<動画について>
今回は、中日ドラゴンズ1990~92シーズンについて語ります!
1990年シーズン成績の振り返り、一見すると好成績(本塁打34・打点102・出塁率416の3部門でタイトル獲得)も本人からすれば「3つ(本塁打・打点・打率)とらないと満足しない」の一言、落合博満の成績(数字)とタイトルの考え方、高木監督とのエピソード、宇野勝さんと長嶋清幸さんのトレードについて、星野監督から高木監督に代わり変わったことは?1990年オフの日本人初となる年俸調停、当時の伊藤代表との合意の下で進んだ年俸調停、後にその伊藤代表が落合監督就任を推薦した話などなど、お楽しみください!
次回予告、巨人FA!居心地はよかった中日ドラゴンズ?

🔥チャンネル登録&グッドボタンよろしくお願いします!
🔥コメントもお待ちしてます!
🔥コメントは落合博満本人も見ていますので、どしどし!

【落合博満プロフィール】
■プロ野球選手OB・野球解説者
■出身地:秋田県南秋田郡若美(現・男鹿市)
■出生年:1953年生まれ
■主なタイトル:史上最年少三冠王獲得(82年)、史上初3度の三冠王(86年)、正力松太郎賞(07年)野球殿堂入り(11年)
■所属球団:ロッテオリオンズ(79~86)、中日ドラゴンズ(87~93年)、読売ジャイアンツ(94~96年)、日本ハムファイターズ(97~98年)
■監督:中日ドラゴンズ(04~11)

#落合博満 #オレ流 #プロ野球選手 #三冠王 #大野豊 #久米宏

▶️Twitter

写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
協力:ミズノ株式会社

【ご注意】
このチャンネルの動画の無断転載・無断切り抜き等は固くお断りしています。そのような事実を発見した場合には、警告の上、悪質な場合には、法的措置をとる場合があります。切り抜きチャンネルをご希望の方は、お問い合わせください。

20 Comments

  1. 90年は途中まで3冠狙える成績をキープしてたのに大スランプに陥って打率がどんどん落ちていったのが印象に残ってる

  2. スイッチが入ったときの落合さんの達弁は面白いですね。
    1時間半話し続けたという調停の現場を見てみたかったです。

  3. 審判が「森田じゃ勝てねえぞ!」って言ってくれるってすげえなw
    言ってもらえる選手ってそうはいないぞw

  4. 私が人間として本物と言える人物は
    落合博満さん、野村克也さん、
    杉山清貴さんだけ。

  5. 落合さんの話はもちろんおもしろくて貴重なんだけど、質問してるスタッフの問答のセンスが良いな~

  6. ニュースステーションで「これだけ税金ですよ」って言ってごっそり札束を分けたのは今でも覚えてます。中学生くらいでしたが「こんなに税金?!」とびっくりしました。

  7. 調停した当時の伊藤代表が監督に推薦したんですね!初めて聞いたエピソードですわ。これはホントに何かの縁ですね。

  8. ドラゴンズファンとしたら、FAで去っていったのは寂しかったですが、その後、監督として復帰され、選手時代よりも貢献されたので、それはそれでありかな、と思えるようになりました。

  9. 今回と言い前回と言い、再生回数が伸びないのはおかしいな。誰もが当時知りたかったことですよね。

  10. 野球の話大変勉強になります。ありがとうございます。ご家族の皆さまとの会話も愛情に溢れていると感じます。もう一度、落合さんの野球、ユニホーム姿を見せてみたいな。

  11. ロッテ〜中日の頃の全盛期の頃がもし現代だったら、年俸幾ら貰ってるんだろう?w
    税金がバリえぐいだろうけど。

  12. 当時の落合さんのホントの話を信子さんを混じえて聞けるの嬉しいです。
    何が嬉しいってレジェンドにも裏には人間味溢れる話がてんこ盛りだったってこと。
    星野さんの話はとても興味深かった。

  13. こういう話が記録として残ってくれてうれしいし、聞いてて楽しくなるのはなんなんでしょうね。

  14. 守道は引退試合で退場っていう前代未聞のパフォーマンスでしたね。審判の顔を鷲掴みにして。感情が前にでる監督はあきませんね。

  15. 年俸調停と監督推薦が結びつくなんて・・・事実は小説より奇なりとはこの事ですね

Exit mobile version