-----1973年4月24日---「上野駅」-----
上野駅の中央広場が大変な人出です。
一見ふだんのラッシュ時にも見えますが、よく見ると看板が壊れ、人が入り込もうとします。
一向に動く気配のない電車に、乗客たちもあきれ顔です。
1973年、昭和48年4月24日のことです。
よく見ると中距離通勤電車なのに、急行用の車両が使われています。
駅の正面口には炎も見えます。
国労(国鉄労働組合)・動労(国鉄動力車労働組合)の順法闘争がこの日から再び始まり、夕方のラッシュ時の列車の遅れは1時間以上、夜にはほぼマヒ状態になりました。
怒った乗客たちが上野・赤羽・大宮など首都圏38の駅で騒ぎを起こし、100人以上が逮捕されました。
マヒ状態は翌日もつづきました。
※順法闘争:安全確認などの手順や規則を厳格に守ることにより列車に遅れなどが出ることで、ストライキと同じような効果を上げようとする闘争方法
-----4月27日---「東京駅」---------------
3日後、27日の東京駅。
ホームに人影はありません。
新幹線が入線していますが、扉は閉まったまま、車内も真っ暗です。
あれだけの騒動があったにもかかわらず、国労・動労がストライキに突入したのです。
-----東名高速道路「東京インターチェンジ」-----
東名高速道路の東京インターチェンジ、上り線が大渋滞しています。
-----甲州街道(国道20号)「西参道口」交差点(新宿区)-----
こちらは甲州街道。
まもなく新宿駅前、というあたりです。
ストの影響でいつも以上に動きがとれないようです。
-----3月13日---高崎線「上尾駅」付近------
1カ月前の3月13日。
高崎線の上尾駅近くで電車が立ち往生しています。
扉が2つで座席がクロスシート、乗れる人数が少ない急行形車両です。
こちらは上尾駅構内、やはり急行形車両で、「合理化反対、不当処分反対」などとペイントされています。
駅のホームに騒動の発端になった列車が。
どちらも急行形車両で通勤には向いていません。
線路内に立ち入っている乗客の姿も見えます。
9日目を迎えた国労・動労の順法闘争は、この日もダイヤの乱れを引き起こし、上り列車が上尾駅に到着したときは20分から1時間近く遅れていました。
待ちかねていた客が殺到しますが、すでに超満員でほとんど乗れません。
現場は収拾がつかなくなり、暴動になります。
警察官が出動し、映像ではすでに落ち着きを取り戻しつつありますが、それまでの騒動で運転室のガラスは割られ、運転台から引きずり出された運転士は近所の家に逃げ込みました。
列車は完全にストップしてしまいます。
線路に降りて歩き始めた人の中には、近くでストップしていた特急「とき」に襲い掛かる人もいました。
駅長はケガをして病院に担ぎ込まれ、ほとんどの駅員は逃げ出してしまいました。
駅事務室は荒らされ、電話も壊されて、事態を通報する手段も奪われました。
7人が逮捕され、この日の高崎線は夕方までストップしました。
それでも出社しよう歩きつづける人たち。
OLもサラリーマンも、決して「気楽な稼業」ではありません。
ちなみに上尾駅から大宮駅まで線路上を歩くと8.2キロあります。
こんな人や、こんな人の姿も。
-----「国鉄本社」---------------------------
驚いた国鉄の総裁と動労の委員長が会談します。
磯崎叡国鉄・日本国有鉄道総裁、目黒今朝次郎動労・国鉄動力車労働組合委員長。
国鉄側が順法闘争の中止を申し入れ、動労も戦術をダウンしたものの、闘争そものものはつづけ、翌月の騒乱に至りました。
<目黒今朝次郎動労委員長>
この異常な事態については、我われ不本意であるけれども、放任できないということについては、お互いに事態として認めるところです。
しかし我われの仲間がですね、命を懸けて働いているというこのことについても、我われとしてはまだ解決されていないと、言うことについては強い組合側の不満もありまして、いろいろ討議した結果、当面の措置としてこのように今決めました。
闘いについては予定どおり続行する。ただし「上尾線」における問題、あるいはけが人が出ているという事態を考慮して、関東周辺における旅客部門、国電、その他を含め旅客部門については戦術を一部調整をする。
その調整の内容については、各線に関係がありますが、早急に本部で調整をして指示をして、15日一杯については今言ったような関東部門の戦術調整をする。
その間に今言ったような懸案事項について、やはり交渉を続行すると。
解決しない場合には16日0時以降、従来の第二波闘争の戦術に帰ると。
そして17日にはストライキ。
そういう時代でした。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

29 Comments
国鉄なんて民営化されて大正解。自分達の事しか考えて居ない連中が多すぎる。まぁ全ての国鉄マンがこうではないのだろうけれども。
千葉動労ランド開園!!
