桃田 賢斗は田児 賢一の力に抵抗できない | 桃田 賢斗 vs 田児 賢一 | バドミントン 日本
桃田 賢斗(ももた けんと、1994年9月1日 )は、日本のバドミントン選手。バドミントン日本代表[1][2]。香川県三豊郡三野町(現:三豊市)出身。2013年よりNTT東日本所属。左利き。マネジメント会社はUDN SPORTS[3]。
BWF世界ランキング最高位は1位(2018年9月27日)。2014年トマス杯(団体世界選手権)金メダリスト。2015年にBWFスーパーシリーズ(現ワールドツアー)男子シングルスで日本人初優勝を達成。以降、同ファイナルズ(英語版)優勝(2回)、全英オープン優勝、世界バドミントン選手権優勝(2回)などを日本人男子選手として初めて達成している。2019年は国際大会で歴代最多の年間11回の優勝(ギネス世界記録)を達成して世界最優秀選手を受賞。
2019年
2019年3月、第109回全英オープン(スーパー1000)では準決勝までの4試合で1セットも落とさず、同大会で自身初の決勝に進出すると、決勝では第6シードのビクター・アクセルセン2-1(21-11、15-21、21-15)を破り、バドミントン界で最も伝統のある同大会の男子シングルスで日本勢初の優勝を達成した[30]。
4月のシンガポールオープン(スーパー500)では決勝で第7シードのギンティンを降し、同大会4年ぶり2回目の優勝を達成。武漢でのアジア選手権でも第2シードの石宇奇を2-1で破り2年連続の優勝を達成。
7月のダイハツ・ヨネックスジャパンオープンでは準々決勝でギンティン、準決勝はB. サイ・プラニース(インド)を下して決勝に進出。決勝では第6シードのジョナタン・クリスティ(インドネシア)を2-0(21-16、21-13)に勝利し、連覇を達成した。
8月の世界選手権(スイス・バーゼル)は1回戦でファム・キャオ・クオン(ベトナム)、2回戦でルイス・エンリケ・ペニャルベール(スペイン)にストレートで勝利。3回戦では2回戦で林丹を破ったH・S・プラノイ(インド)、準々決勝で第14シードのリー・ジージア(マレーシア)、準決勝で第16シードのB. サイ・プラニースに対してもいずれも2-0で勝利して決勝に進出。決勝では第5シードのアントンセンを2-0(21-9、21-3)で圧倒し、全6試合で1セットも落とさずに世界選手権連覇を達成した。
9月、中国オープンは1回戦から林丹、トミー・スギアルト、常山幹太、第5シードの諶龍を破り決勝進出。決勝では前大会決勝で敗れた第7シードのギンティンを2-1で下し、同大会で初優勝。翌週の韓国オープン決勝は周天成を、10月のデンマークオープン決勝は諶龍をそれぞれ2-0で下し、国際大会5大会連続優勝を達成。フランスオープンは準々決勝でギンティンに敗れ、国際大会での連勝は28でストップした。11月の福州中国オープンは周天成を2-1で降し、今季国際大会10勝目をあげた。全日本総合選手権は西本拳太を2-0で降し連覇を達成。
12月のワールドツアーファイナルは予選リーグから全勝で勝ち進み、ギンティンとの決勝となった。これを2-1で勝利し、4年ぶり2度目の優勝を達成。これで本年度の主要国際大会で11勝目となり、2010年のリー・チョンウェイが記録した年間10勝を更新[31]し、ギネス世界記録に認定された[32]。また、今大会に出場した時点で、2020年4月30日時点の世界ランクで16位以内かつ日本人2位以内となることが確定し、東京オリンピック日本代表入りが確実となった。
世界バドミントン連盟は桃田を2019年度の世界最優秀選手に選出した。
2020年
1月12日、マレーシア・マスターズでビクター・アクセルセンを破り、優勝を果たした。翌日、クアラルンプール国際空港へ車で移動中、桃田等を乗せた白いバンがトラックに衝突する事故が発生し24歳の運転手が死亡した。桃田自身も顎、唇、眉間の計3か所を裂傷、全身打撲の怪我を負い、クアラルンプールの病院に入院したが、命に別状はなく、15日にしっかりとした足取りで帰国した。3月の全英オープンでの実戦復帰を目指していたが[33]、目の不調で練習時にシャトルが二重に見えるため精密検査を行ったところ、右眼窩底骨折が判明した。このため再度合宿を離脱して手術を行った。2月末から練習に復帰している。
