和歌山市がNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送に合わせ、戦国時代に紀の川河口を統治した鉄砲集団「雑賀衆」と紀州攻めで
対峙(たいじ)
した豊臣秀吉、秀長兄弟ゆかりの地を紹介する観光パンフレットを作成した。史料の乏しさなどもあって市の広報が手薄だった雑賀衆の事績に光を当てている。(丹下巨樹)

和歌山市が作成したパンフレット和歌山市が作成したパンフレット織田軍苦しめる

 和歌山市立博物館によると、雑賀衆は現在の和歌山、海南両市の一部を統治。有力な侍や農民の集まりで、一部は本願寺の門徒でもあった。海運を通じて経済力を高め、早い時期から鉄砲を数多くそろえたとされる。

『信長の野望・新生』に登場する「鈴木重秀」(c)コーエーテクモゲームス All rights reserved.『信長の野望・新生』に登場する「鈴木重秀」(c)コーエーテクモゲームス All rights reserved.

 織田信長と本願寺勢の戦い「石山合戦」(1570~80年)には雑賀衆の有力者で鈴木孫一(孫市)を中心とした一部が、本願寺勢の一員として参戦。強力な武力を誇り、少ない手勢ながら織田軍を苦しめた逸話が残る。

 雑賀衆は秀吉、秀長らの大軍による紀州攻め(1585年)で滅ぼされた。籠城して抵抗を続けた太田城(和歌山市)への水攻めは1か月に及び、備中高松城(岡山)、忍城(埼玉)と並び、後に「日本三大水攻め」と呼ばれた。

魅力的な人物像

 雑賀衆は歴史ファンには名が知られた存在だ。

 特に孫一は、戦国時代を舞台にした文芸作品などで「武勇や鉄砲の扱いに優れた武将」として描かれてきた。歴史ゲームシリーズ「信長の野望」では「鈴木重秀」として登場。制作したコーエーテクモゲームス(神奈川)によると、過去にネット上でアンケートを取った人気武将ランキングでは約1800人中、24位だったこともあったという。

 魅力的な人物像が広まった孫一だが、和歌山市内では、雑賀衆を観光でPRする機会は多くはなかった。雑賀衆関連で目立った遺構が少ない上、観光名所の和歌山城は紀州徳川家との結びつきが強かったためだ。

 そんな中で「豊臣兄弟!」の放送が始まり、市観光課は「戦国時代の和歌山に注目してもらう絶好の機会」と捉えた。雑賀衆にも焦点を当てた観光パンフレットをつくることにした。

英語版も作成

 パンフレット「駆けゆく!戦国の和歌山市」(全12ページ)は3月下旬に日本語版2万5000部、英語版5000部を作成。市役所や和歌山城天守閣などで入手できる。

 雑賀衆や豊臣兄弟の関わりを中心に▽太田城水攻め堤跡(県指定史跡)▽太田城の本丸跡とされる来迎寺▽雑賀衆が戦の必勝を祈願したと伝わる矢宮神社――などのスポットを写真とともに解説している。市内の博物館の展示品や所蔵物も紹介。雑賀衆が住んでいた地域で作られた
兜(かぶと)
や火縄銃、信長が雑賀衆に宛てた朱印状などにも触れている。

 市は、大河ドラマ「真田丸」「どうする家康」の時代考証を担当した歴史学者平山優氏らが、雑賀衆などについて解説する動画もつくり、ユーチューブで公開している。市観光課の担当者は「なぜ雑賀衆は信長や秀吉に対抗できたのか。市内を巡り、その魅力を知ってほしい」と訴えている。


鈴木孫一(孫市)
=現在の和歌山市平井を拠点にしたとされる雑賀衆の有力者。本能寺の変後、権力争いに敗れ、集団を抜けたとされるが、功績を示す文献が少なく不明点も多い。戦国時代の史料の多くでは「鈴木孫一」と書かれ、自身も「鈴木」を名乗っていたとみられるが、公家の山科言継は日記で「さいかの孫一」と記している。江戸時代以降、「雑賀孫市」「鈴木重秀」の名も広まった。

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