漁業や観光業にも地震は大きな ダメージを与えました未だ復旧の目処が 立たない中それでも関係者は喉の復活を 信じ歩みを止めませ んお客さんもチェックインしてた時間帯な んで本当に使ってたまま皆さん木のみの まま飛び出し て でこうやって部屋のところはここがもう壁 見えちゃっどこのフロアもこんなんになっ てますわ この七尾市の和倉温泉で創業以来220年 続く死旅館美 万創発売の日は日ということもあり シーズンで最も多い220人分の予約が あり当時館内には100人以上の客が滞在 していまし た発災から4週間地震による損傷は手つか ずのまま ですあの暫定的に本当に早く普及関係者を 受け入れてそのま七押もそうですけど被災 地奥のに向けて送り出せるようになるのが まず最初のステップかなと思ってますので 修復と階層と言いますかを進めていければ なと思ってますけどままだまだ本当長い 道のりになると思って ます温泉街の旅館関係者の中にはこんな人 もあのちっちゃいパート3までそこまで できないっていうのではい昨日ちょうど 昨日言われてもう落ち込ん で今月16日和倉温泉では源泉の組み上げ 作業が再開されましたが 各旅館につがるパイプが損傷していること や断水の影響もあり温泉が通る目は立って いませ ん地震は漁業にも甚大な被害をもたらし まし たかなり流儀してしまったのでしょうかえ 港の中に水が全くありませ ん上空から様々な場所で確認できる スメの拠点になっていた和島市門前町の海

漁港です機したことで港に渓流されていた 船が横倒しになってしまいました岩壁の 部分白い部分に貝や海藻がついていますが あの高さまで海面があったことが分かり ます海底は最大でおよそ4m流し一面 上がったような状態になっています 県外のイ線も多く集まった海漁の魚高は 年間およそ5億円でし た最初の地震で海岸線を見た時もう然とし たですねそれで終わりだなと思います地元 の漁師は一した港の光景に肩を落とし ますだからあこれもう海これ再建するのは とてもじゃないないなと思っ て県内の漁港には津波の被害 もこちらの海岸では船が1層2層3層と服 してしまってい ます地震の被害は県内にある69の漁港の うち9割り近い60か所で確認され少なく とも230席以上の漁船がが被害を受け まし た地震の影響はのの地産業に も能町でブランド和牛の牛を先頭を育てる 平林正 さん北陸の和牛コンテストで8連覇を達成 するなど全国に野牛の致命度を高めてき まし た泣き声泣き方が違う感じですね怖がっ てるようなはいそうですね悲鳴ですか ね悲鳴にも似た牛たちの 鳴き声1日に30L以上の水を飲む牛たち ですが地震による断水と停電で十分に水を 与えることができず一等が死にまし たもっと本当は牛を死せちゃうじゃないと ずっとそんなことを考えながら水を運んで まし たさらに追い打ちをかけたのが道路の 暴落餌を運び込むことができず年末年始の 備蓄で何とか持ちこえていたと言い ます人名優先はやっぱりあのその通りだと 思いますでも牛だったり豚だったり鶏だっ たりっていうのは奥地域にはたくさん そういったところにも少しでいいですから 目を向けていただければなっていう風に 考えて ます県では23日避難所の環境改善や仕事 環境の再建を支援するため2つのチームを 発足させましたこれまでのですね成合を 踏まえながらも創造的復興に向けてどの ようになりわいを再建していくのかとその 絵姿を変えていくのが皆さんの仕事であり ます 成再建支援では農林水産業伝統産業観光 産業を走らにノの主力産業の再建を急ぎ ます がノ牧場では4つある牛車も地割れなどの

