#三方ヶ原の戦い #武田信玄 #解説

※概要
三河一向一揆に続いて、家康の人生三大危機の二つ目である、三方ヶ原の戦いについての解説動画です。

2023年、NHK大河ドラマ「どうする家康」解説動画です。

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28 Comments

  1. いつも、楽しく、拝見しております。
    ドラマでは、戦いの進み方の解説がほとんど無く、あまりにお粗末に見えていましたが、広い平野での各城跡を追って、地図上で確認できたので、戦いの難しさがよくわかり、武田方の戦上手を再確認できました。ありがとうございました。

  2. この前の信玄さん、良かったですね😳 阿部寛さんの演技が光ってました🙆‍♀️ 最後のドヤ顔🤣

  3. 武田との戦に先立って、強敵に打ち負かされる懸念ありの徳川家臣達の不安感が深刻だった。それに対し家康は、こちらから仕掛ける地の利を活かしたはずの戦い方を取った。しかし、戦慣れし巧みな信玄の”おびき出し作戦”にはまり、敗退。信玄の圧倒的な戦略勝ちだった。けれど勝った信玄は、家康の特質をちゃんと把握していた。自分の弱さを己で知る正当な自己評価ができる人間であり、だからこそむやみに自分を信じず、家臣らの意見に耳を傾けることができる。それが、弱い家康の”強み”だと。今川氏真のように、自分の弱さを認められない武将とは、正反対だ。戦乱の世を生き抜く一つの方法だと思う。
    ラストの家康の鎧を着た死者が運ばれていくシーンは、ちょっとあざとく感じた。家康の身代わりになり、彼の鎧兜を着けた夏目広次が討死したことは有名なので、興がそがれた。

  4. 「堀江城を落とされてじわじわ飢えるのと、ボロ負け覚悟の野戦で決戦するの、どっちがいい?」て王手飛車取りを仕掛てる時点で、確かに「勝ちを決めてから戦う勝者」の風格がありますね。

  5. 徳川軍8千に織田軍3千と見ても戦死者2千は凄い多い。負傷者はその倍4千と見込むと軍としては壊滅と言ってよく、家康よく生きて帰れたなと思います。

  6. 昔の人は大雑把なのね。行き合ったりばったり的な戦。へーへーへー🫳🫳🫳

  7. サムネがカッコよすぎ😎

    現地、一言坂の付近は、低地の浜松〜磐田地域の中でも少し南北丘陵になっていて東西車移動するときに峠を越える感じがあります。また一言坂付近には『かぶと塚公園』があります。

  8. 家康は三方原の戦いのあと、二度と鶴翼の陣で戦うことはなく、すべて魚鱗の陣で戦っているとのこと。

    関ヶ原の戦いでも、三成軍は鶴翼の陣を、徳川軍は魚鱗の陣で戦っている。

    それともう一つ、江戸時代に書かれた冒険活劇小説の『椿説弓張月』には為朝の忠臣として、八町礫紀平治(はっちょうつぶてのきへいじ)という人物が出てくる。

    これが、石を投げて敵を倒す名人なんだけど、為朝が弓の名人だから、石投げの名人と対比だったんだな。きりゅうさんの話をうかがっていて気が付きました。

  9. 援軍である水野信元や佐久間信盛のやる気のなさは、本当にリアルだったんじゃないかと思いますね〜。

    そんなジリ貧の中、捻り出した逆転策だから、客観的には当たらなくて当然なんでしょうが、当事者としては必死に戦うしかなかったんでしょうね。

    だから「ジリ貧になる前に対策しておく」が、三方ヶ原から得られる教訓ですね〜。

    もし、仮に武田に降伏していたら、すぐに信玄は亡くなり、長篠の戦いで、武田・徳川連合軍が織田と戦う…
    あれ⁉️案外良い勝負になりそうな😅

  10. 昔の日本人が大雑把というより、それもあるかもですが・・・まあ連絡手段も限られていてなかなか大軍を統率するのは難しかったんでしょうね。

  11. 大河ドラマ 武田信玄で渡辺正行氏が
    投石隊の雑兵を演じていましたね
    本編後のどうする家康ツアーズで紹介された二俣城に
    信康役の演者が訪れていました
    NHKさん、よくできました

  12. 2万5千ということは
    一列縦隊。
    兵の間隔を1 メートルとして2万5千メートル。
    25キロですか。
    2列縦隊なら12.5キロ。
    4列縦隊なら6キロ余り。

    部隊と部隊の間にいくらか間隔を取るらしいのでーーーもっとですか。

    魚鱗の陣は行軍隊形。
    戦闘時は横に広がるーーー鶴翼ですか?
    と何かの本で?
    本当ですか?

    三方が原へ上がり、祝田の坂を下るのに何時間かかるのですか?
    三方が原は東西8キロ、南北12キロ。
    一旦、全軍を三方が原へ上げ、そこで停止。
    順番に祝田の坂。
    ということですか?
    そのあたりお願いします。

    どのように隊列を組んで三方が原へ上がり、どのように祝田の坂を下るのですか?
    所要時間は?

    それに一本の道を長蛇の列でというのは。
    何本かの道を分進するのですか?
    何本も道路があればーーーですか。

    しかし大阪の役では。12万の兵がゾロゾロと。

    どのような隊列、順番で、ゾロゾロと何キロにもわたり行軍していく姿はドラマからはなかなか。

    それに家康は一万余りの兵でーーーコレも何キロですかーーー攻めかかるのですから。
    どうなりますか?

    三方が原周辺で武田、徳川両軍がーーー何キロもの長蛇の列で。

    その行動をシュミレーションすればどうなるか?

