チンナKと八田知家、良いキャラしてました。
◆関連動画
『源実朝暗殺』公暁の憎悪と事件の原因とは
金槐和歌集から恋の歌を見る
『南都焼き討ち』なぜ清盛は東大寺の大仏を焼いたのか?
■主な参考文献
源実朝「東国の王権」を夢見た将軍 (講談社選書メチエ) https://amzn.to/3daSTUO
源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか (PHP新書) https://amzn.to/3u3Ziqu
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【目次】
0:00 実朝覚醒
1:05 実朝が目指した政治『将軍親裁』
12:10 政子の覚醒と権力の増大
18:01 陳和卿と夢のお告げ
22:54 渡宋計画の真の目的とは?
25:51 まさかの筋肉披露・八田造船
32:10 公暁の帰還
34:22 俺たちは琵琶ちゃんだった
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#鎌倉殿の13人 #泉親衡 #北条義時 #三浦義村 #源実朝 #和田義盛 #日本史 #考察 #大河ドラマ
28 Comments
セクシー八田は年齢はお爺さんと以前の動画で仰ってらしたのを今回の放送で面白くカミングアウトしてましたね。そして八田と義村で謎のセクシー対決!?笑 義村いつの間に脱いでるの!?と録画しておいたその場面巻き戻して二度見しちゃいましたわ😂
八田殿の胸筋は毎回ですが何故か義村まで胸筋披露していましたねw
流罪について「朝廷は殺さない」といった雰囲気でお話されてましたが、中世においては後ろ盾のない人間は秒で略奪されて死ぬので、流刑地に行くまでにたいてい死ぬ(=事実上の死罪)という話が清水克之『喧嘩両成敗の誕生』にありました。鎌倉〜室町時代にかけての武士や民衆のメンタリティがわかるエキサイティングな本でした
三浦義村が服を脱いだのが謎の回でした・・・別に八田知家たちを手伝うわけでもなく・・・
八田知家とのセクシーの張り合い?
質問です!
義時は、「頼朝様は鎌倉を武家の都にしたいとお考えだった」と言っていました。
それが頼朝様の御遺志でもあると。
つまり頼朝は東国国家を目指していたということだと思うのですが、実際の所、史料上から頼朝は東国国家を目指していたと考えられるのでしょうか?
それともドラマ上の設定としてそうしているだけなのでしょうか?
私は権門体制論派なので、頼朝も朝廷を第一に考え、朝廷ありきの鎌倉だったと思っています。
みなさんのお考えもお伺いしたいです。
陳和卿は仏の鋳造の専門家であって造船技術は無い。由利ヶ浜は遠浅で不適。妨害工作しなくても、沈む。
実朝は義時と広元の反対をよく押し切って唐船を建造しましたね。そのような強い実朝の姿も見たかったです。
ただ、時房とトウが夜中にテントに忍び込んで設計図に何やら細工をしたせいで船が動かなくなったというのは子供のいたずらのようで興ざめでした。あんな場面をむりやり入れず、原因を視聴者の想像に任せる方がよかったです。
筋肉凄かったな
毎週大河の後に楽しく拝見しています。流血を嫌う朝廷の中でも、承久の乱を含め後鳥羽上皇自身はかなり武闘派な印象が私はありますね。後鳥羽上皇が下した死罪の例として有名なのは、承元(建永)の法難があります。
上皇の留守中に宮中の女官と念仏僧が密会し、出家までしたために上皇は激怒。当人は死罪、その師匠であった法然や他の弟子数名も流罪となっています。背景に守旧派仏教と法然たち新興の専修念仏衆と宗教上の対立があったためとされていますが「坊さんを殺すことには躊躇わなかったんだ…」とは思いました。
吾妻鏡では承久の乱で義時や広元と鎌倉待機組に入道となった八田殿がいる記録が残ってますが鎌倉殿でもラスト再登場しますかね?八田殿
時政が穏やかに余生を過ごしているシーンが描かれて、珍しく心がほっこりして終わった