損傷がひどく建替えなどの修繕費に1億円 以上かかると見込まれ支援にはまたなしの 状況 です過去の災害に囚われない支援内容であ るっていうこと査万別の被害を我々生産者 は受けております柔軟な対応を取って いただけるよう期待しており ますそれでも震災後今日までに33等のの を出荷し続けてい ますその理由 はこの奥の自然静かな環境っていうところ に惚れ込んであの牛を育てようっていう風 に決意したので自信だからって生産をやめ てくとかっていう選択肢は取りたくない ですじゃ一牧場をもって大きくしてや れっていうような今気持ちで頑張りたいと 思って ますこんな状態 です県和島出迎美術館に設置されている 和島塗りの 地球職人3が2017年から5年がかりで 仕上げた対策で震度7の揺れに絶え無傷で 残りまし たりの職人さんの技術集結したものがこう いう風に残っているっていうのはある意味 では今度の地震の中でも本当にシンボル的 に残していけるもんじゃないかなという風 に思うん です国内の産地で唯一国の重要文化となっ ている和島 塗り市によりますと和島塗りの従事者は およそ1000人いるとされていますが その8割は工房が倒壊するなど何らかの 被害を受けたと言い ますここあの展示場みたいな感じだったん ですね散乱してめちゃくちゃになってます ねこの埃りっていのがもう細かい傷になっ ちゃってるん でもう1回塗り直して感じですね 和島市横島町の大鉄八井湿 工房記事にうを塗る中塗りや上塗りなどを 手がけていましたが攻防は 東海2代目の八井貴弘さんは仙台の父の 言葉で廃業を思いとまったと言います いやあ父ちゃんもう会社潰れてもないよ って言ったら壊れたら修理してまた直せる ようにするがや和島塗り足し工房もまた 直して仕事できるようにせんかて言っ て立て直しを決意した八井さん従業員は 無事でしたがすぐには動き出せない事情が ありまし たね他の人が ねどうなっとるかわからん状況やもんでも 和島塗りってのは1人でできん全部分業で やってくっていう

完全分業性で作られる和島塗り生地の整形 や下地作りうしを塗る工程から巻へ沈金を はめとした過食など細かく分けると100 以上の工程がありそれぞれを担う職人が 1人でもかければ成立しませ ん こんにちはああ小谷さん無事やったけ無事 でたああ良かったよかった本当に良かった よかったああ 本当この日八井さんが尋ねたのは和島市 富島町の小谷 木所3代目社長の小谷文明さんはうしを 塗る前の生地を作る職人 ですあ動く ねままそうですまた頑まきますうん本当記 師さんがねまず始まってくれるにはうちら 作れんさね本当にうん頑張りましょうなん とここから始まってね塗ってってせあんな 綺麗なもんになってくんですから僕らや まず頑張らんことにはね主屋さんのね助け にもならんと思うんで本当に頑張っていき ます 最に向けた動きは他に もこん中に回収したえ和島塗り入れてまし てこうやって箱に入れてえ保存してたので 結構みんな無事だったんですけど箱に入っ てないやつも意外に無事でやっぱり和島 塗りは強いなというのが今回思ってます ね死和島塗り メーカーの田 さんこの日は開した工房やギャラリーから 掘り起こした商品を整理していまし たこれがため色っていうお色で赤色のうの 上に透明なうをかけて参加させて黒くなっ てできてく色なんですけどいやこの色が 一番好きなんですよねで形も良くないです か こんなたさんは今月13日 インターネット上で資金を募るクラウド ファンディングを スタート3日間で最初の目標としていた 1000万円に到達し全国からつぐ支援に 背中を押されていると言い ますそこまで応援してくださる方が いらっしゃるので僕らはやめるっていう 選択肢はないなと青島乗り復活したんだ みたいなシンボルになってでたくさんの人 が世界中からまた和島塗りのの魅力を 深掘りしに来るような場所にしていきたい なと思うの で一方今回の地震で業界にさらに重 のしかかるのは高齢化による担い手不足 ですもうその年になったらもう自分の仕事 はいいやという風にその方が思って仕事 やらなくなるとその方の持ってる技術って