    三方が原でどのように対峙できるのか?
    お願いします。

    しかし三方が原の台地の上の武田軍。
    家康の一万余りの軍の行動は手に取るように?
    どうでしょう?
    現地に行けばどうですか?

    ちなみに旧軍では歩兵は連日行軍の場合、時速4キロ。
    1日に6時間で24キロ移動するらしいです。
    騎兵の大部隊は1日40キロ乃至60キロ。
    参考になりますか?

    武田軍はもっと早いですか。

    作戦要務令(第五篇 行軍)だったか?歩兵操典だったか?(国会図書館)

    あとの2時間は塹壕ほりですか?

  13. 愛知県でひとまとめだけど、尾張名古屋の織田と三河岡崎の徳川では県民性は違うのだ、と簡単な対立煽りしたけど。このあと家康はたった買う前になにか嫌がらせなり有利に働く準備とかをするようにしたのだろうか、例のあの大河信長が4だら今度は家康が他の大名にアマガミするシーンがあると思うとヘドが出るw

  14. 家康が「打って出ざるを得ない」「打って出ないと負けが確定しちゃう」状況にして、さらに「打って出ても負けは確定してる」って状況作った武田信玄がすごいですよね…

  15. 浜松城の目の前で進路を変える挑発をした上で堀江城を襲うように思わせ、追撃した家康軍が細い道を上った先には大軍が展開しやすい広い台地が開け、準備万端で陣をしっかり布き待ち構えてた。地の利もしっかり研究されてますよね。
    さらに中央突破に有利な魚鱗の陣、対する家康は三分の一しかないのに鶴翼の陣・・・全てにおいて負けてます。
    戦国有数の名将・武田信玄、生涯最高のアート・オブ・ウォーかもしれませんね

  16. 戦争で大事なのはいつでもロジスティクスであることを思い知らされます。兵糧を断って戦わずして勝つのが極意。これって秀吉が好きな戦法ですよね。話はそれますが、第二次大戦中、ガダルカナル戦役やインパール作戦の失敗を見ていると、戦国時代に培われた、ロジスティックスを日本人(将兵)は江戸時代に忘れてしまったのかもしれないと思いましたが、いかがでしょうか?戦闘に勝てば戦争に勝てるのではなくて、(ロジを含み)戦略的に勝つことが勝利だと思いますが。

  17. 長い間、家康は武田軍に対して無謀な鶴翼の陣をしいたバカものと言われてきましたが、これでは誰もついてこないので真実ではないでしょう。やがて信長軍が加勢に来てくれる事を信じ、飢餓に耐えて籠城する方が堅実な策と思われます。なのに後ろから襲えばいいだろうというのもやっぱり考えが甘い。家康や家臣は本当に甘かったのか???腑に落ちません。本人に逢って理由を聞いてみたい。

  18. 今の日本人のようなキッチリした形になったのは明治からッテ聞きましたね
    幕末とか外国人が日本人と約束しても平気で遅刻してくるとか
    時間とかもルーズだったみい
    特に男性は女性は家事炊事やってから、時間には強かったみたい
    実際、明治はいって工場とかは女性のほうが時間キッチリまもれるから、重宝したとききましたね

    男性が今の日本人のようになったのは徴兵制がはじまったからじゃないかとききましたね

  19. とても分かりやすい解説で楽しく拝見しています😊
    どうする家康を見て髪型に疑問をもちました。みんなポニーテールのような髪型で剃って無いなと思ったのですが、いつからあのちょんまげになったのでしょうか?
    教えていただけると嬉しいです😃

  20. 鶴の翼が鳩の翼になった❗️とても良く分かる説明でした❗️
    くーさんの忍びに聞かれてる案、私もドラマ見てそう思いました❗️
    誰か居そうだよ~って‼️
    それにしても、打って出ざるを得ない状況とは、殿も若い頃は運があったのかなかったのか💦来週、どんな真相があったのか、と言うかどのように描かれるのかドキドキが止まりません❗️
    浜松市民としては、柴田りえさんのおばばに小豆餅売ってもらって、お金くれーって追っかけられるシーンや、布橋をかけて武田軍が落ちていくシーンもやって欲しいです‼️

    そうそう❗️
    浜松には城落としと言う小学校の運動会の競技があります。三方ケ原の戦いをモチーフに徳川軍と武田軍に分かれ、玉をお城にぶつけ合うのですが、足軽達の石のぶつけ合うから来てたのかなぁと、妙に納得してしまいましたw

  21. この時代の大河はホントにしびれます‼️
    結果はわかっていてもドキドキハラハラ
    最後のシーンも「身代わり」がわかっていても家康さん…なく😢となってしまいます
    来週もまたまた目が離せない!
    号泣覚悟で😅楽しみにしてます

  22. 将棋は強い相手と指すと早く強くなれる。野戦でコテンパンにされ続けた家康は信玄公のお陰で野戦の腕を何枚も上げた。負けて憶えた兵法。
    武田家滅亡後、多くの武田家臣団を組み込んだ家康。それが後の小牧・長久手の戦いへと繋がる。勝利を手繰り寄せる為に何枚も保険を掛ける信玄、毒蛇は獲物を倒すのに急がない。

  23. 配信ありがとうございます🙏❣️理想は、鶴の翼だったのに、現実は鳩の翼位になってしまったんですね😢 本当に聞くだけで、信玄が一枚上手というのがわかります。

  24. 武田信玄公が、まだまだ長生きしていたら織田信長もヤバイ事になっていただろうし当然秀吉も天下取っていないし徳川家康も幕府を開く事も出来なかったでしょうね