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30 Comments
このポンコツなとこが好き
私が煙草を吸う切っ掛けがロータスJPSのカラーリングに痺れたから。
二十歳になった頃にはスポンサーから降りていましたが、今に至るまでJPSを吸ってます。
煙草の広告が禁止になってしまいましたが、今でも1番好きです。ロータスでなくても良いから復活して欲しいですね。
中嶋さんがデビューした年で入賞出来ただけでも立派に思います😊
厳しい世界で向き合い戦い日本の誇りです☝️
こんな酷いマシンでよくセナはモナコGPで勝てたなぁと。
ロータスはまさしくF1界のセガ
確かにオス型成形モノコックは、外側のセパレートカウルを変更する事でモノコックを造り直さなくても空力変更しやすいけれども、カウルとモノコックが一体構造のメス型成形マシン(ウィリアムズFW11BやフェラーリF187)に比べて車体が一回り大きくなってしまうのが欠点?
初期のマクラーレンMP4シリーズもMP4/6までオス型成形だったのでウィリアムズのFWシリーズマシンと比べて空力性能が落ちる?
やっとメス型成形モノコックのMP4/7Aが投入されたけれど少し遅過ぎたでしょうか?
ロータス99Tも同じオス型成形モノコックのマクラーレンMP4/3と違ってカーボンモノコックの表面にリベットいっぱい打ち込んであった?モノコックの内側に金属製バルクヘッドを止めて固定していた?
ロータス買おうかな?
ローバー買おうかな?
アストンマーティン買おうかな?
ロールスロイス買おうかな?
ジャガー買おうかな?
マクラーレン買おうかな?
ベントレー買おうかな?
〇あのころ中嶋さんだけの車載カメラ映像は日本向けのサービスだと思っていました。
だから、なんで古舘さんが納豆走法と言うのか、意味がわかりませんでした。
〇後に中島監督がインカム越しに高木虎之介さんを鼓舞する場面を見て、えっ冷静沈着なだけ
じゃないんだと思いました。
11:33 87~88年に失敗して懲りたはずなのに、94年には今度は無限ホンダがエンジンを供給してノーポイントのさらなる大失敗をしていた(笑)
89年に失敗したジャッドV8エンジンを91年にも資金不足によりまたも使って当然低迷したり、93年にもまたアクティブサスの開発に失敗してしくじるなど、末期のロータスはしばしばやらかしている。
うわ~ピーターウォーの名前とか出てるw
確か、近いうちに1/12サイズのプラモデルが出る予定。あれってセナの仕様しか組めないのかなぁ?
中嶋さんのF-1デビュー、それもロータスと聞いて楽しみにしていました…ところがJPSスポンサー撤退…中嶋さんの日の丸カラーのヘルメットとの組み合わせが見たかった。
25モノコックシャーシ、49エンジンをストレスメンバー、72のウェッジシェイプ、77でAT、78グランドエフェクト等々技術の先取り、道半ばもアクティブサスはロータスの正常進化でしたね。残念ながら結果は残念賞ですが…
アクティブサンペンションは開発し続けほしかったですね。100Tでも継続すれば良かったと思う。
タミヤのプラモ組みました。もちろん、中嶋仕様(私も日本人ですから(笑)) あくまでも模型ですが、後で組んだハッキネンのMP4-13やシューマッハの310Bと比べて、なんか成形そのものが特殊だったんですかね⁉️ 「時代が違う」と言えばそれまでなんですが、個性的なマシンだったんですね。
99TがJPSカラーだったら最高だった。
こんばんは。
このマシンが登場した時は、中嶋悟さんがデビューしたことと重なり、アクティブサスも注目されましたがシャシー設計も進歩がなければ、アクティブサスも前回使用時から進歩がなかったということですね。
当時のコンピューターでは処理能力もなかったですし。
スピリットからWilliamsと組む時に中嶋さんを乗せるように打診しましたが、どこの馬の骨だ?と門前払いに。
88年エンジン契約延長交渉の時「ロータスとは切るんで中嶋を」と打診しましたがホンダのセカンドチームにはなりたくないと再び拒否。
もしWilliamsの初年度で中嶋さんが乗っていたら・・・。
ロータスデビューイヤーも苦労していた中嶋さんをセナが見て「もっとテストさせてあげてよ」とか、「カメラを外してあげようよ」といったらしいですが拒否されたとか。
