今回は151話,152話について解説します。
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目次
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00:00 オープニング
00:14 映画化
00:48 151話「帰ってきたチェンソーマン」
02:21 支配の悪魔
04:23 死の悪魔
05:21 ポチタとデンジ
06:17 152話「マッサージ」
06:27 邪魔
07:03 デンジとウェポンズ
08:07 痛くて気持ちいい
09:33 デンジの発言
10:50 まとめ
▼おすすめの動画▼
【チェンソーマン考察】登場する全ての悪魔を完全解説【50種類】https://www.youtube.com/watch?v=r3ADvcmcdZE
#チェンソーマン #チェンソーマン考察
※本動画はチェンソーマンを読み込んだ管理人が、ゼロからシナリオと動画を制作している独自のコンテンツです。視聴者にチェンソーマンの面白さをより深く理解してもらうことを目的として独自の考察を発信しています。
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【チェンソーマン 】
引用元:藤本タツキ / 集英社 / 週刊少年ジャンプ・少年ジャンプ+
レーベル:ジャンプ・コミックス
【TVアニメ「チェンソーマン」 】
引用元:藤本タツキ/集英社・MAPPA
動画内で使用している画像は上記作品からの引用になります。
40 Comments
今思うと、1部の決戦でもウェポンズは不死身を前提にした戦術を取りませんでしたね(バルエムの無差別攻撃くらい?)
今の所不死身であることを活かした戦術を取ったのは岸辺に訓練を受けた後のデンジ、爆弾という性質上体の一部をよく切り離すレゼくらいでしょうか
そして一人になったデンジにレゼが来て二人で行動し始めねーかな
アニメが滅茶苦茶言われたからタツキが映画にはがっつり関わろうってなったんかなぁ、オマツリ見て映画に関わろうって本腰いれた尾田思い出す
レゼ編はアニメ版の監督と相性良さそうだけど、戦闘シーンは相変わらず不安だなー
スパイダーバースのアニメーションを、日本の漫画っぽくやってくれらたら最高。
多分レゼ登場は劇場版にリンクさせてくるだろうな
ナユタは闇落ちしそう
レゼ編以降はバトルよりも心情とかにフォーカス当たりがちたがら、続編見据えての中山監督起用なんだったら正解だったって思うようになった
支配できないのは、単にナユタがバルエムを格下認定してないからでは?
チェンソーマンおかえりコメ見たけど全く別のチェンソーマンが帰ってきた気分
路地に入っていくように見えますね
路地から出てきたなら体の向きはポチタと正対するように見えるはず
路地に入っていくように見えますね
路地から出てきたなら体の向きがポチタと正対するように見えるはず
なんか辛ぇよ…幸せになれないのかデンジ…
ただネジが外れて暴れてたらそれで良いみたいなミーハーみたいな読者わりと多いんだなぁ
絵がなぁ。。。
藤本先生のモチベーションがすごく下がってる気がする。
休載が増す毎にキレが無くなるのなんなんだろ
愛で支配力弱まるのはデンジとパワーに対しての家族愛を持ったアキがなんで自分マキマさん好きなんだっけ?って支配が解けかけてたことにもつながりますね
デンジは普通の生活を手に入れること(路地の外に出ること)が1部の目的でそれを達成したが2部の今回であ、別に自分は普通でいること望んでないわって気が付いてしまっただからこそ喜んで路地に入っていく少年期のデンジなんだと思う
だが戦闘中のテンションの乱暴な行動発言とは裏腹にデンジの根本は常に善性があったがそれは普通にあこがれていた普通でありたかったこそのものでありそれを望まなくなったから善性が消えたように感じる(今回の武器人間との戦闘の荒々しさとかいい例)
善性をかなぐり捨てた今のデンジってすべてに対しての究極の恐怖の対象じゃね?
