今回の動画は豊臣秀吉と徳川家康の熱い友情について! 晩年の秀吉は、家康に自身の忘れ形見の秀頼を託した。家康が後見人になってくれたら、豊臣家は安泰だと思った秀吉。そんな彼の思いに応えるように豊臣家に尽くした家康は、自身が仕える秀頼の領地を削ったり、方広寺の鐘銘でいちゃもんつけたり、大阪城に大挙して攻め入ったりと、、。

友情なんてどこにもない、
血みどろの天下争奪戦をお見逃しなく!

#ゆっくり解説 #ゆっくり歴史解説

21 Comments

  1. 秀吉は家康に懇願すると同時に、淀にも話を含ませておくべきだったな。「家康には逆らうな」と。それとも恐妻家なのか。

  2. まー、信長の後を簒奪し息子連中を最下層までたたき落としておいて、わしの息子はどーかって、サイコパス過ぎて相手にできんわ。

  3. 義元「うちの氏真をたのむ」
    信長「うちの信忠をたのむ」
    秀吉「うちの秀頼をたのむ」
    家康「」

    こんなやり取りはほんとにあったと思う

  4. 利休を排除、如水を排除、秀次排除。政治軍事閨閥全部排除したら国が持たない。
    家康も関ヶ原から16年間も豊臣残していたのだから、そこそこお人好しだと思う。

  5. このたぬきジジイ本当に陰湿なとこ多いですからね。

  6. 賤ヶ岳の段階じゃあ秀吉は子無しで後継者候補って信長から養子にもらった秀勝だし、明智討伐した秀吉が強権振るって秀勝後継者に据えて実権握ったとしても織田の血筋で天下が回る。
    そんな状況なら織田温故の重臣たちも安心して建前崩さずに秀吉に尻尾振れるってもんよ。

  7. 秀吉「ガッキできんから甥に任せるわ」
    秀吉「ガッキ産まれたから甥頃すわ」
    秀吉「あれ、ワイ4にそうなのにガッキまだ5歳やん……」

    うーんこの

  8. そもそも天下を争った相手なのに『息子頼む』はアホなのかとしか言えん

  9. 恐らく豊臣政権における織田家の様に豊臣家が徳川家に従う姿勢を見せれば領地の移封はあったかもしれないが滅ぼすまでは行かなかっただろう
     
    残念ながら豊臣家は徳川家の下風に立つ事を良しとしなかった訳だが

  10. 厳密に言うと脅威は 秀頼 よりも
    秀頼と千姫の間に 男子が生まれた場合
    天下人2人の血を引き織田の血もより濃くなる スーパーサラブレッド な高貴な存在となり秀頼や家光 以上に 次の天下人の資格を持つと 世間は 判断してしまう

  11. 秀吉から託されたのは秀頼の事であって豊臣家の天下では無いからな。秀頼が早い段階で徳川に臣下の礼を執っていたら将軍秀忠の娘婿として加賀前田家と同レベルの待遇に出来たしもしくは秀忠の義母が秀吉の妹で秀頼は秀忠の娘婿だから豊臣家だけの特別待遇も可能だったと思う。
    とにかく政権下に入ってくれれば豊臣家存続の手段を家康&秀忠の方で執る事が出来たけどそうならなかった為に家康が最後の大仕事をやる羽目になった。

  12. 家康は天下取る気やったし実際取ったから秀頼なんかがよく思わんのは当然の話で立ち回りはともかくそれ自体に落ち度は無いんよな
    ただ天下取ろうとしてる身からすれば噛みついて来た相手をどうともせん訳には行かんし家康なりに厚遇はしてるつもりやったろうからしゃあないのもそうだと思うわ

    どっちが悪いかというよりはなるべくしてなったって話なんよな

  13. 片桐且元が聞いてきた和議を信じて淀が江戸に常駐、秀頼の参勤を飲めば滅亡は無かったのに、徳川のスパイ呼ばわりで追放だからな

  14. 豊臣家は自分たちがその気がなくても謀反の種になる恐れがあるから徹底的に消滅させられた不幸な一族。
    それに他の大名達に対しても幕府に逆らえばこのように一族もろとも滅ぼすぞというメッセージを込めた一種の見せしめだったのもあるかもしれませんね。

  15. 大阪城にいた牢人達が戦いを続けたいがために秀頼親子を軟禁してたって事はないだろうか。

  16. なお250年後に島津毛利に徳川家は滅ぼされる模様

  17. 家康が、江戸の町並みを守り易いように迷路のように設計したことにより
    400年後の東京都民が暮らしにくくなっちまったのが、、

  18. 家康としては秀吉との約束を守ったというより天下を取れるチャンスを逃さなかっただけだと思う。関ヶ原が無かったら豊臣政権を牛耳って鎌倉幕府における北条氏みたいななっていたかもしれないし。