発生から50年以上経ち記憶して見える方も少ないでしょう。 新潟地震後のコンビナート火災の記録です。
映像最後のコメント
 地震がもし大地の変動と火災のみに留まっていたら、新潟はかくも致命的な被害は被らなかったに違いない。そしてもしも火災や水害さえ起こさずに済んでいたら、新潟はもっと早く自力で立ち上がっていたであろう。
しかも火災や水害は元を正せば 人がその原因を作っていたのだ。 言い換えれば新潟は自己の安全確保の 限界を超えて発展していたのである。あるいは災害が新潟の近代化工業化の弱点を突いたと言うべきかも知れない。
いずれにしても一週間に及ぶ火と水との苦しい戦いは、都市の急速な発展がブレーキの無い自動車の暴走にも似た恐ろしい状態を招くことをまざまざと見せ付けるもので有った。今度の災害の教訓を そこに学び取るので無ければ今日の新潟は明日の我が身 になるであろう。
 
						
			
2 Comments
この時代から東京消防庁は応援に行ってたってんですね。
(2021年6月11日投稿)
1964年(昭和39年)の新潟地震は、こんにちある『地震保険』創設のきっかけになった、とされている地震でもあります。ちょうど、第19回新潟国体(春季・秋季同時開催)が6月6日~6月11日の期間で開催されており、この国体が終わった直後の地震でもありました。この地震の影響を受け、新潟国体夏季大会は、中止となっています。同年秋には、1964年東京五輪の開催が予定されており、そのため、新潟国体秋季大会は、春・秋同時開催されたものでした(『1964新潟国体』・『1964新潟地震』で検索)。