こうした奇妙さこそが、この映画を非常に魅力的な作品にしている。『キャロル』では、社会を覆うホモフォビアが息が詰まるほどリアルで切実に感じられたのに対し、『Two People Exchanging Saliva』に描かれるねじれたディストピアは映画の視野を広げ、クィアの問題に対して新鮮で多様なアプローチを可能にしている。

実際、この短編はクィアを「問題」として提示することはほとんどない。むしろ、際限のない暴力や口臭といった要素が物語の緊張感を形成し、中心のラブストーリーが花開く余白を生み出している。それは単に、社会に蔓延るヘテロノーマティビティへの対抗策としてではなく、真実の愛がそのまま抵抗の象徴となりうることを示しているのだ。

もちろん、主演ふたりの間の完璧なケミストリーがなければ、これらの表現は成立しない。マレーズがアンジーヌの豪華なロングドレスのファスナーを上げるのを手伝ったり、真珠のネックレスをゆっくりと首にかけたりするようなふたりのシンプルな仕草ですら、官能的な緊張感に満ちている。また、マレーズが報酬としてアンジーヌの頬を打たなければならない場面においても、暴力的で屈辱的であるはずの行為が、突如としてより官能的なニュアンスを帯びるのだ。

『ブレイキング・バッド』のヴィンス・ギリガンが手がける、Apple TVのクィアなSFドラマ『プルリブス』は、「個人VS集合意識」という高度なコンセプトを通じて、喪失の重みや新しい愛を受け入れることで訪れる変革について、非常に感動的で人間味あふれる物語を描いた。

『Two People Exchanging Saliva』も、奇妙な社会という興味深い設定で観客を引き込みつつ、最終的には暗闇のなかでの愛を描く、力強くも馴染み深い物語へと変化する。親密さが禁じられた世界において、予期しない場所で予期しない人と真のつながりを見つけることほど、ラディカルなことがあるだろうか。

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