偏った主張になってしまいましたが、『吾妻鏡』が全部ウソ!と言っているわけではありません。
サブリミナル効果のように、さりげなく得宗家の正当性を読者に刷り込む、計算しつくされた記述・構成に思わず感心してしまいました。
▼主な参考文献
日本史研究叢刊44 『吾妻鏡』の合戦叙述と〈歴史〉構築
https://amzn.to/3hNz6gr
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【目次】
0:00 前置き
1:08 承久の乱の通説
6:32 (ここから本題)承久の乱は作り話?
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#鎌倉殿の13人 #考察 #大河ドラマ #日本史 #吾妻鏡
31 Comments
夢か…
これは実朝と陳和卿のエピソードと一緒じゃないですか?www
歴史も現代史も現時点でわかっていることでどうしても組み立てないといけないですもんね
面白かったです
三谷さんの前世は吾妻鏡の作者だったりして😆
”吾妻鏡”以外に、承久の乱を伝える資料がないとは知りませんでした。なかなか目を通すことの難しい”吾妻鏡”の内容を解説して下さり、ありがとうございます。史実の残党狩りの厳しさに全く触れられていないのも、いかにも北条氏びいきですね。泰時が神に守られているという記述は、ドラマでの頼朝と同じですね。黒の着物、とてもお似合いですよ。
承久の乱では坂東武士がちょっと腰砕けになりかかってる時に、京都下りの文官だったはずの大江殿とか三善殿がゴリゴリの主戦論者で都に攻め上るべきですみたいな立場だったのが興味深いですね。
天照大神と政子の場面が大河で描かれたら、漫才やな?😁
「頼朝様の恩は山よりも高く海よりも深い」は、『鎌倉殿の13人』では石橋山の戦いで大庭景親が「平家相国様の恩は〜」に変えて言ってましたね!
僕は『鎌倉殿の13人』がこれから承久の乱に突入するのに一番の疑問というか、「三谷さんはどう描くのだろう?」と思うのが慈円です。
慈円の動画をミスター武士道チャンネルで拝見しましたが、『愚管抄』は承久の乱を止める為に書いたもので、慈円は戦いには反対だったと…、でも今のドラマ内では慈円は後鳥羽上皇にズブズブですから、これから仲違いする未来が見えないんですよね・・・
以前に九条兼実と兄弟で密談してるシーンがあって「頼むぞ、慈円…」みたいに言っていたから、基本朝廷をより良い方向に導こうとするのが、あの兄弟のポリシーなのでしょうか⁉️
それにしては、後鳥羽上皇と義時は似た者同士❤️…と言って煽ったりしてますよね(笑)
トキューサ😂
たしかに、作り話かもしれませんね。しかしながら、
泰時は、大きな器の人だった事は、変わりませんね
トキューサ、吾妻鏡でもイジられる😂
詳しく歴史解説ありがとうございます、承久の乱は作り話は初めて知った、勉強になりました
最終回で
源九郎義経が
大船団を率いて
博多湾に襲来して大円団したら
爆笑 (`=ω=) 間違い無い
たぶんw
素晴らしい動画でした。切り口が鋭過ぎる!
これだから
武士道先生はやめらんねーぜっ😏
トキューサ新築倒壊🤣
承久の乱の残党狩りがきっかけで泰時が出会ったのが、泰時の師となる明恵上人でしたね。今川義元にとっての大原雪斎みたいな黒衣の宰相。
泰時が善政を敷けたのはこの明恵上人の知恵が大きかったようで。
吾妻鏡によると
和田合戦の褒美として、実朝は泰時に陸奥の領地を与えたが、泰時はこれを固辞をしたと
三日後、実朝は訳をきくと
合戦で亡くなった遺族に与えて下さい と
なんたる 聖人君子❗
とりあえず、後鳥羽上皇はクズ中のクズで、
最後は挙兵した武将のトップ2人を「こいつら勝手にやりましたー笑」みたいに見捨てたから…
この話も事実かどうかは分かりませんけどねぇ…
ほんと、カエサルのガリア戦記は客観的に書いてると言いますけど、
歴史において事実を書くということは、本人だけでなく一族も危険にさらされるので、
難しいと思います。勝者のみの特権でしょう…
以下、参考までに…
よみがえる「承久の乱」展ニコニコ内覧会2021
https://youtu.be/LHzbnjCz3FI
(図録は入手困難かも)
ありがとうございます。他のチャンネルを見ていないのでいろいろと勉強になります。
素晴らしい解説!
