F1初優勝も可能だった?残念すぎる、幻の移籍8選【ゆっくり解説】

ねえ魔理沙角田に今シーズン終盤アストン マーティン遺跡の噂が出たじゃないそうだ な結局噂だけの幻に終わったがなそんな ことってかつてもあったのかしらあったな 色々じゃあ今回は日本人ドライバー幻の 遺跡8戦について紹介していく ぜ幻の遺跡まず最初に紹介するのは鈴木あ に関してだ鈴木ありって最初ラルースから デビューしてその後フットワークに移籍し てたよね最後ちょっとジニたイメージなん だけどどのタイミングでベネトンに行く話 が出たのかしらいやそれは間違ってるな ラルースでデビューしたのはあってるが ラルースザクスピードラルース フットワーク冗談リジェといろんなチーム を渡り歩いてるぜあらそうだったのねそれ でベネトンに行く行かないっていうのは どのタイミングの話だったのかしら フットワークに移籍する前ラルースにいた タイミングだななるほどねそれは何年の ことだったのかしら1990年だな日本の バブルケーキが崩壊する直前のタイミング だこの時ベネトンのドライバー アレッサンドロナニーニがヘリコプターの 墜落事故で重賞を追った選手生命が危ぶま れる事態になったんだそこで大役として白 の矢が立ったわけだなるほどね後の世の 人間からするとベネトンってチャンピオン 争いをするわけだから願ってもない チャンスが来たんじゃないそうだなでも 鈴木ありはこの時すでに翌年以降の契約も 結んでいたんだじゃあ断っちゃだったの いやいやこの時のラルースはすでに資金難 になりつつあったもうこの年限りでチーム 自体消滅するだろうって考えてベネトン とも契約を結んじゃったんだえ二重契約 じゃないこの後どうなったの結局ラルース の方がスポンサーの支援なんかもあって 翌年の参戦継続が決まって鈴木ありは残留 することになったあららららベネトン遺跡 も見たかったわでも翌年のラルースはどう だったのかしらなんとか参戦こそできた ものの資金難は前年より進行していたため あり目戦を強いられたぜこんな言い方し たら悪いけど1990年限りでラルースが なくなってれば良かったのにねまそうだな でも当時のベネトンのチームマネージャー フラビオブリアトーレのチーム運営は だいぶ悪どいところあるからな確かにベネ トンってトップチームになっていったが ネルソンピケジュニアみたいになる可能性 も考えるとこれで良かったんじゃないか なって思うぜ確かにねネルソンピケ ジュニアの剣に関してはF史上最悪の黒 歴史と言われる事件の動画で解説してる

からブリアと俺のチーム運営に関しては そっちも合わせてみて欲しいわねそうだな だからあくまで個人的な考えだがこれは これで良かったんじゃないかと思うぜ他に もこんな幻の遺跡話はあったのかしらああ 次は中島悟に関する話だ中島悟はロータス とティレルに在籍してたわよねそうだな 今回の遺跡話はロータスに在籍していた時 の話だ中島悟がいた頃のロータスって ホンダエンジンを搭載してセナピケ中島悟 の3人で最後の輝きを放っていた頃よね うん個人的にはボロボロのマシンをミカ発 記念がネジ伏せてた時が最後の輝きだと 思っているぜだがホンダエンジンの時って いう考えもあるよなそれで中島悟には アローズへの遺跡話がかつて舞い込んでい たんだうんロータスはともかくアローズに はそんなイメージないわねアローズはその 時有力チームだったのかしらこの時は 19881年ターボエンジンの最終年だっ たんだ当時のアローズはBMWターボの カスタマーエンジンをメガトロンのバッジ ネームで搭載して活躍してたんだ一方の ロータスは当時最強と言われたホンダの ターボエンジンを搭載してたわねだが今年 塗り変えられるまで歴代最高勝率を誇って いたマクラーレンに大きく劣る成績しか 残せていなかったんだそれでロータスは この年限りで本田エンジンを失うことが ほぼ決定していたんだなるほどねもうこの 時すでに弱くなってたけどここからさらに 弱くなることが分かっていたのねそれで 中島悟は遺跡を決断したのねでもどうして 幻に終わってしまったのかしら当時 アローズのスポンサーであったアメリカの usf&Gがアメリカ人ドライバーの起用 を求めたからなんだなるほどねスポンサー が理由でそうなったのねやっぱりF1の 世界でスポンサーの力って強いのねそうだ な中島悟は引退後ティレルの スポーティングディレクターになったわけ だがそこに関わるとある人にも幻の遺跡話 があったんだ誰かしらそれ気になるわ答え は中島悟のマでし高木虎の助だ彼は中島も 所属したティレルでF1にデビューしたん だがこの時すでにティレルが資金難に陥っ ていた1度も入賞できないままこの年を 持ってティレルが解散したのに伴って チームを去ったわけだそれでどこかに移籍 したのかしらアローズだなかつて フットワークに買収されてたが フットワークの業績悪化により売却された んだチームが創設者であるジャッキー オリバーに買い戻された後のアローズだな あそうだったのねアローズって

