有馬記念でトウショウボーイ、グリーングラスに勝ったテンポイントは1978年日本経済新春杯に66.5kgを背負って出走した。 keiba dorakuグリーングラステンポイントトウショウボーイラジオ実況小崎日経新春杯窪田康夫競馬 36 Comments @conan-tm6hq 8年 ago テンポイント‼キツい辛い中を最後まで走ろうとしたね。その勇姿は決して忘れないよ!ありがとう。今はゆっくり休んでくださいね @iemoto100 7年 ago これって芥川隆行さんのナレーションですよね? @123skyhigh5 7年 ago 今ではありえない、むちゃくちゃな斤量(-_-;)このメンバーは覚えてる(今の馬名はわかんない😵🌀)エリモジョージ=気まぐれジョージって、覚えてる人は50代以上の競馬🐎💴ファン(;^_^A @JT-vn4cx 7年 ago 1着はジンクエイト、清水2着ビクトリアシチー福永競馬場にいたけど流石に映ってないね。 @combat_echigoya 7年 ago これをみると、最初からもう辛そうでその時点で運命が決まっていたような感じもして悲しい限りです。 @user-ib9xv6sb9k 6年 ago テンポイント💦故障したシーンを見ると、あーっ😱とは思うけど、涙が出ない!でも、なぜか元気に走ってる阪神三才ステークスを見ると涙が止まらない!!!😭😭見てくれこの足見てくれこの足けれが関西期待のテンポイントだ‼️ @taradakelo 6年 ago KBSの小崎さんの実況これは、貴重ですねー! @tryagainletstry 6年 ago 馬厳しいな @wingbamboo2632 6年 ago 拷問だねこの斤量は @tryagainletstry 5年 ago 悲劇の極み @deepkozo 5年 ago テンポイントの斤量に驚きですが、それ以上に、実況にありますが、福永49キロですが、1.5キロオーバーで50.5キロ!そんなの許されてたの? @nattousenbei 5年 ago これは陣営もJRAもどっちもアホだった。 @user-sd2se9my1c 5年 ago テンポイントの調教師・小川佐助はダビスタをやらせたら最高だろうな。斤量70キロでオープン戦とか走らせそう。 @user-rb3bh5ox7o 5年 ago この時代(それ以前も)オーナー等の馬に対する考え方が 今より低く所詮 たかが馬なんだよねハンディやローテーションは今では考えられない程厳しく調教師もステップレースを叩き台としか考えないから全然仕上げずファンあっての競馬って考えてなかった…… @user-eb2on1qm3e 5年 ago テンポイント来ない様にと思って単勝買ってたら❗️故障馬券は破りすてたポイントが亡くなってから単勝馬券にプレミアついたわ @t8213k 5年 ago 脳みそ腐ってるんか馬主は @sinzan 5年 ago まだ小学生だった自分だが、親父が毎週競馬をやっていたのでものすごく覚えている。今では考えられない斤量、ローテーション。馬に無理させすぎ。この後もこの馬には悲劇が待っていたのを覚えている。 @nights311 4年 ago この時代の競馬をリアルタイムで見てるわけじゃないけど、当時は関西馬VS関東馬の風合いが強かったこと。東高西低の時代でテンポイントが関西馬の誇りのような存在だったこと。天皇賞が勝ち抜け制であり、既に天皇賞を勝ったテンポイントが出走できる定量制のレースがほとんど無い(宝塚有馬くらい。JCは当時なかった)ことから海外挑戦の流れになったこと。そしてそんな時代だったからこそ、関西のファンは海外挑戦前にテンポイントの姿を最後に関西で!の声を上げ、その声に応えるための出走だったこと。確かに馬主やJRAの非もあるんだろうけど、ここでの一方的な叩かれっぷりは正直どうかなぁと。まぁでも、当時の高ハンデが今ではこんな風に叩かれるようになったことこそ、このレースの最大の意味だったのかもしれないですけどね。 @chakotuba3402 4年 ago もともと調教師は海外挑戦に反対していたが、馬主が海外を強く望んだ。日経新春杯は壮行レースであると同時に、遠征資金のためという側面もあったらしい。杉本アナは「66.5kgではなく67kgだったら陣営は回避していたはず。たった0.5kgの差が運命を決めた」と振り返っている。今はG1馬がハンデ戦に出ても60kg弱だから、とんでもない斤量だったよ。 @ttmakm6514 4年 ago この故障の瞬間に、コタツに潜って泣いたのを覚えています。まだ小学生、でも競走馬の故障でこの先何が起きるのかは解ってたから。 @shinititamura8534 4年 ago あの小雪が降る京都競馬場で世界に向かおうとする名馬「テンポイント」は66.5kgを背負っての日本のラストランの日経新春杯はで今では考えられない酷な斤量で走り抜いた記憶は、忘れられません。💧天国に召された名馬「テンポイント」彼は私の記憶に残る最強馬だと思います。🐴 @YasumasaKohakura 4年 ago イギリス遠征を間近にしたところで、斤量66.5㎏というハンデ戦、というか競馬の現代の常識ではらしからぬ斤量を背負わせて出走させたのは、いまだと間違いだったと後悔するだろうし、むしろ無理に出走させる必要はなかったと思う。出走させたとしても斤量は重くても58㎏までだったらそれほど負担はなかったと思うし。障害戦でまれに60㎏を超える斤量を背負わされる例はあるけども65㎏を超えるのは障害戦でもそうなかった。 @user-mx9wq8ts4z 4年 ago テンポイント故障したのは知ってたけどなんでかってずっと不思議だったと思ってふと調べてみると斤量66.5…石抱かな?そう考えるとタマツバキってやべー @user-xo1ox3mm3j 4年 ago 今まで一番大好きな馬 @user-eo9cp6oz8e 4年 ago この時は福永洋一騎手はエリモジョージに騎乗してなかったんですね @user-jj9nd5qk7i 4年 ago このレース、『パドックを周回する"テンポイント最後の勇姿"』がテレカになってます。もちろん持ってます。どことなく寂しげな、この後に自身を襲う運命を悟ったような表情がたまらないです。 @user-mk6wj1oz7f 3年 ago おっとおっと!不利があったテンポイント一気に下がった!これは不利があった、一気に下がった、故障か!?さぁ第4コーナーから直線に向かいます!テンポイント故障か!?あー、ちょっと脚元を見ました鹿戸明!右左と脚元を見ている!この辺で競走を止めます、競走を止めます!大変な事になった!大変な事になった!テンポイントは競走中止だ! 今は亡きKBS京都・小崎愃さんの実況です。 @user-in9gu5nl8e 3年 ago 芥川隆之さん競馬のナレーションもしてたのか! @user-ho5cd3um1d 3年 ago 今では考えられない斤量を背負ってのレースだったのですね💦💦🐎 確か骨折してから特番のテレビで懸命に治療していた姿🐎が放送されていた記憶があります。千羽の折り鶴が飾られていいましたね。 私は当時小学3年でしたがテンポイントが好きで天国に旅っ立った時に本当にショックのあまり泣いてしまいました。 @IN-lk9gy 3年 ago 大変なことになった、大変なことになった、、、小学生だった私はその意味が分かりませんでした。 @user-wr8ny3pp9w 3年 ago 76年 天皇賞(春)王者 エリモジョージ @user-ot9rz2fi6h 3年 ago 実況で日経新春杯のスタートですとありますが、正式なレース名は日本経済新春杯です。 @user-ot9rz2fi6h 3年 ago 日経新春杯というレース名になったのは翌年の昭和54年からです。 @ryoshibata8765 3年 ago 再び負担重量増加がなされ、このような悲劇は見たくないですね。 @pwd301 2年 ago 小雪の舞う京都競馬場、現地にいました。寒かったのを思い出します。 @Neko_udo 2年 ago NHK明石家さんまさんの番組から来ましたテンポイントの姿が辛い。。
@123skyhigh5 7年 ago 今ではありえない、むちゃくちゃな斤量(-_-;)このメンバーは覚えてる(今の馬名はわかんない😵🌀)エリモジョージ=気まぐれジョージって、覚えてる人は50代以上の競馬🐎💴ファン(;^_^A
@user-ib9xv6sb9k 6年 ago テンポイント💦故障したシーンを見ると、あーっ😱とは思うけど、涙が出ない!でも、なぜか元気に走ってる阪神三才ステークスを見ると涙が止まらない!!!😭😭見てくれこの足見てくれこの足けれが関西期待のテンポイントだ‼️
@user-rb3bh5ox7o 5年 ago この時代(それ以前も)オーナー等の馬に対する考え方が 今より低く所詮 たかが馬なんだよねハンディやローテーションは今では考えられない程厳しく調教師もステップレースを叩き台としか考えないから全然仕上げずファンあっての競馬って考えてなかった……
@sinzan 5年 ago まだ小学生だった自分だが、親父が毎週競馬をやっていたのでものすごく覚えている。今では考えられない斤量、ローテーション。馬に無理させすぎ。この後もこの馬には悲劇が待っていたのを覚えている。
