「菊作り 菊見るときは かげのひと」という旬がありますが、菊を作るまでの苦労と眺める時の楽しみは正に反比例といってよいほどのものだといいます。中山義秀氏の出世作「厚もの咲き」はこのような菊づくりの苦心を描いた傑作だと思います。私自身に菊づくりの経験はまったくありませんが、幼時に祖父が朝顔をつくるのを毎年眺めたものでした。夏の朝眺める朝顔のため、冬のうちから堆肥づくりをしなければなりません。趣味のないものにとっては、何のための苦労なのだろうかとしか思えないのですが、苦労あればこその喜びなのでしょうか。
咲き上った朝顔を雄蕊雌蕊のところから丸く切り取り、直径何寸何分と品評会に出して喜んでいたことを子供心によく憶えています。 菊づくりは朝顔以上だといいます。だからこそ冒頭の旬も出来たのでしょう。朝顔の日というのは聞いたことはありませんが、九月九日は「菊の節句」であり「菊の日」です。中国式には「重陽節」といい同じにこれを祝います。菊は音でも訓でも「きく」というように、日本本来の花ではなく、中国伝来の花です。中国では国花は牡丹ですが、菊の尊ばれ喜ばれることは牡丹以上です。しかし、日本では菊が尊重されることは中国とは比較にならないほどです。何しろ皇室の御紋になったほどですから。江戸時代ではもちろん葵の紋が第一で無断でこの紋付を着用した浪人が、八代将軍の時死罪にあったそうですが、菊の紋は高家の大澤家をはじめいくらもあったといいます。菊や葵も格式の上で使われるだけでなく、夏・秋それぞれの季節に眺められ仏の前に供えられるのが、もっともふさわしいのでしょう。

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