フットワークに買収されてまた売却された のねでも高木虎の助が所属していた 1999年のアローズもマシンの ポテンシャルが低い上に信頼性もなかった んだ年間で感想がわずか4回にとまって 当然そんな状況だったから1ポイントも 獲得できなかったんだなかなか苦しい チーム状況ねそれで高木虎の助はこの後 どうなっていったのかしらこの1999年 にアローズに所属していこうチームが 見つからずに日本国内のレースに復帰した んだそれで今のスーパーフォーミュラの 全身であるフォーミュラ日本に参戦して いきなりシリーズ10戦中8勝を上げて チャンピオンを獲得したんだおF1で チームに恵まれなかった鬱憤を晴らすよう な大活躍ねそんな活躍を見たトヨタが将来 的にF13戦を見据えていたのもあったん だぜトヨタF1チームのドライバーになる ことを見据えてアメリカのカートととか インディカーシリーズに参戦したんだで どうなったの大活躍したのかしらいや高木 はF1時代も含めてずっと英語が上達せず にコミュニケーションの問題を抱えていた のもあったためアメリカでのレースは あまりうまくいかなかったんだあらららら じゃあトヨタF1チームのドライバーに なるのもなしになったのああそうだな結局 日本に帰ってきて日本のレースに参戦した ななるほどやっぱり海外のレースって単純 な速さ以外にも色々あるのねそうだな そんなこんなで高木虎の助のトヨタF1 チームからのF1復帰は幻に終わって しまったわけだトヨタって結局1人も日本 人ドライバーを乗せずに終わっちゃった けど他に候補になりそうな人はいたの かしらいたな中島一月とか小林かいとかも あともう少しトヨタのF1参戦が長かっ たらっていうくらい惜しかったなそうだっ たのね中島か月はお父さんとは違いトヨタ 系ドライバーとしてウィリアムズでかつて 走ってたわよねそうだなウィリアムズが BMWのワークスエンジンを失ってトヨタ のカスタマーエンジンを搭載していた頃だ なま仮にどんなに実力がある人でもF1に デビューするには多額の自賛金が必要だ もんねかつては週マッハも冗談に メルセデスベンツが用意した自賛金を 持ち込んでデビューしたわけだしなでも 中島一月が所属してた頃のウィリアムズっ て本当に資金がなくてマシンの ポテンシャルもなかった頃だったわよね そうだなこの頃から創設者のフランク ウィリアムズとその一家による経営が 終わるまでは本当に厳しい状況が続いてい