のは伝わっていかないわけですよねそこが やっぱり1番大きな問題じゃないか な人間国法の小森邦江さん78 歳小守さんが所長を務める和島出迎技術 研修書には全国から集まった研修生37人 が在籍していますが再会の目処は立ってい ません小さんは未来を担う若手を育成する ためにも業界全体への支援が必要と話し ますえ出現の色葉は研修書で教えてそこで 物事を作ることはできるでも実践的な仕事 となるとやっぱり業界の中に入って いろんなものをこなしていかないと 生き残れないとまずはその職人さんたちの 生きていける術をどうやってえ直していて いけるのかっていうのは1番大事なとこ じゃないかそれが我にとってはわにとって は大事なことじゃないかなと 今回政府の支援パッケージには伝統産業の 再生に向けて1000万円を上限に事業 継続に必要な費用を補助するといった内容 が盛り込まれましたただ一方でですねあの 映像にもあった田店の田屋さんによります とえ今回の損額が4億円を超えると話すと いうことで1000万円では到底足りない というのも明らかなんですよね木村さん バジ塗りなどのこの伝統文化さためには どういった支援が求められますかそうです ねあのえ阪神淡路で取られた例ですけども え阪神は大震災でですねあそこでもあの えっと靴を作ってたあのま街全体で作って たとこがあってそこはもう壊滅的にやられ てえで行政支援の1つの方法としてえ仮設 の工場をあのま無性で提供してえ家が なくなった倒れたあるいは燃えたという 工場さんにはそこに入っていただいて仕事 を続けていただくというようなことをやっ ていたのもま1つの方法かなと思いますの でうんまイニシャルコストをですねそう いう形で支援するのも1つだと思います それからやっぱりそういうえ産業経済って いうのはあの瞬間的なお金だけじゃなくて やっぱり長くお金がかかってしまいますし あるいはえ抱えてる負債とかですねそう いうのもあるんでえもっと長いロング スパンで考えて経済支援をしていただくと いう仕組みを作っていかないと単発の支援 ではですねちょっと持たないんではないか なという感じはしますなるほど和島塗りは 分業性ですしどこか1つがかけてはいけ ないそしてこの伝統の技術手が鈍らない ように職人のために何か環境を整えるとか そういった支援も大切になってきますよね そうですねはい和島市では今日仮説住宅 18個が完成壊した子を撤去する作業もも ようやく始まりました坂口茂市長に今

そしてこれからについて直接伺い ます坂口 さんこんばんははい大変な仲ありがとう ございますよろしくお願いいたします こんばんははいよろしくお願いいたします 元日の地震から1ヶ月が経ちました今の 和島の現状どのようにお感じでしょう かはいあまだまだあの震災の傷跡がですね しっかりと残ってるという感じてますま インフラに関してはま感染道路はま片側 交通ですけども応急普及できてなんとか 入れるようになってきましたけども まだまだ指導では1/3はですねまだ通れ ない状況でありますし建物の被害はですね まだ調査が始まったばかりでまだ4000 コースしか調べてないんですけど も約7割が全回そしてまた反回という状況 でありますまたあのライフラインにつき まして は電気と携帯などのその通信は何とか 大丈夫になるんですけども水はまだ ほとんどがあ断水という状況でありますし 仮設住宅につきましても今まだ18個がま でできたというばかりでありまして今建設 中のもですね合わせましても14ほどしか 立ってませんあのはい建設して欲しいと いう声にはまたまた なな達成してないっていう状況ですね はいスタジオには減災復興支援機構の理事 長木村さんもいらっしゃいます木村先生 からもお願いいたしますはいえっと師匠 さんお疲れ様でございます えっと先ほどからですねあの和島塗りの話 がまあの和島といえば和島塗りということ になろうかと思うんですがこの和島塗りの 再生がですね復興の正といましょうえそれ に全部かかっているのかなと思うんですが 和島塗りの再生をですねその大一歩として どんなところから着手する手をつけていく という中えその辺の構想は終わりなん でしょう かはいただですねまだ水が全然通ってない そしてまた住まいがないという状況であり ますのでまずはここをですねしっかりと 準備したいそしてまたえ市街へ出ている 方々が早く戻ってくれるようなそんな環境 作りたいということを思ってますもちろん あの約8割がですねえ味関係者被害を受け てますのでそこの部分でですねえ仕事をし たいと思ってる方々もたくさんいるという ことを聞いてますのでその仮説の工房とか ですねそういった部分も合わせてえ作って いけたらという風に思ってますし今後また あの長い期間でのこの支援決め細やかな 支援っていうのがやっぱり必要になって

