鎌倉殿の13人は北条義時を主人公にしたのが良かった!その理由とは!?

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「逆説の日本史」シリーズでお馴染みの井沢元彦がYoutubeに登場!井沢さんの面白い歴史話を聞きたい人はチャンネル登録をお忘れなく!!

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【井沢元彦】
1954年2月1日名古屋市生まれ。作家/歴史研究家。早稲田大学法学部卒。 TBS入社後、報道局(政治部)記者時代に『猿丸幻視行』にて第26回江戸川乱歩賞を受賞(26歳)。31歳で退社し、以後作家活動に専念。「逆説の日本史」シリーズは累計572万部を超える大ベストセラー。

28 Comments

  1. 一言で言って理解出来る人間は5%くらいだから丁寧に説明してるのです。

  2. 素晴らしい解説ですね。言われるとおり、相手(上皇)が殺しに来たんだから北条義時は正当防衛で殺してもいい筈ですよね。でも上皇を殺さなかったし、天皇家を滅ぼさなかった。天壌無窮の神勅のあるすごい国なんですね。

  3. 安土城に信長の像があったのでしたっけ?盆山石ではなく。

  4. 日本で易姓革命が起きなかった理由は二つあると思います。一つは、歴史の重みです。天皇家が日本の主権者として、鎌倉時代には神代の昔から途切れることなく少なくとも1000年以上の歴史がある(=永遠)と思われていたことです。永く続いていることを覆すのは大変です。既存の体制は既得権によって雁字搦(がんじがら)めになっているからです。二つ目は、天皇が平安初期以後、実際の権力を失って名目的君主となった状況が長く続いていたことです。天皇になったからといってそれが権力の維持を保証しなかったからです。さらに権力者にとって天皇にならないことはメリットもあります。他に隔絶した絶大な権力を持たなくても他の実力者よりも相対的に力を持ては、天皇の名の下に権力を行使でき、権力を維持できます。また名目上とはいえ君主の家系は維持されるので、秩序は保たれる傾向があります。他の実力者にとっても実質上の権力者個人に頭を下げるのではなく、天皇の代理人としての彼に頭を下げることは比較的抵抗感がないと思われるからです。要するに、名目的君主制は、権力のコスト・パーフォーマンスが良いのです。余談ですが、現行憲法においても、議会の解散が首相の権限として首相の名で行われるのではなく、天皇の名によって解散されるのはそのためだと思います。

    明治以降、日本で立憲君主制が機能し、独裁政治にならなかったのは、天皇が名目上の君主であるという長い伝統があったからだと思います。これは大正時代の話ですが、原敬は日記に、天皇を政治に関わらせないことが皇室を守るゆえんであるとし、皇族が学問等に携わることが望まれる旨を書いています。そして伊藤は首相時代、決して天皇に最終決断を求めることはなく、自分で決めてから上奏し裁可をもらっていた(天皇が上奏を裁可しないことはなかった)のに対し(このことを原は高く評価しています)、山縣は上奏に関してしばしば天皇の決断を求めることがあり、特に大正天皇からは嫌われていた(山縣自身、原にこぼしている)ようです。天皇自身が立憲君主制を遵守していました。

    故渡辺昇一上智大教授は、承久の乱に関しこれを日本史の画期として、これ以後、天皇の地位の承継は、天皇家の一存では決められなくなり、天皇家の血筋の人の中で国民の意思に従って定まるという一種の革命が起きたと言っていたかと記憶しています。渡辺教授がこの説を書いた当時は、歴史学では有名どころでは、承久の乱の歴史的意義についてこのような視点から言っていた人は誰もいなかったことなので、慧眼であったと思います。私は、イギリスの13世紀初頭のマグナ・カルタと同じ意味を持っっていたと思うのです。以後、イギリスでも日本でも独裁権力が確立されることは有りませんでした。

  5. 井沢先生の逆説の日本史を何巻か持っています。ファンです。外国の人には、日本では、天皇家が2600年あまり続いているのが、不思議でしょうね?!世界の常識と日本の常識の違いが、この鎌倉時代で起こった承久の乱が、ポイントですよね。

  6. しかし家康も天皇にはなれなかったですね⁉️だから徳川幕府は結果薩長に倒されましたね❓神になったわりには、最後は「錦の御旗」に負けたわけですからお粗末な話です。要は家康の「神宣言」も幻だったのては❓

  7. これは義時が…、ではなく、逆説の日本史(中世動乱篇)に書かれていた通り「革命理論」の有無の問題だと思います。私はそれを読んだ時、日本だけが王朝交代が無かったのが不思議なのではなく他国ではなぜ王朝交代が出来たのかが不思議なんだと気付き目から鱗の思いになり、更にその理由として中国や西洋、中東には「天」や「唯一絶対の神」という王や皇帝を超える概念が有るから、そして日本は天皇こそが神とつながる存在だから革命理論が無いという説に納得しました。但しその意味では欧州もローマ教皇は誰も廃する事が出来なかった点で同じだと思います。また、当時の人々にとっては「相手が殺そうとしたのだからたとえ上皇でも殺していい」とはならなかったと思います。昭和の時代でも親や先生、上司や先輩は殴って良くて、それに対して殴り返すのは許されないという感覚があったくらいですから…。

  8. ドラマの最終回では仲恭天皇を殺そうとして政子に止められてたな。

    義時より前、例えば、平将門が朝廷に最終的に勝利していたら、帝を廃して自分が天皇になっていたと思う。桓武5代の子孫でみずから新皇と称していたわけだから。天皇を殺していたかどうかは分からないが。

  9. 後白河法皇から頼朝追討の院宣が出されたことがあるので、頼朝も後白河法皇を斬首する権利はあるのでしょうか?

  10. ん??へ??
    日本の特徴は義時じゃなくて天皇では?
    義時も殺されようとしたけど、頼朝も追討の宣旨が出てなかった?尊氏に至っては。。。だけど誰も天皇や上皇を殺めることはしなかった。
    だから、別に異例なのは義時だけじゃない。
    要は、そうさせない何かが天皇という御存在にあったということでしかない。

  11. 義時甘かったな
    だからゴダイコなんて怪物に自分の子孫が殺られちゃうんだよ((T_T))

  12. 義時っていい題材だったんですねー。僕も結構歴史は齧ってる自信がある人なんですけど、ファーストインパクトは逆でしたもんね。ドラマが始まってからは没入しましたけど。

  13. あんなに枝切りを貫徹したのに、自身より大きな枝は切らなかった。それが不思議だな

  14. 井沢先生のファンです。ハードカバーの本は20年ぐらい前から10年ぐらい前までかいあさっていました。鎌倉時代のことを書いた本もたくさんあると思いましたが、北条義時よりも政子さんのほうを主に書いていたような気がします。日本の女性が世界ではじめてスピーチをした、天皇に刃をむけた武士。いざとなったら、弓をむけるのはやめたであろうと。

  15. 諸葛亮が日本で人気あるのも簒奪できる立場にありながら皇帝を大事にした点もありそうですね

  16. 源頼朝が武士のリーダーになれたのは、清和天皇の子孫だったから。彼の支配の正当性はそこから発生しています。
    その頼朝の妻の実家の北条氏にはそこまでの正統性はないので、おそらく天皇を殺して取って代わることは出来なかったのでしょう。
    もしも天皇を殺して自分が天皇になった場合には、他の武士は言うこと聞かないだろうし、清和源氏の末えいの武士が、天皇家の血を引いた男子を担いで、義時を倒しにくるのでは?