【繁華街も無かった?】本当は小田急の町田駅は存在しなかった?理由考察をしていく動画です
町田駅多地区最大級の繁華街を周辺に 抱える駅で小田急小田原線とJR横浜線が 乗り入れています1日の利用者数は小田急 が上行人数で24万 64596:142490:248116:156998 田駅はもう少し違う場所に建設されていた もしくは建設されていなかった可能性が あるそうです本日はその可能性について 考察をしていき ましょうさて考察に入る前にまず町田駅の プロフィールを説明しておきましょう町田 駅はご案内した通りjr横浜線と小田急 小田原線が乗り入れており乗り換えをする ことが可能ですただ両方の駅というのは 少しだけ離れており改札口が隣接している わけではありません両者は1番近い改札靴 同士という目線で見ますとおよそ200m ほど離れていますペデストリアンデッキで 結ばれているため比較的スムーズに移動は できるのですが混雑をしている際には少し 乗り換えの所要時間がかかるといった具合 です町田駅取分けJR側というのは現在の 位置に駅ができたのが19 年のこと1908年の海洋からそれまでは 現在の位置より300mほど東に駅があり ましたそのため現在よりも小田急とJR 当時は国鉄の駅が離れており乗り換えのお 客さんは商店街を急ぎ足で移動していた そうですさて小田急の町田駅ですがこちら に関しては開業当初からご通知に鎮座して おり現在まで位置は変わっていません ちなみに町田駅がある場所の地名というの は原町田という地名横浜線も小田急も当初 はこの地名を駅の名前に採用しており現 JR側の駅は原町田小田急側は新原町田を 名乗っていました駅名が変更されたのも この移転の時期とほぼ同時期で小田急は 1976年に横浜線側は1980年に町田 駅に解消されていますさて話を戻しでその 開業当初という目線で見ますと実はこの 位置に小田急町田駅がなかった可能性が あるの [音楽] ですではその可能性について深掘りをして いきましょう一部の記載では小田急小田原 線町田駅付近に関してはもう少し東側を 通るルートが計画されていたそうです具体 的に現在の地名で言いますとナルセや金森 付近を通る予定だったと指摘がなされてい ますその地に関して地図で見てみますと 現在の町田駅から見るとかなり東側に位置 しております現在JR横浜線にもナルセと いう駅がありますがこちら町田駅からは 2.7kmほど離れていますそしてもう 少しその記述に沿って考察をしてみますと
つかは町田の有が自ら土地を提供するなど 強く働きかけとの記載がありますこの記載 を考慮しますと町田だけではなく鶴川も 経由する予定がなかったということが 分かります鶴川というのは町田市北西部の 地名です小田急小田原線にも鶴川という駅 があります地図に当てはめてみますと 少なくとも当初はこの赤の範囲というのは 経由する予定がなかったということになり ますここまでの情報を頼りにルートを考察 してみますとするかを経由しないという 情報から現在小田急小田原線は柿駅を出た ところで西側にカーブをしているのですが ここが直線ないし逆方向にカーブをしてい たのではと考えることができます標高の 関係で寄付があるためこの通りに線路が 敷かれたという部分は確定できないのです が少なくともナルセに向かうとなるとその まま線路はほぼ直線的に敷かれていたこと になるでしょうちなみに現在なるセと聞く とJR横浜線のナルセ駅を思い浮かべる方 も多いかもしれませんがナセ駅は地名とし てナルセと指定されている範囲の南端に 位置する駅で中心部はもう少し北側にあり ます現在で言いますと取立鳴瀬高校のある 辺りが中心部だったそうで鳴瀬駅からは 700mほど離れていますちなみに横浜線 の成瀬駅が開業したのは1979年と横浜 線の他のの駅と比べると比較的歴史が浅い ですちなみに小田急小田原線は1929年 に新宿小田原間前線で開業した歴史を持ち ますこの点を考えますともし小田急の鳴瀬 駅がこのナルセ高校の辺りに設置されてい た場合小田急とJRの駅が離れていたその ような可能性も考えられます最も横浜線と の乗り換えを考慮して領土線の交点現鳴瀬 駅の辺りにもう少し早く駅ができていた その可能性も否めませんさてその後の ルートですがご紹介の記載という部分で 申し上げますとこの先は金森という場所を 通る予定だったそうです金森という地名は 現在の町田駅のある原町田の南東にある 地名ですその範囲は大東西方向に広いの ですがナルセを経由することを考慮します と地域の東側の方を通っていたのではと 推察ができますさて町田から先のルート ですがこの先はあくまで推察になって しまうのですがどのような場所を経由する ことになっていたのでしょうか金森という 場所を通過するこのようなことを考えます と現状のように相模大野に向かうためには 大きくカーブそして迂回をする必要があっ たため相模大野を経由していた可能性は 低いでしょうそしてルートをする上で1つ 参考となるのが西側にある総武大前駅付近
