羽生結弦の凄さをハーバード大学医学部助教授が語る!それは技術でも表現力でもなく・・・

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7 Comments

  1. 羽生結弦さを越える
    スケーターは 此からも現れる事はないでしょう
    指先から体全体が美しすぎて 感動します💕

  2. プロローグを観に行けない 大変ショック受けてます、いつか テレビ放送してほしいです😌💕
    体調に気をつけて 下さい😌

  3. 私が知らなかった事を、お知らせ下さり、ありがとうございます‼️‼️  私は、長く苦しく辛い実生活の中、死を乞い願っていた頃に、彼のSEIMEIを奇跡的に観る事が出来ました。 私達の知らない現場の事を教えて頂けて、とても嬉しいです💕   
    沢山の様々な苦境の中で、常に前へと向かい続けた ゆづ君の、奥底の芯の強さを改めて感じました‼️ そして、おそらく、彼のその芯の強さこそが、彼の深い優しさの源なのでしょうね❕❕   本当の優しさは、心の強さがあっての事なのでしょうから。  ゆづ君想いを伝えて下さり、感謝します‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️

  4. 今回の、動画は、医師から、見た、羽生結弦さんの、メンタルの強さ、についてですが、私も、2016年から17年に演じた、ホオ~プアンドレガシーを見たとき、5位から逆転優勝、あの力みのない本人も、ゾーンに入ったと後に、語ったのを見て、この人は一体どんな人なんだろう?と思い、王者のメソッドという本をかつて読み、常に、反省したり、新たな目標を掲げ、口に出して言い、実行していく、凄い方だな!こんなスケータア~は、初めてで、以来大ファンになり、羽生さんの、一挙手一投足を、録画して、見ているうちに、自分に取って、心の支えになっていました。本当に、最初から、ぶれない、芯のしっかりした、素晴らしい人です。ご両親が、しっかりと愛情を注ぎ、心も、育てられたのだろうと思います。ますますのご活躍を、ねがつてます。😭😭♥️♥️♥️

  5. 17才のニースのSPは後半の大切なジャンプが2回転となり 7位と遅れ最終グループに入れない致命的なミスでした。それを覆したのはフリーのロミジュリですね。あの伝説のフリーは正しく語り草です。2017年のホプレガも大逆転で彼の歴史を飾る名演技ですが 17才の彼の華々しい出現は若さと強さと存在感を客席にしかと印象付けました。幼い頃から負けず嫌いの性格とかけ離れたメンタルの強さetc……彼が世界のトップを走り続けている由縁でしょうか

  6. 勉強になったし、府に落ちました。私の身近には、精神障害の人がおりますのでメンタルヘルスに関しては私が取り入れたいものが沢山あります。また、羽生選手の心の健康も引き続き祈っていきたいと思いました

  7. 羽生さんは、プロ転向会見でも「コーチよりも講演の方にむしろ興味がある。マインドコントロールの仕方とか……」とも言っています。

    今はアイスショーの企画でそれどころではないかもしれませんが、40代に入り、アイスショーへの出演からも引退するようになったら、アイスショー主宰の傍ら、そうした公演活動をすることも視野に入れてもいいかもしれませんね。

    ***

    長期的なトレーニングでも、本番直前の短期的なものでも、心と身体をいい状態にセルフコントロールできるということが成功のカギを握るという意味では、トップアスリートと音楽家は似ています。

    そうしたことも関係しているのかもしれませんが、私の日本の音大時代の後輩に、慶応医学部出身の精神科医で、既に大病院の副院長だった人がいました。

    彼は、病院は「大人の仕事の世界」、大学は「子供(?)の世界」と分けて考える人で、大学では先輩のはずの我々のことも子ども扱いしているのか、どこかじっと観察しているような人で……(笑)

    夏の山登り合宿や冬のスキー合宿にも熱心に参加していた彼の目的は、本人曰く「お嫁さん探し」だったそうですが、もしかして音楽家の卵たちの生活ぶりを実地に観察することで、本業の医師稼業の研究に役立てていたのではないかとも。

    初心者用のゲレンデをゆっくり滑っていて、後方から上級者に追突されて脳震盪状態になった学生に彼が応急処置をしてくれたことなどもありました。

    ですから、医師をノーギャラで帯同させていたに等しい我々としては、実験用のモルモット並みに観察されても文句は言えません。

    ***

    内田舞医師の羽生さんへの観察は私も同意することばかりですが、ひとつだけ、内田さんが見落としたのか、それとも気づいていても言及しなかっただけなのかと思う点があります。

