滋賀県大津市に本社を置くマイクロ出版社・紫洲書院はこのほど、書籍『デジタル保健室 学校からひろがるケアリング・ムーブメント』を刊行いたしました。

本リリースでは、当書籍のテーマとなった、立命館守山中学校・高等学校での先進的なケアの取り組み「デジタル保健室」についてご紹介いたします。

 舞台となった立命館守山中学校・高等学校(滋賀県守山市)は、2014年から全校生徒へのタブレット端末導入を行うなど、国内でもいち早くICT教育を推進してきた「デジタルの先進校」として知られています。しかし、そこで進められていたのは、単なる効率化や管理を超えた、新しいICT活用の形でした。

 本書の編著者の一人であり、同校で養護教諭を務める山村和恵さんは、日々生徒たちと向き合うなかで、型にはまった学校生活に限界を感じている生徒たちの「声にならないSOS」を痛感していました。そこに、学校の外側から新しい風を吹き込む「共創の専門家」である上田隼也さん(一般社団法人インパクトラボ代表)が合流します。

 二人が目指したのは、生徒が自分に合った人との距離感や自由を実現するための、いわば「優しさを実装するためのICT活用」です。「保健室が学校全体をリードするようなやり方があってもいいかもしれない」──この確信から、これまでに類を見ない「デジタル保健室」への挑戦が始まりました。

 かつて学校の保健室は、理由がなくとも立ち寄れる「ゆるやかな場所」でした。しかし、その風景を一変させたのがコロナ禍です。感染症への不安や生活環境の激変によって、助けを求める生徒はかつてないほど増えていきました。

「来室者が急増し、現場がひっ迫するなかで、生徒たちの間に“自制”の心理が働きはじめてしまったのです」と、養護教諭の山村和恵さんは振り返ります。

 保健室のキャパシティが限界に近づくなかで、生徒たちの間には「遠慮」の心が働き始めました。「自分よりもしんどい子がいるはずだ」「忙しい先生の手を煩わせてはいけない」──そんな配慮が、保健室を生徒から遠ざけはじめます。生徒にとって保健室へ行くことは、いつしか「自分こそが支援を受けるに値する理由」を周囲に証明し、その権利を「勝ち取る」ような行為になっていたのです。

 SOSが溢れているのに、本当にしんどい子ほど声を上げられない。この「来室を遠慮してしまう」という課題に直面したとき、物理的な「箱」としての保健室だけでは、彼らの抱えるものに応答しきれないという限界が表面化していきました。

 既存の枠組みでは救いきれない生徒を、どうすれば見つけ出せるのか。山村さんと、外部パートナーの上田隼也さんが目指したのは、テクノロジーを活用した「ケアの選択肢の多層化」でした。

▶︎ 実際の保健室が、メタバースに出現

 デジタル保健室のシステムの代表的な一角が、「メタバース空間」です。このメタバース空間の開発において最もこだわったのは、母校である立命館守山の保健室を「そのまま」再現することでした。実際の保健室を3Dスキャンして構築されたデジタル空間は、部屋の配置から家具の色まで緻密に作り込まれています。「慣れ親しんだ場所であること」そのものが、生徒にとっての安心感(アフォーダンス)となるからです。

 生徒はこのメタバース空間に、アバターの姿となって、いつでもどこでも入室することができます。そうすることで、対面特有の視線のプレッシャーが辛いときや、「保健室に行くほどではないけど……」というときでも気兼ねなく入室し、他の利用者や養護教諭と適度な距離感でコミュニケーションをとることができます。また、エモート(感情表現)機能によって、言葉に詰まったときでも拍手や動作で気持ちを表すことができ、デジタルというクッションがあるからこそ可能になる、新しいコミュニケーションの形が実装されています。

▶︎ 「保健室が遠い」という声から生まれた「AI養護教諭」 

 さらに、学校の窓口が閉まっている夜間や早朝の受け皿として、対話型AIを活用した「AI養護教諭」という構想が生まれました。このAIの最大の特徴は、アドバイスや正解を提示するのではなく、「聴く」姿勢に徹する点にあります。

対話形式で相談できる「AI養護教諭」のユーザー画面。生徒の声を反映し、あえて養護教諭らしさを排したアバターデザインとなっている。

  開発段階では、生徒がより気軽に話しかけられるようアバターのデザインも更新を重ねてきました。相手が機械であり、かつ「養護教諭らしさ」をあえて排した中性的な外見であるからこそ、生徒は評価を恐れず本音を吐き出すことができます。

