20年前~10年前くらいの小田急線の動画をアップしています。
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#小田急#昔の小田急線#鉄道ダイヤ

【朝の小田急複々線ダイヤ】

【小田急初代4000形映像集】

【小田急2022年ダイヤ改正解説動画】

【30年前の小田急線朝ラッシュ時刻表を振り返る】

【20年前の小田急線映像集】

【複線時代の小田急線平日夕方下りダイヤ】

【営業最終日の湘南急行】

【湘南急行とサポート号】

小田急線のダイヤ・時刻表ネタを中心に動画を公開しています。2000年代初頭に撮影した小田急線の映像も多数公開しています。小学生時代に撮影したものなので画質や撮影方法、映像の質が悪いですが、分割併合がまだあり、湘南急行や多摩急行が運転されていた小田急がまだ複線だった時代の映像も収録していますので、お楽しみいただければと思います。

19 Comments

  1. 超大作、超高評価、懐かしいです!
    大野化け泣き別れ両方江ノ島線各停がエモい。
    地上時代の経堂が8両対応だったので、新宿発着10両準急は平日朝ラッシュ以外は少なく、自然と分割併合は少なかったですね。

  2. 2400形4両+20m車両6両の連結もあり、
    異なる形式の連結もありました。

  3. 小田急の分割併合…物心ついたころは箱根急行の最晩年だった気がします。
    まだ4両が電直車しかなく、8000形は6両ばかりが更新され、3000形も6両が32本そろって、小田急は80周年を迎えいよいよ新時代に移行・・・そんな感じだった気がします

  4. 18m車両2両を5組連結の10両があり、
    通称ぶつじゅうと、言われていました。
    ぶつじゅうの時の分割は、どこで切り離
    しするか?駅員の案内が大変でした
    旧4000形による、5両+3両がありました。

  5. 今ではあり得ない、分割切り離し、連結が日常
    的に行われていました。
    現在は、EXE、EXEα、MSEの特急のみになりま
    した。
    連結の際は、旗降りの代わりに誘導信号を採用
    しています。
    近鉄では、いまだに旗降りをしています。

  6. 新宿駅での乗車位置も編成毎に異なり特に、18m
    車両と20m車両の連結があり乗車位置番号を採用
    していました。
    ダイヤが乱れると、新宿駅の駅員1人が、向ヶ丘
    遊園まで行き、車型を確認して、新宿駅の放送室
    に連絡して、乗車位置の案内をしていました。

  7. 20:59
    このパターンの中には、相武台前で急行を待避して、相模大野でその急行に追いついて連結する運用もありました。

  8. 田舎から出てきたばかりの当時、相模大野での併合は衝撃でした
    相模大野に着いたかなと気を抜いた瞬間に車両後方から突き上げるような衝撃。立ってる人はみんなヨレっとなってた

  9. こんばんは。
    「小田急線の分割併合」というテーマでの動画投稿,ありがとうございます。
    興味深く視聴させていただきました。「分割案内板Aを境に前6両が急行箱根湯本行き,後4両が各停片瀬江ノ島行き」というアナウンスは小田急線の急行列車では大定番でした。
    その一方,逆組成の分割併合は記憶が無かったので,貴重な資料をありがとうございます。
    次回の「分割併合パターンを集計してみた」動画も楽しみに待っております。

  10. 運行パターンがダイヤ改正毎に変わるので、
    乗客、駅員、乗務員もダイヤを覚えるのが
    大変でした。

  11. とても分かり易く、資料や動画を組み合わせてナレーションを入れて製作に大変なご苦労をされたことと思います。
    今回の動画に車型が入ったらもう何か月も掛かるものになってしまいそうですね。次回作も楽しみにしております。

  12. すばらしい動画をUPをありがとうございます!自分が、大学生の時に駅務補助バイトをしていた時のパターンがすべてありました!懐かしい!!
    ホーム町田寄り分割案内版Aを境に、前6輌が・・・行、後4輌が・・・行・・・という放送(をしていた事もあって)が記憶に蘇って来ました。

