安田大サーカスの団長、安田裕己さんは28年前の1995年1月17日、JR甲子園口近くの倒壊したビルの前で立ち尽くしていました。そのビルには友人が生き埋めになっていて、安田さんはその友人の名前を叫び続けたといいます。

芸人になるきっかけをくれたその大切な友人とのエピソードを涙ながらに語ってくださいました。
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地震発生から28年となる2023年1月17日に放送した特別番組をアーカイブ公開中です。
番組HP

阪神淡路大震災28年 特別番組

<アーカイブ>
●「1.17のつどい」の模様を、神戸市中央区・東遊園地から生中継しました。
2023年1月17日(火) 午前5時30分~6時15分

●特別番組として、犠牲者を追悼するとともに、記憶・教訓を継承する取り組みの重要性について、安田大サーカスの団長安田こと安田裕己さんらをゲストに迎え考えました。
2023年1月17日(火) 午後5時00分~7時30分

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【制作著作】サンテレビ
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<放送時間>
平日11時55分、15時00分、17時30分(キャッチ+後半)、21時24分
土曜13時00分、17時30分、21時24分
日曜18時00分(ニュースSUNデー)
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#サンテレビニュース #阪神淡路大震災 #ドキュメンタリー

41 Comments

  1. 動画は観てないですが
    肥えすぎですよ。

  2. 決して亡くなられた人の命を無駄にしてはいけない、与えられた使命だとして私は今を生きています。

  3. 記憶にないのは、この出来事があまりにも辛くショックだったからと思う。

  4. 自分の知り合いが突然の永遠の別れをしてしまう、
    天災や人災、事故や病気で。
    これほど哀しく辛い事はない。
    これまで最後の別れや見送りを経験をしたけど、その時は悲しみの気持ちがあった反面、
    この人の為にもこれから先しっかり生き続けていこうという気持ちにもなりました
    今の団長があるのは亡き親友の事があったんですね

  5. あの日を思い出すことは辛いかと思いますが語り継ぐことは本当に大事だと思います…
    団長さんありがとうございました。

  6. 団長安田さんの母校出身で、去年の卒業公演でもこの話をしていただきました。自分たちはあの震災を経験していないのですごく考えさせられたのを覚えています。毎年この日は来ますが前向きに生きていられるのを見ると凄く励まされます。ありがとうございます。そしてこれからも応援しています。

  7. ショックすぎる記憶って忘れちゃうんだよな

  8. 計り知れないショックを受けた事と思います。それは今も心の傷として残っている中、貴重なお話を話してくださってありがとうございました団長。

  9. 俺は当時大阪住まいの高校生でラジオつけっぱなしで寝てたけど地震と共にラジオから叫び声聞こえたの覚えてる
    朝起きて学校行こうかと駅に向かったらビルの窓ガラスが落ちてて電車は止まってて家に引き返したな

  10. 人を笑顔にしたいって強く思う人こそ過去に辛い経験してたりする事が多い気がする。そういう人は自分に厳しい。沢山幸せになってほしいな。

  11. テレビで拝見した団長の底知れない生命力はどこから来るんだろうと思ってました。自分だけの人生じゃないって思いがあるんでしょうね。

  12. まだ皆起きる前の時間帯にこんな直下型の大地震来たらどうにもならんよね…

  13. 自分は大阪で当時14歳。
    隣の県でもめっちゃ揺れた事、朝学校に行く前にTVをつけた時のあの変わり果てた兵庫の映像、今でも鮮明に覚えてる。
    そんな中、お友達の方の事を思うと胸が締め付けられる思いでした。
    団長さん、お身体に気をつけてこれからも頑張って下さい。

  14. 今は亡き友人。。。
    黒川明人さん。。
    安らかにお眠り下さい。
    ( -_-)/Ωチーン

  15. 放送見てました。
    最後に団長が
    みんな優しくなりましょう‼︎
    って話されてた言葉が胸にささりました。
    煽り運転とか、醜い争いやめましょう…。