@nights311 4年 ago この時代の競馬をリアルタイムで見てるわけじゃないけど、当時は関西馬VS関東馬の風合いが強かったこと。東高西低の時代でテンポイントが関西馬の誇りのような存在だったこと。天皇賞が勝ち抜け制であり、既に天皇賞を勝ったテンポイントが出走できる定量制のレースがほとんど無い(宝塚有馬くらい。JCは当時なかった)ことから海外挑戦の流れになったこと。そしてそんな時代だったからこそ、関西のファンは海外挑戦前にテンポイントの姿を最後に関西で!の声を上げ、その声に応えるための出走だったこと。確かに馬主やJRAの非もあるんだろうけど、ここでの一方的な叩かれっぷりは正直どうかなぁと。まぁでも、当時の高ハンデが今ではこんな風に叩かれるようになったことこそ、このレースの最大の意味だったのかもしれないですけどね。
@chakotuba3402 4年 ago もともと調教師は海外挑戦に反対していたが、馬主が海外を強く望んだ。日経新春杯は壮行レースであると同時に、遠征資金のためという側面もあったらしい。杉本アナは「66.5kgではなく67kgだったら陣営は回避していたはず。たった0.5kgの差が運命を決めた」と振り返っている。今はG1馬がハンデ戦に出ても60kg弱だから、とんでもない斤量だったよ。
@shinititamura8534 4年 ago あの小雪が降る京都競馬場で世界に向かおうとする名馬「テンポイント」は66.5kgを背負っての日本のラストランの日経新春杯はで今では考えられない酷な斤量で走り抜いた記憶は、忘れられません。💧天国に召された名馬「テンポイント」彼は私の記憶に残る最強馬だと思います。🐴
@YasumasaKohakura 4年 ago イギリス遠征を間近にしたところで、斤量66.5㎏というハンデ戦、というか競馬の現代の常識ではらしからぬ斤量を背負わせて出走させたのは、いまだと間違いだったと後悔するだろうし、むしろ無理に出走させる必要はなかったと思う。出走させたとしても斤量は重くても58㎏までだったらそれほど負担はなかったと思うし。障害戦でまれに60㎏を超える斤量を背負わされる例はあるけども65㎏を超えるのは障害戦でもそうなかった。
@user-jj9nd5qk7i 4年 ago このレース、『パドックを周回する"テンポイント最後の勇姿"』がテレカになってます。もちろん持ってます。どことなく寂しげな、この後に自身を襲う運命を悟ったような表情がたまらないです。
@user-mk6wj1oz7f 3年 ago おっとおっと!不利があったテンポイント一気に下がった!これは不利があった、一気に下がった、故障か!?さぁ第4コーナーから直線に向かいます!テンポイント故障か!?あー、ちょっと脚元を見ました鹿戸明!右左と脚元を見ている!この辺で競走を止めます、競走を止めます!大変な事になった!大変な事になった!テンポイントは競走中止だ! 今は亡きKBS京都・小崎愃さんの実況です。
@user-ho5cd3um1d 3年 ago 今では考えられない斤量を背負ってのレースだったのですね💦💦🐎 確か骨折してから特番のテレビで懸命に治療していた姿🐎が放送されていた記憶があります。千羽の折り鶴が飾られていいましたね。 私は当時小学3年でしたがテンポイントが好きで天国に旅っ立った時に本当にショックのあまり泣いてしまいました。
36 Comments
テンポイント‼
キツい辛い中を最後まで走ろうとしたね。その勇姿は決して忘れないよ!ありがとう。今はゆっくり休んでくださいね
これって芥川隆行さんのナレーションですよね?
今ではありえない、むちゃくちゃな斤量(-_-;)このメンバーは覚えてる(今の馬名はわかんない😵🌀)エリモジョージ=気まぐれジョージって、覚えてる人は50代以上の競馬🐎💴ファン(;^_^A
1着はジンクエイト、清水2着ビクトリアシチー福永競馬場にいたけど流石に映ってないね。
これをみると、最初からもう辛そうでその時点で運命が決まっていたような感じもして悲しい限りです。
テンポイント💦
故障したシーンを見ると、あーっ😱
とは思うけど、涙が出ない!
でも、なぜか元気に走ってる阪神三才ステークスを見ると涙が止まらない!!!😭😭
見てくれこの足
見てくれこの足
けれが関西期待のテンポイントだ‼️
KBSの小崎さんの実況これは、貴重ですねー!
馬厳しいな
拷問だねこの斤量は
悲劇の極み
テンポイントの斤量に驚きですが、それ以上に、実況にありますが、福永49キロですが、1.5キロオーバーで50.5キロ!そんなの許されてたの?