実朝が唐船建造を計画した理由について、時代考証の坂井先生は、鎌倉での日宋貿易開始を挙げておられますね。
当時、宋からの輸入品は鎌倉にも入ってきていたが鎌倉へ入港する船はなかったこと、港が浅瀬で船が浮かばなかった失敗を目の前で見た泰時が、後に和賀江島を作って宋との貿易を始めたことなどから、十分説得力のある説だと個人的には思いますが、なぜかドラマでは取り上げられませんでしたね。
次回「 筋 肉 」
政子は亀の前や丹後局など、争った相手から大事なことを教わって成長していくキャラで、ある意味少年漫画の主人公のようですね。40年という長い月日を経て尼将軍として覚醒するのが楽しみです。
「夢のゆくえ」というタイトルはもちろん実朝の渡宋の夢もありますが、義時にとっては兄に託された武士の頂点に立つという夢、政子にとっては心から愛した頼朝の思い、そして夢破れて憑き物がとれた時政など、様々な人物にとっての夢のゆくえが暗示される回だったように思います。
同意見多数ですが、どうして義村は脱いだのか……船を引っ張るのを手伝っていたとするには立ち位置がおかしいし、ノルマ的に脱いだ感がずごいです。
最後の”じゃ見なきゃいいじゃん!”という箇所に大笑いしました!実朝の船建造が、ちゃんとした目的があったとは、初耳でした。聖徳太子に傾倒していたため、法隆寺のような寺院をひらき、王権の象徴である仏舎利を得るためだったのですね!勉強になりました。
丹波局をタンツボと略すのはどうかと笑
丹波局、というか、鈴木京香さんといえば、大好きな三谷作品「王様のレストラン」では三条政子役。
北条政子と三条政子の共演がまた見れて幸せ?でした。
唐船は、由比ヶ浜は遠浅なので、トキューサが手を出さなくても進水できなかったですよね。後に泰時が人工島?湾?作ったように、水深ある所用意しないと。
癒しキャラのトキューサの悪事への加担にショックを受けた後の、時政パパ再登場にホッとさせられた回でした。
八田殿の完全型(上裸)だけじゃなく、ナゾの平六の筋肉を見せつけた場面は、後からジワジワきます。
育王山?医王山?
八田建設 八田警備 八田葬祭 八田木工 八田造船・・・
みなさま(坂東武士)のくらしをつくる 八田グループ
っていう(ローカルでありそう)CMが脳内に浮かぶ
小栗旬と生田斗真の対立観て、花男2の花沢類と織部順平を思い出したわ。つまり、源実朝が、まーきのっ
義村お前も脱がんでええんじゃ笑
30:05 朽ちてゆく船をどんな気持ちで見ていたのか… このような“歌人の視線を追う”という行為は、和歌を味わう上で極めて有効です。その同じ手法を使って「大海の磯もとどろに寄する浪 破れて砕けて裂けて散るかも」の歌を読むとき、つまり、この歌を詠んだ時の実朝は、どんな顔で、どんな表情で、どんな目で、打ち砕かれる波を見ていたのかに思いを至らせるとき、小林の解釈がいかに正確であるかがよく理解できると思います。「沖の小島に浪の寄る見ゆ」にしてもそう。実朝に限りませんが、本物の詩人とは、ある意味で人生そのものが芸術であるような一群の人たちの呼び名です。歌を読むとは、詩を読むとは、文字に書かれた詩作品を通して詩人およびその人生と出会う行為に他なりません。
いつも楽しい解説ありがとうございます😊
現代でも安物の占い師さんが、事前にお客さんのインスタとかFacebookを予習しておいて、過去の出来事や親しい友達の名前を言い当てるという演出をしますねー😅
三谷さんはそこからヒントを得たのかなーと思いました。
八田さんのワクワクしてる感じからの落胆が見てる方としてはすごいダメージでした、、
八田殿に対抗してなのか?義村も筋肉美を披露してて(笑) 時政パパはモテるなぁ~~
世話になった住職の通字「公」と鶴ヶ丘八幡宮別当の定暁さんから一字もらって「公暁」か、なるほど😮
私は一貫して泰時に感情移入できませんが、逆に若い人ほど泰時目線になるのでしょうか?
立場での責任を果たそうとする義時と、正しい事をしたい泰時の対比は
世代観で視点を変えられるあたりは脚本の意図かもしれないなーと思います