義時の跡を継ぎ、執権となった泰時でしたが、義時の地位が全て継承されたわけではありませんでした。
叔父の北条時房とは、執権の地位をめぐって争い、さらに、正室の子ではないがゆえに、北条朝時をはじめとした弟たちにも領地を多く与えるなど配慮を余儀なくされます。
ですが、その立場の弱さゆえに、独裁ではなく合議制を目指し、御成敗式目を定めるなど武力に頼らない政治を目指しました。
その器の大きさゆえに、政敵を武力で排除することはなく、取り込んでしまい、泰時の死後には、将軍追放、宝治合戦という形で爆発してしまう結果にもなりました。
今回は、義時死後、身内、御家人たちを抑え、評定衆や御成敗式目を制定し、幕府政治の基礎を固めた、泰時の19年に渡る苦労の後半生を紹介します!
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参考文献
石井清文『鎌倉幕府連署制の研究』
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本郷和人『北条氏の時代』
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菊池紳一『北条泰時-東西文化を融合させた宰相-』(公武権力の変容と仏教界 (中世の人物 京・鎌倉の時代編 第三巻) )
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【画像引用】
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式サイト
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#鎌倉殿の13人 #大河ドラマ #歴史

23 Comments

  1. 泰時は、義時の後継者としての地位が約束されていたわけではなかったのですね。年長で様々な役職や経験があるのに、正妻の子でないという理由で弟の朝時や政村と対立し、そこから自らの手で勝ち取っていったというのは、意外でした。盤石な基盤と支持があったと思っていました。でも、それ故考えを巡らし、例えば朝比奈切り通しの整備によって、三浦氏の利権を奪ったり、民への善政を行ったりの彼独自の政策が生まれたのでしょうね。典型的な三代目、苦労知らずで祖父、父の基盤をそっくりそのまま継いだラッキーな人だと思っていたので、勉強になりました。

  2. もし、「鎌倉殿の13人」でスピンオフを作るなら、このあたりをやりながら「北条時宗」に繋げる流れにするとありがたいけどねぇ。

  3. 義時を残酷と言うなかれ…だよね。平和理にやれば、結局、将来に問題を長引かせるだけ。今が、現在がその時だよ。平成はほんとに無駄な時代だった。やるときはやらなければ。、社会は一時的には混乱するが、結局は早く回復もするよ。

  4. 泰時がいなかったら、もしかしたら鎌倉はもっと早い段階でバラバラになってた可能性もあるので、名越家や三浦氏、将軍の問題は結果論だろうね。どんなに最善を尽くしても、時が経てばそこに問題が発生する事はどの時代、どの社会においてもよくある話だし。

  5. 動画ありがとうございます。
    ちょっとズレた感性を待っている泰時ですが徳政の為に文字道理全身全霊をかけた偉大な政治家であることは変わりありません。
    そういう人だったから北条時房北条朝時足利義氏といった面々もなんだかんだで彼を支えたんだと思います。

  6. 他の方も書かれてますが、泰時が順当に執権を継いだのではないと知って驚きました。知りませんでした。
    しつこいですが、足利氏(当時の頭領義氏)は流石に北条氏の跡目争いには介入しなかったといいますか、誰につくかは注視されたのでしょうか。あの三浦義村も足利氏には一目置いていたのでしょうか。
    それはともかく、泰時の苦難を思うとあと10年は生きて欲しかったです。

  7. 「北条泰時・御成敗式目」程度の日本史でしたが、鎌倉時代の方向性を決める重要なポジションだったんですね。
    「売り家と唐様で書く三代目」ではありませんが、3代目がどんな人物かでその後の運命が大きく変わっていくのかがわかります。
    平穏な時代を実現しつつも後代に禍根を残す、というのは漢の文帝を思い浮かべます。
    それにしても、どこぞの三代目はぼんくら揃いで利権と保身ばかりを追う輩なことよ。

  8. 後嵯峨天皇の名前が出た事は後の、鎌倉幕府滅亡と建武の新政の後醍醐天皇の時の天皇家が系統が二分化そして南北朝の元になったという事なのか。あとどうも泰時の嫡流は早逝が多いのか。時頼、時宗と言った面々を見ると。

  9. 泰時にとって明恵上人は今川義元にとっての太原雪斎のような存在だったのでしょう。黒衣の宰相といったところか。
    「作麼生、月は何故輝く」
    「説破、闇があるからこそ月は輝く。光あるところに陰があり」

  10. 大河ドラマを観て、こんなに鎌倉時代が権力闘争で大変だった事を初めて知りました。
     動画も、とても勉強になりました。
     両親が、鎌倉の近くに住んでいたので沢山の歴史にまつわる場所を訪れましたが、改めてその由来も、解りました。
     泰時、良いですよね🥰
    承久の乱の時に、京都の高山寺にいた明恵と出会ったことは後から知りましたが、実際に高山寺に行った事が会ったので、何となく思い入れが、強くなりました。
     鎌倉初期の権力闘争の激しさを、見て育ったので、彼自身は人に恨みを持たれないように知恵をしぼって、自分の地位を確立して行ったのだと思います。
     彼自身も、権力闘争に巻き込まれ大変だったと思いますが、彼が、作った後成敗式目は素晴らしいと思います👍👏🥰
     泰時の役の坂口健太郎さんの演技がとてもすがすがしく感じます。
     有り難うございます👍🥰

  11. とりあえず、この大河のおかげで高校入試で北条泰時答えられない人激減しそうw。
    大学入試も鎌倉初期の所の平均点上がりそう(来年度、というか、今の2年生の代の入試の時)

  12. 義時のように積極的に敵勢力を罠に掛け、滅ぼしたり勢力を削いだりする
    ・・・を露骨にしなかったことで、後の世に「得宗家」が精神的にも特別足り得る家格になったとも言えると思います

  13. 説明が早すぎて、年寄りにはついていけません。もう少しゆっくり説明してください。

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