新型コロナウイルスの影響により東京オリンピックは延期、その他の国際大会も延期・中止が相次ぎ、桃田の実戦復帰は12月の全日本総合選手権となった。桃田は準々決勝で1セットを失ったが、この試合以外はストレート勝ちで決勝に進出。決勝では常山幹太を2-1で破り、復帰戦を優勝で飾った。
2021年
1月3日、国際試合復帰戦となる予定だったタイオープンへの出発前に、成田空港で受けた新型コロナウイルスのPCR検査で陽性反応が出て感染が判明した。このため、遠征は取りやめとなった[34]。3月17日、430日ぶりの国際大会の試合となった全英オープン1回戦を勝利で飾った[35]。今大会はリー・ジージャに敗れた準々決勝まで進出した。
4月、NTT東日本との雇用契約が正社員から契約社員に変更となり、実質的にプロ選手となった[36]。
6月、東京オリンピック日本代表に内定した。7月23日の東京オリンピック開会式ではアジア代表として五輪旗を運ぶ役目を担った[37]。第1シードとして予選リーグAで第1戦でアメリカのティモシー・ラムに勝利したが、第2戦で韓国の許侊熙に敗れ、予選リーグで敗退した。
9月に開幕したスディルマンカップで日本チームは決勝で中国に敗れ準優勝。桃田は石宇奇に1-2で敗れた。10月のトマスカップも日本チームは準決勝で中国に1-3で敗れたが、桃田は石を圧倒して2-0で勝利した。デンマークオープンは決勝で東京五輪優勝のアクセルセンに敗れて準優勝。
田児 賢一(たご けんいち、1989年7月16日 – )は、日本の男子バドミントン選手。埼玉県蕨市出身[1]。身長175cm、体重100kg。血液型はO型。右利き。埼玉栄中学校・高等学校を経て、NTT東日本に入社しバドミントン部に所属していた。現在は無所属。BWF世界ランキング最高位は3位(2013年10月31日)。
田児の両親は共にバドミントン選手で、父親の田児淳一は元・日本リーガー、母親の田児よし子(旧姓は米倉)は全日本総合バドミントン選手権大会の女子ダブルスで8回優勝、シングルスと混合でそれぞれ1回優勝している。両親ともに元NTT東日本所属の選手であった。
両親の影響で2歳でバドミントンを始めた。小学校時代はバドミントンジュニアの「チャレンジャー」チームに所属し、11歳の時に全国小学生選手権男子ダブルス(5年生以下)で優勝、中学時代は2003年、2004年の全国中学生選手権男子ダブルスで連覇する。
高校時代は全国高等学校選抜バドミントン大会の団体戦・男子シングルス・ダブルスで優勝、全国高等学校総合体育大会バドミントン競技大会(インターハイ)でも2006年、2007年男子シングルス・ダブルスの2年連続二冠を達成した。また国際大会にも出場し好成績を収めている。2006年アジアジュニア選手権の男子シングルスで全種目通じて日本人初となる優勝を達成。同年に高校生ながらバドミントン日本代表に選出され、翌2007年のスウェーデン国際の男子シングルスで優勝し、シニア大会で初優勝する。スコットランドで開催されたスディルマンカップにも日本代表として出場し、アテネオリンピック男子シングルスベスト8のロナルド・スシロを破るなど日本のグループ1昇格に貢献した。2007年10月から11月にかけてニュージーランドで開催された世界ジュニアバドミントン選手権大会男子シングルスで準優勝を果たす[2]。
高校卒業後の2008年4月にNTT東日本へ入社し、2007年度のバドミントン日本リーグには内定選手として出場した。日本リーグや全日本実業団バドミントン選手権大会などの団体戦ではダブルスの試合に出場する事もあった。
2010年の第100回全英オープンでは日本人として秋山真男以来44年ぶりに決勝に進出した(しかし決勝では世界ランキング1位のリー・チョンウェイに19-21、19-21で敗れた。)[3][4]。