タミヤの1/20 ロータス99T(87年)から同じくタミヤ ウイリアムズFW11(86年)へHONDA RA167Eを載せ換えてちょっと改造してFW11B(87年)を再現しようとしたのはいい思い出。
今見ると99Tも格好いい。
ハッキネン、ハーバートの時のグリーン、イエロー貴重のロータスが一番好きでしたね
自分の中でロータスといえばGPSではなくキャメルイエロー
海老沢泰久著『F1地上の夢』の中で、85年にロータスのピーター・ウォーからホンダエンジンの供給を打診された櫻井淑敏は、その際に初めてセナと話す機会があり、櫻井は『この人がホンダエンジン搭載のマシンにに乗ったらどうなるのか怖くなるくらい、彼に魅了された』と語っており、ホンダ上層部に掛け合って当初縮小予定だったF1プロジェクトの予算を、中嶋悟の参戦と鈴鹿でのF1開催で据え置きにさせた。
その際第二期ホンダF1の発起人だった、当時本田技研社長の川本信彦は、ロータスへのエンジン供給について『もし、コーリン・チャップマンが存命だったら反対していた』と言い、『総大将がお前(櫻井)に変わったんだ。好きにやるといいさ』と櫻井に伝えたという。
川本は、第一期ホンダ参戦時はエンジニアとして参加していたが、ロータスへのエンジン供給契約を直前になって反故にされた際の、同じエンジニアや当時の監督だった中村良夫の悔しさと苦労を知っていたからこその発言だったという。
社会の矛盾の縮小サイズを視るみたいで、辛いです。
才能があるから有利、コネクションが強いから有利、1チームが勝ち続けるとレギュレーション変更、
これって、一部の組織のための社会と気付いているのに、メディアが視聴率が出るからの理由で放映される。
だったら、フォーミュラーEではJRの参戦など、自動車メーカーでない組織が自動車メーカーを粉砕してほしいです。中国メーカーが勝つようになれば、レギュレーション変更かな?
100Tだったか、ノーズの側面からフロントウイング支えるステーが両側に2本ずつ出てて
中嶋車がフロントウイング破損してピットインしたけど、ステーも逝ってて交換できないことあったよね
この時はマクラーレンみたいなオス型成形にカウル被せるタイプが良いのかと思ってた
衝突安全性を最大に厳しくして、空力やエンジンは自由というレギュレーションでやってくれないかなあ。
とんでもないマシンになって、ドライバーが気を失ってしまうかもしれないけど。
そこまで駄作と呼ばれる程、悪いマシンでは無かったと思うけどなあ。
アクティブサスの開発はレース部門のロータスエンジニアリングでは無く市販車開発製造のロータスカーズが主体で進めて来た技術でライドハイト、ピッチ、ヨー、ロールの全てを電子制御しようと言った先進的な技術だった。ロードカーでのテストでは当時としては相当のレベルにあって市販車の開発委託を行っていたトヨタも興味を示していたが1500馬力のターボF1のレーシングスピードにECUの演算速度と油圧制御が着いて行けなかった。空力にしても前年度の98Tの延長上に有り保守的過ぎたのもアクティブサスに開発費を取られて風洞試験に回せる余力が無かった。産まれて来るのが少し早過ぎただけで翌年の100Tよりは優秀な子だったんですよ。
88年の100Tは更に酷かったですね、99Tの方がまだマシだったと思います。
100Tは仮にセナがドライブしたとしても優勝は無理だったんじゃないかな。ロータスの時代は87年で完全に終わってたと思います。
ドライバーの気持ちは全然アクティブにならなかったサス。
あれだけポール奪取するセナが確かこの年は1度しかポール奪取してないはず。
このマシンで2勝したセナは、やっぱりすごいドライバーだったという事を改めて認識させてくれますね。他のドライバーだったらおそらく1勝も出来なかったでしょう。中嶋さんもこのマシンでルーキーイヤーに4回入賞・最高位4位は立派だったと思います(今と違って入賞は6位以上でしたし)。
しかし翌年の100Tはもっと酷かった・・・。ピケの腕をもってしても表彰台に登るのがやっとという状態でしたからね。
とある人の動画で聞きましたが ロータスのアクティブサスは市販車への転用を考えて作られたんですよね確か
ピケも乗ってたなぁこのロータスには