似たような区間を走る、JR東日本の幹線級路線「東海道線」と「横須賀線」。
この2路線、実際にはどのような違いがあるのでしょうか?
歴史などを交えて、解説していきます。
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25 Comments
東京〜横浜を含む通学定期を持っているのですが、品川〜鶴見は東海道線も横須賀線も使えるので、普段は東海道線を使いつつ、急ぎでなく混雑を回避したいときや、大学の課題を仕上げたり食事をしたりするためにグリーン車に乗りたいときは、少し時間がかかる横須賀線に乗りますね。まあ、土曜は時間によっては東海道線待つより横須賀線乗ったほうが早い時もありますが。
地下ホームはマジで遠い…。東海道線のホームから移動するのつらすぎる…。
横須賀線が東海道線の線路を走っていた時代をリアルタイムで知っています。その時代、地元には横須賀線しか停車しませんでした。さらに東京~大船は東海道線、横須賀線は同じ線路を走っていたためにスピードを出せず、この区間まではかなり時間がかかりましたし、並走する京浜東北線など、停車駅が多いにも関わらず、横を次々と追い抜く姿も見られました…
現在の東海道線は10+5だけど、113系の頃は11+4だった。
大変いい動画でした。ただ東海道線と横須賀線の分離は一般的にSM分離です。逆です。おそらくSMがよからぬものを想像させることをお気を使われたと思いますがただしくはSMです
湘南色のE217系をオープニングに持ってくるところに、激しくセンスを感じる。
昭和の感覚って今の人には解らないかもなので、一応書いておきます。
判り易く言うなら横須賀線には近郊型車両しか投入されませんよね。
東海道線は本来は「東海道本線」です。
何々本線というのは国の背骨、脊髄たる「幹線」です。
(「新幹線」は新時代を担ってこれに替わるもの)
東海道本線と横須賀線だと幹線と首都圏のローカル線という扱いで、
明らかな違いがあります。
・・・でも中央本線と中央線だと何だか首都圏ローカルの中央線の方が偉そうな感じ?
・・・東北本線と京浜東北だとその辺ビミョーな感じ?
つまり首都圏のローカルは国の脳幹たる首都を走るローカル線なので、
背骨、脊髄である幹線の存在感を脅かす存在足り得た訳です。
(ちなみに101系103系による四色の電車は今でいう略
それでいうと総武本線は幹線というよりは関東のローカル線、
更には総武線は緩行線とか呼ばれて都心を走る電車としては最下層扱い?)
*個人の意見です
京浜東北根岸線も必要性が高い。
上野東京ラインでは常磐線快速は交流区間があるため直通運転してません!
交直流電車です。
東北高崎方面は直流電化なので同じ車両を使ってますよ!
東海道線に電車投入の際、🚂機関車牽引列車と区別するた為Mを附した。
横須賀線横浜駅ホームは、
昔はホームが設置されてなくて
貨物列車が通過していました。
東海道新幹線は東京〜新大阪間の路線だから、JR東日本やJR東海管内の人たちは東海道線も東京〜大阪間の路線だと勘違いしてる人が一定数いそう
東海道本線は大船駅まで特定運賃区間なのに対して、横須賀線は久里浜駅まで特定運賃区間ですね。
横須賀線の端 久里浜駅をたまに利用してます。
京急をメインに使い横浜で横須賀線や東海道線に乗り継ぐこともあります。
以前、川崎で南武線を利用するつもりで移動している際、焦りから誤って横浜での乗り換えで、東海道線(上野東京ライン)ではなく、横須賀線に乗ってしまい扉がしまってから「新川崎向かってるじゃん」と失敗したことがあります。
東海道線の湘南色でも湘南新宿ラインは横須賀線と同じく武蔵小杉とか走ってますよね。
東海道線(湘南色)で、上野東京ラインと、湘南新宿ラインの二種類あるんですが、横須賀線内(逗子、大船等)で湘南色目にしてるせいか、焦りなどで思考低下すると少々混乱するところがあるんですよね。
そういえば今、相鉄線も乗り入れているJR武蔵小杉駅(横須賀線(3,4番線))で、1面2線で1つのプラットホームで上下線賄っていたのが、横浜方面専用にプラットホームを設け2面2線化、(横浜駅での京急線で品川方面のプラットホームの片面が後から塞いだかのように)今のプラットホームの横浜方面側線路を挟んだ向かいに新たにプラットホームを設け、今のプラットホームの片面を塞ぐそうだ。
宇都宮線からの湘南新宿ライン東海道線直通は何故ないんでしょう?高崎線は、あるのに・・・。
横須賀線が東海道線と線路共有し、東京から横浜までは全く変わらずに、つまり新橋、品川、川崎に停車するように運転されていたことにも、触れてほしかったですね。また、戸塚には東海道線は停車せず横浜の次は大船でした。
最近の、、と言うより現代の人々は鉄道の歴史を考察するときに通勤通学を考えるようですが、しかし昔の鉄道は通勤通学に使う人はごくごく少なかったのです。
昔の人たちの通勤通学は、徒歩や自転車で通えるところに住み移っていました。
鉄道を使う目的の最初は物流。そしてその次に旅行、観光で一般が使うようになったのです。
鉄道運賃は庶民には高額だったからです。現代に例えると飛行機や新幹線で通うような感覚です。
昭和時代の高度成長期に通勤列車が最盛期を迎えます。その頃は「国電で通勤」とその手段を言葉にしていました。
速度がそんなに速くはなかったので今より狭い範囲です。現代の鉄道で30分くらいの範囲が精々でしたから東京都心からなら横浜くらいの距離です。それでも通勤にかかる時間は1時間。
1時間と言う通勤所要時間は長くて普通じゃないと思われていました。
ですから鉄道の歴史を考察する場合、通勤通学を意識する必要があるのは昭和40年以降です。
横須賀線の品川〜横浜間は正式名称は東海道貨物線支線です、東京〜大船間は東海道線の
線路を走っていましたが輸送増強の為に貨物線を旅客線にしたのです。
新暦切り替えが決まった時期、旧暦の時刻は第〇字と表記をしていたようです。
神奈川県が東京都の補助的な役割なのがわかります。悪い意味じゃないけど。
東京都と神奈川県が一体となって、日本の中枢を担ってるんであって、東海道線と横須賀線がそれをうまく表現してる気がします。
やっとわかってきた。
ありがと〜
明治政府は旧暦から新暦への切り替えで給与2か月分浮かしてましたね。
まず走っている区間が違うからな 東海道線 川崎経由 横須賀線 武蔵小杉及び品鶴線経由
1980年10月以前は大船~東京間は横須賀線電車は現在の東海道線の線路を走っていました。東戸塚は分離後の開業、当時は東海道線の電車は戸塚・保土ヶ谷、更に朝の上りは川崎を通過していました。東京駅では横須賀線電車は専用のホーム(9・10番線)で折り返していました。空いている施設(品鶴線)の有効活用という事情があったかもしれませんが、品川~鶴見間を東海道線・京浜東北線の直下に地下別線を建設(多摩川はくぐり、鶴見川は鉄橋となりますが)、川崎に横須賀線の地下駅を設置が望ましかった様に思えます。実際分離後少し経った当時の新聞記事の中に、保土ヶ谷~川崎間の利用客から「乗り換えになり不便になった」がありました。
横須賀線が揺れる理由が元貨物線であることを追求して欲しかった、次回お願いします。
東海道線は立って新聞を読めますが、横須賀線は困難な場所が多い。