今日の話題は
権力に取り憑かれた鎌倉殿13人衆 悲惨な末路5選 をお伝えします。
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#日本史の謎 #歴史
6 Comments
頼朝がもう10年長く生きていたら、この権力闘争の構図がかなり変わっていたかも
大河見てるから殺しあい見るのはつらい。でも新時代のはじめは多くの血が流れるものなんだよなあ。
江戸幕府が長く続いた理由の一つは、家康が長生きした事も関係あるでしょうね。頼朝も、もう少し精度がしっかりするまで長生きしてたら、歴史が変わってたかも。
250年続いた徳川政権とたった3代で北条に実権を奪われた鎌倉幕府の違いは征夷大将軍といえども13人衆のただの盟主だったということでしょうか。北条時政を始めとする13人衆は自分が実権を握っても不思議はないと思っていて主君にたいする忠義とかいうものとは実は無縁だったんじゃないかな。
頼朝や武田晴信が跡継ぎ問題で失敗しているのは、生前相続していなかったのが原因と思う。
徳川家康は存命中に二代秀忠に家督や職を譲って自分は大御所として、秀忠を裏で補佐しながら徐々に内外に秀忠の権力や権威を知らしめ権力基盤を整わせている。
頼朝も晴信も突然亡くなって、その子息が家督を相続している訳で、まだ先代の威光も色濃く残っている中では後を継いだ者が権威権力や求心力が足りなかったのは当たり前の話しではある。
権力を手にすると人は、自分中心になり、恐ろしい事をしてしまう‥
動画を観て、多分、そうなんだと思いました。
今も、変わっておりませんから‥