たな何せ今メルセデスで活躍するジョージ ラッセルが1年間で1度もポイントを獲得 できずに終わるくらいだからなそれじゃあ 中島か月もだいぶ厳しいF1人生になっ ちゃったんじゃないそうだな中島かずもF 1まで上がってくるくらいだからマシンや エンジンの戦闘力が比較的関係ないモナコ グランプリではポイントを獲得したりして 頑張ってはいたんだだがトヨタのF1撤退 によりトヨタとウィリアムズの関係が切れ たためF1でのシートを失ってしまったん だなるほどねその後はどこかに移籍できた のかしらそれだがトヨタのF1撤退で一時 的に空いたトルファクトリーが関係したぜ トルファクトリーって何かしらトヨタがズ レーシングヨーロッパのファクトリーだ 中島はファクトリーの引き受け先となった ステファングランプリからドライバーとし て起用されることが発表されたぜ何それ 聞いたことのないチームねそうかもしれ ないな何せ最終的に参戦自体が叶わなかっ たわけだからなあそうなのねF1って いろんなチームが参戦しては消えていって たけど参戦すらできなかったチームも かつてはあったのねそうだな今も アンドレッティが参戦しようとしているが 既存チームがfiaからの分配金が減るの を恐れて新規参戦チームをこもうとするん だよななるほどね既存の他のチームも新規 参戦チームのせで分配金が減るのは我慢 ならないもんねまアンドレッティは自分が 参戦することでF1人気ががさらに上昇し て分配金の総額が増えるだろうから既存 チームの取り分の割合は減っても金額は 増えるだろう的なことを言っているんだ そうやって既存チームを説得しているん だろうがどうなっていくか見物だなそうね でも逆に参戦が厳しい状況の中で粘ってた チームに移籍しそうだった話とかはあるの かしらそっちのエピソードも知りたいわ そんなチームの代表格といえば来シーズン からレーシングブルズと名前を変えると噂 があるイタリアファエンツに本拠地があっ たチームだなつまりミナルディってこと そうだミナルディといえばこの動画を見て いる人にとって中野シジのイメージが強い かもしれないがかつて井植た勝ちほも ミナルディから出走する寸前まで行ったん だ寸前まで行ったのそもそも寸前ってどう いうこと寸前っっていうのはもう契約も 済ませてテストもしてたってことだえ もっと意味が分からなくなってきたわどう いう生殺でそうなったのかしらまず ミナルディに自身が持ち込める持参金を 提示してそれを元にミナルディと契約に

こぎつけたんだなるほどまよくある感じね でもその後テスト走行とかやってた時に 自身のスポンサーであったユニマットが他 のところにスポンサードすることにした から契約の際に提示していた自賛金が払え なくなったんだこれはミナルディみたいな 貝チームにとってはでかいんじゃないの そうだなそんな生殺で開幕前にシートを 喪失した井上はこっきりでF1から去る ことになったんだなるほどね中島悟の アローズ遺跡の剣もそうだけどFでスポン サーって大きな存在なのねそうだなこの件 に関してはユニマットから他のところに スポンサードすることを告げられてすぐに 井上からミナルディ側にこのことを伝えた んだそれでもういきなり契約解除なのいや ミナルディ側は井上にシーズン開幕前の テスト開幕から3戦はそのまま走っていい からその間に自3金の問題を解決して くれれば契約はそのままにするって言われ たんだ冬の巻きストーブくらいあったかい こと言うのねでもそれに対して井上はは他 に自3金の当てがないのにそうやって走る のはフェアじゃないとのことでこの ミナルディ側の申し出を断ってしまったん だ確かに自分のお金のことだから自分が 1番よく分かってるんだろうけど嘘をつけ ないというのか正義感が強いのかなでも 井上選手もいい人ねでも相変わらずF1 ってスポンサー命なのねそうだな特に不 景気の時と参戦できるかできないかの ドライバーにとってはなかつてこの時の 井上みたいに自賛金がどうにもならないっ てなってファンから募金を呼びかけた人も いたからなえそんなことあったのちなみに 誰現在スーパーフォーミュラなどで活躍 する小林かいだそうだったのねこのケース はどういう状況でそうなったの小林かいは 当時F1に参戦してたトヨタの支援を 受ける形でかいカテゴリーから2009年 にF1に上がってきたんだ2009年嫌な 予感がするわねリーマンショックによる 景気交代が起きてた年じゃないその通りだ この景気交代の余波を受けてトヨタがF1 から撤退してしまったんだでも小林かいは なんとかザウバーのレギュラーシートを 掴んでトヨタ撤退後のF1に残ったんだ やったわねザウバーではうまく自分の実力 を引き出せたのかしらああこの年のチーム メイトは経験豊富なペドロデラロサだった んだがこのデラロサを上回る パフォーマンスを発揮して翌年も残留する ことが決まったんだすごいじゃないの自分 の腕一本でF1の世界に残っていったのね それでザウバーには2年目から

