すばらしき仲間II 僕が表彰台に立てなかった理由 F1中嶋悟

27 Comments

  1. 「単に遅いだけだろ」 と書き込んだ野郎の脳みそを引っかき回したいです。

  2. チャンスはあったんだよね。中嶋がファステストラップを連発してたけど雨で短縮されてレースが終わった…

  3. 定説では体力的な問題だったとされてるな

    89年の雨のオーストラリアでFL出せたのも
    濡れた路面でグリップしないタイヤだと押さえ込む腕力がいらなかったから
    だと言われてるし

  4. 中嶋さん、とても大好きなドライバーでした。表彰台も惜しい試合が何度ありましたが、雨のオーストラリアは今見てもしびれるレースでしたね。ファステストラップもすごかった!それと、人間的にも優しくて、本当にいい人ですもんね。

  5. 中嶋さんは間違いなくすごかったと思うけど、ジェフ・リースさんが「なんで星野じゃなくて中嶋なんだよ」って怒っていたのを思い出しました。

  6. ニキラウダはサトルナカジマ含めてF1で勝てなかった連中は「ケツ」の問題だって言ってたねぇ
    ずっと前に読んだ記事だからはっきり覚えてないけど、感性の部分の話だったはず

  7. F2の時から見てたけど、まさかF1に日本人が行けるとは思ってなかったし、F1の知識も少なかったからF1に行っても万年周回遅れでレースになんてならないと思ってたから、ブラジルで7位に入った時は信じられなかった。
    中嶋の実績がなければ日本人がF1に行くのは今よりも険しいものになっていたはず。

  8. セナのチームメイトだったコトだけでも、偉大なドライバーだよ。レースでは“心優しさ”が仇になったのかな?

  9. F1フル参戦予定だった星野一義さんは、ホシノインパルの会社が、大きくなったためフル参戦出来なかったと聞いています!
    その代わりに中嶋悟さんが、フル参戦出る事になったと!

  10. 絶対的な速さや体力が足らないってのは勿論あったんだろうけど、色々チグハグなチーム運営に翻弄された面もあるかな。最初の年はロータスがアクティブサスの動作不良で信頼性がイマイチ。2年目は当時最強のホンダエンジンを積みながら前年度のワールドチャンピオンが一つも勝てない駄シャシー。3年目はジャッドの5バルブがまともに動かないしチーム自体も下り坂。ティレルに移籍した4年目はシャシーは頑張ってたけどDFRエンジンだしチームも万年金欠でセカンドグループのトップを狙うのが精いっぱい。5年目にセコハンのチャンピオンエンジンが下りてきてブラウンの大型スポンサーがついたとこまではよかったけど、非力なV8のカスタマーエンジンしか使えない状況でシャシーで冒険してどうにかしたいっていうコンセプトのままのシャシーにホンダV10積んでバランス崩壊。結局上位に何かあればもしや・・・って感じられたのは初年度だけだったけど、そもそもその上位がホンダエンジンだから壊れない。

  11. 中嶋がf1に居なかったらアグリや片山はf1に居なかったかも知れない

  12. 今は中嶋のティレルはどうなったのかな?
    まだ持ってんのかな??

  13. 誰が一番早いのか、それを競うのがレース。ピット中にバイザーを拭いてくれと要求した中島にメカニックは雑巾を投げ付けた、丸まった雑巾でバイザーを自分で拭く中島その雑巾の行方は判らない。

  14. 中嶋さんも1990年にあのタンブレロでマンセルの巻き上げた砂埃の影響でマシンが真っ二つになったんだよね。
    下手すりゃ命を落としていた。

  15. あと5年早くF1に乗れてたらなぁ~って思うよ、82年から84年が全盛期だった

  16. サトル ナカジマ
    オレにフォーミュラ1を教えてくれた恩人
    感謝しかない

  17. 中嶋悟氏は変にF1で運を使い果たさなくて良かったと思う。その後の人生も上手く立ち回っている。F1チームに手を出して火傷した亜久里とはえらい違い。

  18. F1に進出するには年齢が遅過ぎたから
    参戦一年目で表彰台のチャンスがあったのに、体力が無くて4位止まり。