    それは、羽生さんとフェルナンデスとの関係。

    羽生さんは、複数種類の4回転ジャンプを跳べると技術点で格段に有利になることから、当時跳べる人が少なかったクァド・サルコーを安定して跳べるフェルナンデスが師事するオーサーコーチに師事し、フェルナンデスと一緒に練習することを希望した。

    有力選手を一緒に練習させることで反目し合うことも多いのは、プルシェンコとヤグディンの例でもわかる通り。

    バンクーバーオリンピック後のキム・ヨナさん、平昌オリンピック後のメドヴェージェワらも、「コーチが自分だけを大事にしてくれるわけではない」ことに失望してコーチのもちを離れている。

    そこでオーサーコーチは事前にフェルナンデスに羽生さんの移籍希望を打診したが、フェルナンデスは特に嫌な顔をするわけではなく、かといって大歓迎したわけでもなく、「ふ~ん」というやや無関心な態度だったらしい。

    ……というのが、公式に発表されていることです。

    でも私は、どこかそれだけではないものを感じているのです。

    羽生さんのクリケットクラブ移籍は、2012年5月。直前の2012年3月のニースの世界選手権FSで、未だに語り継がれる《ロメオとジュリエット》の迫真の演技を披露した羽生さんが、初出場で銅メダルを獲得した後のことです。

    私が注目したのは、この2011~2012年シーズンのグランプリシリーズのどこかの大会で、羽生さんとフェルナンデスがともに表彰台に上がり、記者会見を受けていた時のこと。

    羽生さんが珍しく記者会見中に喘息の発作を起こして激しく何度も咳き込んだのです。

    それを隣に座っていたフェルナンデスが何度も優しく気遣っていて。

    この時、羽生さんとフェルナンデスの間で、バックヤードでどんな会話が交わされていたのか、もちろん私は知りません。

    でも羽生さんはこの時、人の弱みに付け込まないフェルナンデスの優しさに触れて、「この人となら一緒に練習できる」と思ったのではないかな、と。

    日本のフィギュアスケート界は、中京大や山田コーチ門下生を中心とする名古屋勢と、関大カイザークラブ出身者を中心とする関西勢の二大派閥があり、少数派の仙台勢は孤立しが違ったと聞きました。

    羽生さんも、東北高校の先輩に荒川さんや本田武史さんらがいても、同世代の阿部ななみコーチ門下に競い合えるいいライバルがいたわけではなく、一人で練習することが多かったわけでしょう?

    その一方で、プロ転向発言でも「僕は虚弱体質でもあるし」と羽生さんは漏らしている。

    小児喘息の持病があり、よほど体調コントロールに気を付けなければとんでもない結果になりかねない羽生さんは、日本スケート連盟にも実力相応にも大切にされていたとは必ずしも言えば、一歩間違えれば弱みに付け込まれない危険を常に感じていたのではないかと思うのです。

    大手マネージメント会社と契約するのではなく、個人マネージャをと契約し、周囲を身内で固めて活動してきた羽生さんのやり方も、本当に心を許せる人が少なかったからなのではないかとも思われます。

    そんな中で、フェルナンデスは、目の前で羽生さんが喘息の発作を起こして苦しんでいるのを見ても、ライバルを蹴落とそうとするようなところは微塵もなく、普通に気遣ってくれる、もしかしたら「そんな持病があって頑張っているの、凄いね」と言ってくれたかもしれない。

    それは羽生さんにとっても救いだったのではないかな、と。

    平昌オリンピック後、フェルナンデスが「きみたちと戦うのはこれで最後だ」と羽生さんに引退の意向を告げた際、羽生さんは「酷いよ、君がいなければ僕はやって行かれない」と言った。

    プロ転向会見でも羽生さんは「応援してくれる人たちがいなければ僕はやってこられなかった」と言いましたが、ファンの応援や家族の存在以外にも、チームメイトのフェルナンデスとの絶妙な距離関係、相手を蹴落とさず、いい意味で高め合っていける関係が、羽生さんを支えてきたのだと感じました。

    羽生さんはアイスショーもワンマンショーを中心に展開するつもりのようですが、彼はある意味、身近にいる人、一緒に活動して行かれる人を、とりわけ慎重に選ぶ人なのかもしれませんね。