──魅惑的な官能表現の数々も印象的です。あなたの他の作品もそうですが、セクシュアリティを描く際、常に意識しているのは「生っぽさ」なのか、それとも「美しさ」や「居心地の悪さ」といった感覚なのでしょうか?

私はテーマから考えるよりも、まず感情からスタートするタイプなんです。その感情は、視覚的なイメージとして立ち上がってくることも多い。だから私にとって官能性とは、「何を描くか」よりも、「それがどんな感覚を生むか」ということ。観客に何を感じさせるのか、という点にあります。実際、私の映画ではストレートに性描写を見せているものはそれほど多くありません。恋愛の場面でも、台詞や気配、間によって成り立っていることが多い。

私がいつも考えているのは、「本当にセクシーなものとは何か」「人は実際に何に惹かれるのか」ということです。この映画では、越えてはいけないとわかっている境界線にあえて触れ、それを押し広げていく“逸脱”も描いています。その境界が何を意味するのか。それが精神的、感情的にどんな意味を持つのか。私はその緊張感と向き合いながら表現していました。キャサリンとヒースクリフの関係には、「互いを本当に見ている」という感覚があります。だからこそ、ふたりがともにいる場面には、美しさや気品が宿る。そこには、深く複雑で本物の愛がある。そして皮肉なことに、ふたりが引き裂かれたときこそ、怒りや恐怖、暴力性が生まれる。その対比こそが、私にとってのひとつの指針でした。

──マーゴット・ロビージェイコブ・エロルディの間に流れる緊張感と親密さこそが、この映画の核になっていると感じました。監督として、あえてふたりの距離を保った場面と、逆により強く介入した場面はありましたか?

ふたりは本当に素晴らしく、とにかく才能にあふれています。キャスト全員が優秀なので、私の役目は「必要なときに、必要なプレッシャーをかけること」だと感じています。それを、できるだけ遊び心をもって行うことも含めて。制作の初期段階では、徹底的にリハーサルを重ねました。リハーサルは、あらゆる可能性を試すための自由な場です。そして撮影当日になると、まず正解のテイクを押さえます。ストレートで、きちんと成立するバージョンを最初に撮るんです。そのうえで、少しずつ予想外の方向へ揺さぶりをかけていく。

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