#尾崎豊#関係#浜田省吾

25 Comments

  1. 自分が仕事してるときカウンターにいた女性がたまたま行った居酒屋で尾崎豊さんと会ったそうですね!そこ度浜田省吾さんのうたを歌ってるのを見たそうです

  2. とても興味深いエピソード有り難う御座います❗

    ボクも『風を感じて』、初期の『悲しみは雪のように』あたりからファンです。

    書籍やインタビュー記事、ラジオなど欠かさずチェックしていましたが、この事は知りませんでした。
    何せメディアに出ませんからね
    (笑)

    FMステーションのインタビューだったかな?
    尾崎豊について訊かれ
    『同じ事務所なので売れて欲しいと思うけど、周囲からの扱われ方が心配。僕の場合は方っておかれたから…。』って言っていましたね。

    心配通りになってしまいましたが…

    尾崎豊、渋谷陽一、桑田佳祐など色々エピソードがありますが半分都市伝説みたいになっているモノもあるので確かな情報は有難いです。
    今後も楽しみにしております_(..)_

  3. 浜省のファンですが、尾崎豊さんと浜省の若い頃の大人に対する気持ちが似てるところがあると感じて歌を聴いてました。
    尾崎豊さんは亡くなってから歌が何度もブラウン管から流れその存在を知りました、貴重なエピソード聞けてよかったです、
    歌は永遠歌い継がれる名曲になりましたね。😃

  4. 心理論を語ってはいけないと思うのですが、尾崎は「境界性パーソナリティー障害」だったのでは?との書籍を見ました(磯部 潮 著)。正しくそうなのかなと。難しいとは思うのですが、両親が居たのですが、幼少期から本当の尾崎の心理を理解してあげられる精神的に成熟したおとな、特に母親が重要なのですが、対象となる「母性」が居なかったのか。両親も共働きだったので。
    私も母親が幼少期から母親がおらず、父親も幼少期になくなり、兄妹で生活していたのですが、兄妹とも対人関係が苦手な所が共通しているところがありました(他人に心を開かないとか)。いつもイライラし、物凄い焦燥感と焦燥感を抱えていたました。成人する頃、加藤諦三先生の書物に出会い、「(不安)神経症」の症状に酷似しており、尾崎もそうだったのかなと感じた覚えがあります。尾崎の脆く鋭い感性が一瞬の輝きを見せ、この時代に、短期間に普遍的な作品群を残したのだとも思います。

  5. 日比谷野音のアトミックカフェに行った。
    当然浜田省吾を目当てに行った。
    尾崎の飛び降りも間近で見たし、飛び入りで出てきたARBを初めて知ったのもこのライブ。
    その後、浜田省吾、ARB、尾崎豊のライブに何度も行ったけど奇しくもこの動画で浜田省吾のコメントがあったけど長くそして一番楽しめたのは浜田省吾だった。
    尾崎のライブは尾崎は全く悪くないけどライブに来ていたファンが新興宗教の信者みたいで気持ち悪すぎてついて行けなくなった。
    CDも十代の3作は買ったがそれ以降は買わなかった。
    ARBは白浜久が入って武道館とかでやるようになってから魅力が薄れた。
    やっぱ浜田省吾が一番自然体で聞けるしライブに来ている人たちも尾崎のライブに来ている信者みたいじゃなくて純粋に浜田省吾を聞きに来ている普通の人たちでライブそのものが心地よい。
    長渕剛や矢沢永吉も好きだけど尾崎同様ファンが気持ち悪い。

  6. 『あ〜そうだよ。
    この曲は君の事を歌っているんだよ。』
    このような時にこのような言葉を発することができるのが浜田省吾さんが浜田省吾さんたる所以だと思う。

  7. 天才って常人には考えられない様な精神的な負荷が掛かっているのかなぁ〜

  8. 浜田省吾さんは広島で育ち父親は被爆者。核兵器戦争反対差別反対という思いがあり尾崎豊さんの父親も防衛省職員で反戦反核と言った共通の認識がお互い有ったのかも。

  9. 浜田省吾と尾崎豊を関連付けるのはどうかと思う。
    浜田省吾は浜田省吾、尾崎豊は尾崎豊、別々の人生を歩んでます。
    二人のファンは関連付けたいとの思いも分からなくはないですけどね。
    浜田さんには今でも楽曲を作って歌ってライブ参加させて頂いてます。
    尾崎さんは何度かライブに参加できた思い出を嚙み締めたいなと。

  10. 浜省は時を選ばずに聞けるけど、自分が社会人になると尾崎の曲には、純粋さと同時に未熟さを痛感するようになる。残念ながら、みんなが“僕が僕であるために”生きてたら社会は成立しないから。それでも“永遠の胸”を聞くと、今でも涙が出るんだけどね。

