福島県の高校野球と言えば、真っ先に聖光学院高校が思い浮かぶ方も多いと思います。
しかし、そんな聖光学院が甲子園に出だしたのは、21世紀に入ってからの事なんです。
それ以前の福島県と言えば、学法石川高校が中心の時代が長く続きました。
今回は、1980年代~90年代まで福島県高校野球界の盟主として君臨した、学法石川高校野球部の歴史について振り返ります。

26 Comments

  1. 私も1999年8月14日、学石のアルプスに隣接するレフトスタンドにいましたね。
    長谷川選手が本塁打した。
    曇天だけど体調不良者が出たのかと思ったが、23日の新聞で事実を知りましたね。
    私にも、これが最後の甲子園観戦になっている。
    たしか、第3試合の田中賢介の東福岡の試合を観る為に開門時間から入った。
    ガクセキが第1試合、鳥谷の聖望学園と林工が第2試合、第3試合の東福岡戦途中で雨が降って、疲れてきたからもういいと帰ったのだった。

    聖光学院も田村監督の時から好きですよ。

  2. 83年夏は米子東、東山を撃破して16強入り。Y校には大敗したけど、この時のチームは強かった。
    惜しかった試合は93年夏。春の東北大会準優勝のチームでしたけど甲子園の初戦は9回2アウトからまさかの逆転サヨナラ負け。この試合はレフト外野席で見ましたけど、石川のセンターとレフトの選手が 「見合い」してしまったように見えましたけど…?

  3. 十数年前に南東北を旅行した時、水戸と郡山を結ぶローカル線(水郡線)に乗っていたら磐城石川駅を通り、この町に学法石川高校があるのかぁ~と思いました。失礼な言い方かもしれませんが、列車は2~3時間置きくらいに来るような長閑で小さな町だった記憶があります。学法福島も、中学生の頃から高校野球の各都道府県の試合結果を新聞でチェックしているので知ってはいますが、学校法人の略だと知ったのは高校を卒業した頃でした。そう言えば自分が行ってた高校も私学で正門に学校法人と書いてあったな、と。学法石川もですが、磐城高校とか会津地域(只見高校が昨年センバツに21世紀枠で出場しましたが)から出てほしいと思うこともあります。

  4. 柳沢総監督が甲子園のアルプススタンドで倒れた日、私も甲子園で観戦してました。
    確か、学法石川は岡山理大付にサヨナラ負けだったと思います。
    思えば、その大会を最後に甲子園から遠ざかっているんですね。その後、聖光学院の時代が来てしまったこともあって。
    復活の甲子園出場を期待したいですね。

  5. 私個人としては福島県の甲子園常連校と言えば学法石川と答えますけどね(苦笑) ただ福島の強豪といえ甲子園成績(春1勝夏3勝)を見ると物足りない感じがしますね。

  6. ⚾️🏫日直 白土 片寄
    共に 🌸第63回選抜 第73回選手権に出場しましたね。白土選手は左打者で⑥遊撃手で🌸選抜の2回戦 対 鹿児島実戦で右本を放ちましたね。片寄選手は⑧中選手でしたね 左打者で俊足の選手でした 白土選手は1年時 背番号⑮でベンチ入りしてますね 第71回選手権に出場 チームは初戦で京都西に4-6で敗退 9回に無死1塁の場面で 代打で白土選手が起用され ニゴ併殺に倒れたのが印象に残っています。懐かしいですね 学法石川 自身印象に残っている選手は 後にロッテに入団した 外野手の
    諸積選手ですね。第68回選手権に出場して初戦(2回戦)で東洋大姫路に4-10?で敗退しましたね。懐かしいですね

  7. 聖光学院も結構田舎なので良いですが、学石 がくせき も 郡山といわき市に挟まれた田舎。たまには甲子園出て欲しい。 聖光学院の牙城を崩しても 日大系ではイマイチなのだ❗️

  8. 学法の由来を知ることができ、感謝しています。
    福島には以前、磐城二高なんてありましたね。私立でしたよね、
    学法石川には試合の後半に奏でるトランペットの勇壮な応援曲がありましたよね。
    苦難の歴史を感じる曲。また聞きたいですね。