これは陣営もJRAもどっちもアホだった。
テンポイントの調教師・小川佐助はダビスタをやらせたら最高だろうな。斤量70キロでオープン戦とか走らせそう。
この時代(それ以前も)オーナー等の馬に対する考え方が 今より低く
所詮 たかが馬なんだよね
ハンディやローテーションは今では考えられない程厳しく
調教師もステップレースを叩き台としか考えないから
全然仕上げず
ファンあっての競馬って考えてなかった……
テンポイント来ない様にと思って
単勝買ってたら❗️故障
馬券は破りすてた
ポイントが亡くなってから
単勝馬券にプレミアついたわ
脳みそ腐ってるんか馬主は
まだ小学生だった自分だが、親父が毎週競馬をやっていたのでものすごく覚えている。今では考えられない斤量、ローテーション。馬に無理させすぎ。この後もこの馬には悲劇が待っていたのを覚えている。
この時代の競馬をリアルタイムで見てるわけじゃないけど、当時は関西馬VS関東馬の風合いが強かったこと。東高西低の時代でテンポイントが関西馬の誇りのような存在だったこと。天皇賞が勝ち抜け制であり、既に天皇賞を勝ったテンポイントが出走できる定量制のレースがほとんど無い(宝塚有馬くらい。JCは当時なかった)ことから海外挑戦の流れになったこと。
そしてそんな時代だったからこそ、関西のファンは海外挑戦前にテンポイントの姿を最後に関西で!の声を上げ、その声に応えるための出走だったこと。
確かに馬主やJRAの非もあるんだろうけど、ここでの一方的な叩かれっぷりは正直どうかなぁと。まぁでも、当時の高ハンデが今ではこんな風に叩かれるようになったことこそ、このレースの最大の意味だったのかもしれないですけどね。
もともと調教師は海外挑戦に反対していたが、馬主が海外を強く望んだ。日経新春杯は壮行レースであると同時に、遠征資金のためという側面もあったらしい。杉本アナは「66.5kgではなく67kgだったら陣営は回避していたはず。たった0.5kgの差が運命を決めた」と振り返っている。今はG1馬がハンデ戦に出ても60kg弱だから、とんでもない斤量だったよ。
この故障の瞬間に、コタツに潜って泣いたのを覚えています。まだ小学生、でも競走馬の故障でこの先何が起きるのかは解ってたから。
あの小雪が降る京都競馬場で世界に向かおうとする名馬「テンポイント」は66.5kgを背負っての日本のラストランの日経新春杯はで今では考えられない酷な斤量で走り抜いた記憶は、忘れられません。💧天国に召された名馬「テンポイント」彼は私の記憶に残る最強馬だと思います。🐴
イギリス遠征を間近にしたところで、斤量66.5㎏というハンデ戦、というか競馬の現代の常識ではらしからぬ斤量を背負わせて出走させたのは、いまだと間違いだったと後悔するだろうし、むしろ無理に出走させる必要はなかったと思う。
出走させたとしても斤量は重くても58㎏までだったらそれほど負担はなかったと思うし。障害戦でまれに60㎏を超える斤量を背負わされる例はあるけども65㎏を超えるのは障害戦でもそうなかった。
テンポイント故障したのは知ってたけどなんでかってずっと不思議だった
と思ってふと調べてみると斤量66.5…
石抱かな?
そう考えるとタマツバキってやべー
今まで一番大好きな馬
この時は福永洋一騎手は
エリモジョージに騎乗してなかったんですね
このレース、『パドックを周回する"テンポイント最後の勇姿"』がテレカになってます。もちろん持ってます。どことなく寂しげな、この後に自身を襲う運命を悟ったような表情がたまらないです。
おっとおっと!
不利があったテンポイント一気に下がった!
これは不利があった、一気に下がった、故障か!?
さぁ第4コーナーから直線に向かいます!
テンポイント故障か!?
あー、ちょっと脚元を見ました鹿戸明!
右左と脚元を見ている!
この辺で競走を止めます、競走を止めます!
大変な事になった!大変な事になった!
テンポイントは競走中止だ!
今は亡きKBS京都・小崎愃さんの実況です。
芥川隆之さん競馬のナレーションもしてたのか!
今では考えられない斤量を背負ってのレースだったのですね💦💦🐎
確か骨折してから特番のテレビで懸命に治療していた姿🐎が放送されていた記憶があります。千羽の折り鶴が飾られていいましたね。
私は当時小学3年でしたがテンポイントが好きで天国に旅っ立った時に本当にショックのあまり泣いてしまいました。
大変なことになった、大変なことになった、、、小学生だった私はその意味が分かりませんでした。
76年 天皇賞(春)王者 エリモジョージ
実況で日経新春杯のスタートですとありますが、正式なレース名は日本経済新春杯です。
日経新春杯というレース名になったのは翌年の昭和54年からです。
再び負担重量増加がなされ、このような悲劇は見たくないですね。
小雪の舞う京都競馬場、現地にいました。
寒かったのを思い出します。
NHK明石家さんまさんの番組から来ました
テンポイントの姿が辛い。。