  11. 自分は尾崎豊のフアン歴38年浜田省吾のフアン歴30年やってますが尾崎は生前こう言うてた「いつか浜田省吾さんと佐野元春さんと3人でプロデューサーになる事が僕の夢」だと語ってました。

  12. 浜田省吾という偉人は人を大切に思いやり日夜、その魂を燃やしている人。そんな炎に温もりや時には暑さを受けながら、皆、明日への勇気に変えているんだよね。
    浜田省吾は浜田省吾であり、誰が似ている。誰が同じ思想。ではないのではないかな。浜田省吾は浜田省吾が由来であり、始まりだしね。
    よく、今が苦しくて今を捨てる者が後を絶たないね。生きることは苦悩の応酬で楽じゃない。だからこそ戦いながら生きるんだと云ってるんだよねぇ。浜田省吾の奏でる音楽ってさ😃

    ファンではない私がそう感じる。

  13. 拘置所の中で一緒になった人が浜田省吾のファンだったので、片思いを歌ってあげたという話を聞いた事あります。

  14. 浜省も私の年代だったので、よく聞きました。今でも聴きますね。
    私は尾崎が大好きです。これからもずっと大好きです。

  15. 小山卓治『花を育てたことがあるかい』収録の『孤独のゲーム』に ♪君は俺を卒業して ついでに自分からも卒業するんだろ♪ という歌詞がある。音楽雑誌のインタビューだったか曖昧だが、尾崎豊のことを歌ったと答えておられた。
    同『成長(Growth)』には浜田省吾,町支寛二がコーラスで参加。プロデューサー須藤晃は三者(浜田,小山,尾崎)共通。

  16. 町支寛二さんの名前が出てきませんでしたね。この二人と言えば、町支さんだと思います。

  17. 正直全く共感できる部分がない人間だった。甘ったれ、ワガママ、お坊ちゃま。自分がどれほど恵まれてるかも考えず不満ばかりぶちまける。たまたまそれが「若者の代弁者」などともてはやされてしまったがためにただの勘違い野郎として育ってしまった。少しくらい苦労した方がよかったかもしれない。あまりにもあっさり売れ過ぎたことが彼の不幸でもあった。彼を天才と称する向きもあるが俺はそうは思わない。メロディーはもうすでに古くなり始めてた「オールドロックンロール」そのものだし、歌詞は時代に合ってた部分はあるが改めて聞き返すとやっぱり浜省の影響受けまくりの「路上」とか「自由」とか「孤独」とか、ちょっと使い古された感のある言葉のオンパレード。あとはとにかく「社会への不満」(笑)。「大人が悪い」って言っとけば若い奴にはウケるよねって言う程度。それが大人になれば厳しくなってくるのは誰でもそう。本当の才能とはそこから抜け出せるようなものを言うのかもしれない。その意味で浜省は抜け出した。彼もパクリだなんだと言われた時期はあるがその後しっかり自分の音楽を確立しビッグアーティストへ成長していった。しかし尾崎は抜け出せなかった。そこまで才能がない人が初めにもてはやされると不幸になる典型のように思える。尾崎ファンの方には少々言い方がキツかったかもしれないが、あくまで個人の意見として「そういう見方もあるんだ」くらいに受け取ってもらえればありがたい。

  18. 尾崎豊が他界して30年になりましたがこの時の浜田省吾はシングル「悲しみは雪のように」、アルバム「愛の世代のために」がめちゃくちゃヒットした中、父親が他界したこともあって1992年はライブ活動してないんだよね。

  19. 浜省ファン尾崎ファン被るよな。尾崎自身浜省ファンだったみたいだから意識してる感じはあるけど似て非なるもの

  20. 3:51 須藤さんはオーディションには立ち会っていないはずです。
    当時村下孝蔵さんなども担当していたこともあり
    「今度の新人はフォークっぽいからお前がやれ」と上から言われたそうです。

  21. 尾崎豊がオーディションで唄った曲『ダンスホール』が彼の曲の中で一番好きです☝️ 普通の17歳の感性じゃない。聴いて見て下さい。

  22. 尾崎豊は覚醒剤で捕まって後、何処の事務所にも相手にされなかったそうですが、彼の才能を知る浜田省吾さんはロード&スカイに迎えた。そして、個人事務所を設立したいと云う彼に浜田さんは、『事務所を設立するなら自分が社長にはならない方が良いよ。なると、ミュージシャンは曲が書けなくなるから』とアドバイスしたらしい。しかし、彼は社長となり、様々な事に翻弄されたのか❔、結局はあのような事になってしまった😭