去年チェーンソーマンのアニメに動きがなかったのは、一期が予想外に評判が悪すぎて仕切り直してたからじゃないかって思ってる
本当は最初から間を開けずに計画してたと思うんだよねー
原作人気もあったし、制作委員会も作らないぐらいの意気込みだし
映画も今年公開じゃなければ、さすがに間が空きすぎてだるい
1部のデンジは夜まで公園でサッカーとかして心のままにやりたいことやってる純粋な少年って感じだったけど2部のデンジは受験期の不安定さから非行に走る少年みたいな危うさを感じる
笑うシーン、泣いてるように見えるな〜
猫ちゃん達の死とか、無意識に目を逸らしていた非人間性を自覚して、感情ぐちゃぐちゃで笑ってるみたいな
もう前の元に戻れない気がする😢
真っ当に人を愛している描写があるメンツの中に混じるコベニ、あの人自己愛すごそうだけども。
少年デンジの後ろの路地裏には気付かなかった、ポチタと道を挟んだ構図からするとむしろ平和と決別して路地裏に戻るようにも見える
パワーのの残したニャーコも死んだかもしれないのに笑ってるデンジ見てヒヤッっっっとした。マジで
ナユタを突き放したデンジに泣きそうになっちゃった
そうか、デンジからするとナユタは全然「普通」の暮らしをしてるんだな……
だから心の奥底のデンジの欲望は打ち明けられないままずっと無意識に抱え込んでて、それが爆発してしまったんだろうな
にしてもデンジの1部との思い出がほぼ消えちゃったよ…本当にアキパワとずっと生活して欲しかった😭😭
デンジって一部から自分の夢を叶える手段はチェンソーマンになることしか知らないんだよね。もっといい生活、パワーの胸、姫野のキス、マキマへのお願い、マキマとの旅行とかみんなチェンソーマンになって敵を倒すことで手に入れようとしてる
デンジが好きになったレゼは(デンジ目線では)チェンソーマンだから近づいて来て自分を好きじゃなかったと勘違いしたまま失恋、マキマは言わずもがな
2部でもチェンソーマンになったらモテる(≒チェンソーマンになれなかったらモテない?)、俺に近づく女は俺のことが嫌いって言ってるし、チェンソーマンを抜きにしたデンジの自己評価って大分低いんだと思う
だから周りからチェンソーマンになることを抑制されたのも相まって、チェンソーマンになって何かしたいんじゃなくて、チェンソーマンになること自体が次の夢になったんじゃないかなと
今までのデンジと何か違う気がするのもそこの夢の違いな気がする。ある意味自分(とポチタ)本位な原点に戻ったとも言えるけど
ありがとうございます!
路地裏にいたときのほうが自由に暴れまわれてたから、またチェンソーマンになれるって喜んで路地裏に入ってく描写に俺は見えた。遊園地のジェットコースターにハマった子どもみたいにもう一周してぇみたいなこと言ってそう。
二部はダンダダンのアシストいないから戦闘シーンあかんわ
バルエムは犬猫家もマキマの残したものとしてデンジが所有していることが許せないのでバツとして失わせたのだと考えます。「あんたが全部あたしのものにならないならあたし何もいらない」とアスカも言っていました。今この世に存在するマキマ由来の幸せをデンジから奪う事で、自分とデンジをフラットな最底辺まで引きずり下ろしたかったと考えます。
しかし親になったデンジは邪魔ということでナユタを遠ざけて自分ではなく他人を守る愛を手に入れました。それはナユタも含めてマキマが残したもの=マキマの支配からの脱却、失恋から立ち直りともとられられそうです。一度でも愛されたものは嵐が来ても透明にならない。管理された平和(ゼーレの人類補完計画)ではなくちょうどいい痛みのある今(他人が居る傷つく世界をもう一度望むシンジ)を選んだ状況と言えそうです。タイトルのマッサージとは生きたまま緩やかに死んでいたデンジにもう一度チェンソーマンへ復帰させるための”心臓マッサージ”というのもかかっていそうです。
なぜ幼いデンジが路地の前にいるかは、子供の冒険心(興味関心好奇心)が不穏な路地にワクワクも同時に感じさせる(生きている)ということ、燃えているバックは過去欲しかったデンジの夢、と叶えたところまでのポチタ。「行ってくるね」と「行ってらっしゃい」の決別と新しい夢への見送りを描いているのではと思いました。自分が不幸になろうとも悪魔と戦うのが一番楽しいのでデビルハンターに向いてるのかもしれない。キャラクターが作者に負けてしまった場面でもあるのかな
幸せの悪魔が出てきてもデンジは戦いそう
この回めちゃくちゃ面白かった
マジでバルエムはどんな気持ちでキガちゃんと組んだんだよ
路地に突入して闇堕ちして行く様に見えた
ファイアパンチ5巻のアグニみたいになってるよ!
チェンソーマンのアニメは🐉以外に作って欲しくない
ファイアパンチもルックバックも🐉にお願いしたい
今年は辰年
もう監督誰か分かるよね?🐲💕
デンジはある意味変わってないなと思えるけどナユタが今後どうなるのかはすごい気になる。
あくまで予想だけど。ナユタが今後成長したら、ポチタが嫌いでデンジが好きなマキマさんになりそう。
クァンシは精神的に強者だから、支配の悪魔に支配されていた事実を知った時点でそれをちゃんと受け止めてムーブ変えてる説を押す
ま、まだニャーコやティラミスが燃やされた確定はしてないから……
きっとレゼが助けてくれてるから……
結局はマキマさんの望む方に実は近づいていってる気がする
必要なのは抱きしめるだけの娘じゃなくて、抱き合える彼女だったんだよな
レゼが戻ってきて、全部いい方向に解決することを望む