のお話現在総武大前駅があるざまし付近 からその南西側にある海老なしにかけても 今とは違ったルートを想定していたそう です現在の先度は総武大満駅を出ますと そこで南側の方向にカーブを描き座駅を 経由しまた南西方向にカーブを描いてと いった形なのですが当初は総武台前駅の 西側のエリア具体的にはざ大通りという 場所の辺りを経由して海老名に向かう予定 だったそうですルート的にはこのような形 後半は現在のJR相模線と似たような ルートを取っていた可能性がありますただ 現状のルートでこのざ大通りの方へと 向かうとなると少し総武台前駅付近で カーブをしなくてはいけませんそうなり ますと線形が若干とした形になりますしか しながら町田付近のルートがもう少し東を 通っていたと仮定して金森からその後現在 の小田急江ノ島線中央林間駅の若干南側を 通りそして総武大前駅付近に至ればその後 南にカーブを描くだけであまりくねくねせ ずに当初想定していたルートを通ることが できますこのことを考慮しますと当初の 小田急小田原線のルートはこのこのように なっていたと考察ができますただこれは あくまで断片的な情報をつなぎ合わせて 想定したものなのであくまで参考程度と 思っていただけると幸いですもし何か別の 情報があるという方いらっしゃいましたら ばコメント欄にコメントをお寄せ いただければと思い [音楽] ますさて全体的な面はこちらなのですが もう少し町田付近に関してをしてみ ましょうまず東側を通る予定だった理由 ですがこちらに関しては地形が関係して いると考えられますこれは町田付近の地形 を示した地図で色が濃いほど標高が高いと いうことなのですが現在小田急小田原線が 経由しているルートというのは比較的標高 が高い場所を走っていることが分かります 一方当初想定されていたルートに関しては 多少の伏があれどか駅周辺と同じレベルの 標高の場所が多くなっています小田急 小田原線は比較的急ピッチで工事が進め られていたこともあり登り下りが少なく その建設が容易になるということで東側を 通るルートが考えられていたのではと推察 ができますまた結局のところ小田急小田原 線は現在のルートでもって建設がなされた のですが横浜線の町田駅が移転するまでは 小田急の駅と横浜線の駅は600mほど 離れて設置されていました横浜線が開業 するまでご当地原町田の中心部というのは 横浜線の駅があった辺りつまり横浜線の駅
がこの辺りに設置されたのはこちらが理由 です小田急に関しても多摩川学園前駅から 直進をすれば従来横浜線の原町田駅があっ た辺りに駅を近接して設置ができます しかしこの町田駅の北側にあるセガと呼ば れる場所は大地と谷がありこちらを避ける ために直線ではなく町田駅の手前で一旦 カーブをする線形となったこのように指摘 されていますまた現在の小田急小田原線の 線形を見てみますとご案内した駅の新宿側 だけではなく小田原側でもカーブを描いて いる箇所がありそのカーブの点をついで みると直線を描くことができます小田原線 が町田駅の手前で大きくカーブを描いて いるのはご案内の通り地形が要因だそうな のですがもしここに何も障壁がなくという 状況であったならば町田の市街地はもっと 違う発展を見せていたかもしれませんさて 今回の動画はここまでとなりますご視聴 ありがとうございますまた次回もよろしく お願いいたしますそれでは
小田急の町田駅と言えば、現在乗降数と言う目線で見ると大ターミナル新宿に次いで2番目に利用者数が多い駅です。
小田急にとっては極めて重要な駅なのですが、実はこの駅もしかしたら造られなかった可能性があるのはご存じでしょうか?
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目次
0:00 イントロ
0:41 町田駅とは
2:37 小田急小田原線幻のルート考察
8:18 町田駅が国鉄町田駅と離れて建設された理由
28 Comments
町田😊。ここも 懐かしい場所です。30年位前に 開発ラッシュ時? 道路工事 で 警備の仕事に来ました😊。その後、20年位前には、町田109で、警備の仕事をやっており 職場(現地)の様子を何度か見に来てました。その時に比べたら もっとビル等が増えているでしょうね(笑)。境川の辺りも住宅が増えたのでは?
明日 大月を通ります。多分、かいじ19号。
玉川学園から町田は最後の方にあったように最初はまっすぐ通そうという計画があったそうです。
地形的な理由もですが、当初計画ルートの地主さんが大反対して土地を譲ってもらえず、断念して今のルートになったとか、
というのをどこかで聞いた覚えがあります。
昔、住んでました、町田市懐かしい
開業当時、小田急線は路面電車に毛が生えた程度の車両。官鉄に近ずくなとシッシされていた。
乗り換えの利便性なんか考えてなくて駅名も小田急が原町田を使うなと冷たい対応。
京成千葉駅の歴史もすったもんだあってネタ向きです。
小田急のほうが利用者多いんだ
小田急の町田駅は母の実家に行くときにつかいます。🐹🐱
原町田・新原町田時代は迷惑でしたね。
横浜線は旧型国電の4両編成で、勿論冷房なんかありません。
直線では600mですが、改札から改札だと1km近くありましたから、雨の日は悲惨でしたね。
小田急線も、新原町田↔登戸間は、線形が悪いのか保線が悪いのかわかりませんが、まぁ揺れる揺れる。
カネのない国鉄よりも揺れるんですから、体調の悪い時はたまりませんでした。
都市計画の失敗により、交通渋滞が今も昔も酷くてたまりません。
昔、上鶴間の境川近くに住んでいました。
金森を通って、原町田駅によく行っていました。
なつかしい…😃
小田急小田原線が中央林間付近を経由していたら、幻となった林間都市計画のど真ん中で江ノ島線と分岐していたのでしょうか?
