鹿児島県桜島火山災害
桜島火山が噴火
桜島といえば過去数えきれないほど噴火していますが、2021年4月25日(日)午前1時過ぎの噴火は規模が大きく火砕流が約1.8km流れ下りたことから、気象庁は噴火速報を発表し警戒を強めています。
火口から2kmあまりのところには人が住んでる桜島ですから、火砕流のみならず、噴石などへの警戒は気を抜けません。
さて、東京にとっては遠い話のように感じられる火山活動ですが、東京人には決して無縁の話ではありません。東京都は実に21もの活火山を有する火山の多い自治体なのです。それが伊豆諸島と小笠原諸島にある火山群です。
21の活火山のうち有史以来噴火の記録がある火山は18座。うち7座は気象庁が常時観測火山としています。
常時観測火山とは気象庁の火山監視・警報センターが地震計や高感度カメラ、GPSを用いて24時間体制で観測をしている火山で、全国では50座が対象となっています。全国の監視体制に置かれている火山の14%がある東京都は、かなり火山の多い自治体ということができるでしょう。
近年は、2020年に近くの海底にあった火口からの噴火で新島が形成され、もとの島と合体して面積を拡大している西之島が話題になりました。これは自然の巨大なエネルギーを感じさせる好例です。自然の雄大なロマンを感じさせる面もある火山ですが、噴火は時として甚大な被害を及ぼします。
過去、東京都の火山活動は多くの人々が命を失う甚大な被害をもたらしています。例えば、1902(明治35)年の伊豆諸島の鳥島の噴火がそれです。八丈島から南へ200kmに位置する鳥島はアホウドリの繁殖地となっている無人島です。
明治時代、アホウドリは現在よりも数が多く島を覆い尽くすほどだったといいます。開拓精神を持つ人が多い明治時代、この島は新天地での成功を夢見る人たちの格好の入植地となりました。
この島のアホウドリの羽毛に目を付けた八丈島出身の実業家・玉置半右衛門は東京府から鳥島を借りる許可を得て、アホウドリの捕獲に乗り出したのです。
1887(明治20)年に人足と共に島に上陸した半右衛門は島に集落を設けて開拓に乗り出します。集落は半右衛門の名前にちなみ「玉置村」と名付けられました。牛が持ち込まれ放牧が行われたり、カツオブシづくりも行われましたがメインは、アホウドリの捕獲です。当時、羽毛はクッションなどの材料として欧米に高値で輸出できたからです。
人を恐れないアホウドリの捕獲は容易で、数十万羽のアホウドリが乱獲されます。収穫された羽毛で半右衛門は全国の長者番付の名を連ねる時の人となりました。
しかし、1902年8月、島を悲劇が襲います。島にそびえる硫黄山が突然大噴火したのです。
通信手段がない当時ですから、噴火の詳しい状況はわかっていません。記録によれば、同年8月7日に小笠原航路の兵庫丸が小笠原諸島に向けて同島を出港したときにはなにも異常がなかったとされています。
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