「本能寺の変」の直前に、信長に仕えた黒人サムライがいた!?
その名も「弥介(やすけ)」。ハリウッドも彼に注目して映画化
されようとしているが、いったいどんな人物だったのだろうか?
数少ない史料をもとに、ヒデチャが弥介の人物像に迫る。
※本編で紹介したものは、内容によっては諸説あります。
YouTubeに引き続き、note もはじめました。
もっと詳しく、ヒデチャの歴史を知りたい方はこちらをご覧ください。
https://note.com/rekishiyahonpo
出演:ヒデチャ・泉秀樹(いずみひでき)
作家・写真家 昭和18年(1943)静岡県生まれ。 昭和40年(1965)慶應義塾大学卒業。 新聞や雑誌の記者・編集者などを経て作家として独立。 日本文芸家協会会員。 J:COMの番組「泉秀樹の歴史を歩く」の原作・MCを担当。最高視聴率を誇る。
制作:戦国サラリーマン
参考文献:『信長公記』・『家忠日記』
番組中の信長の作画:蓮泥子
番組最後の信長とヒデチャの作画:村上 豊
地図:XINO
ドローン:塩島 薫、Para
18 Comments
信長の柔軟さもすごいですが
光秀も関係ない人をこの国の争いに巻き込んだら可哀そうだっていう仏心から
ひとではないということで許してあげたんかなぁと思ったりします
光秀の言動は、どう見てもヤスケを助けるための方便でしょ。
他の動画もみたけど水戸黄門も黒人の家臣を二人も抱えたそう。
ハリウッド映画の「YASUKE」は気になるけど、チャイナマネーだと日本悪的に描かれるだろうね。
キャストもどこの国の方々になるのやら・・・・ちょっと心配。
弥介が海を越えて故郷に帰るところを観たいですね😃
ヤスケだけ妙な理屈で殺さなかったのはおかしな話
気のたっている戦場で禽獣扱いならそれこそ殺しちゃうだろうに
信長は好奇心旺盛なんだろうな
なんか、九州にもいたらしいですね。
光秀が、人にあらずとして、逃がしてくれたようですね。
徳川家康も外国人を側近に加えています。名はウィリアムス・アダムス。三浦安針という名前を与え、武士の身分に取り立てて屋敷まで与えています。しかし、家康が亡くなり秀忠が二代将軍になると彼の活躍の場は次第に少なくなり、失意のうちに亡くなっています。
因みに、彼の部下のヤン・ヨーステンは東京駅八重洲口の由来にその名を残しています。
弥助のその後は不明だが。奴隷にされる事がわかっていながら宣教師のもとに戻るとも思えないし
どこかで野垂れ死にでもしていないのなら
記録には本能寺の変のあとで、九州で兵士として雇われていた黒人の記録もあるし。これが弥助だった可能性はあるな
主演のチャドウィック・ボーズマンお亡くなりになりましたね
弥助が信長を介錯したのでは!?信長の孫の秀信の子孫の西山氏が信長デスマスクを所持されています。当時の西洋人に描かれた信長の顔とまったく同じです。西山氏は「黒人が本能寺の変のあと岐阜の寺に信長の頭部を持ち込み、デスマスクをつくらせた」ことを語り継がれています。https://historivia.com/oda-nobunaga/303/
十人力なんですね。
古文献の詳しい解説ありがとうございます。奴隷・従者なんかじゃなくて「家臣」というのが素晴らしいですね。知性・人間性を評価したという事でしょう。本能寺以後の人生が気になります。
しんちょうこうき、では。
いいね〜
譲られたって事は奴隷だったんでしょう。
まだ日本語は解らなかったと思うけど、ずっと強制労働で逆らったら酷い目に合う生活から自分の為の使用人の居る家や身分を与えられたのは解ったと思う。
信長を守って戦ったそうだけど、生活の為は有ったと思うけどそれで死んだら割に合わないから信長の事を悪くは思ってなかったんだと思う。
弥助とイエズス会、光秀がつながっていて、信長暗殺につながっているのかなとも思ってしましました