東日本大震災から11日で10年、各地で追悼の祈りが捧げられました。宮城県・気仙沼市から報告です。

 (渡辺宜嗣アナウンサー報告)
 東日本大震災は巨大地震、大津波、そして福島第一原発の爆発事故「メルトダウン」と、これらが複合的に絡み合った日本がこれまで経験したことのない大災害でした。

 特に津波に関して申し上げると今、私がいるのは宮城県の気仙沼港です。この気仙沼の港から湾につながっていって、そして太平洋につながっていくわけですが、普段は穏やかな太平洋が豊富な海の資源をもたらしてくれる太平洋ですが、この東北地方の太平洋沿岸部は歴史的に見ても繰り返し津波の被害を受けてきた地域です。

 古くは明治時代の半ばですが、明治三陸地震に伴う大津波。そして、昭和の初期に起きた昭和三陸地震に伴う大津波。いずれも大被害をもたらしました。

 さらに昭和の時代には1960年。これは南米チリで発生した大地震による津波が太平洋を越えて22時間後に三陸沿岸に到達して甚大な被害をもたらしました。

 そして、この平成の時代の2011年3月11日となるわけですが、こう考えると明治以降30年から50年に一度、この地域に繰り返し大津波がやってきているということが分かります。

 年配の人のなかには人生2度目の津波だったとお話になる人もいます。

 11日も黙祷(もくとう)を行って犠牲になった人に祈りを捧げた地震発生時刻の午後2時46分から第1波の大津波がやってくるまでの場所によって違いはありますが、30分から40分、この間にどういう行動を取るかが本当に大事なんだということを今回、改めて取材をしていて痛感しています。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

4 Comments

  1. 当時は旧民主党政権だったが、菅や枝野は何も救助の指示は出さなかったという。

  2. 人が住んではいけない場所。映像を教訓に記憶を無くさないようにしなくてはならない。皆んな忘れて住み始める。