著作権の関係で大幅にカット…

13 Comments

  1. 本当に、繊細すぎて、偉大すぎる人でした…
    どうしてあんな形で亡くなったのか、今となっては真実はわからないけれど、私はね、あそこが彼の限界だったし、あれ以上は生きていけない人だったと思う…彼が遺した歌も、歌声も、その姿も、全てを見て、そう思う…

  2. 客も一緒に歌ってるけど、尾崎はそれを嫌ってたんだよな

  3. ❤ 오자키 유타카❤
    알러뷰 는 진짜 천번을 들어도 들을수록 좋아요 ㅜ
    너무나 멋진 오자키 포애버 !!❤😂🎉😅😊

  4. 語り継がれてるのは全盛期の姿で、最後の方は人気も落ちてたし音楽的にも迷走してた。
    歌詞も曲も変にロックンロール思考になってた。

    「傷ついたやつは一生そこから這い上がれない」
    皮肉にも生き様で表現し切ったように思う。

  5. 華莉茶庵さん、こんにちは!
    私は尾崎豊さんと親交があったものです。私は子供の頃からの友人でもなく、仕事関係の友人でもありません。会っていたのは、2カ月~3カ月に1回ぐらいのものでした。

    著作権の関係と言う事で残念ですね。番組を最初から最後まで通しで見たいものですね。このように長い時間が経ち、過去の放送のものが残っていたら見る機会があるのは、YouTubeならではですね。そして華莉茶庵さんが長い間大事にとっておいて下さったからですね。

    私も本人から聞いている話があるのですが、OZAKIの全てを知っている訳でもないのですが、この動画に出演されている方々の話の通りの人でしたね。懐かしく昔を思い出しながら、この動画を見させていただきました。

    「風の少年」というタイトルのドラマがありましたが、思い返すと本当にあっという間に駆け抜けて行った、まだ大人になり切れていない、少年のような人でしたね。彼が生きている時も、そして亡くたった今も多くの若者に支持されて、そこがOZAKIの魅力だったなって思います。

    突然お亡くなって、私もテレビの報道で知って驚きました。このNHKBSは見ていなかったです。OZAKIが亡くなって、3年ぐらいは亡くなった事が信じられませんでした。どこかで生きているんじゃないかなって思ったりもしました。ポッカリ穴が空いたようで、心の中が埋まらない気がしていました。

    今年は31年経つのですね。(1992年4月没)いつまでも若いままのOZAKI、この動画を見て自分が年取ったなぁ、なんて思いました。笑い。今、生きていたら、アラカンで、きっと素敵なおじさんになっていただろうと思います。どんな歌を聞かせてくれたかなぁ。ちょっと寂しいですね。

  6. 他の関係者の人も言っていたがお母さんが亡くなって繊細な尾崎さんだから自分が仕事を手伝わせて無理させてしまったとか・・・それが一番大きかったと思う。