チームメイトがセルジオペレスになったん だがペレスがザウバーから離脱する タイミングで小林かいにも残留したいなら ペレスが持ち込んでいたのと道学の自賛金 を用意しろってチームに言われたぜそれが 無理で小林もザウバーから離脱したんだで も小林かいは腕1本でザウバーにいたわけ だから他のチームに行けるんじゃない いやいやこの時のF1チームはなかなか 金銭的に厳しかったヤルノプルリア兵器 コラねといった優勝経験者ですらシートを 失っていた状況だったんだせがい世界ね ただでさえ買カテゴリーにいた時に支援し てくれてたトヨタはすでにF1にいないの にそうだなどうにもならなくなって小林は 他のチームでシートを獲得するためにカイ サポートという募金を募るサイトを 立ち上げたんだなるほどねそれでシートは どうにかなったのかしら結局その募金では 2億円に迫る金額が集まったぜ企業からの お金と合わせて約9億円を用意したんだが シート獲得には至らなかったんだこういう の見ちゃうとストローとかがでもなく 羨ましく思えてくるわね結局ザウバーを 2012年限りで離脱1年F1浪人した後 このお金を使って2014年にケタハム から復帰したんだ復帰できたのね良かった じゃないこの年はチームメイトに第11戦 を終えた時点で急勝2敗で大きく勝ち越し ていたんだだが第12戦から他の ドライバーに交代させられたんだ資金難 などの影響でケタハムもこの年限りでF1 から離脱小林もF1からも去っていったん だこの人はは本当にF1の闇の部分に直面 し続けたF1人生だったのねそうだなでも 逆に大きなスポンサーがついていてその スポンサー目当てにトップチームから契約 を持ちかけられたドライバーもいたがな そうなの誰かしら片山右京だ片山もかつて テレルにいたがその時にフラビオブリアと 俺から契約を持ちかけられたんだそうだっ たのねブリアと俺が目当てにしていた スポンサーってどこなのかしら今のJTだ 当時は何ていう名前だったのかしらJTだ いやじゃあJTでいいじゃないなんで今 のってつけたのよ特に理由はないが当時 JTがスポンサードするマシンにはJTが 展開するブランドマイルド7の名前が入っ てたなあこのロゴは見たことあるわ今の メビウスよねそうだJTは片山がF1に いる間ずっと支援していたんだ片山が乗る マシンには常にJTのキャビンやマイルド 7といったロゴが掲載されていたなこう いう大企業のスポンサーがついてるとF1 に残りやすいよねそうだな結局片山は

