東日本大震災特別企画「ともに」。今回は今年3月に発足した宮城県岩沼市の「語り部の会」の活動をご紹介します。岩沼市には震災の記憶を今に伝えるいわゆる「震災遺構」はほとんどありません。こうした場所で語り部の団体が震災から12年後に結成された背景には「これからの命」を守ろうとする強い想いがありました。
青木孝豪さん
「この慰霊碑の高さが8メートルです。つまり津波は8メートルの高さで集落を襲ったということになります」
岩沼市の「千年希望の丘相野釜公園」。ここで語り部として活動する青木孝豪さん(70歳)。この日は防災研修旅行で来た北海道の高校生21人に「ここで何があったのか」を語りました。
青木孝豪さん
「ここには6つの集落がありました。海岸部の集落が全て津波の被害を受けてしまったということになります」
震災当時、県工業高校で地理を教えていた青木さん。語り部になるきっかけとなったのは津波の犠牲になった教え子への想いからでした。
青木孝豪さん
「私の教え子、宍戸俊平くん。18歳です」
ここ岩沼には、大昔、巨大な津波が押し寄せました。平安時代の貞観津波です。青木さんは津波の痕跡が岩沼の地層に残っていること、そして、いつ津波が来てもおかしくない事を授業で教えてきました。しかし、あの時宍戸さんの避難行動にはつながらなかったと悔やみます。
青木孝豪さん
「平野部でも津波の危険性があるのは伝えていたつもりなんですけれども、それが十分に伝わっていない」
「これからは命を守るために伝えたい」。
青木さんは今年3月11日7人のメンバーと共に「いわぬま震災語り部の会」を結成し語り部活動を始めました。
青木孝豪さん
「斜面と階段、どっちが登りやすいか、というものを体験しながら登っていただけたら」
会のモットーは「自分の命を自分で守れる人を育てていくこと」。伝える内容は、震災の悲しみや辛さではなく生き残るための具体的な方法です。
青木孝豪さん
「階段て幅があるので意外と歩きにくいんですよ。転びやすいです。斜面の方が楽です」
参加した高校生
「災害が起きた時にどういう逃げ方をするかを教えてもらいました」
「津波の来るスピードが時速100キロ以上なので瞬時に判断して、自分たちで協力しながら逃げる」
青木孝豪さん
「今ここで地震があり、津波が来たら、あなたはどうやって逃げますか?という『現在』それから『これから』ということに焦点をあてて紹介するということを考えています」
語り部の会が命を守る活動に重点を置く理由は、岩沼市の地形にもあります。岩沼市は土地のおよそ8割が平野。丘陵地や高台は、ほとんどありません。このため去年、県が公表した津波浸水想定では、海岸から6キロ以上も離れた内陸まで津波が押し寄せるとされています。
内陸部にある玉浦西地区。ここは、震災後にかさ上げ工事を行い集団移転地区となりました。しかし、この場所でさえ1メートル以上3メートル未満の津波に襲われるとされています。
青木孝豪さん
「全く、地形的に言ったら津波を防げない。巨大な津波が来た場合は、4キロ5キロ入りますと、地域の相当数が津波の被害を受けてしまう」
津波の被害を防ぎにくい岩沼で命を守るには住民の防災意識をもっと高める必要がある。語り部の会は、この課題にも取り組み始めました。そのひとつが、市内の親子を対象にした「実践的な防災学習」です。案内したのは、震災のがれきで造った緊急の避難場所「千年希望の丘」です。
いわぬま震災語り部の会 会長 渡辺良子さん
「ここにはですね、いろいろと仕掛けがあります。今日はそれを最初にやってみたいと思います」
丘の頂上にあるベンチを持ちあげると…そこには毛布や雨具がありました。別のベンチの中には、火が使える「コンロ」も。さらに、停電時でも使用可能な太陽光で発電する携帯電話の充電器も備えてあります。
「コンセントで挿せる?」
「いえ、USBで。そのまま挿せます」
「知っていました?」
「いや、知らなかったです。初めて知りました」
東屋の屋根にしまわれていたのは防水シート。シートを4枚下ろせば寒さや雨風をしのげる簡易テントに早変わり。
参加者
「テントがこの中に隠れているなんてびっくりしました」
Q.テントを見てどう思いました?
「すごく便利だなと思いました」
語り部の会が伝えたいこと。それは命を守る具体的な方法と、命の大切さです。
いわぬま震災語り部の会 会長 渡辺良子さん
「自分の命は自分で守ること。どんなお金持ちでも、どんな偉い人でもみんな平等1つしかありません。命は1つ。せっかく生まれてきたんです。選ばれて。だからその命はずっと最後まで大切にしてください」
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