職場の権利を得る為に騒動をおこして
結果、職場が崩壊する皮肉。
これは国鉄職員は血祭りにされても文句言えんわ。
自分たちの給料と待遇は自分たちの手でもぎ取ると言う時代でしたからね。
良くも悪くも血気盛んな時代。
時代は変化して血気盛んが良いとは言えませんが、民衆パワーが落ちている事は事実。
現代では法に乗っ取った抗議が主流ですが、民間で無く国と戦うのに法を持ち出しても勝てる訳が無い。
警察も検察も、裁判所も全て国の統治下なのだから。
こういうのを「革命」っていうんだよなw革マルも本望だろうw
「埼玉県」でのこの事件の記憶が後々東北・上越新幹線反対運動を丸め込むために埼京線建設の伏線になったとも言える。まあ国鉄の方も通勤新線作りたかったという面もあるが。このすぐ後で成田闘争で成田新幹線ぶっつぶされたって側面援護もあったけどね。
国鉄のストのせいで、日本の鉄道貨物は死んだ。運休が全体の1/3にまで及んだからだ。
大量のトラックで振替輸送をしたら、高速道路の建設も相待って、全く鉄道を必要としない物流ルートが確保されてしまった。
今時代はモーダルシフトへ向かっているが、この時にもっと鉄道貨物を信頼できる輸送手段にしておけば、ここまでの凋落ぶりはなかったはずだ。
国労の罪は大きい。
過激になって極端なやり方に走ったからね
順法闘争だけどあくまで合法な建前だもんねw
この労使関係の破綻が福知山線事故にまで繋がっていると思う。
会社側が一方的に無理なノルマを課し、懲罰を与えているみたいな報道が多いけど、例えば草むしりは保線の大切さや保線員の苦労を実体験するために始まったと聞くし、結局信頼関係がないことが、何しても互いに敵愾心を生み事がうまく運ばなくなる原因になっていると思う。
一晩で人間が入れ替わるわけじゃないから、国鉄の酷さ見たら会社側だけに原因があるとは到底思えない。
滅茶苦茶、サヨクに市民も同情的時代でこれだけやらかす国労には草。
共産主義者の成れの果て
最近はストもないけど、日本人もこのくらいやった方がいいな。
それにしても鉄道動かないのにそこまでして出社しようとするのか、社畜っぷりは今も変わらないね。
こんなストライキとかやってたアホどもが今若者から年金搾り取ってのうのうと暮らしてると思うと怒りが…
今はJRは優良企業だけど、国鉄時代は地元のチンピラや縁故入社ばっかりだったもんな
しかも人数も多く暇そうにしてた
結論
国鉄はヤバイ
165系のアジ電
労働組合という単語に悪いイメージを植え付けた罪は重い
今では、あり得ないな。放火・器物損壊等はやり過ぎ。
国鉄運営側vs鉄道職員→国鉄運営側vs鉄道職員vs乗客の三つ巴の対立にまで発展してしまった事件か…。
以前も北海道で路線バスが運転手職員のゼネスト(?)によって、バスが停止してしまった事態があったからな…
この事件は改めて振り返る必要があるだろう…
今の高崎線では信じられない光景ですねぇ。この当時なんか日中普通列車が来るのって何本って数だったみたいですが、今なら20分か15分に一本普通が来るから、随分と変わったんだなって思う一面です。
労働者同士が対立してしまった(国労とサラリーマン)のが、この後の日本の労働者の不幸に繋がるんだろうね。
労働者の権利を守るにはこのくらいの激しさが必要だと思います
社会を回すことを下が考えすぎて、収入と支出のバランスが崩れ
生活が立ちいかなくなってます。それくらい貧富の差と搾取構造は厳しさを増しています
なんかストに怒る人の気持ちってあんまわかんないんだよねー。
そんなに仕事が好きかね?
ストなんだからのんびり出勤するか無理だって言えばいいのに。
それで文句言われたら一緒にストしちゃうのが筋。
労働者は連帯できないんだねぇ…
酷すぎる。
テメーのことしか考えない奴の集まり。国鉄の労働組合。未だにそのOBが俺たちがいるから客は電車に乗れるんだという思想がある。
昭和期の日本人って、今の韓○人並に気の短い輩が多かったんだな😅
令和のJR東海もこれの二の舞い踏みそうですね。
ストライキは、労働者の権利でしょ。 ストライキ側は悪くない。