女性は東海道より中山道を選ぶことが多い。。
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▼参考にさせて頂いた素敵な資料
・広重《東海道五十三次》は盗作だった? 
https://cardiac.exblog.jp/10142402/
・歌川広重は「東海道五十三次」を旅していないって本当?
https://news.nicovideo.jp/watch/nw1860748
・ゴッホも夢中! 風景の抒情詩人、歌川広重ってどんな人?
https://www.adachi-hanga.com/hokusai/page/know_31
・かんしゃく玉なげカン太郎の東海道五十三次
https://famicon-meisaku.som4.net/tokaido53.html

▼「地理ふしぎ発見【ゆっくり解説】」では、
世界中の地理や地学の不思議、日本の成り立ちを解説する教育系チャンネルです。
コメント欄でみなさんそれぞれの故郷を誇らしく書いてくださっているのをいつも楽しく拝見しております。

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27 Comments

  1. 広重って、幕末に近い画家なのね。
    でも、北斎の成功で、バグったのね。
    どさくさ紛れで、書いた浮世絵なのね。
    でも、浮世絵は海外で大人気になりましたね。
    東海道草津宿にも面影ありますね。

  2. 七里の渡し(宮~桑名)は、現在の陸路交通でも、愛知,三重県境(旧尾張国,旧伊勢国)の重要な区間ですよ.高速道路,一般国道,鉄道が、それぞれ2本ずつ揖斐,長良,木曽川の木曽三川を鉄橋で、通過していますね.(高速道路→東名阪道,伊勢湾岸道.一般国道→国道1号線,国道23号線.鉄道→JR関西本線,近鉄名古屋線.)この木曽三川一帯は、大変な水郷地帯で、1959年の伊勢湾台風では、壊滅的被害になりました.名古屋~桑名の交通機関が、寸断状態になりました.江戸時代の七里の渡しのように、フェリーでの代替交通機関をしていました.でも近鉄名古屋線では、災害復旧工事と平行して線路の改軌工事を実施しました.(JR在来線の軌間である狭軌1067㎜→新幹線の軌間である標準軌1435㎜)名阪直通運転が開始されて、日本では本格的な二階建て車両のビスタカーの名阪ノンストップ特急が、運転開始しました.これは、「災い転じて福となす.」の名言ともに、日本の鉄道史上に残る大事業になりました.

  3. 桑名の少し南にある安永(やすなが)発祥と言われる安永餅がすごい美味しいです。

  4. 7時間で30数キロなんて。。ジョギングペースでフルマラソンに近い距離。やはりある程度体力に自信がないと東海道を半月で歩くなんて出来なかったのではないでしょうか?

  5. 歌重さんが、実際に旅行に行った人たちから見聞きした事を空想で書いた浮世絵という可能性もあるかもしれませんね。
    「俺があそこに行ったときは〇〇が美味しかったわ」とか「あの景色はこんな感じだったぜ~」みたいな

  6. 歌川広重の東海道歩いてないんじゃね?
    疑惑は、ずっと言われてましたよね。
    盗作というより、イメージ映像(銅版)があったので
    そこに命を吹き込んで世の中に出した。
    ってことが重要なんでしょうね。
    浮世絵は、誇張?やイメージ増幅で
    見る人がワクワク、ドキドキするように描いてるので、
    たとえ銅版が見つかっても盗作ってことにはならないんだと思います。

  7. 滋賀県民ですが私が住む栗東市は東海道、中山道が通ります。
    東海道に「和中散」という薬屋屋の家屋が完全に残っておりシーボルトも薬を購入したと伝わってます。

  8. 動画内で説明があるようにかつての東海道は大体、国道1号線に沿うように整備されていたけど、場所によっては少しズレがある。
    それは仕方のないことで、旧道をそのまま利用できれば行政も楽だけど、道幅を拡張したくても沿線の建物所有者等が応じてくれなければどうしようもないので…。

    私の自宅のすぐ近所にも、1号線に並行するように旧東海道があり、街中の道路マップにも明記されていますが、幅員4mあるかないかぐらいのそこら辺の路地と同じような感じで、かつてここに大名行列や人馬が溢れていたかと思うとちょっと不思議な感じですね(^^;