1992年にラルースからデビュー 1997年にいろんなチームからオファー があったのを断って引退するまで毎年どこ かのチームに所属して走り続けられたわけ だしなそうなのねそこだけ見ると他の ドライバーたちより幸せな部類に入るわね そうだなそんな片山には1994年の終盤 にさっき言ったブリアトレから翌年の ベネトンとの契約を打身されたんだそれは 走りを評価されたってことなのこの年信頼 性のないティレルのマシンで我慢の走りで ポイントを重ねていたのが評価されていた のもあるんだそれに片山の個人スポンサー のJTのマネーを総取りしたいっていう ブリアトレの意向もあったなまたお金ね それで片山は契約したのいやティレルとの 契約が翌年の分も結んでいたぜこの タイミングで移籍すると医薬金が発生する 上そもそもJTは2チームにスポンサード する予定だった仮に片山がベネトンに行っ てもブリアと俺の思惑通りにはならない から片山がこれを断ったそうだったのね スポンサーがいないとF1では苦労する けどスポンサーがいてもハイエナが寄って くるのねでもちょっとベネトンの片山も見 てみたかった気がするわねそうだな片山が 断った後ベネトンのシートにはジョニー ハーバートが座ったんだそして彼は 1995年にベネトンで2勝を上げている からなそれは片山だったらとかどうだった んだろうとか色々期待しちゃうわね ハーバートは片山が遺跡を断ったことに よって勝利するチャンスを掴んだだが逆に 遺跡を断ったチームメイトのせいで迷惑を 被ったドライバーもいるぜ誰それ遺跡を 断ったチームメイトってジェンソンバトン だブラウングランプリでチャンピオンを 取った人だよあバトンねってことはつまり 迷惑を被ったのって佐藤琢磨そうだなこの バトンの遺跡の話は2004年にバトンと 当時のBMWウィリアムズが2005年の 契約を結んでいたんだなるほどね2005 年の契約を結んでいたわけねでもそれを ARがfiaの契約承認委員会に契約無効 の申し立てをしてfia側から正式に契約 無効となった結果2005年はBARに 残留することになったんだなるほどねそれ でウィリアムズとバトンの縁は切れたの かしらいや契約が無効になって両者は 2006年からの契約を新たに結んだんだ そんなにBARHondaを離れたかった のねそれならとっとといなくなればいいの にでもこの辺りでウィリアムズがBMWの ワークスエンジンを失うことがたんだそれ までウィリアムズの方が上だと思っていた

のにこれならBARが上でウィリアムズが 下だと思ったのか急にBARへの残留を 表明したんだえこの人いきなり めちゃくちゃなことするのねそんなことが 許されるのかしらこの年バトンが佐藤琢磨 を圧倒する成績を出したのもあり結果 バトンがチームに残留佐藤琢磨がチーム 離脱という非常に胸くその悪い展開になっ たんだ佐藤琢磨は翌年から鈴木あが 立ち上げたスーパーありに移籍したわよね その前にバトンが行くはずだった ウィリアムズからも佐藤に遺跡の話が入っ てたんだそうなのねなんかバトンとBAR はめちゃくちゃやってるけどその一方で ちゃんと見てくれてる人はいたのねそうだ なフランクウィリアムズ自ら君が私たちの 車で走る姿を見たいってオファーされてた んだそんな風に言われたらぜひ移籍して もらいたかったわねまその気持ちも分かる がこの時のウィリアムズは1年後の 2007年からトヨタと提携することが 決まっていたんだあらららら本田系 ドライバーがトヨタ系のチームに行くのは 本当にここ最近までNGだったもんねこり 無理よねでも佐藤琢磨はこのオファーに ついて真剣に悩んだ結果当時の本田の福井 武夫社長のところに行ってホダを離れる 可能性について説明しに行ったくらいだっ たんだあそうなのねそれで本田社長からは どんな答えが帰ってきたの2輪の世界では 1度他者に行っても帰ってくるパターンも ある頑張ってこいとのことだったんだえ じゃあ絶好だとはならなかたのねそうだな でも結局スーパーアグリに行ったからこの 話は実現しなかったなうんここは個人的に は微妙な感じがするわこれ以降の ウィリアムズって全然ダメだった印象ある けどニコロズベルグとかジョージラッセル みたいにウィリアムズで実力を他のF1 チームにアピールして上位チームに移籍し ていったドライバーたちもいるわけでしょ 確かにそうだな一方のスーパーグリは 2008年の途中で撤退しちゃってそれ 以降佐藤はF1に出走する機会を得られて いないからなそうでしょでもスーパー アグリがなくなった時の佐藤はまだまだF 1でやっていきたいと思ってたわけでしょ そうだな実際にその年のオフにトロロッソ のテストを受けに行ってるくらいだからな F1への未練はあったと思うぜそうよね トロロッソ以外にも他のチームとも交渉し てるわけでしょそうだなロータスとか ルノーとかなだからここでウィリアムズに 行って何年走れたのか分からないけどそこ で実力をアピールしといた方が個人的には