  実際、導入後のアンケートでは、これまでの保健室ではなかなか顕在化しなかった話題が頻出するなど「誰にどう話していいかわからない」というパーソナルな悩みが、AIという安全なフィルターを通すことで、初めて言葉として表出したことがわかりました。

 これらのデジタル上のつぶやきは、ダッシュボードを通じて人間の養護教諭へと共有されます。テクノロジーは先生の代わりをするのではなく、生徒の小さな声を拾い上げ、リアルの温かい支援へとシームレスにつなぐための「新しい回路」として機能しています。

 取り組みは画面の中だけに留まりません。保健室が主導するデジタルでの試行錯誤は、現実の校内空間のあり方をも変えていきました。

 明確な理由がなくても好きなタイミングで利用できる、学校内のサードプレイスとも言うべきスペース「オルバ」を創設。さらに、保健室前の芝生にパラソルやベンチを置いた「アウトドア保健室」も展開されました。「大人からの『支援』として設計するのではなく、生徒たちがお互いに心地よい距離感を保てるような居場所を大切にしたいと考えました」と山村さんは言います。

特に理由がなくても滞在できるスペース「オルバ」と、常駐するユースワーカー保健室から一歩足を踏み出すと、芝生のアウトドアスペース「アウトドア保健室」の空間が広がる

 対面がよいときは対面で、それが難しい場合はアバターで、人との関わりが辛いときはAIで。その時の心の状態に合わせて、最適な居場所やインターフェースを自由に選べる環境こそが、現代の学校における「優しさの設計」なのだと本書は説きます。

 立命館守山中学校・高等学校で展開されたこれらの実践は、一人の養護教諭の献身に頼るのではなく、テクノロジーや外部人材、そして地域社会がケアを分担し合う「共助」の形を提示しています。「ケアを特定の誰かに閉じず、みんなのものにする。それが私たちが目指す『ケアリング・ムーブメント』です」と、編著者の一人である上田隼也さんは語ります。

 「ケアリング・ムーブメント」という副題には、学校が抱えるケアの負担を特定の教員だけに押し付けるのではなく、外部の専門家やテクノロジー、そして地域社会全体で支え合う「ケアリング・ソサエティ」を目指すという願いが込められています。

 2023年度の正式な運用開始から、「デジタル保健室」プロジェクトは、ICT 夢コンテスト 2024 文部科学大臣賞(地域)、第 56 回 中日教育賞など、数々の賞に輝いてきました。また、学会発表や論文の出版など、アカデミックな場からの注目も集めています。教育関係者や福祉従事者はもちろん、テクノロジーによる社会課題解決に関心のあるすべての方に読んでいただきたい一冊です。

【目次】

はじめに(山村和恵)

第0章 「デジタル保健室」とそのシステム

第1章 保健室では、何が起きていたのか(山村 和恵)

第2章 学校×技術ですすめる「関係性のインフラ」づくり(箭内 健)

第3章 テクノロジーで実現する居心地のよい距離感(中井 勇希)

第4章 「AI 養護教諭」の開発── ケアする AI の可能性(戸簾 隼人)

第5章 「保健室ユーザー」から見たデジタル保健室(K・N)

第6章 ヤングケアラー支援における学校の新たな役割と可能性 (斎藤 真緒)

第7章 学校での「居場所」と保健室の意義(サトウタツヤ)

第8章 コミュニケーションとつながり(山中 司)

おわりに(上田隼也)

巻末コラム:保健室の周りのバショやヒト

立命館守山中学校・高等学校 養護教諭。立命館大学大学院博士課程在籍。思春期保健相談士。「デジタル保健室」や包括的性教育の実践を牽引。「とりあえずほけんしつ」代表。

一般社団法人インパクトラボ 代表理事。立命館大学デザイン科学研究所客員研究員、滋賀県立守山北高等学校地域連携コーディネーター。著書に『地味にすごい探究学習のはじめかた / すすめかた』など。

 社名:合同会社 紫洲書院 

 所在地:滋賀県大津市

 URL:https://shidzu-shoin.com/

WACOCA: People, Life, Style.

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