  16. もう28年経ったのか
    当時小学3年生でその日は珍しく早朝に起きてコタツに入った直後に京都もかなり揺れたからなぁ
    怖くて1人コタツに全身入れて震えてた
    食器棚に並べてある皿からなる音やあの地鳴りはこんだけ経っても鮮明に覚えてる。

  17. 勝手な思いでなく、語り継ぐ事は供養になります。
    ご親友は必ず側にいるんだなあって思います。貴重なお話ありがとうございます。
    当時15歳私は関西の実家にいました。比較的被害の無い方でしたが、あの強烈な立て揺れは未だに忘れられません。

  18. 当時私は9歳で尼崎で被災しました。折角拾った命、自分の為だけではなく、人の為にも生きたいと少し思いました。

  19. 神戸のたくさん子供たちや20歳の人たちに、団長のこの想い知ってほしい😭芸人の団長だからこそできる事があると思いました!団長さんの講演会行ってみたい。いろんな話、震災の事や夢を叶える事など聞いてみたい。

  20. 当時テレ朝でしか、サンテレビの素材は見れなかったけど、改めて地元局の素材は半端ないと思いました。そして団長が、震災経験者と動画で初めて知りました。

  21. この動画が流れてきた…
    いつ何が起きるかわからないなと
    怖い気持ちになる…

  22. 私は山口恵介さんは同じ高校の同級生でした。クラスは違っていたので、余り面識はありませんでしたが、恵介さんは野球部に所属していて、人気者でした。

  23. 私も被災者だからよくわかる(´・ω・`)
    目の前にいるのがわかってるのに何もしてあげられなくてただ名前を呼ぶしかない。そしてあとになってからなにかしてあげられることはなかったのかなんて考えるんだけど、当時は何が起こってるのかすらわからないしどうしようと慌てているからそんなことを考える余裕もないんだよね。
    私も家族はみんな無事だったけど、孫のように可愛がってくれた近所のおばあちゃんや転んで泣いてたら消毒してくれたりしたお隣のおばちゃんが亡くなったんだよね。まだ人の死ってものがきちんと理解できないような歳だったけど、もう名前を呼んでもらえないし、転んでも手当してもらえないんだなと思ったら悲しかったのは今でも忘れない。
    今でも慰霊碑にモニュメントに手を合わせに行くと、あんな泣き虫がこんなに大きくなったのか!とかって笑ってくれてるのかな?なんて思うね。
    でも私はだんだんおばちゃんやおばあちゃんの歳に近づいていくけど、私の思い出の中の二人はいつまでもあのときのままのおばあちゃんとおばちゃんのままでずっと歳を取らないんだよね。

  24. テレビもさ、阪神淡路大震災、東日本大震災、防災の日しか
    振り返りしないから、もっと毎月定期的に備蓄とか防災やるべきなんだよな。。
    南海トラフの被害そうていが4000万人が被災っていうから、
    2人で1人を助ける想定だけど、備蓄やらしてる家庭どれくらいあるのやら

  25. 異常な忍耐力がバラエティのネタにされたりしてるけど、こういうバックグラウンドがあるのもその一因なんだろうな

  26. 色んな番組観てて団長の忍耐力とか気持ちの強さそれを体に表せるのがほんとにすごいなぁとかやりきるという意志の強さがほんとにかっこいいと思ってました。こんな辛いことが団長に起きていただなんて知りもしなかったです……

  27. 母は15才だったそうです。ぼくは今年20歳になります。毎年 1月 17日、母と一緒に黙祷(もくとう)し伝えられるカタチで伝え続けていきます。Rio⭐︎🐲

  28. 当時、写真に撮られたのは縁だと思います。
    団長だけではなく、とても多くの方が経験されたんでしょう。
    団長は、伝え手として選ばれたんでしょう。