日本を代表するギタリスト久留米市出身の#鮎川誠 さんが、29日に亡くなったと鮎川さん率いるロックバンドの公式サイトで発表されました。74歳でした。

公式SNSには、「1月29日5時47分永眠いたしました。すい臓がんでした」「これまで、鮎川誠とシーナ&ロケッツを長年にわたって応援し、愛してくださり、本当にありがとうございました」と記されていました。

鮎川さんは、1948年5月2日、久留米市に生まれ九州大学在学中から「#サンハウス 」に参加し解散後、奥さんのシーナさんと上京。「#シーナ&ザ・ロケッツ 」を結成しました。

「ユー・メイ・ドリーム」などのヒットを連発しながら、ロックとブルースなどの深い教養に根ざした演奏を続けてきました。

去年5月にすい臓がんが判明し、余命5カ月と宣告。

「心配をかけたくない」と病気を一切公表せず、治療しながら全国ツアーを続けました。夏には地元久留米でのライブでも愛機レスポールをかき鳴らしていました。

葬儀は、来月4日に「ロック葬」として東京で行われます。

41 Comments

  1. 鮎川さん🙏ありがとうございます!🎸向こうに戻られてシーナさんとますますお楽しく♫です!

  2. 鮎川さんの博多弁でのトークを聞くと、故郷が恋しくなりました。

    家族でCMに出演しているのを観ると、憧れました。

    天国でシーナさんと、また夫婦ロックを再開して下さい‼

    ご冥福をお祈りします。

  3. 素敵な青春の思い出をありがとうございます。ご冥福をお祈りいたします。

  4. 鮎川さんの博多弁が大好きでした。涙が止まらないです。愛するロックスターが皆天国へ…本当にありがとうございました。唯一無二のギタリスト。心より御冥福をお祈りします。

  5. 自分にとっては「日本で一番かっこよくロックンロール・ギターを弾く男」だった。

  6. 誠さんのレスポール、ブラックビューティーは渋すぎです、シナロケの曲デッドギターにならぬよう娘さんどうかかき鳴らして下さい。
    天国でシーナとまたロックかき鳴らして欲しい‼️

  7. 博多のめんたいロックの立役者である鮎川誠氏が亡くなられた。膵臓がんを患っていたとは。残念でならない。

  8. 博多弁の朴訥とした優しい口調の語りの一方で、ボロボロに使い込まれた69年製のレスポールカスタムを構えたカッコ良さ、憧れのギタリストでした。
    愛するシーナを亡くし、畏友ウィルコ・ジョンソンを亡くし、さらには自身も病を抱えながらも、愛機レスポールをマーシャルアンプに突っ込んで奏でる鋭い切れ味のロックンロールが、亡くなる直前まで止むことがなかったことに胸が熱くなる・・・Keep on Rockin'を貫いた生涯に最大限の敬意と感謝を捧げたい。

  9. 1980年代レコーディングスタジオ19で鮎川さんな遭遇。
    ジョニーロットンがよくしてたカシモドの真似をいきなりしてビックリした。
    博多ロッカーのカッコよくて優しいアニキだった。

  10. 最後までロッカーとして突っ走って来られましたよね。天国でまたシーナさんと再開して下さい。

  11. 九州大学なんだ
    賢くて、カッコいい人だったんだ
    鮎川さんのレスポール+マーシャルのサウンドは最高でした!

  12. ビックリさせんなよ。
    今日まで知らなかった…
    最高のロックンローラーやったわ。
    ありがとう!
    安らかにお眠り下さい。

  13. いろいろな思い出をありがとう!
    オレの人生のお手本
    シーナとウィルコにもよろしくお伝えください
    RIP

  14. 俺自身はハードロック至上主義なのであんま演奏上手い印象なかったからそこまで興味はなかったけどレスポールカスタムがボロボロになっても現役で直アンで弾ける人は日本では彼しかいなかった…

  15. シーナ&ロケットのツアーで2日間、音響と照明で、お手伝いしたことはとてもいい思い出です

    わたしも、若い頃めんたいロックに憧れ長い間バンドしてました、

    リハーサルに撮っていただいた写真を貴重な1枚です

    ご冥福をお祈りします

  16. ジェフ・ベック、高橋ユキヒロときて鮎川誠。信じられない。ヤードバーズをコピーしてバンドを始め、ユキヒロと共演してYMOのギターもやった。シーナ&ロケッツのレモンティーが強烈に記憶に残っています。安らかにお眠りください。ありがとうございました。

  17. さよなら、鮎川さん。天国でシーナや冨士夫ちゃん、ウィルコとよろしくやってください😂

  18. 鮎川さんの温かみのある喋り方、シーナとの関係、子供たちとの接し方、背中を押してくれたシーナの親父さんとの関係。
    全てのエピソードに氏の人柄が溢れていて、大好きなひとでした。
    雑誌「ロックステディ」の表紙で初めて見たカッコよさを今も覚えています。今まで本当にありがとう。RIP。

  19. ほんとは私は少し理屈っぽい人間なんだけど、若い頃、ライブハウスでロケット乗って宇宙までブッ飛んでた時だけは、楽しけりゃよかった。

  20. あのギターの音が生で聞けない…。あの温かい博多弁が聞けない。でも記憶のなかでは永遠に。青春時代からありがとう。いつか、あっちへ行ったら探しますので会ったらお茶でもしましょう。

  21. 鮎川さん さみしか~🎶 あん 筑後弁(ちっごべん)はもう聞けんとたいね。(私は朝倉の生まれ)
    1970年私が高校一年の時にシーナ&ザ・ロケッツがデビューしました。
    鮎川さんのギターはカッコよくて衝撃的でした。ご冥福をお祈りします。あんたは最高たい🎸

  22. 非常に残念だわ。少年時代に出会ったサンハウス時代からのファンでした。
    今も「やらないか」「風よ吹け」を自転車に乗りながら歌ってます。
    ご冥福をお祈り申し上げます。本当にありがとうございました。

  23. あー、誠っちゃん逝ったかー( ; ; )今まで有難うね!シーナさんと仲良くねー。ご冥福をお祈り致します。