平安時代― 長田親子に父義朝の首をとられた源頼朝の復讐劇。
頼朝はまず長田親子を一度味方につけ平家を滅亡させ源氏の復興を成し遂げると、次の瞬間、てのひらを返し復讐に出た。
頼朝は、長田親子を父・義朝の墓の前に連れて行って「土八付」の刑にする。
地に仰向けに寝かせた状態で、彼らの両手足を大釘で打ち付けるや、体を大の字で固定。
許しを願う父子を無視し、なんと刀でゆっくりと彼らの体の皮膚を切り裂いていったのだ。
顔の皮も念入りに刃先で丁寧に削ぎ落とす。それを死なない程度に、何度も、何度も繰り返したのだ。
全身の皮を削ぎ落すと数日後…長田父子は苦しみながら息を引き取った。
これが父頼朝がやった父の敵討ち―
卑怯なやり方で父の命を奪われた息子の渾身の報復劇である。
#源頼朝#長田忠致#土八付#源義朝#平清盛#平安時代
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33 Comments
戦は、勝ち負けは、しょうがないしかし、騙し討ちをした報いがある。
皮肉にも、源氏が建てた幕府は源氏によって滅ぼされる
頼朝ってこれ以外にもクズなんよなあ
やり方が生きたメキシコなんよ
功をいさお、壱岐守をさんぎのかみ、読み方おかしくないですか?
「父子」…フシなんだろうけど、普通「おやこ」って読替えない?
頼朝は別としても、命令された家臣はその後、肉とか食えたんだろうか・・・。
こんな怖い頼朝なんて知らない
鎌倉殿の13人でもやるかな
源頼朝「貴様ら親子に、本当の終焉を見せてやろう!!」
ローマ帝国より残酷…
いまでも義朝のお墓には板きれやらが積まれて供養にくる人が後をたたないそうで
棒きれで賊を退けられる強さが義朝にはあったようで その話を聞いてから自分は行動は慎重であっても動き出したら早めに行動する癖がついている
日本にもあったんだ、稜遅刑が
身の終わり
をな。。。
最高。
鎌倉殿の13人ではどう描かれるか
さんぎのかみて
ひどい犯罪には今でもこれやった方がいいと思う。これやれば死刑になりたかったとか言うやつはいなくなる
頼朝に限らず、歴史上の人物はギャグ線が高いw
みんな長田父子が卑怯だからああだこうだ言ってるけどそもそも戦に卑怯も何もないと思う。どんな手を使ったとしても自分の家の繁栄を最優先に考える。それこそが武家本来のあり方であってそこに善悪を持ってくる奴は少々ズレてるんじゃないかな?
頼朝は信長以上に残虐だと思う、兄弟殺しに武将の暗殺も容赦なし
短命だったのも殺した人たちに祟られたんだと思う。
さんぎ?いきではないでしょうか?
中国で20世紀初頭まで行われていた凌遅刑に似てますね
至極当然な報いですね。
東勝寺の鎌倉北条氏全滅もまた然りです。
俺も頼朝だったら憎しみが情より勝ってこうしてしまうかも
長田父子、鎌倉殿の13人でもうすぐ出て来そう
この、エピソードが鎌倉殿の13人で描かれるだろうか(゜〇゜;)?????
愛知県東海市の源氏家来の末裔ダゼ!長田の末裔が、東海市に住んでるぜ!倒してやるぜ♥冗談♥知り合いだから出来る訳ないだろ
戦に敗れた自分の父親を騙し討ちにして殺害した上に、その首を敵将の平清盛に届けて褒美をもらっていた。しかしその内容に不満を覚えて抗議するも報復されそうになり、尾張に逃げ帰った。その数十年後いざ頼朝が兵を挙げると掌を返したように平家から源氏に味方になり始めた。頼朝は内心の激しい怒りを堪えつつも悲願達成までは褒美の土地を餌にして親子共々味方とすることにし、そしていざ悲願達成すると父の報復として二人揃って処刑した。
キモすぎて無理
中国史?… 凌遅刑
源頼朝かっこいいな、子が父の仇を討つのは当然のことだ
頼朝の死因はスーパー女傑の政子さんに搾り取られての腹上死と、友達と結論づけてた笑
正直言って身内にすら義経だけではなく自分に健気に尽くした範頼などにも
疑心暗鬼で非情極まりないな扱いをしましたので長田親子を誅殺したのも
義朝への孝行心や親子(身内)の情とかが動機とはいささか疑問があります。
義朝の仇討ちとは用済みの長田親子を排除する為のただの方便で長田親子に
利用価値があれば仇討ちそっちのけで違った判断をした可能性も否定出来ませんし。
PS:長田親子の血筋の子孫が仕えた家康が身内すら冷遇した
頼朝を反面教師としたのは妙な因縁を感じます。