良かったと私は思うのよね確かに霊夢の その味方もなくはないがトヨタと定型をし ていた2007年からウィリアムズは実質 トヨタ枠と言われていた中島かずを乗せ てるわけだしどの道状況的には厳しかった んだ仮にウィリアムズに行ったとしても どんな将来になってたかは分からないぜ まあ確かにそれもそうね本当にF1の世界 の人事っていろんな複雑な要素が絡み合っ てるのねそうだな逆にバトンが ウィリアムズに行ってたらどうなってたん だろうなそれもそれで気になるは日本人に 限らずスポンサー関係他のドライバーとの 兼ね合いなんかもあって実現していなかっ た遺跡って世の中たくさんありそうねそう だなそれこそ星の数ほどありそうな話だよ な他にも印象に残る幻の遺跡の話があれば コメント欄で私たちに教えて欲しいんだぜ よろしくお願いするわそれでは本日も最後 までご視聴ありがとうございました

#F1 #F1総集編 #角田裕毅 #中嶋悟

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▼背景素材
Ahmad Gulabi様

13 Comments

  1. 実はセナは若手の頃にウィリアムズに所属する話があったが、若すぎるという理由で見送りになった(その後、マクラーレンから離れて所属したものの…)

  2. 全日本F3000時代は右京に全く歯が立たなかったハーバートが2回も優勝したくらいだから、もし右京が乗ってたらと思うと…でも何かの間違いでシューマッハより速いタイム出しちゃったら、右京もハーバートのように「いじめ」に遭ってたかも。

  3. 90年代当時の4強や今のトップチームであろうと、形はどうあれ乗れるチャンスがあれば行くべき、2度と無い可能性が高いんだから、長年の『タラ・レバ』の話はそろそろ終止符を打ってもらいたい。

  4. ベネトンの亜久里は、見たかった。。リジェの亜久里も、もーちょっと見たかったんだが。。なかなか悪くはなかった、ですよね? みなさん?

  5. 中嶋悟氏がロータスではなくウィリアムズからデビュー出来ていたらと思うと・・・

  6. 亜久里はベネトン行かなくて正解だったろうね。
    ラルースやフットワークなら電気系を理由に出来るがベネトンなら言い訳聞かないからね。
    ベネトンを丸コピーしたリジェであの成績…これもまたスポット参戦だったからって本人は言いたいだろうけどさ。

  7. 日本人ドライバー絡みでは、野田秀樹さんが1995年にシムテックと契約結んだものの、シーズン途中からの参戦になって、そして参戦する前にシムテック自体がF1から撤退しちゃった(!)、というのもありましたね。

  8. 片山右京はベネトンでシューマッハのセカンドドライバーよりエースドライバーである方を選んだと言ってましたね。
    その年は途中で壊れたけど予選も速い時あったから躊躇したみたいですね。
    他にもこんなに移籍話あったんですね。
    ずっとf1見てるけど知らなかったです。

  9. 片山右京さんはタラレバ…
    もし95ベネトンに乗れたら
    ね…

  10. 95年のベネトンはカミソリマシン。最初見た目でかなり難しいマシンに見えてしまった。前の年のウィリアムズを連想した。最初シューマッハもスピンしてしまうピーキーなクルマだったから右京が移籍しても乗りこなせたかどうか。ドライビングスタイルがマシンに合えば話は別だが。
    亜久里は東芝がいたから、三洋電機がいたベネトンは最初から無理だったと思う。日本人は義理が壁になる。
    F1マネーを書いた「ピラニアクラブ」は名著だな。
    トヨタの撤退で可夢偉のF1人生は悪い意味で微妙なものになってしまった。あと、付き合った彼女が可夢偉のイメージに悪影響を与えた。個人的にはF1に無理して行かずにGTでフェラーリに残っていたら案外うまくいったかもしれない?