分からない事があるからこそ歴史って夢がありますね。
九州の南朝で大活躍した菊池武光の御先祖も後鳥羽上皇軍で戦ってるのは感慨深い
本筋からそれる部分で恐縮ですが
「源平合戦時に諏訪大社はどこの勢力に味方していたのか?(丁度、頼朝·義仲·武田の勢力と重なる地域なので)」という疑問も解消出来ました。
ありがとうございます。
(「鎌倉殿」が終わったら「逃げ若」の解説で引き続き鎌倉時代の解説もして欲しいと思いますw)
諏訪明神からの神ってる御家人のエピソードも大河に出てきたらおもろいなぁ
諏訪湖大好き!
吾妻鏡の正しくない点といえば「上皇軍1700に対し幕府軍190000」という件ぐらいでしょうね。
実際は幕府軍はその十分の一くらいしかいなかったようです。
つまり上皇軍があまりにもショボかったせいで楽勝だった、という事でしょう。
承久の乱作り話ではなく大きな脚色があったと言うことですね。吾妻鏡書いたのは三谷さんのご先祖様だったのでは?
南朝の北畠親房は、神皇正統記の中で、泰時を「心ただしく政すなほにして」などと褒めています。天皇親政を願う立場の親房なら、朝廷から権力を奪い取った泰時は憎むべき人物のはずが、正反対です(義時については厳しい評価をしています)。
関東武士だけでなく公家からも評価されていた泰時はやはり優れた人物だったのですね。
NHKの歴史探偵 次回のテーマは「出雲大社」だそうです。
出雲大社には、こんな神話があります。
アマテラスの孫ニニギは地上に降りてきます「天孫降臨」
出雲大社のオオクニヌシに、国をよこせ!と迫り
使者として、タケミカヅチ「鹿島神宮祭神」がやってくると、オオクニヌシはせがれに判断をゆだねる
コトシロヌシ「恵比須神と同一」は同意するが、弟のタケミノカタは闘うと言う
しかし負けて、信州の諏訪まで逃げてきて降参
二度と諏訪から出ないと約束します。
諏訪大社の祭神がタケミノカタですね。
これを見た人は歴史承久者、、、なんて
坂東武者=(鎌倉時代の頭蓋骨=長頭=縄文人と同一)=非大和系=国譲りで抵抗したタケミナカタ神がシンボル=諏訪大神 というわけで全部つながってる。
十三人の解説でお忙しいとは思いますが、いつか逃げ上手の若君の解説もブシドー殿にやってほしいなぁ…作中で語られていたのですが、南北朝期には有名な北畠顕家や護良親王以外にも公家や皇族が実際に武器を持って戦った特異な時代であったとあり関心が深まりました。それこそマジの“戦国”やんけ!って思いましてね笑
和田義盛の孫 和田朝盛は和田合戦で生き残り、上皇方で戦います。
朝盛の嫡男 家盛は佐久間家村の養子となり、名を佐久間家盛と名乗り、幕府方で戦います。
つまり、和田親子は東西に分かれて戦った。
これって、関ヶ原で真田親子が東西に分かれたのと同じですかね?
どちらかが勝って生き残る作戦
宇治川の戦いでは、総大将 泰時は劣勢となり、泰時は息子の 時氏に渡川を命ずると、時氏は家盛ら6騎とともに川を渡ります。
これがうまくいき形勢逆転
戦後 家盛は褒美として、尾張御器所をいただきます。
この御器所がのちの織田信長の宿老 佐久間信盛の根拠地となり、さらに幕末の佐久間象山に続く家系となったそうです。
いつも楽しく見ています。今回の内容をこのタイミングでやる意図がよく分かりません。本来、ドラマで承久の乱が描かれた後にやる内容だったんじゃないか? との感想を持ちました。