  13. 分割併合は小田急の隠れた文化だったのにね
    ロマンスカーですら将来廃止されそう

  14. RSEが7連だから特急停車駅は7兩ホームではないのか?
    2:04 風祭は対向ホームになるまで小型3両ホーム、板橋・入生田は6兩ホーム(湯本は7兩)

  15. 素晴らしいです。
    調査・編集、本当にお疲れ様でした。
    そしてところどころでVVVFソフト改修前の1000型映像が入っていて良きですね。

    自分は92年から96年まで新宿でバイトしていました。
    この動画を見ながら、当時のことを思い出していました。
    記憶違いもあるかもしれませんが
    ・逆10両がかろうじて1~2本残っていた(バイト中のダイヤ改正で廃止。ちなみに新宿での分割案内板はE)
    ・江ノ島急行が独立したことにより、急行湯本+急行江ノ島は土休日に僅か残るのみ
    ・後ろ4両海老名止まり登場(その前は大野でしか分割は無かった)
    ・海老名止まり登場により、大野で化けて海老名で分割する珍化け急登場(急行相模大野行き、相模大野から各停小田原行き、後ろ4両海老名止まり。1日1本)
    ・急行秦野行き、急行本厚木行き、相武台前停車の急行、6両の準急(いずれも1日1本)

    ・当時の新宿の前6+後4の分割案内板はBだった(他駅は既にAになっていた)。分割案内板と言えば、やっぱBでしょ(笑)
    ・新宿での整列乗車の案内は「足元ランプの点滅している所」「足元ランプの連続点灯している所」
    ・車両関係では、1000型にようやく10両固定(90番台)と8両固定(80番台)が登場し、2600型の一部が組み替えられて8両化、それ以外は6両か4両しか無かった。ちなみに1000型ワイドドア車は運用が固定されていたため駅員が「今度の電車の後ろ4両は幅広ドア車で参ります」等と放送していた。
    ・経堂が8両対応だったため、直通準急とラッシュ時の10両準急は通過(もちろん急行は停まるわけない)
    ・直通準急は本当に僅かしか走ってなかった。直通車は1000型に置き換わっていた。ちなみに準急幕は「黒地に黄色文字」
    ・特急ははこね・あしがら・さがみ・あさぎり・えのしまの時代。まだホームウェイ・サポートの名称は無し。はこねは町田通過でしたが、途中でスーパーはこねが登場したことで町田停車に。EXE就役前だったため特急の分割併合は無し。NSEが全車健在だった。

    この動画で映っていたものもありましたね。
    本当に懐かしいです。

    これだけ分割併合や種別変更が多かったのに、小田急の車両側面の行先表示は初見殺しでしたよね。
    「前6急行小田原+後4急行相模大野」になっていても、この大野表示が「大野止まり」なのか「大野から各停に化ける」のかがわからないし、前述の珍化け急の場合「前6急行相模大野+後4急行相模大野」大野から先は「前6小田原+後4海老名」になるという、どこまで行けるかが全くわからないシロモノでした。
    西武の2000系なんて、たいして分割併合もしないのに「急行拝島・西武遊園地(この車両は拝島ゆき)」とか「急行飯能(この車両は小手指どまり)」とか用意してたのを見ると、小田急もっと頑張ってほしいと思いながらバイトしてました(笑)

    動画UP本当にありがとうございました。
    もしこの時代の駅自動放送の映像・音声をお持ちでしたら、ぜひUPして頂けますか?
    長文失礼致しました。

  16. 朝9時台の下りの逆10両は、その前運用の江ノ島線からの上り同士連結が逆になってしまうために起こってましたねえ。今思うとなんであんなイレギュラーをさせていたのか疑問だなぁ。何度か逆10両の小田原行きに乗ったが大野から本厚木間は地獄の混雑だった。。。
    9:02 に出てくる新宿から6両で下る急行は学生時代たまに乗っていた。1989年まで新宿7時台最初の急行までが6両でこれがとんでもない混雑だった。1990年まではどうもそれまでの輸送体系にこだわっているのか随所で輸送力不足が露呈してた。
    ご紹介あった通り、1990年前後はあまりに分割併合パターンが多く、一度ダイヤが乱れ出すと収拾つかないし、誤乗も頻発し、やりすぎ感が強かった。
    ただ、今思うと、「小田原方面からかぶりつきで急行に乗ってきて、大野で連結、運転士がバタバタ降りて、無人になった運転室を眺めながら町田に向かって走り、町田手前で無人の運転室に鳴り響く停車確認のブザー合図」 その感じが好きだった。。。