  9. 私ならば日直に1991年春夏連続出場の「小さな速球王」川越を書きましたが、同期の白土主将と片寄とは渋いですね。

    学法石川と言えば1980年代~90年代初頭の常連校でしたが、甲子園ではなかなか勝てないですね。二年生の好投手・古市で1989年夏の甲子園出場を決めた時は、「県内で勝つのは当たり前、甲子園でも勝ってくれ」と文句が殺到したと聞いています(残念ながらこの時も京都西に初戦敗退しました)。

  10. 20年ぐらい前の話ですが、遠藤一彦投手の居た学法石川に福島県大会の決勝で勝って甲子園に出場した双葉高校のエースの方が、横浜の保土ヶ谷駅前で焼鳥屋をやっていた。
    甲子園では、達川光男捕手の居た広島商に大敗したとおっしゃっていた。

  11. 懐かしいな。
    ガキの頃(40代のおっさんですが)は甲子園によく出てた印象でした。

    93の小林西との試合は小林西を応援してたから痺れたな

    福島といえば90年だったかな?長崎の海星との試合でホームが遠かった日大東北とか思い出します

    海星がホームが遠かったんですが(汗)

  12. 学法石川が甲子園に出ると、応援席が写った時に、レポーターが、野球部のために作られた、題して「甲子園への道」と言う応援歌があります…と毎回紹介していたけど、メロディーや歌詞とか全く紹介しないから、どんな応援歌か分からず終いだったんですがね😅

  13. …なるほど…過去に自ら監督として初めて甲子園に導いた同校野球部の、甲子園大会での最後の試合を観戦中にくも膜下出血発症されたんですね。当時のチームや関係者からしたら悲しみに暮れたと思いますが、柳沢さんとしては、意識が無くなる間際まで同校の選手達の姿を甲子園の現地から目の前で追えて、他界されたのは、勿論お気の毒ながらも、ある意味幸せな巡り合わせだったのかもしれませんね😢

  14. 福島出身です
    自分の親父が高校で野球をやってました
    親父は学法石川出身じゃないのに校歌を覚えてると言ってるくらい、かなりの強豪校だと感じます

  15. 学生時代が昭和なので、福島といえば学法石川なんですよ。
    昭和の東北はなかなか甲子園では勝てなかったですからね。
    西日本の高校からしたら東北は安牌みたいな感じでしたよ。

  16. 野球部員の育て方が横浜高校の渡辺元監督に似てますね⸜☺︎⸝‍
    私も1999年、夏、甲子園にいました⸜☺︎⸝‍

  17. 学法石川を初めて知ったのは、初出場の1976年の選抜出場校発表の時ですが、前年夏に沖縄から石川高校が出場していたので、石川県以外に更に石川高校があるのかと思った記憶があります😅

  18. …日直は白土、片寄ですか…川越、作山の自分の予想は、予想通りハズレましたが、沢村賞&最多勝投手の遠藤選手とロッテの諸積選手の母校だったのはこの動画見て初めて知りました。

  19. 学法石川の試合で一番印象に残ってるのは、ヤッパリ83年夏の二回戦の東山戦でしたね。初戦は山陰の米子東で勝てても不思議じゃなかったですが、東山は地元近畿勢の京都代表で、初戦で大会NO1左腕の創価高の小野投手に2-0で勝ったチーム。東山が優位でしたが、2点リードされた石川が、満塁のチャンスに、走者一掃の長打で一気に逆転した展開は痺れましたね。そのまま逃げ切り勝った試合を見て、学法石川を福島の新しい強豪と認めましたね😅

  20. 学法石川高校は横浜大洋ホエールズで活躍しました遠藤一彦さん諸積兼司さんがプロ野球で活躍しました

  21. 1990-2000年は福島は色々出ているのですね
    日大東北、学法石川、郡山、双葉、磐城、福島商

    聖光学院が勢力を完全に変えましたね

  22. 学法石川、近年は駅伝の強豪校のイメージが強いですがまた甲子園で見たいですね。
    あと福島だけ「学法」の表記を使うのも面白いですね、福島以外だと智辯和歌山みたいに「○○学園○○高校」の「学園」を取った表記が多いんですが
    (学法福島も野球以外では「松韻(学園)福島」表記をされることも)学法石川の場合は学校HP等でも「学校法人石川高等学校」とあるのでなじみのある
    呼び方ってことなんでしょうか(学校法人名は石川義塾)。