くると思います伝統産業という言っても ですねまだまだあの本当に霊祭であります のでそこをしっかりと復活させていきたい そしてまた将来にはですねやはりあの世界 も考えながらです ねしっかりとあの共に一緒になってですね 作り上げていきたいという風に思ってます はいありがとうございますでもう1つなん ですがえ国があの支援策を先週ですか発表 しましたけどえそこを見てみますとあの実 は2007年に地震があった時にですね えっと企業産業への支援策として産業再生 基金というのを作ってえ和島は作ったよう な感じがするんですけどもえ今回はその辺 はですねえ市からあの県国への要望って いうのはなんか具体的な動きってのはある んでしょう かいえまだそこまあの具体的な話はまだ出 てませんまとにかく今まであの約 3000え2900人800人ですか ぐらいがまだ避難してる状況でありまして 水が来てないそやっぱ住いがないっていう ところがやっぱり皆さん1番のことを考え てますのでそこをしっかりしてからですね そういったなりわいの支援もですね 作り上げていきたいという風に思ってます ま並行してやっていかなければならないん ですけどもまずは住まいがないっていう ところが非常に大きな状況でありますはい わかりました坂口さんスタジオから牛田 です あのでは道路の寸断などでなかなか物資が 速やかに届かなかったりしたと思うんです けど今後防災上の観点から国とか剣に求め ていきたいことを最後に伺ってもいいです かはいやはりあの今回 は震度7ということでありますまこれまで こういう風な大きなものがですね起こると は思ってなかったのでですねこれは やっぱりインフラもですねもう少し狂人に していかなければなならないですしえ建物 の震化ここもですねえ より補助率の高いて言うんですかねこの しっかりとしたその大震化が済むような そんな部分を国としてもその補助制度を 構築していただけたらという風に思って ますわかりました坂口市長寒い中 ありがとうございましたあいえいやこちら こそありがとうございましたありがとう ございまし たえここまで和島市の坂口市長にお話を 伺いましたは会った特別番組としてえ自信 を受けて今そしてこれから私たちにできる ことを皆さんと一緒に考えております木村 先生あのまずは復興復旧に向けてライフ

ラインの立て直しが求められると思うん ですけど作な対応が必要になってきますよ ねそうですねやっぱりあの今日の番組の中 でもやっぱり水っていうキーワードが非常 にたくさん出てきたかなと思うんですけど もえというかあの行政はあらゆる手段を 使ってですね水の確保これを頑張って いただきたいですねでえっとちょっと聞く ところによるとあの水を運ぶ船とかなんか 日本には結構あってですねあのそれこそ 海水を真水にする方法とかなんかも色々 手段は持ってるのであの1つのやり方だけ じゃなくていろんな方法で後で無駄になっ てもいいからとにかくうん水の確保をです ねもう1回きちっとこの1月過ぎた時に やっていただきたいという風に思います 被災地の皆さんそしてそれ以外のエリアの 皆さん含めて今そしてこれからできること というとどんなことがありますかあの やっぱり生活今のあの皆さんおっしゃっ てるように今のこの生活がですねもう しんどいともう限界やという声も結構ある んですけどもはいうんそれをですね やっぱり住民の方がちょっと元気が出る ように今お話しした水それから住まいそれ から食事ですねこれをもう1回見直してえ 行政にはリセットしていただきたいなとで でえ今の避難避難生活の質の向上ですね これをまずは目指していただきたいという 風に思いますしでえ住民の皆さんにはです ねうんできることなら被災地に戻って生活 をしでえ復興に参加するということを 頑張っていただければという風に思います で住民の方がいらっしゃらないと復興は前 進まないのでなんとかその戻れる条件を ですね行政が整えで住民の人はそのえ被災 地に戻って頑張るというような構図をです ね早く作れないかなという風に思ってます はいそして先ほどのVTRにもありました 人間国法の小さん和島失美術館で無傷で 残った地球義について復興のシンボルと なればとも話していました木村さんこう いったシンボルの存在というのはこれから 必要になってになってきますねまあのそれ が物であったりそれから言葉であったりと いうことでえもで言えば今あの画面に出て ますこれは岩手県のですね陸前高田のあの 奇跡の一本松と言われてる波で唯一残った 末ですよねやっぱりこれがやっぱり1つ 地域ではえ復興のシンボルより所にして 自分たちも頑張らねばということでえ皆 さん頑張ってきましたのでま例えばこんな シンボルあるいはえ先ほどちょっと言い ませんでしたが新潟の場合ですと山越村が ですねえ復興に向けたあキャッチフレーズ

