過去と未来へ届くように、本に記憶を保存する

――今回、中島ヨシキさんの寄稿が収録されています。最初に文章を読んだ時の感想も教えてください。

斉藤:はい。まず、なぜこういう形になったかといいますと、当時の担当編集さんが立案した企画がきっかけでした。二人とも同じ媒体(KIKI by VOICE Newtype)で連載をしていたんですが、その周年イベントで僕とヨシキ君が生配信をするということになり、その生配信の特別企画として、「お互いについてエッセイを書いてほしい」と言われまして。僕が「中島ヨシキという男」を、ヨシキ君が「斉藤壮馬という人」文章を書きました。またそのイベント内で、オーダーがあり、同じテーマ(第2幕「贅沢と浪漫」)で書くことになったんです。

同じ媒体で連載をしている人が、お互いについてエッセイを書き合い、しかもそれをその場で朗読するっていう…声優ならではの、ちょっと特殊な企画でしたね。

ヨシキ君とは、本当に公私ともにかなり長く深い付き合いなんですけど、彼こそまさにユニークなものの見方を持っている人だと思って。だから、どんなエッセイを彼が書いてくれるんだろうと思ったんですけど、もちろんユニークな視点もありつつ、どちらかというと、彼のもう一つの素敵な部分でもある誠実さを感じて、人のことを優しく丁寧に見つめてくれる人だなというのを改めて思いましたね。

自分に関する文章を人に書いてもらって、それをその場で読んでもらうという機会はなかなかないんですけど、非常にこそばゆくも、ありがたいなと思う文章でした。

――お2人にとってとても貴重なご経験だったんですね。
どのエピソードもすごく大事と思いますが、本書の中で特に記憶に残っている内容はありますか?

斉藤:一つ挙げるとすると、 第3幕「葉桜に逍遙」が本当にタイトル通りというか。桜の季節に別の原稿を1本仕上げた後、もう少し書けそうな気がして街に繰り出し、葉桜の下をそぞろ歩きをしている時に見たものや感じたものをそのまま書いた文章になっています。

これは最初にタイトルが思いついた時、多分あと30分ぐらいで書けるだろうなと感じて。実際にそれぐらいで書けたということをエッセイでも書いています。

エッセイというものは、一筆書きじゃないですけど、足や筆の赴くままに書くっていうのも魅力なんじゃないかなと思います。約8年間書いてきた中でも、だんだんと文体であったり、自分の好きなこととか、自分の書き味を体得してきて、いけるかもしれないと思って、実際にふらっと何気なく歩いてみた時に、書けた! というのがすごく印象深いですね。
その逆に、たくさん時間をかけて丁寧に推敲をして紡いだ言葉というものも、とても真摯だと思っています。

――お話を聞いている中で、エッセイのことを考えていない時でも何かピンとくるものがあったら、タイトルが浮かんだり、「これを書こう」という体験が日常的にあるんだなと感じました。

斉藤:そうですね。文章や楽曲制作とかもそうですけど、例えば「5時間あげるのでエッセイを一本書いてください」と言われれば、もちろん書けはするんですが、アイデアの切れ端みたいなものをふとつかめた瞬間の方がインスピレーションが湧くのではないかと思っています。創作モードになっていない時にふわっと思い浮かんだことの方が結果的に面白くなるのかなと思うので、ネタ帳みたいなものを作っているわけではないんですけど、これは取っておこうみたいなアイデアがあったらメモ帳に書き留めることもあります。

――斎藤さんはかなり読書家な印象なのですが、最近読んだ本の中で印象に残っている本や気になる本、作家さんはいますか?あわせて、音楽活動や執筆において、なにかインスピレーションを得ることもあれば教えてください。

斉藤:最近読んだものだと、窪美澄さんの『君の不在の夜を歩く』という一番新しい小説です。

高校時代の同級生5人組の中で一番目立っていた女の子が亡くなってしまって、残された4人のそれぞれの視点で過去と現在を描く内容なんですけど、世代的にメインで描かれる年代が10代くらいから30代後半くらいで、今の自分の視点に重なる部分もありまして、全5章なんですけど、最後の5章目にかなり大きいギミックがあるんです。

すごく身につまされたというか…最近、そういうシンクロニシティって割とあるなと思っていて。別の仕事でも、本を読めば読むほど書けなくなっていく、みたいな。本を読んでいるから書けるってことではないという言説に立て続けに出くわす機会があったんです。窪美澄さんの小説にもそういうような言及があったりするんですけど、小説や他の仕事で出会った文章に突きつけられているように感じていて。非常に苦しいことと感じつつも、窪さんの小説がめちゃくちゃ素敵で、最後僕はすごい泣いてしまったんです。

あと、多分Billboard JAPANさんで初出しになるんですが、この小説を題材にした文章を後ほど書く予定です。

その、突きつけられている部分にインスピレーションを感じているかもしれないですね。

嫌だな、逃げたい、見たくないっていう気持ちもある。究極的に言うと逃げても別にいいことだと思うんですけど、自分が選択する時にいろんなものが浮かんでくるような気がします。

自分の場合は、ジャンルAがジャンルBに影響を及ぼす、というような感覚がよくあって。例えば、今お話ししたのは、文章を読んで、文章のインスピレーションが湧くという話でしたけど、ある小説を読んで、このシーンで特定のコード音が鳴っているように読めるなと思ったら、そういう楽曲が思い浮かんだりとか。芝居と音楽、文章の三つが今の自分を構成する最大要素になっているので、それぞれがお互いに影響を及ぼし合っている感覚がありますね。

――お話を聞いてて、わたしも窪美澄さんの本を読んでみたいと思いました。
本書を読んだとき、幼少期に過ごした山梨県での撮影が斉藤さんにとって大切な時間になったと感じたのですが、過去の自分、もしくは未来の自分にこの本をプレゼントしたらどんな感想が返ってくると思いますか?

斉藤:文章にして記録を残しておけば、未来の自分が再び触れた時にその時の記憶を呼び起こせるんじゃないかと思っています。例えば5年後10年後の自分が読んだら、こういうことを感じていたんだなと、当時の感覚や考えをより鮮明に思い出すんじゃないかなと。本という形で、「記憶を保存しておく場所」としてすごくありがたいな思います。

いつかどこかであった記憶を形にしておく場所としての本っていうのはすごくありがたくて。

だから、過去の自分にとってそれは未来の本だし、未来の自分にとっては過去の思い出の本というか、僕自身も聞いてみたいと思うんですけど、訳知り顔で言われそうな気がしますね。「ああ、こんな感じに書いてたよね」と。

正直校正作業をしていても、これはこの状態のまま世に出すのか、それとも今の自分の文体で上書きするのかっていうのをすごく考えた結果、記憶の場所として残すことが、少し恥ずかしい部分もあるけれど、なるべくそのまま出すことにしたので、それがこの約8年間の思い出の場所になってくれたらいいですね。

ぜひ未来の自分も、恥ずかしがらずに読んでほしいなと思います。

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