◆関連動画
桶狭間の戦いはなぜ起きたのか?

布陣図のあれマグネット 戦国武将、歴史グッズの「小川新聞店」通販サイト #小川新聞店 https://www.ogawashinbunten.com/shopdetail/000000000176/

家康日記発売中!
https://amzn.to/3Fm3QOJ
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【目次】
0:00 桶狭間の戦いの真実はわかりません
2:27 前哨戦~松平元康の兵糧入れ~
5:33 奇襲説
8:20 正面突破説
15:24 追撃説
22:39 トンデモ本に注意…!?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
▼主な参考文献
現代語訳 信長公記 (新人物文庫)
https://amzn.to/3Yp5G85
桶狭間合戦の真実(正面突破説で描かれたマンガ・巻末に考証解説アリ)
https://amzn.to/3IXtXfx
桶狭間の戦い 前夜の真実(追撃説について考察)
https://amzn.to/3IUVZsh

◆チャンネル登録はこちらからお願いするでござる!
https://www.youtube.com/sengokubanashi?sub_confirmation=1

◆サブチャンネル『ミスター武士道ch』
https://www.youtube.com/channel/UCp1o7vb0aWiashQAgmL9XDw

◆戦国BANASHIの公式Twitter

◆戦国BANASHI公式サイト
https://sengokubanashi.net/

◆お問い合わせは
sengokubanashi@gmail.com

■協力
株式会社メディアエクシード
https://mediaexceed.co.jp/

※参考文献リンクURLはAmazonアソシエイトのリンクを使用しています。

#どうする家康 #戦国時代 #歴史解説

36 Comments

  1. マグネット良いですね

    関ヶ原に向けて大量買いしておく必要ありますね😅

  2. 正面突破説は(信長から見て)敵は砦を落として疲れた部隊だから新手の信長の部隊で撃破するつもりで攻撃したらたまたまそれが今川義元本隊だった(信長の勘違い)って話ではないですか?
    ただ追撃説に絡めることは可能ですが(生山の信長視点で、水野を攻撃しようとしていた今川の部隊を砦を落として疲れて下がった部隊だと勘違いして追撃した、とか。)

  3. マグネット凄く面白かったです。
    またやってください!
    とても分かりやすかったです。

  4. 追撃説は面白いですね!背後を急襲するのはありえると思います。
    ただし大高城から緒川城への連戦はキツイので、緒川城を攻撃する前に一旦沓掛城に戻る時に信長に狙われたと予想します。
    沓掛城で休憩がてら戦備を整えれば緒川城方面と鳴海城方面の両方面に出撃できますし。
    今川にとって大高ー沓掛ラインは地理的に重要だと思います。

  5. 従軍記者、SNS、GPS、衛星回線がある現代ですら戦争の経緯には不透明な部分が多いわけですから、中世の戦争なんて細かくわかるはずもないんですよね。現場の兵士は生き残るのに必死でしょうし、指揮官だって「何故勝てたのか」「何故負けたのか」を把握できないケースも多かったはず
    現代の我々が戦国時代の戦いについて漠然と「こんな感じだろう」と思ってるイメージの多くは、江戸時代に盛んになった軍記物とか講談のイメージを引きずっていたり、下手したら昭和期に成立した小説や映画の描写から影響を受けている場合もあります

  6. 織田兵A「おりゃあああ!」
    今川兵A「ゲ、強そうなやつが仲間を倒した。でも大丈夫。アイツは今倒した兵の首を持って自陣に帰るはずだもんね」
    織田兵A「ぜりゃあああ!」
    今川兵A「・・・アレ?なんで首とろうとしないの?なんでこっちに来るの?」
    織田兵A「ぬおりゃあああ!」

    今川兵A「ヤバい、織田兵、鬼ヤバい。手柄も、首も、欲しがらずに殺しまくる、殺人鬼にちがいない!!」
    梅雨前線「折からの豪雨でござんす」
    今川兵ABCD「うわああああ!!」

    自分は正面強襲説がわりとアリだと思ってます。

  7. 「桶狭間で討たれた今川義元は影武者だった」はまだしも、「本物は寺の住職として94歳まで生きた」は氏真に家督譲ってたとはいえ、なぜ今川再興に尽力しなかったのか等々突っ込みどころ満載すぎて、「東洲斎写楽=オランダ人シャイロック」くらいトンデモ説ですねえ……

  8. どうする家康は大河ドラマ史上可愛い地図を使っているので麒麟の時みたいなホワイトボードの解説で懐かしく分かり易かったですよー

  9. NHK-BSの「英雄たちの選択」では、織田信長は今川軍の戦力の分散を図ったり、今川義元を有利なところにおびき出す工夫をしていたりするような説明があったのですが、実際のところはどうだったのでしょうか?
    番組を見た印象としては、織田信長はかなり緻密に計画を立てて実行したという感じでした。