田園都市線の延伸にも影響していたかもしれませんね。
JR(国鉄)原町田駅が現在の地点に移動する前は、原町田駅~新原町田駅の間の商店街の通り道は「駆け足通り」という通称が付いていましたね。
文字通り、朝の通学・通勤時間帯は駆け足で移動するお客が多かったようですよ。円マック(元・平和相互銀行)からジョルナの北側を通っている道がそれです。
そもそも小田急自体が設立者の性格的に鬼怒川水力電気の大口顧客を自分で作る目的だったからどこ通しても良かっただけだろって色々な書籍で言われていますからね
動画内のルートだと今よりも更に町田の中心地が南寄りになって神奈川に突き出していましたし、相模原は通らずに都心に行けるルートがかなり後年まで限られてて街が出来ていなかった可能性が高いでしょうし、相武台辺りでは座間キャンプの位置も変わっていたかもしれない可能性があるってことですよね
今日も浅川さんの動画投稿待ってました😊
町田ももしかしたらあれくらいの都市にならなかった可能性が合ったとは
また神奈川県に入れてあげたら?
過去のことはもういまさらどうにもならない。現町田の複々線化が無理なら成瀬経由の昔のルートでもう一本江ノ島線等に行く新線か地下鉄引いて事実上の小田急複々線化したら良い。そうでもしないとこの地域からの通勤・通学はパンクする。
新原町田駅から町田駅(小田急)に変更した頃、「次は新原・・・町田です」と
車掌さんのアナウンスがありました。
そういえば元109ビルがあったあたりに「一龍」ってサッポロラーメン店があったのですが
美味しかったなぁ。
地形的につぶさに見てゆくと、まず鶴川駅~玉川学園前駅間に新宿方最初の山トンネルがあります。このエリア(向ヶ丘遊園から先の台地・谷戸)は平地が少なく、なるべく山か谷地形に至らないルート選択が優先されます。
柿生駅から直接南下して川崎市の飛び地、岡上や三輪緑山の裾を通り抜けるのは余り現実的ではありませんね。
更に抜けた先が成瀬台、ッて・・・😅
敢えて現行ルートより険しくなりそうです。
こんばんは
これも諸説あるが、当初小田急は動画にある成瀬付近でなく、柿生付近から長津田あたりへ南下して、そこからほぼ大山街道(国道246号)に沿うルートになる構想があったとか。
まぁこの構想どおりに敷設されていたら町田はおろか、相模原という一大都市すら誕生しなかったはず。。。
利用者の怒りがものすごくてJRがちょびっと小田急の駅に移動
商店街の抵抗でちょびっとしか動かせなかった
実際ひどかった
大群衆が商店街の狭い道をものすごい勢いで大移動
今じゃ町田は治安悪くて西の歌舞伎町と言われるくらいやもんなぁ
JR町田駅の成瀬寄りの改札口が旧原町田駅の出入り口だったのでしょうね。横浜線は8両編成ですが、ホームがもう少し伸びてますよね。あの辺りが原町田駅ホームだったのでしょう。その頃に利用した事が無くて何ともいえませんが😅
実家が成瀬なのでこの辺りは庭みたいなものですが、恩田川を超えて南成瀬に向かうあたりは高低差が大きすぎて、難工事になるような気がしますね
なので、成瀬と言いつつ、緑山の方から奈良谷戸の尾根付近を南進して南成瀬の方に向かう形が一番現実的な気がします。
尾根というくらいなので人家の近くは通りませんから、利用客も見込めませんが。
小田急はもともと町田駅を通らないルートだったとは知らなかった。
JR町田駅(国鉄原町田)も移転前は地元と揉めた様ですね、本来なら小田急との直通通路で結ぶようにしたかった所、
通り抜けられると商店街へ人が来なくなるからという理由から従来通りの、妥協案でデッキ通路で結ぶ一度客が改札を出るスタイルとなったようですね。
横浜線成瀬駅周辺なんて住宅が建ち始めてはいたけど緑多い山ばかりでしたからね、
こん○○は
なるほど紆余曲折あったのですね
私も旧原町田駅は、よく覚えています。狭い通りにとの時間を歩いても、両方向から人が来て、子供ながらに怖かったです。そして横浜線の駅には、だいぶ長期間、きっぷの自販機がなく、乗る前にきっぷを買うまでが大変でした。もちろん硬券です。
もし成瀬ルートだったら相模大野駅の代替が東林間駅になって、町田駅周辺が発展しない代わりに発展していて林間都市計画もそこそこうまくいって違う未来があったかもなぁ