  9. 蒲原宿の雪景色は越後(新潟)にある蒲原の資料と間違えて参考にしたという説がありますね。

  10. 東海道五七次で販売促進してほしかったな
    江戸からなにわ…当時の最先端都市 流行の発信地 下らないの語源 上方

  11. 学生時代に、京都三条大橋から東京日本橋まで自転車で旅したことがあります。(自転車で走るのが難しい所は新しい道を通りましたが)
    滋賀県草津宿から石部、水口、土山辺りの旧道は昔の雰囲気が多く残ってました。

  12. 東海道は桑名~日永追分約20キロを5時間かけて歩いたことがあったけど、街道の雰囲気が残ってて、道幅も家康が定めた3間のまま、ホコテンじゃないのでそこに車が来るとびびる
    日永追分には湧水と鳥居があり、そこから伊勢を遥拝できます

    なお国道1号は、はじめは京が終点ではなく、伊勢内宮前が終点でありました

    関の山、で有名な関宿が東海と関西の境界ですが、どん兵衛もコンビニおむすびも味が変わります

  13. 東海道五十三次は出版社のプロデュース作品なのでしょうか、アニメの背景画家さんも素晴らしい作品を描かれいますね!

  14. 国道1号線の横浜~日本橋は国道15号線、京都~梅田新道(江戸時代は農人橋)は三国街道(山城・河内・摂津を通ってる事から)です。

  15. 実際に東海道歩いてる者です。
    地元が尾張名古屋の宮宿が近いので東西に分けて
    西はゴールの三条大橋、東は掛川宿まで歩きました。
    今のところキツかったのが関宿→水口宿の間はキツかったな。
    鈴鹿峠超えも有り、水口まで鉄道無しでしかも本数少ないで凄い区間でした。
    宮宿→桑名間は佐屋街道を歩きました。
    オマケに現在の東海道は生活道路か1号線になってるかの二択で歩道が無い区間も多いので場所や時間帯によっては車に注意し明るい服装にした方が良いですね。

  16. たとえ元絵があったとしても、アートとしての完成度が違いすぎるよ。ひとめ見て、素人でも分かる。

  17. 自分の出身の袋井宿(静岡県袋井市)は27番目に位置して江戸と京の宿場町中間地点で「東海道53次のどまんなか」と言われてます。

    「たまごふわふわ」は江戸時代の文献に登場した料理で脇本陣で朝食に出されたとされており、全国的に人気のあった料理です。材料は、たまごとだし汁、味付け少々で、「ふわっ」と仕上げた風味豊かな泡のようなふんわりとした食感となりB-1級グルメとして認知度を上げてます。

    遠州三山の法多山(厄除観音、厄除け団子として年末年始は全国各地から訪れ門前町付近の交差点は毎年交通渋滞するくらい人気高く、豊臣秀吉、徳川家康の寄進もあり家紋が刻まれてます。)可睡斎(可睡斎の由来は今川の人質となってた竹千代の教育を受け持ち家康はその時の恩を忘れず、旧交を温めるために等膳和尚を浜松城に招いた。ところが道中の疲れもあり、当時を懐かしむ話をしている最中に、和尚は居眠りを始めて可睡和尚と改め寺院も可睡斎と呼ばれました。1月下旬頃から始まる雛人形や日本では珍しいトイレの神様を祀っています。)油山寺(伝承によれば、701年に行基が創建し、油が湧出した所から「油山寺」の名が付き、749年に孝謙天皇が眼病平癒を願い、当寺の「るりの滝」の水で眼を洗浄したところ、全快したので勅願寺に定めた。以来、特に目の守護、眼病平癒の寺として信仰を集める。また、一山の守護神軍善坊大権現は足腰の神として古来より東海道を往来する旅人の信仰を集めます。)となります。

  18. 藤沢市の辻堂駅前にある「藤沢浮世絵館」と遊行寺入口にある、「ふじさわ宿交流館」には数々の浮世絵展示があり、その中に東海道の様子を描いた絵もあります

    特に遊行寺坂は東海道の通り道…交流館には藤沢宿場町の様子をCG再現したものもあり、コントローラを操作して街中を巡れます。建物内を突っ切ることができるのも、CGならではですw