として帰ろう山越へというようなキャッチ フレーズも作りましたですからそんなこと で復興に向けて何かそういうシンボル的な ものあるいは合言葉的なものをもう1回 捉えしていただいてああの今日ちょっとお 話したお祭りでもいいと思うんですねえ こんなことをですね是非日常を取り戻す1 つの手段として実施していただければと 思いますなるほどではここで現金のお知ら せ です MROが加盟するJNNとjrnでは今回 の地方などで発生した令和6年の半島地震 に対し議金を受け付けています1月1日に 発生したノ半島地震とその余震により各地 で甚大な被害が出ています地震の被災者を 支援するため皆様からの議員金をご覧の 銀行講座で受け付けていますお寄せいたい た議金は全額従事者を通じて被災地に送ら れます詳しくはデータ放送やホームページ をご覧 くださいまた県でもご覧の講座で危金を 受け付けてい ます皆様のご協力をお願いいたし ますの半島自身の発生から明日で1ヶ月と なります番組でも何度もお伝えしましたが 復には人の力が不可欠となってきます木村 さん最になります がさんはどんな希望を持ってこれから進ん でいくべきでしょうかあの人間関係を非常 にやっぱり大事にしてですねえ皆さんと よくこういろんなあの雑談でも日常会話で もお話をしてストレスをとにかく貯めない ようにしていただければという風に思い ますはい今回の自信を風化させないのは 我々にとってもちろんのことですし被災者 に寄り添った報道それはどんな姿なのかね 色々考えながら務めていく必要もあります え今日はゲストが減災復興支援機構の木村 卓郎さんにお越しいただきました今日 ありがとうございましたありがとうござい ましたえここまで震度7の半島地震今 そしてこれからと題してマロのスタジオ からお伝えしましたでは失礼し ます

避難生活と復旧を阻む大寒 / 防げ災害関連死 / 再建の目途・専門家に聞く / 能登在住 被災したカメラマンの1か月 / 孤立集落・輪島市南志見地区の今 / 被災地の産業・観光・伝統は? / 輪島市長・珠洲市長に聞く

能登半島地震は最大震度7を観測して以降、被害の全容解明が進まない中、被災地では懸命の活動が続いています。
※2024年1月31日(水)に北陸放送で放送した特別番組 『震度7 能登半島地震』~今 そして、これから~」になります。
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  1. 被災され大変な生活をされている皆様へ心よりお見舞い申し上げます。
    犠牲になられた皆様のご冥福をお祈りしております。 合掌

    日々報道で震災の爪痕、今も続く余震の中での取り組みを知るたびにまだ被災をしていない場所で住む私自身が「被災する」と言う覚悟ができているか?と問いかけられているような心の辛さがあります。 今年はパリ五輪の年ですが例年のようにとても楽しめないだろうという気分です。 復興とは言葉にはできても現状手を付けられない状況と地域にもよりますが復興してもまた大きな地震が起きれば振出しにもどるんじゃないかという不安。  何よりも砂や土を持ってきて造成しアスファルトを敷いた道路は日本中どこも同じ。 宅地の造成も同じであり誰も地盤がどうなっているかなどしらずに住宅ローンを組んで購入しています。 頑丈な建物でも地盤が動き液状化や流出で傾いてしまえばもう住むことができないし行政からも判定で住居や立ち入り禁止になる。 今後大都市圏でも起きる予兆が頻発してきました。 当初沿岸が震源地として刷り込まれていましたが内陸部での震源地の地震が増えている点で被害は想定以上、救助や支援はすでに絶望的な規模を考えなくてはいけません。 家に食料の備蓄なども重要ですが今回の地震では住宅自体が崩壊している点で「本当に準備しても役立つのか?」「被災後に住宅に戻って鳥に行けるのか?」などいままでの知識も役立つ可能性が一気に減った気分です。 自動車での避難も震源地付近だけでなく遠く離れた地域でも同等の被害が出ている点でやはり何も持たず揺れたら逃げるしか避難方法はない気がしてなりません。