  10. 何時も楽しく拝見してます!
    ホワイトボード&マグネットの解説とても面白く、解りやすかったです!
    また、楽しみにしてます。

  11. 子供の頃は上洛目指して「おじゃる、おじゃる〜」って調子に乗っていた義元公を信長が悪天候を味方につけて奇襲したと認識してました。

    麒麟がくるあたりから桶狭間の戦いの認識が180度変わった気がします。

  12. 信長の有名なセリフから素直に考えると追撃説が有力だと思います
    「各よくよく承り候へ。あの武者、宵に兵粮つかひて、夜もすがら来なり、大高へ兵粮を入れ、鷲津、丸根にて手を砕き、辛労して、つかれたる武者なり。こなたは新手なり。其の上、小軍なりとも大敵を怖るゝなかれ・・・」

    現代語訳「「皆の者、よく聞け。あそこにいる今川軍は、夕食を食べて腹ごしらえをし、徹夜で大高城へ兵粮を入れ、今朝、鷲津、丸根砦で戦った。非常に疲れている。それに対し、我軍は新手である。また、我軍は、敵軍よりは兵数が少ないが、「小軍なりとも、大敵を怖るる事なかれ」・・・」

  13. マグネットだけで中田敦彦より分かりやすくなる解説動画!
    お見事!

  14. 私そこらで暮らしてるので子供の頃から走り回ってますので土地勘ありますが、沓掛から二村台抜けるとすぐに桶狭間ですが今中京競馬場辺りが1番高いのでそこらに義元は布陣してたんじゃないかなって思ってます

  15. 初めて聞きましたが後退説興味深いですね、桶狭間の陰に隠れて印象薄いですが同年北条は大変な事になってます。だから兵糧だけ運んで耐えてもらって後退して北条救援に向かったって可能性も。。。現に氏真は北条救援してるし

  16. 合戦話しワクワクしました。また、長久手の戦い、関ヶ原もぜひやってください。

  17. 手掛かりが無さ過ぎるのが痛いですね。
    ほぼ唯一の手掛かりの信長公記でさえ、
    書いたのは筆者の晩年で原本もない。
    真実は永遠に判明しそうもないですね・・・

  18. 今回も、大変勉強になりました。
    今後も頑張り続けて下さい。

  19. 水野信元は叔父では無く伯父ですね。
    親の兄姉は伯父伯母。弟妹は叔父叔母になります。
    重箱の隅をつつくつもりは無いのですが気になったので。気付かず使っている人も多いと思いますのでついコメントしました。
    武士道さんの、主張はするけど決めつけて話さないスタンスはすばらしいと思います。これからも応援しています。

  20. 正面突破は腑に落ちないってずっと思ってたんで、追撃説は最近知ったのだけど、簡潔で分かりやすい解説でした。

  21. そもそも桶狭間の
    場所自体がどこにあるのか?
    今も論争になっているので
    有名な戦いの割に、
    戦いの真相は謎だらけですなぁ。
    旧日本軍が作った幻想から脱却して、
    歴史の研究が進むのは
    良いことだと思います。

  22. TVのYouTubeでこの解説を聞こうと思っても何故か見れない。戦国さんの他の回は普通に開けるのに。なぜかな?なのでPadでトライしてみたら見れました。

  23. 信長は鷹狩好き=領地内の地形は熟知、義元の所在がわかった時点で狙えると踏んだのでしょう。

  24. Googleマップとかで、今でも普通に桶狭間出てきますよ。
    しかも、どこに本陣とか、義元が捕まったとこも出てますよ。

  25. 義元の祖父義忠は、1476年、遠江の旧領を回復しようと出陣した時、織田家の主筋になる斯波氏との戦闘で戦死していますね。今川家にとって、西の方は鬼門だったかもしれません。

  26. いまだに謎?、戦略レベルなら推測できるが、、、。
    実行部隊の3千の兵をどう集めたか?本当実は1千人でも負け戦で裏切り者出たら奇襲できない。
    そこまでのカリスマ性はなぞ?

  27. 絶対裏切らな1千人が集まれは、現代でも無理でそれは偶像(アイドル)。
    逆に裏切ってもいいので数万人が集めれの方が理解できる、事実裏切り戦だから

  28. ↓事実裏切り戦だから。
    成功ばかり注目されるけど、奇襲は退却が困難。
    先に裏切りの成立がないと、討っだけでどう退却したのかは未だに歴史上の謎