2012年、ロンドンオリンピックの男子シングルスへの出場権を獲得したが、本大会では予選リーグの試合で伏兵のニルカ・カルナラトネ(スリランカ)に敗れ決勝トーナメント進出はならなかった。
2013年、田児はヨネックスオープンジャパン男子シングルスで同大会男子種目日本人初の決勝に進出したが、決勝ではリー・チョンウェイに21-23、17-21で敗れて準優勝に終わった。
2014年5月、田児はトマス杯で日本男子初の優勝に第1シングルス(チーム内における世界ランク最上位のシングルス選手の事で、相手チームの第1シングルスの選手と試合を行う)として大きく貢献したが、同年9月の仁川アジア競技大会で負傷してから調子が急降下した。12月の全日本総合選手権は左足首捻挫のため棄権し、田児の連覇も6で止まった。田児はその頃から国際大会で思わしい結果を残す事が出来なくなり2015年9月に自らナショナルチームから離れる事を決断。さらに前年に続いて全日本総合選手権を棄権した。その後は(所属実業団チームからの)自費派遣による国際大会出場を続けている。
田児はオリンピック本大会でのメダル獲得を目標に掲げ、各国の強豪選手が多く出場するBWFスーパーシリーズの大会を中心に出場している。その一方、国内の大会に関しては全日本総合選手権や団体戦の日本リーグ、全日本実業団選手権以外の大会に出場する事は稀であった。
だが2016年4月7日、田児が東京都内の違法カジノ店にて賭博をしていたことが判明し[5]、派遣先のマレーシアより急遽帰国した。田児の所属先のNTT東日本は帰国後の調査で、田児が違法カジノ店で賭博をしたことを認め、田児と同社所属の桃田賢斗を含む他の複数の選手もカジノ店に出入りしたことを認めたことを明らかにした[5]。翌々日に開かれた記者会見でNTT東日本は調査の結果として田児が2014年10月から2015年3月に東京都墨田区の違法カジノ店を10回程度訪れ、その後、2015年5月から2016年1月まで横浜市内の違法カジノ店に月数回程度通い、賭博行為をしていたことを明らかにし、桃田は田児の紹介で東京都墨田区の違法カジノ店に合計6回程度訪問し、賭博行為をしていたことも発表した[6]。この賭博行為については、田児が桃田を誘う形で行われた上、田児のトータルの負けは60回程度で約1000万円と突出しているため、負けの額が約50万円の桃田よりも罪は重いとされる[7]。田児は「本来なら、自分が止めないといけない立場で、責任はいろいろあった」、「桃田や、後輩のことを巻き込んでしまったのは全部僕なので、自分がやっていたことをもう申し訳なく思いますし、その時点で桃田が行こうとしていた時点で止められなかったのを申し訳なく思っています」と謝罪した[6]。同年4月10日、日本バドミントン協会は田児に対して無期限の協会登録抹消の処分を決定した[8]。翌11日にNTT東日本が男子バドミントン部の半年間の対外活動自粛を決定すると共に賭博に関わった社員の処分を発表、田児は2016年4月11日付で解雇処分となった[9]。
2016年12月にマレーシアのプロリーグ・パープルリーグで競技復帰した。復帰戦では世界ランク25位の魏楠(英語版)(香港)と対戦しストレートで快勝した[10]。
2019年9月、TAGO KENとしてYouTubeを開始。
2020年11月1日、協会登録抹消の処分が解除された[11]。
 
						
			
9 Comments
何が凄いって、バキバキに硬くて弾く使い手を選ぶzスピードで完璧に使いこなして繊細にシャトルコントロールを実現してるんだよなあ。
勝手に世界で一番zスピードを使いこなしたプレーヤーだと思ってるw
個人的にこのアングルかなりありがたいです
タイトルがイラつく
これどっちが勝ったんですか?
Amazing angle
田児賢一さんのレシーブはまじで憧れる。
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この頃は田児に憧れてジースピに黄色のタオルグリップでプレーしてたわ、、
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